環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

緑の福祉国家6 21世紀へ移る準備をした「90年代」③

2007-01-16 12:12:54 | 市民連続講座:緑の福祉国家


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★閣僚環境委員会の設置(97年1月)
記者会見で首相は、「各世代が希望に満ちた大プロジェクトを持つべきだ。それぞれの世代にビジョンが必要だ。私たちの前の世代のビジョンは、貧しかったスウェーデンを『福祉国家』にすることだった。いまの私たちのビジョンは、スウェーデンを『緑の福祉国家』に変えることだ。この仕事は若い閣僚が目標を立て、プロジェクト推進の原動力になるのが自然だ」と述べ、若い閣僚に政府の主導権を委ね、「閣僚環境委員会」を設置しました。  

閣僚環境委員会は、委員長に環境大臣、委員は教育大臣、労働副大臣、農業大臣、財務副大臣の5人からなります。

委員会のメンバーの性別や年齢の若さにも驚かされますが、委員会を構成する閣僚が環境、教育、労働、農業、財務の閣僚であることに注目したいと思います。環境問題に対する首相の認識と位置づけが、委員会構成にもはっきりとあらわれているといえるでしょう。

この委員会の任務は、「持続可能なスウェーデン」を実現しようとする政府のすべての政策の土台となる、包括的な政策プログラムを97年末までにつくり、98年からそれをスタートさせることでした。97年秋から98年春にかけて、エネルギー、交通、地域交通、地域開発、雇用、消費、住宅、農業、建設・設計などの各分野で、持続可能な開発の達成に必要な政策プログラムがつぎつぎに打ち出されました。

★「環境の質に関する15の政策目標」(98年4月) 
このビジョンを実現するために、政府は88年と91年の環境政策で定めた「環境の質に関する170の政策目標」を約1年かけて精査し、「環境の質に関する15の政策目標案」にまとめ、国会に上程しました。98年4月28日の国会で、この政策目標案は承認され、政府の正式な政策目標となりました。これが、今後の「緑の福祉国家」の環境的側面の行動指針となります。

「環境の質に関する15の政策目標(EQOs Environmental Quality Objectives)」は次のとおりです。

政府は98年の「環境の質に関する15の政策目標」の多くに中間目標を定め、国会に上程しました。国会は2001年11月にこれを承認しました。2003年8月、政府の指示に従って環境保護庁は16番目の政策目標として「生物多様性」を政府に提案しました。2005年11月、国会はこれを承認しました

したがって、上の図の「環境の質に関する15の政策目標」に2005年11月から「生物多様性」が加わり、2007年1月1日現在で「環境の質に関する16の政策目標」が策定されたことになります。それぞれの政策目標に対して、「環境の質」、「達成時期」、「担当行政機関」が具体的に決められています。最終目標年次は2020~25年です。

★「緑の福祉国家」の国家像を示した施政方針演説(99年9月)

それでは、「緑の福祉国家」とは具体的にどのような国家像なのでしょうか。99年9月14日の首相の施政方針演説から、その概要を知ることができます。

ペーション首相は「スウェーデンは生態学的にバランスのとれた国家でなければならない。スウェーデンの環境政策は、これまでにない最もラジカルな再構築を経験した。それが99年1月施行の環境法典の成立であった」と語り、つぎのような国家像を示しました。

①福祉国家としてのリーディングな地位を強化する国家。
②ノウハウおよび専門技術についてリーディングな国家。
③IT(情報技術)のリーディングな国家。
④多様性に富んだ国家。
⑤国民の労働と事業に基づいた成長と繁栄の国家。この三年間で、スウェーデン国内に10万の新会社が設立された。これらの企業は新しい雇用を生み出し、繁栄を推し進め、競争と創造性を刺激している。この展開は、税制の戦略的変革によってさらに強化されるであろう。
⑥「開発」および「平等」に基づいたヨーロッパを保障するために、活発に貢献する国家。
⑦国民が他人のなかに自己の存在を見出すことができる力を秘めた国家。



私の環境論5 動物的な次元から逃れられない人間

2007-01-15 05:44:19 | 市民連続講座:環境問題


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現代社会に生きる私たちは時代の経過と共に動物的機能が劣化(後退あるいは進化?)していることを自覚しつつありますが、それでもなお、「私たちはどう頑張っても動物的な次元から逃れられない」ということです。
人間と他の動物を分ける相違点はいろいろありますが、環境問題を考えるときには、

★人間は意思を持って行動し、将来を創造することができる積極的な存在であること
★火を使うこと
★道具を作り、使用し、物をつくること。そして、道具の効率を高め、さらに高度なものを作ること、
★言葉を使い、概念を想像し、記録し、伝えること

の4点を挙げたいと思います。

有史以来、私たち人間はこれらの特殊性を生かし、生物として与えられた生存条件を広め、ついには自然の循環から独立しつつあるまでに至りました。そして、今、皮肉にもこれらの特殊性により、人間の生存条件がこれまでとは逆に狭められつつあることに気がついたのです。

ここで、人間以外の動物を考えてみましょう。人間以外で、火を使う動物や道具を使う動物はいるでしょうか? 極めて初歩的な道具を使うように見えるチンパンジーを除けば、そのような動物はいないと思います。つまり、いないということは、人間以外の動物は自然から必要なものを採り、自然に不要なものを捨てているのです。

不要となって捨てるものも、自然から採ってきたものですから、人間以外の動物の行動は、全部、自然の循環に乗っています。ところが、人間は動物的な次元からは逃れられませんけれども、その特殊性により、科学技術を発展させ、現在のような産業経済システムをつくりあげて来たのです。

この100~150年間の「経済活動の持続的な拡大」の結果、人間の活動が「有限な自然」に比べて大きくなり過ぎたにもかかわらず、私たち自身の体の機能は人類の誕生以来、多少、劣化(あるいは進化)の傾向はあるものの、数100万年の間ほとんど基本的には変わっていないのです。ですから、今後、さらに現在の延長上で経済成長の拡大を続けますと、環境の制約から私たちも他の生物と同じように生き続けることができなくなる可能性があります。

私たちの生存条件を左右する環境が怪しくなってきたということは、私たち人間の最も根本的である「動物的な次元」に直接かかわる問題だからです。

日本で環境問題を論じている多くの専門家や環境問題を講じている大学の教官(特に工学や法学・政治学・経済学などの社会科学、人文科学)に対して私が言いたいことは「私たち人間は動物だ」ということです。このことはあまりにも当たり前のことですが、そのあまりにも当たり前のことに、今、問題が生じつつあることを私たちは理解しなければなりません。

当たり前のことを是非とも当たり前のこととして思い起こして欲しいと思います。皆さんも環境問題を論ずる場合に、「私たちは動物なのだ。動物的な次元から逃れられない」ということを是非忘れないで欲しいと思います。そして、私たちが、火を使い、道具を使うという特殊性ゆえに、私たちが自分自身を危ない目に遭わせているということを。 

もう一つ追加すれば、「人間を含めた動物の生存を支えているのは基本的には植物だ」ということです。植物を食べる動物がいて、その動物を食べる動物がおり、私たち人間は動物と植物の両方を食べているわけです。ですから、植物がだんだん失われてくると私たちは生きていけなくなるわけです。このようなあまりにも当たり前のことを私たちはすっかり忘れ、環境問題は技術で解決できるかのような認識に浸っている感があります。私たちはこれらの原則を真剣に考える必要があります。

緑の福祉国家5 21世紀へ移る準備をした「90年代」②

2007-01-15 04:50:19 | 市民連続講座:緑の福祉国家


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★未来社会の環境の状況について(91年10月)
ブルントラント報告が公表される以前から、発展途上国への援助を通して「持続可能な開発」を試みてきたスウェーデンが描く「持続可能な社会」の環境的側面の要約が、スウェーデン環境保護庁が91年10月に公表した「未来社会の環境状況について」と題した資料の中に提示されています。

私は自然保護との関係で⑧がわかりやすいと思います。70年代頃までは、日本のどこにでもいたメダカやドジョウ、タナゴなどの魚、フジバカマのような野草は今絶滅が危惧されていますし、日本の普通の景観であった里山や棚田の現状をみれば、日本の状況の厳しさが実感できるでしょう。そして、⑨にバイオ技術で世界の最先端を行く、予防志向の国スウェーデンの「バイオ技術」に対する見識が見てとれると思います。

この要約に基づいて、「持続可能な社会」をイメージすれば、日本の現状は明らかに持続可能ではないといえるでしょう。持続可能な社会とは従来のSF小説や未来小説にしばしば登場する巨大なコンクリート構造物の間を高速交通が縫うように走り回る、電子機器に囲まれた都市型社会とはまったく正反対の、豊かな自然の中で環境にやさしい適正規模の科学技術が定着した落ち着いた社会となるでしょう。

一世を風靡した「手塚治虫の鉄腕アトムの世界」「真鍋博のイラストの世界」とは大きく異なります。そこには日本の行政当局者や多くの環境・エネルギー関係者が理解する「持続可能な開発/持続可能な社会」の概念とは大きな認識の相違があります。

★「循環政策」(92年6月)
「自然循環と調和した社会の実現」をめざすガイドラインとなる「循環政策(エコサイクル:環境の新たな展望)」(自然循環システムと調和した社会の実現をめざすガイドライン)が国会で承認され、これまでの「福祉国家」を「緑の福祉国家」に変える第一歩を踏み出す法的な基礎ができました。
循環政策の焦点は「廃棄物に対する製造者責任制度」、「廃棄物税の検討」、「化学物質の監視」などです。
 
★経済発展のための政策(95年11月)
「経済発展のための政策」は「税金」「教育」「労働」に関する権利と「環境問題」を包括的にとらえたもので、この政策の目玉は、税金部門の「課税対象の転換」でした。

★「緑の福祉国家の実現」というビジョンを掲げた施政方針演説(96年9月17日)
ペーション首相は施政方針演説で、「スウェーデンは生態学的に持続可能性を持った国をつくる推進力となり、そのモデルとなろう。エネルギー、水、各種原材料といった天然資源の、より効率的な利用なくしては、今後の社会の繁栄はあり得ないものである」と述べました。これは、「福祉国家」を25年かけて「緑の福祉国家」に転換する決意を述べたものです。

首相がこのビジョンを実現するための転換政策の柱としたのは、「エネルギー体系の転換」「環境関連法の整備や新たな環境税の導入を含めた新政策の実行と具体的目標の設定」、「環境にやさしい公共事業」、「国際協力」の4項目です。

この演説のなかで、 「持続可能な開発」に対するスウェーデンの解釈が明らかになっています。英文では、つぎのように表現されています。

Sustainable development in the broad sense is defined as community development that meets the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs.

ここでは、「広義の持続可能な開発とは、将来世代が彼らの必要を満たす能力を損なうことなく、現世代の必要を満たす社会の開発」と定義されています。 

重要なことは「社会の開発」であって、日本が理解する「経済の開発、経済の発展や経済の成長」ではありません。資源・エネルギーへの配慮を欠いた経済成長は「社会」や「環境」を破壊する可能性が高いからです。

首相は施政方針演説後の記者会見で「緑の福祉国家の実現を社民党の次期一大プロジェクトにしたい」と語り、「スウェーデンが今後25年のうちに緑の福祉国家のモデル国になることも可能である」との見通しを示しました。ここに、明快なビジョンが見えてきます。

記者会見で首相は、「各世代が希望に満ちた大プロジェクトを持つべきだ。それぞれの世代にビジョンが必要だ。私たちの前の世代のビジョンは、貧しかったスウェーデンを『福祉国家』にすることだった。いまの私たちのビジョンは、スウェーデンを『緑の福祉国家』に変えることだ。この仕事は若い閣僚が目標を立て、プロジェクト推進の原動力になるのが自然だ」と述べ、若い閣僚に政府の主導権を委ね、「閣僚環境委員会」を設置しました。

私の環境論4 21世紀も「人間は動物である」

2007-01-14 16:48:19 | 市民連続講座:環境問題


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私たちは環境問題を、人間社会に起こる数多くの社会問題の一つとして理解してきたきらいがあります。しかし、環境問題は人間社会の問題というよりは、人間社会を支えている「自然」と「人間社会」の間で起こっている問題です。

人間を含めた生物は「自然循環」から資源を得て、「自然循環(大気の循環、水の循環、物質の循環など)」に廃棄物と廃熱を返すことで、その誕生以来、今日まで活動を続けてきました。

この「自然循環」が人間活動の影響により滞ることになれば、自然循環のなかに存在する「人間社会」はもちろん、その他の生物の活動も縮小し、ついには崩壊することになります。これが、今、私たちが直面している環境問題の本質なのです。

数100万年を超えるといわれる人類の歴史のなかでこの事実は不変であったし、21世紀も不変でしょうから、「21世紀も人間は動物である」というこの事実こそ、環境問題を考えるときの最も基本的な大前提であり、この大前提を支える必要条件のどれか一つが「量的」にあるいは「質的」に満たされなくなれば、21世紀の私たちの社会の存続が危ぶまれることは疑う余地もありません。

私たちは動物的機能が退化しつつあることを自覚してはいますが、それでもなお、私たちは「動物的次元」から逃れることができないのです。
 
このことは、2000年8月の大噴火以降、東京都三宅島では有害な火山ガスである二酸化硫黄の大気中濃度が高く、2005年2月1日の避難指示解除まで全島避難がつづいたことからも明らかでしょう。


この場合は、「空気を吸う」という人間が生きるために必要な必要条件の一つが、「量」には問題がなかったにもかかわらず、「質」だけが満たされなかったのです。



緑の福祉国家4 21世紀へ移る準備をした「90年代」①

2007-01-14 12:02:07 | 市民連続講座:緑の福祉国家


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「失われた10年」が、日本の90年代の経済状況を象徴する言葉として、エコノミストや経済学者、評論家、マスメディアなどの間で好んで用いられますが、日本にとっての失われた10年は、スウェーデンにとっては、20世紀の「福祉国家」を21世紀にめざすべき「緑の福祉国家」に転換する準備のための10年でした。

それでは、「転換への準備期間」と位置づけられた90年代の主な政策的動きを、毎年9月に始まる国会の冒頭で行なわれる首相の施政方針演説と、政府が国会に上程する政策案や法案を中心に見ていきましょう。次の図をご覧下さい。


国会での審議を経て成立した政策や法に基づいて、政府の予算配分がなされ、20世紀の「福祉国家」から21世紀にめざす「緑の福祉国家」への転換が、着実に行なわれていくことになります。簡単に説明を加えていきましょう。


★「1990年代の環境政策」(1988年)


★「1991年の環境政策」(91年2月)

国連の環境と開発に関する世界委員会(WCED)の報告(ブルントラント報告)「われら共有の未来」の公表(1987年)から4年経った1991年、スウェーデン政府は「1991年の環境政策」を策定しました。そこでは、90年代の環境政策の方向と戦略が、つぎのように明示されています。

これまでの環境政策が、現象面に着目した気候変動、オゾン層の破壊、環境の酸性化(酸性雨問題)、廃棄物問題など個別の環境問題への対応だったのに対し、この政策は、 「環境問題への対応」が「20世紀の『福祉国家』を21世紀の『緑の福祉国家』に転換する行動」と軌を一にすることを示した点で画期的です。
そして、「1991年の環境政策」では、90年代に焦点を当てる主な分野として次の10分野をあげています。

この政策に盛り込まれたスウェーデンの環境政策の長期目標

①人の健康を守る。
②生物多様性を維持する。
③持続可能な利用を確保するために天然資源を管理する。
④自然景観および文化的な景観を保全する。

というもので、翌1992年の「地球サミット」の一歩先を行くものでした。ここに、スウェーデンの先見性を見ることができます。 「人の健康を守る」を環境政策の長期目標のトップに掲げているところは、いかにも「予防志向の国」スウェーデンらしいと思います。

ちなみに日本の長期目標(1995年の環境基本計画)は、

①循環、
②共生、
③参加、
④国際的取組

となっています。

「循環」と「共生」が日本の長期目標であるのは妥当だとしても、なんとも理解し難いのは、「参加」と「国際的取組」です。なぜ、この両者が長期目標なのでしょうか。今日からでも取り組める問題ではないのでしょうか。

今朝、なんと「30年来の疑問に対する回答」を発見

2007-01-14 07:12:07 | 政治/行政/地方分権


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人生には不思議としか思えない、絶妙なタイミングで関心事に遭遇することがあります。今朝はそんな体験をし、気分が大変高揚しています。今年1月6日のブログで「なぜ混ざらない『下水汚泥』と『台所の生ゴミ』」を書き、その結びで、次のように書きました。

X X X X X
地球環境問題が日常の話題に上るようになり、廃棄物問題が極めて重要な問題として、産業界のみならず、国全体の問題として認識され、「循環型社会」の必要性がわが国の各省庁の白書や報告書の中に将来の望ましい姿として描かれるようになった現在、はたして、毎日わが国で排出され続けている下水処理場から出る「汚泥」と台所からの「生ゴミ」は、相変わらず、すんなりとは混ざらないものなのでしょうか?
X X X X X 


実は、上記の記述は私が初めて書いた本「いま、環境・エネルギー問題を考える」(1992年7月、ダイヤモンド社)の「第1章 視点の相違」で、具体的な事例として紹介したものをベースに書いたものです


今朝、なんと30年以上前からいだき続けて来た上記の「私の素朴な疑問」に対する具体的な回答に、偶然にもブログ「リンク切れで御免」上で遭遇したのです。

X X X X X 
国交省 下水汚泥・生ゴミ一体処理
バイオマス活用促進

国土交通省は平成19年度から、環境省などと連携し、下水道施設を利用したバイオマス(生物由来資源)活用の拡充策を進める。下水汚泥から天然ガスの代替燃料となる「バイオガス」を精製する事例はこれまでもあったが、生ゴミや屎尿(しにょう)なども一体的に処理することでより効率的にバイオマスの活用を進め、二酸化炭素(CO2)の排出を削減して地球温暖化防止を図る。

ご関心のある方は 「リンク切れで御免」   

X X X X X 

この情報は、特にバイオマスに関心のある方やこの道の専門家にとっては目に止まるかもしれませんが、一般の方には目にとまらない情報です。しかし、私にとっては特筆すべき大変貴重な記事でした。「リンク切れで御免」の管理者の方、本当にありがとうございます。

なにしろ30数年待ち望んでいた回答だからです。ということは、この「国交省 下水汚泥・生ゴミ一体化処理」の計画はバイオマス分野で最先端を行くスウェーデンから遅れること30年と言えないこともありません。

私の1月6日のブログ「なぜ混ざらない下水汚泥と台所の生ゴミ」は今なお続く日本の行政の強固な縦割り組織の具体例として書いたものです。環境問題(ここでは地球温暖化)がついに日本の強固な行政の縦割りを壊すまでに至ったのでしょうか。 日本の官僚の環境問題に対する認識がやっとそこまで高まったのでしょうか。

ちなみに、「なぜ混ざらない下水汚泥と台所の生ゴミ」の調査結果は73年にスウェーデン大使館に入館した私が「最初の報告書」としてスウェーデン環境保護庁へ送った記念すべき報告の内容だったのです。

昨年2月に出版した私の本「スウェーデンに学ぶ『持続可能な社会』」がきっかけで意見交換をするようになった岡野守也さん(サングラハ教育・心理研究所主幹)の言葉を借りれば、このような不思議な現象は「シンクロニシティ」 (岡野さん、専門用語では「同時性」、「共時性」とおっしゃったでしょうか?)というのかも知れません。以下はご参考まで。

X X X X X
さて、それでは、最後に、岡野先生と小澤先生です。この出会いは、小澤先生のもっとも新しい著書である『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」安心と安全の国づくりとは何か』(朝日選書)を岡野先生が読んだことがきっかけとなっています。(この話はここからが面白いんです!)

小澤先生のその本に感銘を受けた岡野先生は、そのことをブログに書かれました。すると、それを読んだ法政大学の学生さんが、今年法政大学の社会学部に小澤先生が非常勤で環境論の授業に来られることを知らせてくれたそうです。しかも、小澤先生は月曜日、岡野先生は火曜日です。すごい確率ですね。おそらく、こういうことをシンクロニシティと呼ぶのだと思います。

続きにご興味があれば、
3人の先生の出会い

岡野守也先生のご紹介 


緑の福祉国家3 スウェーデンが考える「持続可能な社会」

2007-01-13 11:58:42 | 市民連続講座:緑の福祉国家


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87年4月に、国連の「環境と開発に関する世界委員会(WCED)」が「持続可能な開発(Sustainable Development)」の概念を国際的に広める先駆けとなった報告書「われら共有の未来」(通称ブルントラント報告)を公表してから、今年(2007年)で20年が経ちます。スウェーデンは、この国際的な概念を国の政策にまで高めた数少ない国の一つで、その実現に具体的な一歩を踏み出した世界初の国といえるでしょう。

20世紀の「福祉国家」(旧スウェーデン・モデル)で強調された「自由」、「平等」、「機会均等」、「平和」、「安全」、「安心感」、「連帯感・協同」および「公正」など8つの主導価値は、21世紀の「緑の福祉国家」(新スウェーデン・モデル)においても引き継がれるべき重要な価値観です。

20世紀の「福祉国家」と21世紀の「緑の福祉国家」
しかし、20世紀の福祉国家は「人間を大切にする社会」でしたが、かならずしも「環境を大切にする社会」ではありませんでした。このことは、昨日紹介した国際自然保護連合(IUCN)の「国家の持続可能性ランキング」の評価にもあらわれています。スウェーデンは世界180カ国の1位にランクされていますが、現時点では「持続可能性あり」とは判断されていません。

21世紀の持続可能な社会は「人間と環境の両方を大切にする社会」です。スウェーデン政府の90年代の政策や公式文書の英文版にはEcologically Sustainable Society(エコロジカルに持続可能な社会)という表現が好んで用いられています。国連などの報告書で使われるのはSustainable Society(持続可能な社会)という言葉ですから、“エコロジカルに持続可能な”という表現には、スウェーデン独自の主張が込められているように感じます。

なお、この市民講座では混乱を避けるために、「エコロジカルに持続可能な社会」を意図的に「緑の福祉国家」と表現しています。90年代のEcologically Sustainable Society(エコロジカルに持続可能な社会)に代わって、2005年夏頃から、政府の持続可能な開発省(2007年1月1日に「環境省」と改名)のホームページのトップに「green welfare state(緑の福祉国家)」という表現を見かけるようになったからです。




「緑の福祉国家」の三つの側面

 スウェーデンが考える「緑の福祉国家」には、

①社会的側面(人間を大切にする社会であるための必要条件)
②経済的側面(人間を大切にする社会であるための必要条件)
③環境的側面(環境を大切にする社会であるための必要条件)

の三つの側面があります。スウェーデンは福祉国家を実現したことによって、これら三つの側面のうち、「人間を大切にする社会であるための必要条件」つまり「社会的側面」と「経済的側面」はすでに満たしているといってよいでしょう。しかし、今後も時代の変化に合わせて、これまでの社会的・経済的な制度の統廃合、新設などの、さらなる制度変革が必要になることはいうまでもありません。

社会的側面では、21世紀前半社会を意識して、90年代に99年の「年金制度改革」(従来の「給付建て賦課方式」から「拠出建て賦課方式」への転換)をはじめとするさまざま社会制度の変革が行なわれました。

経済的側面では、図のように、70年以降、「エネルギー成長(エネルギー消費)」を抑えて経済成長(GDPの成長)を達成してきました。

環境的側面とは、「生態学的に持続可能かどうか」ですが、この点では、スウェーデンもまだ十分ではありません。20世紀後半に表面化した環境問題が、福祉国家の持続性を阻むからです。

そこで、21世紀前半のビジョンである「緑の福祉国家の実現」には、環境的側面に政治的力点が置かれることになります。



私の環境論3 矮小化された「日本の環境問題」

2007-01-13 06:45:07 | 市民連続講座:環境問題


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どういうわけか、日本の環境問題、エネルギー問題、経済問題に関する議論や資料のなかには、「人間の生活(国民の暮らし)」や「人間の命」の視点がないように思えます。

環境問題に対処するため、現実に実行されている対策は、あまりに個別的かつ古い価値観に引きずられていて、問題を抜本的に解決することができるとは思えません。私たちは「不安でいっぱいだが危機感は薄い」というきわめて特異な社会的心理構造のもとで、 「経済成長」や「景気回復」のために日々努力していることに、気づいてほしいと思います。
 
ではなぜ、私たちはこんなにも絶望的な状況下にもかかわらず、あまり危機感を抱かずにいられるのでしょう。その背景を、少し分析してみたいと思います。

日本の環境問題のルーツ
日本の環境問題のルーツは公害なので、環境問題への対処においては、大量生産・大量消費・大量廃棄の結果生じた汚染物資の排出量や騒音・振動・地盤沈下などを、1967年の「公害対策基本法」に基づいて、「技術」によって基準値以下に抑える、いわゆる「エンド・オブ・パイプ・テクノロジー」(終末処理技術)と呼ばれる手法をとってきました。

 1993年に成立した「環境基本法」に置き換えられるまでの、25年におよぶ「公害対策基本法」の運用によって、政府、企業そして市民の環境問題に対する意識は「公害対策」の域を出ず、環境問題の概念を矮小化したまま、時代の求めに応じてためらうことなく「公害」を「環境」という言葉に置き換えてしまったのです。
 
環境について議論するときにしばしば口にされる言葉に、「地球環境問題」があります。この言葉はじつは、1988年に日本の行政機関が、環境行政上の枠組みとして、「環境問題の現象面に着目して設定した問題群」で、日本独自の概念です。
「地球環境問題」と称される事象は、これまでの人間の経済活動の拡大から生じた人為的な問題です。
 
環境問題はなぜ恐ろしいか
「赤信号、みんなで渡れば怖くない!」というビートたけし(北野たけし)さんの名文句があります。交通信号は、人間社会の交通秩序を保つために、人間がつくったルールです。信号無視はルール違反ではありますが、「車の運転者」と「道路を横断する人」の間に、「人間の命が大切」という共通認識が存在しているかぎりは、この名文句は正しいと思います。
 
けれども、環境問題は、「自然」と「人間」との間で起こっている問題です。環境問題は「人間による自然法則の違反」です。自然法則は人間が発見したルールではありますが、人間がつくったルールではありません。
ですから、「自然」と「人間」の間には、「人間の命が大切」という人間社会の共通認識(暗黙の了解)は存在しないのです。
 
人間のつくったルールはいつでも自由に変えることができますが、自然法則は変えることができません。環境問題は「人間社会では普遍性がきわめて高いビートたけしさんの名文句」もおよばない、私たち人間にとってたいへん恐ろしい問題なのです。

バックキャストするスウェーデンは、人間がつくった仕組みを自然法則に合わせて変えていこうとしています。フォアキャストする日本は、技術で自然法則に挑戦しようとしているように見えます。この対照的な相違は、「環境問題に対する基本認識の相違」と「環境問題の社会的な位置づけの相違」に、すべての根源があります。

「地球にやさしい」という言葉
日本の行政資料にも、マスメディアにも、そして、市民のブログや日常会話にも「地球にやさしい」という言葉があふれています。なぜ、この言葉が好んで使われるのかよくわかりませんが、私の知るかぎりでは、「地球にやさしい」という言葉は、平成2年(1990年)度の環境白書の総説の副題として「地球にやさしい足元からの行動に向けて」という表現で登場したのが最初であり、この環境白書の公表を報じたジャーナリズムがこの言葉を繰り返し使い、企業や自治体が多用することにより広まり、社会に定着してしまったと考えられます。

私自身はこの言葉はあまり適切ではないと思います。なぜなら、地球そのものは私たち人間がやさしくしようがしまいが、自然法則に従って存在するだけだからです

大切なことは、「地球にやさしい」かどうかではなくて、日常会話の言葉で言えば、そこに住む「人間にやさしい」かどうかです。ただ、現実問題として「人間だけにやさしい」ということはあり得ませんから、「人間を含めた生態系にやさしい」、つまり、日常的な市民生活の中では「環境にやさしい」という言葉のほうが適切だと思います。「環境にやさしい」ということは環境への負荷を増大させないということです。

「地球にやさしい」「共生」などの心地よい響きをもったキャッチ・フレーズは、「地球環境問題」という日本的概念を社会に定着させ、みごとなまでに環境問題に対する危機感を薄めてしまった感があります。あたかも、 一人一人ができることから始める」ことによって、環境問題が解決するかのような幻想を与える言葉ではありませんか。

政府も自治体も、従来の「公害」という概念に代わって新しく登場させたこの「日本的概念」の普及に、90年代の10年間、精力的な啓発活動を続けてきました。ジャーナリズムも、経済界も、企業も、学者も、そして多くの市民運動家までもが、この流れにのみ込まれてしまっています。
 
しかし、問題の本質はまったく別のところにあります。それが何であるのか、次回から順番を追って、私の考えをお伝えしていこうと思います。

私の環境論2 「環境問題」という言葉を聞いたら・・・・・ 

2007-01-12 15:54:38 | 市民連続講座:環境問題


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環境問題にある程度の関心を持っておられるみなさんに「環境問題とは何か」と問えば、おそらく、90%以上の方々から「地球温暖化」、「オゾン層の破壊」、「酸性雨」、「海洋汚染」、「有害廃棄物の越境移動」、「熱帯林の減少」、「野生生物種の減少」、「砂漠化」などの答えが返ってくるでしょう。

環境問題:Before(履修前)
私は複数の大学で「環境論」を講じていますが、2000年から講義の初日に、「環境問題という言葉を聞いたときに思い浮かぶことを三つ書きなさい」という質問をしています。

昨日、皆さんにも同じようなワークシート「皆さんはどう考えますか」を配布しました。皆さんのお考えはいかがですか。皆さんのお考えを知ることはできませんので、私の方からは学生はこう考えたということをお知らせします。皆さんのお考えとどの程度一致するでしょうか。

この図は昨年10月から始まった後期の講義の第1日目に行ったある大学の経営情報学部の学生61人からの回答をまとめたものです。受講生のほとんどは3年生ですので、大学の授業で経済学や経営学を学んでいるはずの学生です。今回の回答を見ても、やはり一人として経済活動との関連を示唆する言葉を挙げた学生はいませんでした。

このことは社会科学系の学生、自然科学系の学生、人文系の学生、女子大学の学生などいずれの学生も「環境問題」と「経済活動」は別のものと考えているのです。皆さんのお考えはいかがでしたか。これまでの経験から学部は違っても回答は同じようなものです。経済とのかかわりを示唆するような答えが返ってくるのは、きわめてまれです。この傾向は社会人でも似たり寄ったりです。ですから、今になって「環境」と「経済」の統合が企業研修のテーマにあがってくるのです。

環境問題:After(履修後)
講義の初日にこのような回答をしていた学生は12回ほどの講義が終わると、環境問題に対する考え方が大きく変わったことを知ります。その代表的な例は次のようなものです。

「小学六年生の頃から酸性雨や温暖化、オゾン層の破壊、森林破壊、エネルギーの枯渇など環境問題は非常に深刻な事態だと教えられてきたが、それほど深刻に考えたことはなかった。五感で感じられなかったし、自分から遠く離れた外国のことだと思っていたからだ。この授業を受けて世界の未来が危ないという事態に震えが起きた」

「環境問題と経済活動を一緒に見てきた授業はこれまでまったくなかった。環境問題をどうやって解決するかを考える前に、いまの経済活動のあり方を考え直し、持続可能な社会をつくっていくことが大切だと思った」

「環境問題はその国の環境に対する考え方や取り組みだけでなく、その国の政治的な見通しや経済活動もかかわってくる問題であることを初めて知り、すごく驚いた」

私の環境論に、学生は敏感に反応します。そのことは、履修後に提出された感想文によくあらわれています。これまでに、私の授業を履修した複数の大学のおよそ2000人の学生の90%以上が反応する共通点は「環境問題に対する考え方が大きく変わった」というものでした。また、「スウェーデンの考え方と行動を知って、絶望していた日本や世界の将来に希望が持てるようになった」という積極的な感想もありました。

判断基準や見方を変えれば、「新しい可能性と希望」が生まれることを、学生は私の講義からくみとってくれたようです。


緑の福祉国家2 なぜスウェーデンに注目するのか:国家の持続可能性ランキング1位はスウェーデン

2007-01-12 08:02:50 | 市民連続講座:緑の福祉国家


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スウェーデンが年金や医療などの社会保障制度の充実した「福祉国家」であることは、よく知られています。しかし、「福祉国家」という人間を大切にする社会のあり方は20世紀的で、21世紀には、人も環境も大切にする「緑の福祉国家(生態学的に持続可能な社会)」に転換しなければならない、これが、スウェーデンの描く21世紀前半のシナリオです。

「持続可能な開発」という概念
「持続可能な開発」という言葉は英語ではSustainable Development(SD)というのですが、1980年に国際自然保護連合(IUCN)、国連環境計画(UNEP)などがとりまとめた報告書「世界保全戦略」に初めて使われ、以来広く使われています。私は、1983年にこの言葉と出会いました。
 
おおよその意味は、「現在ある環境を保全するだけではなく、人間が安心して住めるような環境を創造する方向で技術開発し、投資する能動的な開発」、「人間社会と、これまで人間の経済活動によって破壊されつづけてきた自然循環の断続を修復する方向の開発」ということです。

 このような「持続可能な開発」によって、2025年頃までに「緑の福祉国家」を実現する、というのが、スウェーデンが描いている政策的なシナリオなのですが、そうしないと、私たちの社会は将来持続することができない、という危機感が、このシナリオの背景にあります。

「持続可能な開発」、「緑の福祉国家(生態学的に持続可能な社会)」、「持続可能な社会」、この3つの言葉はどれも「21世紀の社会のキーワード」ですから、覚えておいてください。

私は1月7日のブログで、安倍首相の理念を語るはずの「所信表明演説」の中に、このキーワードがないこと(「持続可能な日本型社会保障制度」という表現で、“持続可能な”という言葉が一回だけ出てくる)を指摘しました。このことは安倍首相がめざす21世紀の日本の社会「美しい国」は20世紀型の社会(あるいは20世紀の日本社会を改善した社会)ということで、21世紀に望まれる「安心と安全な持続可能社会」ではないということでしょう。

国家の持続可能性ランキング 
ところで、みなさんはスウェーデンや日本が環境分野で国際的にどのような位置づけにあるかをご存じでしょうか。冒頭でもご紹介しましたが、それを知る格好の材料が数年前に、2つの国際機関から発表されました。

    (1)国際自然保護連合(IUCN)のランキング(2001年10月)

    (2)世界経済フォーラム(WEF)のランキング(2002年2月)

なお、これらのランキングは、 「判断基準」を構成している各種項目を変更することによってどのようにでも変わります。ですから、判断基準がその目的(この場合は「国家の持続可能性ランキング」)を表現するのに適切なものかどうかの判断は、当事者とその道の研究者の間で、大いに議論し、よりよい判断基準をつくってほしいと思います。

ランキングの判断基準作りに参加していない私たちは、その毎年の順位に一喜一憂する必要はありませんが、この種のランキングは結果を継続的にフォローすることによってその意味づけに意義が出てくると思います。

(1)国際自然保護連合(IUCN)のランキング

2001年10月11日、国際自然保護連合(IUCN)は、新たに開発した「健全性指数(WI)」を用いて、世界 180カ国がどの程度、「持続可能な開発」に近づける状態にあるかを示す「国家の健全性(Wellbeing of Nations)」をランク付けした調査結果を公表しました。

この調査でスウェーデンは、「人間社会の健全性」と「エコシステムの健全性」のバランスが最もよくとれていると評価され、1位にランクされました。日本は24位、米国は27位でした。しかし、ここで重要なことは、この時点で「持続可能性あり」と判断された国は“皆無”だったことです。

この調査結果は大変厳しいものです。調査した180カ国中、37カ国(37位はルクセンブルグ)までが「人間社会の健全性(HWI)」(Human Wellbeing Index)と「エコシステムの健全性(EWI)」(Ecosystem Wellbeing Index)のバランスを辛うじて保っている状態にあるが、残りの140カ国以上はすでに環境へのストレスが「人間社会の健全性」を超えていること、生活水準が高い国も環境への過度の圧力をかけていることが明らかになりました。
この評価システムでは、「健全性指数(WI)」(Wellbeing Index)が81.0以上であるなら、その国家は“持続性あり”と判断されます。

したがって、1位にランクされたスウェーデンの「WI」は64.0ですから、スウェーデンも現在のところは環境を破壊しつつ、高水準の生活を維持していることになります。世界の経済活動のおよそ65%を占めるサミット参加8カ国(G8)の順位とエコシステムの健全性を示す「EWI」をみると、カナダ、ドイツ以外の6カ国は総じて「EWI」が低い数字となっています。

●「国家の持続可能性」を計るバロメーター
「健全性指数(WI)」は「国家の健全性」、言い換えれば「国家の持続可能性」を計るバロメーターとして位置づけられています。人間社会の開発は「自然」と「天然資源」の利用に支えられたものですから、「国家の健全性」を保つには「人間社会の開発」と適切な「エコシステムの保全」とが同時に行われていなければなりないのは、当然のことです。

この調査に用いられた評価方法は、国際開発研究センター(IDRC)と国際自然保護連合(IUCN)の支援で開発されたもので、「人間」と「環境」を同じ次元で対等に重み付けを与えたところにこの評価方法の独創性があります。

具体的には、
     健全性指数(WI)=(HWI+EWI)÷2
で示されます。

「HWI」は富、自由度、政治、平和、秩序、教育、交通インフラ、基礎サービスなど、
「EWI」は土地、水、空気、生物多様性、資源の利用状況などを示します。

これまでに国連などの国際機関で開発され、現在も利用されているGDP(国内総生産)、HDI(人間開発指数)、ESI(環境持続性指数)のような伝統的な指数は「人間社会」か、あるいは「環境」のどちらかに偏った指数でした。今回紹介した国際自然保護連合によって初めて開発された健全性指数(WI)はこれまでの伝統的な指数に比べると、さらに広範な「人間社会の要素」と「エコシステムの要素」が考慮されています。

この評価システムが「国家の持続可能性」を評価するのに適切かどうか、改善の余地はないのかなどの判断や議論は、その道の専門家に任せるとして、私はこの評価システムの結果を信頼して、この市民講座では新しいスウェーデン・モデル「緑の福祉国家(生態学的に持続可能な社会)」の検証を進めていきます。

(2)世界経済フォーラム(WEF)のランキング
世界経済フォーラム(WEF ジュネーブに本部を置く独立の非営利財団で、1971年設立、世界中の大企業約1000社が参加、スイスのダボスで開催される例会をダボス会議と呼んでいる)。毎年、世界各国の政府や産業界のリーダーが出席し、経済、グローバルな問題、地域問題など幅広い分野で議論を行なう。)は会員の関心が高い各種調査を行い、その結果を公表しています。

2002年2月4日、世界経済フォーラムの総会は、国家が環境を破壊せずに経済成長をはかれる能力の度合いを「ESI(環境持続性指数)」で判定した142カ国のランキングを公表しました。この調査は、コロンビア大学などと共同で行なわれ、各国の規制レベルや環境対策への取り組みなど、計20項目を指数化したものです。

スウェーデンはフィンランド、ノルウェーに次いでわずかの差で3位、米国51位、ドイツ54位、日本62位、英国に至っては98位でした。途上国のインドは119位、中国は129位にランクされています。

 
「持続的な経済成長」か、「持続可能な社会への転換」か
このような未来予測を前にして、これからの50年、みなさんは「これまでどおりの経済成長の維持あるいは拡大」を求めるのでしょうか、それとも、「持続可能な社会への転換」を求めるのでしょうか。

日本の首相の施政方針演説では前者をスウェーデンの首相の施政方針演説では後者を めざすことが、はっきりと方向づけられています。小泉純一郎前首相は2002年2月4日の施政方針演説で、「改革なくして成長なし」と語り、「持続的な経済成長」の必要性を明示しました。一方、ヨーラン・ペーション首相は1996年9月17日の施政方針演説で、「生態学的に持続可能な社会(緑の福祉国家)への転換」を21世紀前半のビジョンとして掲げました。

これからの50年の両国の将来像は、現時点ではきわめて対照的です。不思議なことに、日本では「少子・高齢化問題」は国民の関心が高まり政治の課題となってきましたが、市場経済社会を揺るがす、21世紀最大の問題である「環境問題」は、国政レベルの選挙の争点にもなりません。この現実と、両国の政治家や国民の意識の相違は何を意味しているのでしょうか。

想像するに、このことは、1月5日の私のブログで書いた「政策の国」と「対策の国」あるいは「予防志向の国」と「治療志向の国」の相違の具体的な事例かも知れません

私は、90年代に世界に先駆けて、21世紀前半社会の安心と安全のために「少子・高齢社会」を支える社会保障制度の中心である「年金問題」と、21世紀最大の問題であるはずの「環境問題」の二つのセーフティ・ネットを大きく張り替えたスウェーデンの先進性に注目しました。このような改革は、政府がはっきりとした将来への見取り図を国民に示し、それを具体化するにあたって強いリーダーシップを発揮しないかぎり実現できるものではありません。

「緑の福祉国家」への転換をめざして
明日から、90年代初めから昨年9月17日の政権交代までの、スウェーデンの社民党政権下で行われてきた「緑の福祉国家」の実現に向けた政策を時系列的に検証していきます。今後、昨年10月に発足した新政権がどのような具体策を打ち出すかは、みなさんとともにウオッチしていきたいと思います。情報提供という形でご協力いただければ幸いです。

この市民講座でお話しすることは、「私の環境論」(同時進行しているもう一つの市民講座「環境問題」)に基づいて私が理解したスウェーデンの状況をまとめたものです。ですから、別の方が別の視点で(別の判断基準で)検証すれば、別の姿を描くことも可能でしょう。

同じテーマに対して、皆さんの考えが私の考えと大きく異なるようであれば、大いに議論しましょう。議論を通して私自身の誤りを正すことができるし、「環境問題に対する共通の認識」と「持続可能な社会の構築の必要性」を分かち合うことができると思うからです。

市民連続講座:緑の福祉国家 1 ガイダンス 

2007-01-11 17:42:49 | 市民連続講座:緑の福祉国家


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市民連続講座:緑の福祉国家   ガイダンス

それでは、今日から市民連続講座 新スウェーデン・モデル「緑の福祉国家」をめざしてを開講します。今日は第1回目、「ガイダンス」の日ですので、この講座の目標、概要、参加の皆さんへのメッセージをお知らせします。
 
市民連続講座の目標
スウェーデンが構築しようとしている「生態学的に持続可能な社会(緑の福祉国家)」の概念を理解する。

市民連続講座の概要
この講座では、90年代に始まった新スウェーデン・モデル「緑の福祉国家」への挑戦への具体的な行動計画を検証する。

市民連続講座参加の皆さんへ
環境問題の解決とは「技術開発の変革」と「社会制度の変革」を通して資源・エネルギーの成長を抑え、21世紀の「持続可能な社会」を構築することを意味します。
 
持続可能な開発省のHP(現在はない)
スウェーデンは「緑の福祉国家」を実現するという大きなビジョンを持っています。このビジョンの実現を加速する目的で2005年1月1日に誕生した、持続可能な開発省(昨年9月17日の政権交代後に組織されたラインフェルト政権では昨年1月1日より「環境省」に改名:http://blog.goo.ne.jp/backcast2007/d/20070108を参照)のトップページには「緑の福祉国家」の概念が記されていました。ご参考までに当時のトップページの画像(2006年6月2日閲覧)とその概念の要旨を掲げておきます。





この概要から、緑の福祉国家(生態学的に持続可能な社会)の構築は、江戸時代へ戻ることでも、現在の生活レベルを落とすことでもなく、人間の英知を発揮し、「希望のある安心と安全な国づくり」であることがおわかりいただけるでしょう。

すでに、このブログでも報告しましたように、昨年9月17日に12年ぶりで政権交代が行われました。新政権誕生直後に公表された、首相の施政方針演説を見る限り、行政組織の衣替えや微調整はあるでしょうが、大きな変化はなさそうです。大きな変化があるとすれば、4年後、2010年の総選挙で現政権が大勝利(今回は議席数で7議席、得票数で2%程度の僅少さ)したときでしょう。

今後のスウェーデンの動きは皆さんとともにウオッチしていきましょう。

それでは、またあした、お目にかかりましょう。





市民連続講座:私の環境論 1 ガイダンス

2007-01-11 11:46:09 | 市民連続講座:環境問題


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市民連続講座:環境問題   ガイダンス

それでは、今日から市民連続講座:環境問題を開講します。

今日は第1回目、「ガイダンス」の日です。そこで、この講座の目標、概要、参加の皆さんへのメッセージをお知らせします。
 
市民連続講座の目標
「環境問題の本質」に迫り、「環境問題の解決」と21世紀に先進工業国がめざすべき「持続可能な社会」の必要性を理解し、環境問題の議論に十分参加できる体系的な知識を身につける。

市民連続講座の概要
①21世紀に入ってスマトラ沖大地震とそれに伴うインド洋津波、新潟中越地震など、国内外で地震や台風、火山の噴火による自然災害が相次いで発生している、
②戦争やテロ活動は止む兆しはなく、
③経済のグローバル化は急速に進展している。
 
たとえ自然災害や戦争やテロ活動が完全になくなり地球上に真の平和が訪れたとしても、環境問題には終わりはない。我々の「経済活動のあり方」が環境問題の主因だからである。したがって、環境問題は世界のほぼ全域に広がった「市場経済社会を揺るがす21世紀最大の問題」なのである。

「大気中のCO2濃度が高まると地球が温暖化する」という仮説を最初に唱えたのはスウェーデンの科学者S.アレニウスで、1896年のことだった。110年ほど前に唱えられたこの仮説がいま現実の問題となって、我々に「経済活動のあり方」の転換を迫っている。

この市民連続講座では環境問題の本質を明らかにするとともに環境問題の解決に向けた「自然科学的な視点」と「社会科学的な視点」を提供する。

市民連続講座参加の皆さんへ
環境問題は人類の生存に直結する大問題です。その主な原因は、自然現象による原因を除けば、人類誕生以来の数百万年におよぶ「人間の経済活動の拡大の蓄積」と考えられますので、環境問題は決して遠い将来のことでも、外国のことでもありません。

先進工業国に生きる人々、途上国に生きる人々、先住民の人々など、この地球上で生きている「60数億人の人々」とそれを支えている「動・植物の生存にかかわる生態系の危機」の問題なのです。ですから、私たちひとり1人の毎日の生活と直結した最も身近な足元の問題と言ってよいでしょう。

20世紀後半に自然科学が明らかにした「地球規模の環境問題」の現状に関するデータを素直に読み、それを真剣に受け止めれば、計り知れない絶望感に陥るかもしれません。でも、大丈夫、今は小さいけれども、「希望の灯」はあると思います。厳しい選択と強い決意が迫られますが、私たち日本人ならできるはずですし、世界に先駆けてやらなければなりません。

今、最も大切なこと
私たちが今、為すべきことは、「できる(こと)ところから始める」、「身近なところか始める」ではなくて、 「現状をよく知る」ことです

環境問題の危機的状況を十分に知ることなく、「ライフ・スタイルの変更が必要だ」という言葉だけで、私たちはこれまでの自分の考えを大きく変えたり、活動や行動を自ら制限したり、否定したり、あるいは自分に不利なことを進んで行うでしょうか。

それでは、ワークシート「皆さんはどう考えますか?」を配ります。15分もあればすべて記入できるでしょう。それでは、またあした、お目にかかりましょう。



2007年1月11日(木)    市民連続講座:環境問題

     ワークシート  皆さんはどう考えますか?

1.「21世紀前半の最大の問題」と思うものをあげてください。
       
2.「環境問題」という言葉を聞いたときに、思いつくことを3つあげて下さい。
          
3.「人間が生き続けるために必要だ」と思うことを3つあげください。

      以 上

ブログ開設10日目

2007-01-10 13:07:55 | Weblog


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皆さんへの期待は「環境問題」に対する私の考えや「スウェーデン」に関する私の観察と分析を、ぜひ批判的な立場で検証し、日本の将来を「明るい希望の持てる社会」に変えていくためにそれぞれの立場から日本の現状を真剣に考えてほしいことです。私たちの子供や孫のために・・・・・

同じテーマに対して、皆さんの考えが私の考えと大きく異なるようであれば、大いに議論しましょう。議論を通して私自身の誤りを正すことができるし、「環境問題に対する共通の認識」と「持続可能な社会の構築の必要性」を分かち合うことができると思うからです。
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昨年12月、ある会合で「ブログを始める」と言い出したのが発端で、今年1月1日にブログを開設しました。今のところ不慣れなブログ操作に悩まされていますが、とにかく文字と図を希望する箇所に納めることができるようになりましたので、ここ当分はブログの体裁などは二の次にして、情報発信に努めたいと思います。

今日でブログ開設10日目となりましたので、今後のブログの方向性について少々触れておきます。
このブログでは「連続市民講座:環境問題」「連続市民講座:緑の福祉国家」の2本をメインテーマにします。いずれも、私の個人的な認識を提供し、皆さんのご批判を仰ぎたいと思います。
 
この2つのメインテーマを補うために、必要に応じて「スウェーデンは今」「日本は今」で単発的な現在の話題を、「スウェーデン あの日あの頃」「日本 あの日あの頃」で単発的な過去の話題を、そして、「国際社会 今・昔」で単発的な国際社会の話題を取り上げたいと思います。

最近はスウェーデンやその他の北欧諸国をウオッチしている若い方々が少しずつ増えてきましたので、そのような方々が直接的にあるいは間接的に助けの手を差し延べてくれるのを期待しましょう。

それでは、これからをお楽しみに。



スウェーデンの国会議員の投票率の推移

2007-01-09 11:28:36 | 政治/行政/地方分権
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皆さんへの期待は「環境問題」に対する私の考えや「スウェーデン」に関する私の観察と分析を、ぜひ批判的な立場で検証し、日本の将来を「明るい希望の持てる社会」に変えていくためにそれぞれの立場から日本の現状を真剣に考えてほしいことです。私たちの子供や孫のために・・・・・

同じテーマに対して、皆さんの考えが私の考えと大きく異なるようであれば、大いに議論しましょう。議論を通して私自身の誤りを正すことができるし、「環境問題に対する共通の認識」と「持続可能な社会の構築の必要性」を分かち合うことができると思うからです。
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現実を重視するスウェーデンは、「技術」をバランスよく社会に取り入れてきた国です。しかし、スウェーデンの環境問題に対する取り組みを分析するときに注目すべき点は、「技術(ハード面)」よりもむしろ「法体系、行政機構などの社会制度(ソフト面)」にあります。
 
「経済成長の必要性」と「環境」との間に起こる、21世紀社会のさまざまな問題に対して最も効果があるのは技術的な対応ではなく、政治的・社会的・経済的対応です。人間の活動と自然との関係で同時多発しているさまざまな問題の解決には、問題一つ一つに取り組むのではなく、同時解決を図るためのシステマティックなアプローチが必要です。

日本がこうした問題の本質をとらえきれないまま、現象面だけしか見ようとせず、汚染物質の排出などといった個別の出来事に技術で対応しつづけてきた結果、日本では、環境問題が人間の生存を脅かす大問題であることが、いまに至るまで十分に認識されていないように思います。

昨年9月17日(第3日曜日)のスウェーデン総選挙(定員349)は即日開票され、穏健党を中心とした野党の中道右派4党連合が社民党と閣外協力2党(左翼党と緑の党)の与党左派連合を僅少さで破り、12年ぶりに政権が交代しました。

スウェーデンの民主主義政治にとって最も重要なのは国会です。あらゆる機会をとらえて、国民の政治参加を進めてきたスウェーデンにふさわしく、選挙の投票率は極めて高いものです。1940年代以降の投票率をながめてみますと、1944年(昭和19年)の71.9%を最低に、50年代は70%台、60年代は80%台、70年代に入って90%を超えます。80年代にはやや降下しますが、それでも80%台を維持しています。直近の昨年9月17日の投票率は81.9%でした。

このことは国民の考えが国政に反映しやすいことを示しているものと思われます。85年以降の投票率の推移はつぎのとおりです。




日本では、小泉連立内閣を引き継いだ安倍連立内閣が昨年9月26日に発足しました。わずか10日遅れで、スウェーデンのラインフェルト新内閣が発足しました。この機会に、両国の新内閣の閣僚の年齢構成と男女の構成を比較しておきましょう。今後の両国の政治的な動向を見る上で多少の参考になるかも知れません。


関連記事

Oppotunity Sweden スウェーデン、12年ぶりの政権交代(2006-09-26) 


日本の状況を判断基準にすれば、スウェーデンの閣僚が若いこと、そして、女性の閣僚が多いことがわかります。もう一度、1月4日の「明日の方向」を決めるのは私たちだ、をご参照ください。



「環境省」から「持続可能な開発省」へ、そして2年後、再び「環境省」へ

2007-01-08 10:51:18 | 政治/行政/地方分権
昨年2月に、私の本「スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」(朝日選書 792)」が出版されました。好意的な書評が多数マスメディアやネット上に登場しましたので、その主なものをご紹介しましょう。

(1)毎日新聞 書評「今週の本棚」 小西聖子 評  2006年3月26日

(2)週刊エコノミスト 2006年3月28日号 大橋照枝 評

(3)毎日新聞 「余録」   2006年5月4日

(4)福岡県弁護士会 弁護士会の読書  2006年5月29日

(5)リクルート「WORKs」06年6月7日号(76)目次 2006年6月13日

(6)山口大学工学部工学教育センター 溝田忠人 評

(7)環境カウンセラー 中村公雄のブログ 2006年3月3日

(7-2)環境カウンセラー 中村公雄のブログ 2007年1月15日


さて、この本の冒頭で2005年1月1日、スウェーデンで世界初の『持続可能な開発省』が誕生し、『環境省』が廃止された」と書きました。

昨年10月6日に発足したラインフェルト連立内閣(4党)の下で、今年1月1日から3つの新しい省(Ministry of Culture、Ministry of Employment、Ministry of Integration and Gender Equality)が発足しました。

これに合わせて、「持続可能な開発省」は今年1月1日から再び「環境省」に名称変更することが明らかになりました。「教育・研究・文化省」は「教育・研究省」に変わることになります。これらの新設、名称変更に伴って、各省間の所管事項の変更が行われています。

新しい環境省の組織と所管事項
環境・エネルギー分野では、持続可能な開発省が所管としていた「エネルギー分野」は企業・エネルギー・通信省へ>、「住宅分野」は財務省へ
移管することになっています。新しい環境省には、次の10部門があります。

★ 環境の質
★ 天然資源
★ 環境管理戦略および化学物質
★ 持続可能な開発および環境問題の統合
★ 管理
★ 国際
★ 持続可能な開発のための各省の調整
★ 人事管理
★ 法政管理
★ 広報

環境省の主な所管事項は次のとおりです。

★ 持続可能な開発
★ 持続可能な国土計画
★ 気候変動に関する方針
★ 環境の質に関する政策目標
★ 環境と健康
★ 化学物質に関する方針
★ エコサイクルに関する方針
★ 水域および海域
★ 自然保全および生物多様性
★ 環境関連法
★ EUおよび国際協力

今回の組織改正により、スウェーデン政府の環境行政組織は「環境省」と、「環境保護庁」をはじめとする「住宅・建設・計画庁」「化学物質検査院」「原子力検査院」「放射線防護庁」などの12の行政機関からなっています。これらの行政機関は、いずれも機能的にはこの省を代表する環境大臣の指示・監督を受けることのない独立機関ですが、所管事項につい環境省へ報告する義務を負っています。

「環境省」と「環境保護庁」の役割分担
日本や米国の視点で考えると、スウェーデンの環境行政組織のなかに、「環境省」と「環境保護庁」が共存していることは理解しがたいことかもしれませんが、両者にははっきりした役割分担があります。

環境省は、政治(内閣)主導型政府の構成メンバーとして、ほかの省と協力して所管事項である環境政策と持続可能な開発政策に携わるとともに、国会に対する責任を果たします。

環境保護庁は環境省に報告を義務づけられた12の行政機関の1つで、既存の法律の枠内で独自に、国会で承認された国の環境政策に沿って具体的な行動計画をつくり、実行に移すのが主な役割です。環境保護庁の考えは自治体に伝えられ、自治体は独自の立場で住民と協力しながら国の政策を実行に移します。

90年代後半以降、環境保護庁の所管事項のほとんどすべてが「エコサイクルの原則」に基づいた持続可能な社会の実現を加速する目的に向けられています。それぞれの部門が持続可能な社会の実現という「ジグソー・パズル」のピースを組み立てるように、環境に調和した「輸送システム、農林業、上下水道システム、製品製造の部門」で活動しています。

スウェーデンの環境省と日本の環境省の間には、所管事項に大きな相違があること、政府内の両省の位置づけの重要性にも大きな相違があることが、おわかりいただけるでしょうか。これらの相違は環境問題の重要性に対する両国の認識の相違と、それに基づく21世紀前半の国家ビジョンの相違によるものです。