環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

私の環境論4 21世紀も「人間は動物である」

2007-01-14 16:48:19 | 市民連続講座:環境問題


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私たちは環境問題を、人間社会に起こる数多くの社会問題の一つとして理解してきたきらいがあります。しかし、環境問題は人間社会の問題というよりは、人間社会を支えている「自然」と「人間社会」の間で起こっている問題です。

人間を含めた生物は「自然循環」から資源を得て、「自然循環(大気の循環、水の循環、物質の循環など)」に廃棄物と廃熱を返すことで、その誕生以来、今日まで活動を続けてきました。

この「自然循環」が人間活動の影響により滞ることになれば、自然循環のなかに存在する「人間社会」はもちろん、その他の生物の活動も縮小し、ついには崩壊することになります。これが、今、私たちが直面している環境問題の本質なのです。

数100万年を超えるといわれる人類の歴史のなかでこの事実は不変であったし、21世紀も不変でしょうから、「21世紀も人間は動物である」というこの事実こそ、環境問題を考えるときの最も基本的な大前提であり、この大前提を支える必要条件のどれか一つが「量的」にあるいは「質的」に満たされなくなれば、21世紀の私たちの社会の存続が危ぶまれることは疑う余地もありません。

私たちは動物的機能が退化しつつあることを自覚してはいますが、それでもなお、私たちは「動物的次元」から逃れることができないのです。
 
このことは、2000年8月の大噴火以降、東京都三宅島では有害な火山ガスである二酸化硫黄の大気中濃度が高く、2005年2月1日の避難指示解除まで全島避難がつづいたことからも明らかでしょう。


この場合は、「空気を吸う」という人間が生きるために必要な必要条件の一つが、「量」には問題がなかったにもかかわらず、「質」だけが満たされなかったのです。



緑の福祉国家4 21世紀へ移る準備をした「90年代」①

2007-01-14 12:02:07 | 市民連続講座:緑の福祉国家


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「失われた10年」が、日本の90年代の経済状況を象徴する言葉として、エコノミストや経済学者、評論家、マスメディアなどの間で好んで用いられますが、日本にとっての失われた10年は、スウェーデンにとっては、20世紀の「福祉国家」を21世紀にめざすべき「緑の福祉国家」に転換する準備のための10年でした。

それでは、「転換への準備期間」と位置づけられた90年代の主な政策的動きを、毎年9月に始まる国会の冒頭で行なわれる首相の施政方針演説と、政府が国会に上程する政策案や法案を中心に見ていきましょう。次の図をご覧下さい。


国会での審議を経て成立した政策や法に基づいて、政府の予算配分がなされ、20世紀の「福祉国家」から21世紀にめざす「緑の福祉国家」への転換が、着実に行なわれていくことになります。簡単に説明を加えていきましょう。


★「1990年代の環境政策」(1988年)


★「1991年の環境政策」(91年2月)

国連の環境と開発に関する世界委員会(WCED)の報告(ブルントラント報告)「われら共有の未来」の公表(1987年)から4年経った1991年、スウェーデン政府は「1991年の環境政策」を策定しました。そこでは、90年代の環境政策の方向と戦略が、つぎのように明示されています。

これまでの環境政策が、現象面に着目した気候変動、オゾン層の破壊、環境の酸性化(酸性雨問題)、廃棄物問題など個別の環境問題への対応だったのに対し、この政策は、 「環境問題への対応」が「20世紀の『福祉国家』を21世紀の『緑の福祉国家』に転換する行動」と軌を一にすることを示した点で画期的です。
そして、「1991年の環境政策」では、90年代に焦点を当てる主な分野として次の10分野をあげています。

この政策に盛り込まれたスウェーデンの環境政策の長期目標

①人の健康を守る。
②生物多様性を維持する。
③持続可能な利用を確保するために天然資源を管理する。
④自然景観および文化的な景観を保全する。

というもので、翌1992年の「地球サミット」の一歩先を行くものでした。ここに、スウェーデンの先見性を見ることができます。 「人の健康を守る」を環境政策の長期目標のトップに掲げているところは、いかにも「予防志向の国」スウェーデンらしいと思います。

ちなみに日本の長期目標(1995年の環境基本計画)は、

①循環、
②共生、
③参加、
④国際的取組

となっています。

「循環」と「共生」が日本の長期目標であるのは妥当だとしても、なんとも理解し難いのは、「参加」と「国際的取組」です。なぜ、この両者が長期目標なのでしょうか。今日からでも取り組める問題ではないのでしょうか。

今朝、なんと「30年来の疑問に対する回答」を発見

2007-01-14 07:12:07 | 政治/行政/地方分権


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人生には不思議としか思えない、絶妙なタイミングで関心事に遭遇することがあります。今朝はそんな体験をし、気分が大変高揚しています。今年1月6日のブログで「なぜ混ざらない『下水汚泥』と『台所の生ゴミ』」を書き、その結びで、次のように書きました。

X X X X X
地球環境問題が日常の話題に上るようになり、廃棄物問題が極めて重要な問題として、産業界のみならず、国全体の問題として認識され、「循環型社会」の必要性がわが国の各省庁の白書や報告書の中に将来の望ましい姿として描かれるようになった現在、はたして、毎日わが国で排出され続けている下水処理場から出る「汚泥」と台所からの「生ゴミ」は、相変わらず、すんなりとは混ざらないものなのでしょうか?
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実は、上記の記述は私が初めて書いた本「いま、環境・エネルギー問題を考える」(1992年7月、ダイヤモンド社)の「第1章 視点の相違」で、具体的な事例として紹介したものをベースに書いたものです


今朝、なんと30年以上前からいだき続けて来た上記の「私の素朴な疑問」に対する具体的な回答に、偶然にもブログ「リンク切れで御免」上で遭遇したのです。

X X X X X 
国交省 下水汚泥・生ゴミ一体処理
バイオマス活用促進

国土交通省は平成19年度から、環境省などと連携し、下水道施設を利用したバイオマス(生物由来資源)活用の拡充策を進める。下水汚泥から天然ガスの代替燃料となる「バイオガス」を精製する事例はこれまでもあったが、生ゴミや屎尿(しにょう)なども一体的に処理することでより効率的にバイオマスの活用を進め、二酸化炭素(CO2)の排出を削減して地球温暖化防止を図る。

ご関心のある方は 「リンク切れで御免」   

X X X X X 

この情報は、特にバイオマスに関心のある方やこの道の専門家にとっては目に止まるかもしれませんが、一般の方には目にとまらない情報です。しかし、私にとっては特筆すべき大変貴重な記事でした。「リンク切れで御免」の管理者の方、本当にありがとうございます。

なにしろ30数年待ち望んでいた回答だからです。ということは、この「国交省 下水汚泥・生ゴミ一体化処理」の計画はバイオマス分野で最先端を行くスウェーデンから遅れること30年と言えないこともありません。

私の1月6日のブログ「なぜ混ざらない下水汚泥と台所の生ゴミ」は今なお続く日本の行政の強固な縦割り組織の具体例として書いたものです。環境問題(ここでは地球温暖化)がついに日本の強固な行政の縦割りを壊すまでに至ったのでしょうか。 日本の官僚の環境問題に対する認識がやっとそこまで高まったのでしょうか。

ちなみに、「なぜ混ざらない下水汚泥と台所の生ゴミ」の調査結果は73年にスウェーデン大使館に入館した私が「最初の報告書」としてスウェーデン環境保護庁へ送った記念すべき報告の内容だったのです。

昨年2月に出版した私の本「スウェーデンに学ぶ『持続可能な社会』」がきっかけで意見交換をするようになった岡野守也さん(サングラハ教育・心理研究所主幹)の言葉を借りれば、このような不思議な現象は「シンクロニシティ」 (岡野さん、専門用語では「同時性」、「共時性」とおっしゃったでしょうか?)というのかも知れません。以下はご参考まで。

X X X X X
さて、それでは、最後に、岡野先生と小澤先生です。この出会いは、小澤先生のもっとも新しい著書である『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」安心と安全の国づくりとは何か』(朝日選書)を岡野先生が読んだことがきっかけとなっています。(この話はここからが面白いんです!)

小澤先生のその本に感銘を受けた岡野先生は、そのことをブログに書かれました。すると、それを読んだ法政大学の学生さんが、今年法政大学の社会学部に小澤先生が非常勤で環境論の授業に来られることを知らせてくれたそうです。しかも、小澤先生は月曜日、岡野先生は火曜日です。すごい確率ですね。おそらく、こういうことをシンクロニシティと呼ぶのだと思います。

続きにご興味があれば、
3人の先生の出会い

岡野守也先生のご紹介