環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

初めてのトラックバック-その2:家畜の飼養

2007-01-06 22:26:39 | 農業/林業/漁業/食品
このトラックバックには、EU加盟の是非についての世論調査の結果のほかに、つぎのような興味深いテーマも含まれていました。

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例えばBelgian Blueという肉牛種。

スウェーデンでは、牛を筋肉モリモリにする
やり方が非人道的であるとして、この肉牛の輸入が禁止されていたのだが、
EU加入の3年後、1998年にこの禁止を撤廃するよう命令されている。
例えば鶏の飼育小屋。スウェーデンの鶏は、他のEU諸国の鶏に比べると
かなり優雅な住まいに暮らしているらしい。
しかし、EU全体にスウェーデン方式が導入されるのは早くても2012年。 
今のところ、非人道的な飼育を理由に、他国からの鶏肉輸入を禁止すること
はできない。
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この件について、関連情報を提供しておきましょう。

私の本「スウェーデンに学ぶ持続可能な社会 安心と安全の国づくりとは何か」(朝日選書792 2006年2月)のp257からの抜粋です。

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1986年からは、成長促進用に飼料に添加する抗生物質の使用を禁止しました。これは、EUの「成長促進の目的での抗生物質使用禁止」を先導することになりました。88年7月1日から施行された「動物保護法」は、ペットの保護という観点だけでなく、家畜の飼養管理という観点からも興味深いものなので、簡単に紹介しておきましょう。

動物保護法は1944年の「動物愛護法」を現状に合うように全面的に見直したものです。この法律の基本的な考え方は、「動物は本来持っている自然行動を考慮した環境で飼育されなければならない」というものです。動物の飼育で大切なことは、「動物が健康で安心して生きていけるような環境を整えること」です。さらに、この法律では、家畜の飼養管理にも、つぎのような点で注意が払われています。

①牛は放牧すること
②ケージ内の採卵鶏の羽数を減ずること
③繁殖用の母豚が自由に歩き回れるような十分なスペースを与え、寝床、餌場、排泄場所を別々にすること
④動物の飼育に要するさまざまな技術は動物の必要に適合するものであって、その逆であってはならないこと
⑤と畜は可能なかぎり動物に苦痛を与えないように行なうこと
⑥将来、家畜に異変を起こさせるおそれがある遺伝子工学の応用、成長ホルモンの使用を禁止することができる権限を政府に与えること


初めてのトラックバック-その1:スウェーデンのEU加盟

2007-01-06 21:54:47 | 政治/行政/地方分権
新年を期して始めた1月2日の私のブログに、初めての「トラックバック:スウェーデンの憂鬱」(1月4日)が来ました。先方は環境コンサルタント@ワシントンDCとあるので海を渡って(空を飛んで?)届いたようです。

1月4日のブログは次のような書き出しで始まっています。

         スウェーデンの憂鬱
   先月行われた調査で「EUに加盟して得したと思うか?」という問いに
   Yesと答えたスウェーデン人はわずか41%だったそうだ。
   これは、EU全体の平均、54%に比べるとだいぶ低いし、
   スウェーデンより下にいるのは、従来EUに懐疑的なイギリスだけ。

   スウェーデンのプライドでもあった厳しい環境法や倫理基準を、
   他の加盟国が付いてこられるようなレベルまで下げざるを
   得なかったことがイライラに繫がっている模様。

このブログの最後には 元記事: Swedes find EU membership a drag on environment, food safety and animal rightsが明示してありますので、内容のフォローアップができ私にとって大変有益でした。

この記事が伝える現状は「7年前の99年の状況とあまり変わっていないな」(トップの新聞記事を参照)というのが私の感想です。

スウェーデンは1995年1月1日にEUに加盟したので、加盟後のスウェーデンの環境政策や福祉政策をはじめとする様々な政策や制度は、EUの影響を直接的に、あるいは間接的に受けることになりました。この機会に、日本のマスコミが報じたEU加盟直前のスウェーデンの状況を当時の朝日新聞を参照しながらまとめておきます。

朝日新聞 94-03-11

最近の各種世論調査によると、EU加盟をめぐる世論はつぎのとおり。

         賛成     反対  未定
スウェーデン  35%   42%  23%
フィンランド   39     30   31
オーストリア   42      25  33
ノルウェー    28       42  30

朝日新聞 94-11-14                     

EU加盟の是非を問うスウェーデンの国民投票は94年11月13日に実施され、即日開票の結果、賛成52.2%で反対の46.9%を上回った。投票率は82.4%であった。

朝日新聞 94年11月14日                       

EU加盟をめぐるスウェーデンの論議は、「加盟しなければ、来世紀に向けて高 度福祉社会と生活水準の基礎となる経済を維持することは望めない」とする賛成 派と、「伝統的な中立政策の放棄につながり、環境や平等、民主政治、失業問題 について自分たちで決められなくなる」と主張する反対派に二分された。
 
平和主義の下、福祉、環境、情報公開などの分野で先進的な政策を実現してきたスウェーデンは、EUにとっては数少ない加盟歓迎国の一つだ。「賛否の差は1%で十分」という、なりふり構わぬ“ラブコール”が欧州委員会の本音った。
 
EU議長国ドイツのキンケル外相は早速、「スウェーデンの安定した政治、平和外交、産業力がEUの獲得物になった」と歓迎の声明を出した。また、1995年1月に退任するドロール欧州委員長は、記者団に「投票結果を欧州統合への信任と受け止めたい。この国と入れ替わりに欧州委を去ることに悔いが残る」と述べた。

朝日新聞 94年11月30日

EUの共通政策のうち、拡大の影響を最も受けそうなのが「環境」だ。環境保護で先行する北欧二国(スウェーデンとフィンランド)が加わることで、EUの政策基準は徐々にきびしくなろう。
      
また、北欧の弱者保護の伝統はEUの福祉や労働条件にも反映され、共通社会政策の外で「小さな政府」路線を貫く英国は孤立を深めよう。消費者保護、情報公開などでも、特にスウェーデンの先進的な政策が影響を与えそうだ。
     
朝日新聞 2000年5月9日

EU支持率 低い大国・北欧 ユーロで上向く

トップの記事を参照

異業種交流:あの鮮烈な映像は忘れられない!

2007-01-06 13:43:14 | 経済
これまでの古い話からも容易に想像できますように、スウェーデンの考え方の中にはものごとを総合的に関連づけて考える、言い換えれば「エコロジー的な(生態学的な)考え」があります。エコロジー的な考え方に基づく問題の解決方法は好むと好まざるとにかかわらず、解決すべき問題のプロジェクトに分野の異なる有識者や研究者の参加を要求し、彼等の協力を生みます。

これに対して、日本では環境問題を考える際にエコロジー的な考えはほとんどなく、いまなお、技術を非常に重要視する考え方、つまり「工学的あるいは技術的対応」が優先しているように思います。もう少し正確に言えば、エコロジー的な考え方は単に「教科書的な知識」としては日本にも存在するが、問題解決のための手段や行動のための原理として環境関連の法体系の中に組み込まれていないので、その知識が全く機能していないといった方がよいでしょう。

このあたりが地球環境問題を含めた環境問題に対するスウェーデンと日本の大きな考え方の相違だと思いますし、特に、「環境問題」とか私たちの「健康」という問題になりますと、この考え方の相違は大いに問題とすべき点であろうと思います。 

日本の産業界では、この20数年間に「異業種交流」と称して、新製品を開発するために全く異なる業種の企業が協力するという試みが活発になってきました。今なお、私の記憶に鮮明に残っている映像があります。80年代後半に栃木県のある食品会社(?)と化学会社が共同で新製品「七色の醤油」を開発したというTVニュースがありました。

食品会社が通常の醤油を作り、化学会社が醤油をわざわざ化学的に脱色して“透明な醤油液”を作り、それに今度は七種の食用色素で着色して「七色の醤油」とするのだそうです。この開発に携わった会社の担当者は開発したばかりの新製品「七色の醤油」の市場性を、「その日の気分で、醤油を使い分ける」などと真面目に説明している映像を目にした時、私は複雑な思いに駆られました。

日本では、「新製品の開発」には異業種交流が進み、目新しい商品が次々と市場に投入され、その結果として製品の製造工程やその製品が廃棄物となった時点で「環境への負荷」を増大させているのとは対称的に、「環境問題」やその他の国民に共通の様々な重要な社会問題の解決に“もう一つの異業種交流”、すなわち、「社会の構成員である政治家、行政、学者、企業、一般国民などの交流」による合意の形成とその合意に基づく協力が進まないこと、あるいは「省庁間」、「省庁内部」の合意と協力さえ進まないところにわが国の問題があるのです。
 

「自然史博物館」と「環境問題」

2007-01-06 13:18:00 | 環境問題総論/経済的手法
この話も先ほどの話とおなじように、1973年12月のスウェーデン訪問の時の話です。

「自然史博物館というのはなんとなく薄暗い感じがして、そこには、ほこりをかぶったワシなどの鳥類の剥製が整然と並んでいる」というのが、当時、私が漠然といだいていた自然史博物館のイメージでしたし、そこで研究している科学者に対しても「あまり派手なところがなく、社会の動きにはあまり関心がなく、黙々と自分の研究に打ち込んでいる」というような感じを持っていました。

ところが、このようなイメージのところで研究していた科学者がスウェーデンの環境分野の最前線で活躍していたのです。なぜかと申しますと、先ほどの食品の話とおなじように、自然史博物館に保存されているワシなどの猛禽類はいつ、どこで捕獲されたかがはっきりしており、ラベルに明記されています。

スウェーデンの自然史博物館の科学者はそれらを年代順に並べ、放射性炭素の性質を利用して年代を測定する技術を持つ原子物理学の研究者と協力して、それぞれのワシの羽の中に含まれている水銀の濃度が時代と共にどのように変化してきたかを調べたのです。その結果、ワシの羽の中に含まれていた水銀の濃度は世界の工業化の時間経過と実にみごとなまでに相関しているということを見つけ出したのです。

スウェーデンの科学者が環境中に放出されたPCBによる環境汚染を世界に先駆けて警告したのも同様の考え方でした。ワシなどの猛禽類は自然の中で「食物連鎖」の頂点に立っている動物です。それらの動物の体内に蓄積された水銀とかPCBに関する知見から、「私たちの健康に悪影響をおよぼしそうな化学物質がどのようにして私たちの体に入ってきたか」を最初に警告したのが自然史博物館の科学者だったのです。



「冷蔵庫」と「環境問題」

2007-01-06 12:55:34 | 環境問題総論/経済的手法
環境問題に強い関心をお持ちの方なら、「冷蔵庫と環境問題」というタイトルを見た瞬間に、「冷蔵庫(フロンガス)→ 環境問題(オゾン層の破壊)→ 紫外線による皮膚がんの増加」という連想が直ちに働いて、「なるほど、スウェーデンは高緯度に位置するし、スウェーデン人は白人が多いから、われわれ日本人よりも皮膚がんになる危険性が高い。だから、環境問題に熱心なのだ」と考える方がおられるかも知れません。

この連想はあながち間違っているとは言えないかも知れませんが、私がここでお話したいことはそういうことではなく、1973年12月に環境問題の勉強のために初めてスウェーデンに行き、王立カロリンスカ研究所を訪問した時の話です。

X X X X X
この研究所はノーベル生理学・医学賞を選考することで有名なところですが、私はこの研究所の環境衛生部門の地下室に案内されました。そこには大変大きな冷凍庫があって、冷凍庫のドアーを開くと、真っ白な冷気の向こうに食品の缶詰や瓶詰が整然と並べられ、それぞれにラベルが貼られており、それらがいつ頃どこで製造されたのかが一目でわかるように整理されていました。

「なぜ、私たちがここでこのような古い食品を保存しているのだと思いますか?」と問われて、当時の私は即座には答えられませんでした。私が返事に窮していると、私を案内してくれた研究者は次のように説明してくれました。

「将来、何か新たな環境汚染物質が問題になった時、いつ頃どこで製造された食 品から問題の物質が検出されるかを調べる目的で保存しているのです。水銀やP CBによる環境汚染を科学者が警告し始めた早い時期に、スウェーデンの新聞、 ラジオ、テレビなどのマスメディアを通じて国民に広く呼びかけ、家庭の倉庫に ほこりをかぶって放置されていた古い缶詰、瓶詰などの食品を提供してもらい、 それらを集めて、このように整理したのです」
X X X X X

環境問題に多少の関心はあったもの漠然とした断片的な知識しか持ち合わせていなかった当時の私は、この説明を聞いた時、すばらしい着想だと思いました。

みなさんもご承知のように、日本の水俣病は有機水銀を含んだ魚を長いこと食べ続けた結果とされていますし、イタイイタイ病(カドミウム)、喘息(大気汚染物質)なども低レベルの特定の汚染物質に長期間暴露されたことによるとされています。

このことは、大気、水、食物を通じて、低濃度の有害物質が、たえず、私たちの体内に入り、それらの有害物質が総合的に私たちの健康に障害を与える可能性があることを意味しています。ですから、問題の有害物質がいつ頃から私たちの食べ物の中に入ってきたのかを知ろうという試みは、私には非常にわかり易い考えでしたし、当時の日本にはない考えだろうと思いました。


なぜ混ざらない「下水汚泥」と「台所の生ゴミ」

2007-01-06 12:26:15 | 環境問題総論/経済的手法
昨日のブログ:政治が決める「これからの50年」で、1993年5月の「環境基本法案などに関する衆議院環境委員会中央公聴会」での私の発言要旨をご紹介しました。

その①で「このような新法をつくるよりも行政の縦割り構造にメスを入れることだ」と述べましたが、このことは13年経った今でも適切な発言だったと思います。以下の記述は、私が1992年に書いた本「いま、環境・エネルギー問題を考える」(ダイヤモンド社)に収録されています。当時の状況は現在も変わらないのでしょうか。

X X X X X
下水を処理すると「汚泥」というヘドロのようなものがかならず出てきます。当然のことですが、下水は私たちが生活している限り、毎日毎日、水の使用に伴って排出されるものです。処理しなければならない下水の量が多ければ多いほど、つまり、水の使用量が増え、下水処理施設が整備されればされるほど、相対的に汚泥の量は増え、その増えた汚泥の処理に必要な経費、エネルギー、処分施設、処分場、その他様々なことが増大することになります。

私たちが健康で快適な生活を維持していくためには、必要な水を消費することになりますが、水の消費量が増大すれば、汚水の処理・処分が必要になり、水の処理・処分が不十分であればあるほど、長期的に見ればきれいで安全な水を得るためにコストがかかることがすでに現実問題として誰の目にもわかるような段階に入ってきました。

1970年代の初めにスウェーデンでは、下水の処理施設から出る「汚泥」と家庭の台所から出る「生ゴミ」を混ぜて、コンポスト化する研究を環境保護庁が中心になって熱心に進めていました。コンポスト化したものを農地などに戻し、土壌改良剤として利用しようという考えだったのです。「下水汚泥」や「台所の生ゴミ」には植物の生長に必要な栄養源が豊富に含まれていますが、同時に環境への危険物も混ざっています。ですから、危険物をきちんと除去し、安全性を確かめた上で、農地に返そうと考えたのです。

私はこれを良いアイデアだと思い、早速、日本の状況を調べてみました。「ゴミの話だから」ということで、まず厚生省に行きました。当時の厚生省の担当官は「日本ではそんなものは混ざらない」と言いました。「どうして混ざらないのですか? スウェーデンではそれらを混ぜて利用しようとしていますよ」と尋ねました。

その担当官の答えは実に明快でした。「台所から出る生ゴミは確かに厚生省の所管だが、下水処理施設関連のことは建設省の所管だから、この両者は原則的には混ざらない。『下水汚泥』と『生ゴミ』ではなくて、『生ゴミ』と『し尿』なら混ざることはあるだろう」と言うのです。国がだめなら、自治体はどうかと思い、都庁に行き、同じ質問をしました。「東京都には下水道局があり、下水関係はこの局の所管だが、ゴミは清掃局の所管である」ということで、国の考え方と全く同じ回答をもらって帰ってきたわけです。

X X X X X

この話は30年以上も昔の話です。つまり、当時の日本の状況からすると、「下水汚泥」と「生ゴミ」は行政上の制約により混ざらないというわけです。しかし、一般論で言えば、この混ぜたものが肥料としての価値があり、しかも毎日大量に排出されるものであれば、十分な処理をして安全性を確認した上で、土に返すという考えのほうが現在の知識で考えても私には合理的に思えますし、当たり前のことのように思われます。

地球環境問題が日常の話題に上るようになり、廃棄物問題が極めて重要な問題として、産業界のみならず、国全体の問題として認識され、「循環型社会」の必要性がわが国の各省庁の白書や報告書の中に将来の望ましい姿として描かれるようになった現在、はたして、毎日排出され続けているわが国の台所からのと下水処理場から出る「汚泥」と「生ゴミ」は、相変わらず、すんなりとは混ざらないものなのでしょうか?