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環境問題に対する知識が増えるにしたがって、私たちが直面している環境問題が人間活動に起因することが明らかになってきました。そこからの深い反省なのか、「共生」という心地よい響きの言葉の浸透とともに、「人間中心主義あるいは人間優先主義を否定し、他の生物の生存や権利を大幅に認める」という趣旨の考えが出てきました。
私は「人間中心主義」や「人間優先主義」を否定することには抵抗があります。人間第一主義でよいのではないでしょうか。人間を忘れた、あるいは人間を否定した環境問題の議論はあり得ないというのが私の主張です。
私も多くの人と同じように、現在の環境問題の原因は、明らかに近代の科学技術文明に基礎を置く近代合理主義の広がりであると思っていますが、近代合理主義そのものが誤っていたというのではなく、合理主義が社会に広く共有されたほどには、「生態学的な知識」がゆきわたらなかったことが問題なのだと思います。
現在は生態学的な知識が少しずつ増えてはいますが、日本ではその知識がほとんど生かされてこなかったのではないでしょうか。1950年代に入ると、スウェーデンで環境問題の重要性が認識されはじめ、日本では公害が顕在化してきました。過去40年間に公害・環境分野で活躍してきた専門家の役割を両国で比較してみると、つぎのようになるというのが私の観察です。
スウェーデン 日本
①科学者 医者
②技術者(工学者) 技術者(工学者)
③医者 科学者
ここで象徴的なのは、両国で活躍してきた専門家の順序が逆になっていることです。このことはスウェーデンが環境保護のために努力してきたのに対し、日本は公害および公害病の対応のために努力し、多額の投資をしてきたということです。
日本で公害の現象に最初に気づき、問題を提起したのが治療の現場で働く医者でした。医者が公害の原因を突きとめ、技術者(工学者)が工学的な公害防止対策を行なってきたというわけです。これに対して、スウェーデンでは科学者が環境の変化に警告を発し、技術者(工学者)が工学的な防止対策をとってきたのです。
最初に医者が問題提起するということは環境汚染がもう人間に達しており、「治療」の状態にあることを意味します。スウェーデンでは、人間にまで環境汚染が達する前に「予防対策」をとるということなのです。
私は、 1月5日のブログで、スウェーデンを「予防志向の国」、日本を「治療志向の国」であると書きましたが、このことは環境問題に対するこれまでの対応の仕方を見れば明らかでしょう。