環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

私の環境論9 環境への人為的負荷 

2007-01-19 11:32:52 | 市民連続講座:環境問題
同じテーマに対して、皆さんの考えが私の考えと大きく異なるようであれば、大いに議論しましょう。議論を通して私自身の誤りを正すことができるし、「環境問題に対する共通の認識」と「持続可能な社会の構築の必要性」を分かち合うことができると思うからです。
  
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環境への負荷には様々なものがあります。例えば、自然災害があります。10数年前の雲仙・普賢岳の爆発や200年8月の東京都三宅島の大噴火、95年1月17日に発生した阪神大震災、季節的に発生する台風などは環境に大きな負荷をかけますが、これらを人間の力で抑えることはほとんど不可能です。

ですから、私たちにできることは私たちが生きていくために行う経済活動による「環境への負荷」をできるだけ少なくするということになります。このことを難しい言葉で言えば、「環境への人為的負荷を低減する」 (具体的には資源とエネルギーの消費量を低減させる)ということです。これが“環境にやさしい”という意味なのです。
 
他の動物と同じように、人間の祖先がこの地球上に生を受けて以来、今日に至るまで、人間は自然から必要なものを取りだし、加工し、廃棄物を自然に捨ててきました。ここで思い出していただきたいことは人間が他の動物と基本的に異なるのは「火を使うこと」と「道具を使い、物を作り、それを使用する」ことです。

この特性ゆえに、人間は過去150年間に大きな発展を遂げましたが、同時に「環境への人為的負荷」を高めてきたのです。下の図を見てください。ここでいう環境とは大気、土壌、水、動植物、様々な構造物、宇宙空間など私たちを取り巻く環境全体を意味します。

それから、この図に示した「テロ・戦争」が環境への最大の人為的な脅威であることは間違いありません。このことは古くは1960年代の「ベトナム戦争」、最近では90年8月に始まり、91年1月に終わった「湾岸戦争」や2003年3月に始まって、今なお続く「イラク戦争」を思い浮かべれば、わかると思います。

環境への人為的負荷がどうして起こるかと言いますと、「私たちが便利だ、効率がいい」という理由で、次々に新しいものを製造し、古いものを環境へ捨てるという「消費生活」をするためです。これは疑う余地がないと思います。

私たちが生きるために空気を吸い、水を飲み、食べ物を食べるという行動を介して、これまで環境に排出してきた汚染物質を無意識のうちに私たちの体に取り込んでしまうことになります。こうして、「環境への人為的負荷」「人体への負荷」という形に収斂されて来るのです。

そうしますと、人間の体には許容限度があるため、いろいろな形で問題が出てきます。これが環境問題の本質だと思います。つまり、環境問題とは私たちが便利さや快適さを追及してきた結果、わたしたちの体への環境負荷が高まり、私たちの健康や生命の持続性が怪しくなってきたということです。
 
しかし、幸いにも日本では今のところ戦争の危機はありません。ですから、日本では、私たちが生きていくときに必要な交通とか、産業活動、農業、エネルギーの使用、私たちの消費生活そのものが環境問題の主な原因なのです。

ここで、かつて、横浜でゴミの話をした時のことを思い出しました。ゴミの話ではプラスチックの空きびんや空き袋に関心が高いのはもっともですし、それらの処理に真剣に取り組むことは私も大切だと思うのですが、ゴミとしてのプラスチックの空容器に関心の高い方も「プラスチック容器の中身」にはあまり思いをはせないようです。

スーパー・マーケットに行きますと、たくさんの液体や粉体がプラスチック容器やガラスびん、缶に入って売られています。その中に入っている物質は私たちが使用するために売られているものです。

例えば、シャンプーを考えてみましょう。シャンプーは使用することによって、全部、下水に入っていきます。つまり、シャンプーや洗剤を使用することが水を汚染することになるのです。
確かに、シャンプーを使うことや洗濯をすることは別な観点から見れば、私たちが生きていく上で必須のことですから、否定することはできません。私がここで言いたかったことは「私たちが生きていく上で行うことが基本的には環境汚染につながる」ということです。

しかし、ゴミ問題に熱心な方は容器の中身の使用のことはあまり考えず空になったプラスチック容器の処分の話に意識が集中してしまう傾向があります。大切なことは、まず、容器の中身の使用が水や大気、あるいは土壌、つまり環境に影響をおよぼすこと、そして、空になった容器もその後の扱い方しだいでは環境に影響をおよぼすことを理解する必要があります。

このことは私たちが生きていくために行ういろいろな活動がすべて環境に影響をおよぼしていることを意味します。重要なことは自然には浄化作用があるわけですから、その浄化作用の限度を越えない範囲(環境の許容限度)に人間の活動を抑えることです。

「人為的な負荷」の話をもうすこし続けましょう。明日は「生態系の劣化」の話です。



緑の福祉国家9 21世紀へ移る準備をした「90年代」⑤     研究報告「2021年のスウェーデン」

2007-01-19 07:29:23 | 市民連続講座:緑の福祉国家
皆さんへの期待は「環境問題」に対する私の考えや「スウェーデン」に関する私の観察と分析を、ぜひ批判的な立場で検証し、日本の将来を「明るい希望の持てる社会」に変えていくためにそれぞれの立場から日本の現状を真剣に考えてほしいことです。私たちの子どもや孫のために・・・・・

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★研究報告「2021年のスウェーデン 持続可能な社会に向けて」の公表(99年1月) 
将来から現在を見るバックキャスト的手法は、スウェーデン政府が21世紀の長期ビジョンを想定するときに使っており、「地球は有限」を前提に、「経済は環境の一部」と見なし、国民の合意のもとに政策を決め、社会を望ましい方向に変えていく手法です。
 
スウェーデンのペーション首相が施政方針演説で「生態学的に持続可能な社会への転換」を明らかにした1996年の前年、95年にスウェーデン環境保護庁は「25年後の2021年次の望ましい社会を想定したプロジェクト」をスタートさせました。そして、約4年の歳月と4億円を費やした研究成果「2021年のスウェーデン―持続可能な社会に向けて」が、99年1月に公表されました。
 
この報告書の要旨は日本の雑誌「ビオシティ」(2000年6月号 No.18)に、「我々はすでに正しい未来の道を選択した――スウェーデン2021年物語」と題して紹介されています。

このプロジェクトで採用された「バックキャスト的手法」では、最初に望ましい未来社会を設定し、その未来社会を実現する戦略を検討することになります。
 
まず、長期的な環境目標が「自然科学の知見」に基づいて設定されました。つぎに、持続可能な社会を築くための基礎的な要素を見つけるために、「物質の流れ」、「建築物」、「技術」の3分野で、まったく別のコンセプトに基づく2つのモデル、「タスクマインダー」(現実の経済社会の延長上で環境に配慮し、再構築したモデル)と「パスファインダー」(望ましい経済社会をイメージしたモデル)を想定しました。

生態学的に持続可能な社会への転換に必要な分野のうち、農業、食糧生産、森林、下水、エネルギー、交通、都市生活、農村生活などが、この2つのモデルを通して検討されました。このプロジェクトには、官僚や研究者のほか、実際に持続可能な社会の実現をめざす役割を担うことになる、さまざまなセクターの代表者が参加しました。報告書は、つぎのように結論づけています。

★この報告書「2021年のスウェーデン」は、スウェーデンの「持続可能な社会創造」の基本目標が実現性のあることを示している。この未来研究では生態学的な持続可能性についてのみ考察するのではなく、異なった選択肢の経済的、社会的な関係についても分析を行なった。
 
★ここに示した持続可能な未来像は、現在開発中か、すでに使用されている技術を基本に考えられた。したがって技術の不足が、提示した目標が実現できるかできないかを決定する要因にはなり得ない。むしろ、持続可能性の妨げになるのは、現行のEUの共通農業政策であり、住宅やオフィスビルのエネルギー削減の動きが遅いことであり、現在の生産と消費のパターンなのである。

★このプロジェクトから得られた成果の一部は環境保護庁から政府に提出され、一昨日紹介した、98年制定の21世紀の環境法体系「環境法典」の基礎資料として使われました。
 
バックキャストするスウェーデンは、「理想主義の国」ではなく、理念に基づいた長期ビジョンを掲げ、行動する「現実主義(プラグマティズム)の国」なのです。