環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

2006年9月29日の所信表明演説が示す安倍首相の「環境認識」

2007-01-07 12:21:40 | 政治/行政/地方分権


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小泉政権を引き継いだ安倍新内閣が昨年9月26日に発足し、安倍首相が9月29日に所信表明演説を行いました。 「所信表明演説」というのは首相の理念を端的に語るもので、同日の朝日新聞夕刊にその全文が掲載されています。

この所信表明演説は「はじめに」(117行)、「活力に満ちたオープンな経済社会の構築」(147行)、「財政再建と行政改革の断行」(111行)、「健全で安心できる社会の実現」(117行)、「教育再生」(48行)、「主張する外交への転換」(147行)、「むすび」(102行)、つまり全文789行、1行11字ですから、およそ8700字の分量ということになります。

ここに述べられていることのほとんどすべては、スウェーデンが、すでに、20世紀の経済成長期につくりあげ、維持してきた「福祉国家」で実現されてきたことです:誰もが再チャレンジ可能な社会、プライマリーバランスの黒字化など・・・・・。

ですから、安倍首相が掲げる「美しい国、日本」というのは“「20世紀の福祉国家」スウェーデンの日本版”と言ってもよいのかもしれません。つまり、スウェーデンが20世紀の「福祉国家(人間を大切にする社会)」から21世紀の「緑の福祉国家(人間と環境を大切にする社会)」へ大転換しようとしているときに、日本は「20世紀のスウェーデンのような人間を大切にする社会」を高福祉高負担ではなく、日本独自の別の方法で実現しようとしているかのようです。

およそ8700字の所信表明演説で“持続可能な”という21世紀のキーワードは「持続可能な日本型の社会保障制度」という表現で一度出てくるだけです(図の青の部分)。

環境分野に関わる記述は全文789行中16行にすぎません(図の赤の部分)。

平成14年版環境白書は「日本の温室効果ガス排出量の約9割は二酸化炭素によるもので、その9割以上がエネルギーの使用に伴って発生しています」と述べていることからも明らかなように、化石燃料の削減を伴わないエネルギー体系のもとで太陽光発電を導入したり、緑化を進めても、またバイオマスの利用を加速しても効果が得られないことは明らかです。太陽光発電も緑化もバイオマスの利用も基本的には二酸化炭素排出量の少ない利用技術ではありますが(それについても、判断基準によって、いろいろな議論があります)、決して二酸化炭素削減技術ではないからです。

このように、この所信表明演説を見る限り、安倍政権(安倍首相およびこの所信表明演説の草案に関わった側近や官僚)の環境問題に対する基本認識は“小泉政権と同程度あるいはそれ以下”と考えざるを得ません。

環境問題は20世紀の国づくりでは想定されていなかった問題ですが、21世紀には避けてとおれない大問題です。日本のような市場経済社会にとって、環境問題は21世紀最大の問題であるはずです。現政権にはこの認識がまったく欠落しているようです。

 <安倍首相の施政方針演説(2007年1月26日) 

環境対策:過去、現在 そして未来

2007-01-07 10:10:29 | 市民連続講座:環境問題


これまでの環境対策は、上の図のように、「環境への人為的負荷の低減」と「汚染された環境の修復」でしたが、これからの対策は「環境変化によって生ずるさまざまな社会的な事象への対応」となるでしょうから、これらの対応に要する社会的コストはこれまでの対策コストをはるかにしのぐものとなるでしょう。

これまで企業も政府の関連行政機関(経産省および環境省)も上の図の「環境への人為的負荷の低減」と「汚染された環境の修復」を環境ビジネスと称して、その拡大を図っていますが、このような環境問題に対する認識ではいま私たちが直面している環境問題には対応できないでしょう。このような発想は20世紀の「公害」の域を出ていないからです。

企業は現在の環境問題の重要性を十分に理解し、環境問題の解決に向けた方法で先行投資を行なわなければなりません。環境問題解決への努力は、企業活動を阻むものではなく、 「21世紀の生態学的に持続可能な社会」「21世紀の新しい社会にふさわしい企業活動」の基礎をつくることと軌を一にするものです。企業は環境問題の本質を理解し、正面から取り組めば、明るい将来を約束されるはずです。 

 90年代の市場経済のグローバル化にともなって、日本のマスコミに頻繁に登場するようになった「メガ・コンペティション(大競争)」という言葉は、20世紀型の経済活動を温存したままで個々の企業の生き残りのために行なう大競争ではなく、21世紀の「持続可能な社会」をめざした、人類の生存をかけた大競争でなければなりません。