環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

緑の福祉国家12 「気候変動」への対応 ①

2007-01-23 16:59:30 | 市民連続講座:緑の福祉国家
皆さんへの期待は「環境問題」に対する私の考えや「スウェーデン」に関する私の観察と分析を、ぜひ批判的な立場で検証し、日本の将来を「明るい希望の持てる社会」に変えていくためにそれぞれの立場から日本の現状を真剣に考えてほしい ことです。私たちの子どもや孫のために・・・・・

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1960年代から常に環境分野で国際社会をリードし、72年6月には首都ストックホルムで「第1回国連人間環境会議」を主催し、そして、96年9月には世界に先駆けて「持続可能な社会の実現」を21世紀前半の新しいビジョン(国家の政治目標)に掲げたスウェーデンの「緑の福祉国家」をめざす転換政策を順次、概観することにしましょう。

1.気候変動(日本では地球温暖化)防止政策の大前提
CO2(二酸化炭素)など温室効果ガスによる「温室効果」は、厳密に言えば、 「環境問題」ではありません。オゾン層の存在とともに、地球上の生命が生存できるかどうかにかかわる本質的な要因です。地球の大気中に「水蒸気」「CO2」がなかったら、地球の平均気温は現在の平均気温(15℃)よりおよそ33℃低いマイナス18℃で、地球は氷結していたことでしょう。
 
経済活動の拡大の結果、化石燃料の消費が増えたことによって温室効果ガスであるCO2の排出も増加し、温室効果が高まったことが「環境問題」なのです。過去150年にわたる経済活動が、大気中のCO2濃度をおよそ30%上昇させ、地球の平均気温は20世紀の100年間に、およそ0.5℃上昇しました。気温の上昇はとくに、20世紀最後の25年間に加速されています。
 
温室効果ガスには、水蒸気CO2、フロン、メタン、亜酸化窒素(N2O)などがあり、とりわけ「水蒸気」がいちばん大きな温室効果を持っています。水蒸気を除けば、温室効果の半分以上が「CO2」とされています。CO2の大気中濃度は、産業革命以前には270ppmだったのに、1987年には350ppmを超えるほどに増えています。亜酸化窒素、メタン、フロン、地表レベルのオゾンなども強力な温室効果ガスですが、大気中濃度は高くありません。

ですから、地球温暖化をくいとめるために大気中のCO2の濃度を増やさない対策がとられるのです。CO2は炭素が燃えてできるものですから、なるべく炭素を燃やさないようにすること、すなわち「化石燃料の消費」を抑えることが必要なのです。

私の環境論12 企業の生産条件の劣化 

2007-01-22 05:19:09 | 市民連続講座:環境問題

 
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私が考える環境問題とは、人間活動(=経済活動、資源とエネルギーの利用)の拡大による「生態系の劣化」、「人間の生存条件の劣化」および「企業の生産条件の劣化」です。

「生態系の劣化」および「人間の生存条件の劣化」については、すでにお話しましたので、今日は、第3番目の劣化「企業の生産条件の劣化」 、つまり、経済活動の基盤である「生産条件の劣化」について勉強します。

図に示したように、物の生産には、生産工程に「原料」、「エネルギー」、「水」など資源の供給(インプット) が必要です。一方、生産工程からは、製品と共に必ず、「廃棄物(固体廃棄物、排ガスおよび排水)」および「廃熱」が排出(アウトプット)されます。

これらの条件のいずれか一つが、“量的あるいは質的”に有為に満たされなくなれば、21世紀の生産活動が持続できなくなることは疑う余地もありません。この図で重要なことは、例えば、エネルギーの供給が十分であっても、その他の条件が一つでも有為に満たされなくなれば、生産活動ができなくなるという事実です。ですから、「生産活動は最も少ない条件に縛られる」ということになります。

当然のことですが、生産量の増加は一般に廃棄物(固形廃棄物、排ガスおよび排水)の増加と廃熱の増加をもたらすことになりますので、「環境に配慮した持続可能な生産体系」で重要なことは原料やエネルギーの供給側よりもむしろ排出側である廃棄物や廃熱の処理・処分のシステムが社会の中に適切に整備されているかどうかにかかっています。

生産規模の増大に伴って、固形廃棄物の処分場は工場敷地内から国内の近接地へ、そして国内の過疎地へ、さらに国外へ、と移動して行きます。
 
今後、「持続可能な開発」を模索する際に、廃棄物の問題は最大の関心事でなければならなりません。廃棄物という観点から見れば、中古品の輸出は「相手国での有効利用」というプロセスを経るものの、結果的には廃棄物そのものの輸出と同じことになるといってもよいでしょう。92年5月5日に発効した「バーゼル条約」は有害廃棄物の輸出に一定の歯止めをかけると期待されています。

先進工業国から発展途上国への有害廃棄物の輸出を全面的に禁止するこの条約改正案の採択を報じた95年9月24日の日本経済新聞によれば、「国連によると、有害廃棄物は先進国を中心に世界で毎年4億トン以上生み出されている。これが処理技術の不十分な途上国に持ち込まれると環境汚染を引き起こすという懸念から、条約加盟国は昨年春、拘束力のない輸出禁止決議を採択した。正式な条約改定には欧州連合(EU)や環境保護団体が熱心な一方、日本や米国、オーストラリア、韓国、インドなどはリサイクル目的の貿易を容認するよう主張したが、大多数の条約加盟国は全面禁止を支持した」そうです。




私の環境論11 人間の生存条件の劣化 

2007-01-21 18:21:17 | 市民連続講座:環境問題

  
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私たちの産業経済システムのもとで行われる「生産活動」「流通活動」および「消費活動」が、自然(環境)を構成している「生態系」(エコシステム)に影響を与え、その影響が、私たちが生きるために空気を吸い、水を飲み、食物をとる行動を介して、図のように、「人体への負荷」という形に収斂されます。

図の中の感染症とは、従来の感染症に加えて、エイズ、BSE、そしてノロウイルスや、SARS、鳥インフルエンザなど、戦争・温暖化・森林伐採などの「人為的な活動により生態系が破綻したところから生ずることがわかってきた感染症」のことです。

私たち人間は動物ですから、図に示したように、「ある範囲の温度、湿度、気圧、重力のもとで、光を浴び、空気を吸い、水を飲み、動・植物しか食べられない」という最も基本的な生存条件(図の黄色い部分)を逃れることは出来ません。

ですから、この事実こそ21世紀の社会である「緑の福祉国家」(生態学的に持続可能な社会)が備えるべき最も基本的な必要条件であり、これらの条件のいずれか一つが、環境の悪化により“量的あるいは質的”に有為に満たされなくなれば、21世紀の人間の生存が危ぶまれることは疑う余地もありません。

このほかに、私たちは意識してタバコを吸ったり、無意識のうちに放射線にさらされたり、電磁波の影響を受けて暮らしています。また、労働環境や住環境からも様々な物理的・化学的・心理的な影響を受けています。

最近では、低濃度の化学物質の摂取によると考えられる「化学物質過敏症」の報告が増えています。さらに、“いわゆる環境ホルモン”(内分泌攪乱物質)として知られる様々な人工化学物質が環境を経由して、ある種の貝や野生動物の奇形や生殖機能に影響を与えているとする報告がありますし、人間の生殖機能や内分泌系統に影響をおよぼしたり、ホルモンのバランスを崩すことを示唆する医学的な報告も散見されるようになって来ました。

この種の化学物質の濃度と作用の関係は、ppt(parts per trillion:1兆分の1)という単位で表されるように、極めて低濃度(しばしば50メートル・プールに目薬1滴分などと形容される)と考えられますので、生物としての人間の持続性という観点からも、この種の報告は十分注目しなければならないでしょう。

私たちの身体には生物としての「許容限度(人体の許容限度)」があるため、その許容限度を超えると、死亡から内分泌攪乱に至るまで、様々なレベルで健康の障害が出てきます。私たちが重視しなければならないのは多種類の化学物質による複合汚染です。私たちは生きるがゆえに、「環境へ人為的負荷」をかけ(環境に影響をおよぼし)、逆に、「人体への負荷」を高めています(その影響を受けています)。このような段階に、今、私たちは来てしまったのです。私は、これが「環境問題の本質」であると考えます。

ここで改めて、スウェーデンと日本の「環境政策の長期的目標」を復習しておきましょう。ここをクリックしてください。
そして、スウェーデンの環境政策の長期目標のトップに掲げられていたのが「ヒトの健康を守る」であったことを確認してください。同時に日本の環境政策も再確認しておきましょう。どちらが、現実的かは議論の余地はないでしょう。



緑の福祉国家11 「緑の福祉国家」を実現するための主な転換政策 

2007-01-21 06:58:25 | 市民連続講座:緑の福祉国家


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持続可能な社会への移行の手始めは「ビジョン」をつくることです。ジグゾーパズルにたとえるならば、持続可能な社会は「完成図」です。出来上がりがある程度わかっていれば、パズルのピースをつくり、それを上手に並べて、ビジョンを実現しようとするわけです。

ところが、日本の場合には、「持続可能な社会」の全体像(完成図)がわからないままに、みんなが一生懸命ピースをつくっているようなものです。ですから、出来上がったピースひとつひとつは完成度が高く、パーツとしては有効なのですが、お互いに整合性がとれていない可能性が高いのです。つまり、システム的に整合性が悪く、うまく機能しないのです。

環境問題の重要性に気がついても、企業や市民が十分な「環境問題に対する共通認識」がないままに出来ること(ところ)から始めますと、「整合性のない技術」やせっかく努力しているのにその努力が報われない「実効性のない行動」が生まれる可能性が高まります。


つぎの図は、スウェーデン政府の数ある環境・エネルギー分野の政策の中から、緑の福祉国家に転換するために、私の環境論の視点から私が重要だと思うものを、私が選び出したものです。かならずしも、スウェーデン政府の見解を反映しているものではありません。すでに紹介した「環境の質に関する16の政策目標」に達するための中・長期的な転換政策として位置づけられる、 と私自身が判断したものです。



ここに掲げた8つの転換政策は、すでに、80年代後半から90年代にかけてスウェーデンが実行していることですが、「環境に関する16の政策目標」が設定されたことにより、それらの政策が明確化し、いっそう具体化されています。


日本でも、このような類似の政策はそれなりに行われています。たとえば、不十分ではありますが、「家電リサイクル法」では、「製造者責任」が追求されていると言われています。
しかし、いずれにしても、日本は「持続的な経済成長(経済の持続的拡大)」がすべての国家目標の前提となっているために、スウェーデンの判断基準で検証すれば、十分な対応がなされていないのが現状だと思います。

それでは、明日から「緑の福祉国家」の実現に向けて策定された「環境の質に関する16の政策目標」を達成するための「8つの主な転換政策」を一つずつ検証していくことにしょう





政治家の不祥事   

2007-01-20 21:23:44 | 政治/行政/地方分権
同じテーマに対して、皆さんの考えが私の考えと大きく異なるようであれば、大いに議論しましょう。議論を通して私自身の誤りを正すことができるし、「環境問題に対する共通の認識」と「持続可能な社会の構築の必要性」を分かち合うことができると思うからです。
  
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国会議員や知事、地方議員など、国民の不安を解消することが期待されている政治家の不祥事報道が、なぜ日本ではこうも続くのでしょうか。おそらく、個人の「倫理観の喪失」によるものが多いのでしょうが、見逃せないのは社会制度の不備、特にチェック・システムが十分機能していない日本の制度に問題があるようです。

ちょっと古い話ですが、このような日本の現状に慣れ親しんでいる私たちにとって、98年7月24日付けの毎日新聞のコラム「余録」や2002年7月29日付けの東京新聞のコラム「本音のコラム」が伝えるスウェーデンの政治家の姿勢はにわかには信じがたいでしょう。

2つの記事に登場する岡野加穂留さんは昨年6月になくなられました。政治学者で明治大学元学長を務められた方で、スウェーデンの政治にも精通しておられたようです。

余録に登場するモーナ・サリンさんは元女性副首相、昨年9月の政権交代までは、世界初の「持続可能な開発省」の大臣でした。 私のブログにも登場します。 





この2つの記事に日本とスウェーデンの政治風土の相違をかいま見たような気がします。





汚職防止研究所

2007-01-20 18:32:34 | 政治/行政/地方分権
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権力の移行には汚職がつきものです。1993年11月26日から朝日新聞は「地方分権の実験:北欧からの報告」と題する連載記事を掲載しました。このシリーズの5回目に「汚職防止研究所 指針作り公務員指導」と題する記事がありました。

私はこのような研究所が当時、スウェーデンにあったことも知りませんでしたし、今もあるかどうか知りません。しかし、93年に朝日新聞が連載記事を組んだということは当時、日本でも地方分権の議論が盛り上がっていたからでしょう。そして今再び、地方分権が議論されていることを考えれば、この記事をここで紹介するのもムダではないでしょう。いかにもスウェーデンらしく面白いので、この記事の要点をまとめておきます。

「汚職防止研究所」 スウェーデンの首都ストックホルムの商工会議所に奇妙なプレートがかかっていた。スウェーデンには、公務員が300クローネ(約4500百円)以上のものをもらうと汚職になるという、同研究所が出した目安がある。

70年ほど前のスウェーデンは、土木や建設、金融などの民間企業と行政の間で汚職が続発。これでは公正な企業競争ができない、と商工会議所と産業連盟、商業連盟が汚職防止研究所を設けた。メンバーは、経済団体と民間企業の代表者10人で、いずれも法律の専門家だ。汚職防止のためのセミナーを催したり、刊行物も出している。

現在の目安を示した同研究所所長でストックホルム高裁判事は「公務員が誘惑に駆られて、権力を悪用しない金額にした。15年前には100クローネほどで、物価に合わせている。政治家のハードルはもっと高く、何も受け取ってはいけない」という。

自治体の中には、研究所の発行物を参考に職員向けの汚職防止パンフレットを作っていることも多い。その中で、受け取ってかまわないとされるのは、花束と宣伝用の試供品だけだ。300クローナの目安は法律に基づくものではないが、裁判の際に参考にされることもある。汚職そのものが珍しいスウェーデンでは、発覚すると地方の小さな事件でも全国版に載るのが普通だ。              


私の環境論10 生態系の劣化

2007-01-20 15:25:04 | 市民連続講座:環境問題

  
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動物や植物など、何らかの生物が生息できる場所を「生物圏」と呼んでいます。生物圏には、森林、農耕地、砂漠、湖、海洋などのように、お互いに他と区別できるまとまりがあります。簡単に言えば、このまとまりのことを「生態系(エコシステム)」といいます。ですから、生物圏とは、生態系という単位の集合体ということができます。

それぞれの生態系は外観が異なるし、その構成要素も異なりますが、すべての生態系には共通点があります。

生物の種類は異なりますが、太陽の光を受けて光合成により酸素や有機物を生産している点ではすべて共通です。また、太陽からの光エネルギーは有機物などの化学エネルギーに変えられ、無機物化(有機物が酸化して無機物になること)に伴って熱エネルギーに変化し、最終的には宇宙へ放出されます。これらの点もすべて生態系に共通です。

★人間が加わった「自然循環」
46億年の地球の歴史の中で、「自然循環」は人間が加わらないでも35億年もの長きにわたって持続してきました。そして、人間が加わった最近の数100万年(600万年?)も持続してきました。ところが、産業革命以後の150~200年間、人間は人間が加わった「自然循環」を人間自身の手で破壊し続けてきました。そして、現在、そのことにやっと気づき始めたのです。

生態学は、動物の一種である人間が「人間だけでは生き続けることができないこと」を教えています。私たちは、言葉の上では「人間中心」といいますが、実は人間は他の生物なしに生き続けることができないのです。生態系が生物集団の一つである「人間社会」を支えているわけですから、人間の経済活動が「生態系を劣化」させれば、経済活動のみならず、人間の生存条件が劣化し、人間社会そのものを支えられなくなるのは、自明の理です。

つぎの図は、10年以上前からマスメディアを通じて報じられていたほんの一握りの断片的な情報にすぎません。

一度失われた自然の回復には膨大な時間とコストがかかることに気づいて欲しいものです。人間が加わることで「自然循環」を豊かにすることもできますし逆に、「自然循環」を破壊し、貧しくする(人間自らの生存を否定する)こともできます。ですから、私たちが経済活動をしっかり行おうとするなら、「経済活動の拡大」が環境問題の真の原因であることを理解し、これらの制約の中で「新しい経済活動を創造すること」が私たちの明るい未来につながるはずです。

もう一度確認しておきたいのですが、環境問題を議論するときに、決して忘れてはならない事実が2つあります。それは、
①「人間は動物である」という事実。
②「人間を含めた動物の生存を支えているのは基本的には植物である」という事実。


緑の福祉国家10 「新しいビジョン」を実現する行動計画

2007-01-20 08:15:48 | 市民連続講座:緑の福祉国家


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同時多発している諸問題の解決には、問題ひとつひとつに取りくむのではなく、同時解決を図るために「システマティックなアプローチ」が必要です。

民主主義の国で「現行の社会(制度)」を「将来の新しい社会(制度)」にスムーズに変えていくには、まず、大多数の国民が賛成できる「望ましいビジョン」を描き、次にそのビジョンの実現のために「現行の行政組織や社会制度」を段階的に変えていかなければなりません。その際に、「従来の判断基準」を新しいものに変える原動力となるのは、時間の経過に伴って私たちが学び、獲得してきた「新しい知識」です。

スウェーデンでは、90年代中頃までに政治、行政(中央政府、自治体)、企業、市民など国民のセクター間で「人間は自然の法則から免れて生存できないこと」が理解されており、企業も含めて社会全体としてすでに「環境問題に対する社会的なコンセンサス」ができ上がっていました。

そして、「生態系の保全」こそが自分たちの生存を保障すると考えています。その上に、「緑の福祉国家を実現すること」が長期的な政治目標となっているので、スウェーデン企業は他国の企業よりも環境分野の活動に自信を持っており、環境分野の投資に積極的です。
   
民主的な法治国家で「ビジョン」を実現する具体的な方法は、図に示したように、予防の視点でつくられた包括的で整合性があり、柔軟性のある法体系の下に策定される「政策」と「その政策を支える予算の優先的な配分」です。新しいビジョンを実現するためには「新法の制定」と旧ビジョンである「福祉国家」を支えてきた既存の法体系の改正や廃止、行政省庁の刷新、転換政策などが必要となります。

 
このような整った行動計画の枠組みのもとで、利害を異にする組織やそれぞれの国民が、共通の目標である「緑の福祉国家の実現」に、それぞれの置かれた立場で、「できるところ」から一歩一歩努力を積み重ねていけば、道はおのずから開けるはずです。

下の図は上の図の⑥の部分(各主体の協力と行動)を具体的に示したものです。

行動計画のイニシァティブは地方自治体にあります。


私の環境論9 環境への人為的負荷 

2007-01-19 11:32:52 | 市民連続講座:環境問題
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環境への負荷には様々なものがあります。例えば、自然災害があります。10数年前の雲仙・普賢岳の爆発や200年8月の東京都三宅島の大噴火、95年1月17日に発生した阪神大震災、季節的に発生する台風などは環境に大きな負荷をかけますが、これらを人間の力で抑えることはほとんど不可能です。

ですから、私たちにできることは私たちが生きていくために行う経済活動による「環境への負荷」をできるだけ少なくするということになります。このことを難しい言葉で言えば、「環境への人為的負荷を低減する」 (具体的には資源とエネルギーの消費量を低減させる)ということです。これが“環境にやさしい”という意味なのです。
 
他の動物と同じように、人間の祖先がこの地球上に生を受けて以来、今日に至るまで、人間は自然から必要なものを取りだし、加工し、廃棄物を自然に捨ててきました。ここで思い出していただきたいことは人間が他の動物と基本的に異なるのは「火を使うこと」と「道具を使い、物を作り、それを使用する」ことです。

この特性ゆえに、人間は過去150年間に大きな発展を遂げましたが、同時に「環境への人為的負荷」を高めてきたのです。下の図を見てください。ここでいう環境とは大気、土壌、水、動植物、様々な構造物、宇宙空間など私たちを取り巻く環境全体を意味します。

それから、この図に示した「テロ・戦争」が環境への最大の人為的な脅威であることは間違いありません。このことは古くは1960年代の「ベトナム戦争」、最近では90年8月に始まり、91年1月に終わった「湾岸戦争」や2003年3月に始まって、今なお続く「イラク戦争」を思い浮かべれば、わかると思います。

環境への人為的負荷がどうして起こるかと言いますと、「私たちが便利だ、効率がいい」という理由で、次々に新しいものを製造し、古いものを環境へ捨てるという「消費生活」をするためです。これは疑う余地がないと思います。

私たちが生きるために空気を吸い、水を飲み、食べ物を食べるという行動を介して、これまで環境に排出してきた汚染物質を無意識のうちに私たちの体に取り込んでしまうことになります。こうして、「環境への人為的負荷」「人体への負荷」という形に収斂されて来るのです。

そうしますと、人間の体には許容限度があるため、いろいろな形で問題が出てきます。これが環境問題の本質だと思います。つまり、環境問題とは私たちが便利さや快適さを追及してきた結果、わたしたちの体への環境負荷が高まり、私たちの健康や生命の持続性が怪しくなってきたということです。
 
しかし、幸いにも日本では今のところ戦争の危機はありません。ですから、日本では、私たちが生きていくときに必要な交通とか、産業活動、農業、エネルギーの使用、私たちの消費生活そのものが環境問題の主な原因なのです。

ここで、かつて、横浜でゴミの話をした時のことを思い出しました。ゴミの話ではプラスチックの空きびんや空き袋に関心が高いのはもっともですし、それらの処理に真剣に取り組むことは私も大切だと思うのですが、ゴミとしてのプラスチックの空容器に関心の高い方も「プラスチック容器の中身」にはあまり思いをはせないようです。

スーパー・マーケットに行きますと、たくさんの液体や粉体がプラスチック容器やガラスびん、缶に入って売られています。その中に入っている物質は私たちが使用するために売られているものです。

例えば、シャンプーを考えてみましょう。シャンプーは使用することによって、全部、下水に入っていきます。つまり、シャンプーや洗剤を使用することが水を汚染することになるのです。
確かに、シャンプーを使うことや洗濯をすることは別な観点から見れば、私たちが生きていく上で必須のことですから、否定することはできません。私がここで言いたかったことは「私たちが生きていく上で行うことが基本的には環境汚染につながる」ということです。

しかし、ゴミ問題に熱心な方は容器の中身の使用のことはあまり考えず空になったプラスチック容器の処分の話に意識が集中してしまう傾向があります。大切なことは、まず、容器の中身の使用が水や大気、あるいは土壌、つまり環境に影響をおよぼすこと、そして、空になった容器もその後の扱い方しだいでは環境に影響をおよぼすことを理解する必要があります。

このことは私たちが生きていくために行ういろいろな活動がすべて環境に影響をおよぼしていることを意味します。重要なことは自然には浄化作用があるわけですから、その浄化作用の限度を越えない範囲(環境の許容限度)に人間の活動を抑えることです。

「人為的な負荷」の話をもうすこし続けましょう。明日は「生態系の劣化」の話です。



緑の福祉国家9 21世紀へ移る準備をした「90年代」⑤     研究報告「2021年のスウェーデン」

2007-01-19 07:29:23 | 市民連続講座:緑の福祉国家
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★研究報告「2021年のスウェーデン 持続可能な社会に向けて」の公表(99年1月) 
将来から現在を見るバックキャスト的手法は、スウェーデン政府が21世紀の長期ビジョンを想定するときに使っており、「地球は有限」を前提に、「経済は環境の一部」と見なし、国民の合意のもとに政策を決め、社会を望ましい方向に変えていく手法です。
 
スウェーデンのペーション首相が施政方針演説で「生態学的に持続可能な社会への転換」を明らかにした1996年の前年、95年にスウェーデン環境保護庁は「25年後の2021年次の望ましい社会を想定したプロジェクト」をスタートさせました。そして、約4年の歳月と4億円を費やした研究成果「2021年のスウェーデン―持続可能な社会に向けて」が、99年1月に公表されました。
 
この報告書の要旨は日本の雑誌「ビオシティ」(2000年6月号 No.18)に、「我々はすでに正しい未来の道を選択した――スウェーデン2021年物語」と題して紹介されています。

このプロジェクトで採用された「バックキャスト的手法」では、最初に望ましい未来社会を設定し、その未来社会を実現する戦略を検討することになります。
 
まず、長期的な環境目標が「自然科学の知見」に基づいて設定されました。つぎに、持続可能な社会を築くための基礎的な要素を見つけるために、「物質の流れ」、「建築物」、「技術」の3分野で、まったく別のコンセプトに基づく2つのモデル、「タスクマインダー」(現実の経済社会の延長上で環境に配慮し、再構築したモデル)と「パスファインダー」(望ましい経済社会をイメージしたモデル)を想定しました。

生態学的に持続可能な社会への転換に必要な分野のうち、農業、食糧生産、森林、下水、エネルギー、交通、都市生活、農村生活などが、この2つのモデルを通して検討されました。このプロジェクトには、官僚や研究者のほか、実際に持続可能な社会の実現をめざす役割を担うことになる、さまざまなセクターの代表者が参加しました。報告書は、つぎのように結論づけています。

★この報告書「2021年のスウェーデン」は、スウェーデンの「持続可能な社会創造」の基本目標が実現性のあることを示している。この未来研究では生態学的な持続可能性についてのみ考察するのではなく、異なった選択肢の経済的、社会的な関係についても分析を行なった。
 
★ここに示した持続可能な未来像は、現在開発中か、すでに使用されている技術を基本に考えられた。したがって技術の不足が、提示した目標が実現できるかできないかを決定する要因にはなり得ない。むしろ、持続可能性の妨げになるのは、現行のEUの共通農業政策であり、住宅やオフィスビルのエネルギー削減の動きが遅いことであり、現在の生産と消費のパターンなのである。

★このプロジェクトから得られた成果の一部は環境保護庁から政府に提出され、一昨日紹介した、98年制定の21世紀の環境法体系「環境法典」の基礎資料として使われました。
 
バックキャストするスウェーデンは、「理想主義の国」ではなく、理念に基づいた長期ビジョンを掲げ、行動する「現実主義(プラグマティズム)の国」なのです。



私の環境論8 環境問題とは何か 

2007-01-18 11:36:06 | 市民連続講座:環境問題

 
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昨日の連続市民講座:環境問題 7で、「環境問題」は「公害問題」ではない、という話をしました。

私たちは長年にわたって農業、産業、交通システム、エネルギーの利用などに改良を加え、経済活動を拡大し、物質的に豊かな消費生活を楽しんできました。しかし、この40年間に大量生産・大量消費・大量廃棄に象徴される「産業経済システム」とそのシステムの下で営まれる「消費生活」そのものが「環境への人為的負荷(人間活動がもたらす汚染)」の原因であることに気づきました。

つぎの図は私が考える「環境問題」をまとめたものです。


環境問題とは、人間活動の拡大(資源とエネルギー利用の拡大)による「生態系の劣化」、「人間の生存条件の劣化」および「企業の生産条件の劣化」です。

日本では、環境問題を「自然科学的な問題」と考える傾向が強いのですが、この表の“人文・社会科学的に見ると”に注目すれば、今、私たちが直面している環境問題の主な原因は、私たちがこの100ないし150年間(特に戦後50年間)に築き上げた社会システムから生じた産業経済システムの下での「経済成長」であり、環境問題は私たちの日常生活と直結した足元の問題であることが理解できるでしょう。

日本の環境関連の法体系は主として、“自然科学的な観点”から制定されていますので、その対応となると、環境のモニタリングを行い、技術的に対応するという形になりがちですが、“人文・社会科学的な観点”に立てば、「人間活動の拡大」、すなわち、「既存の産業経済システムの下での経済成長」こそが環境問題の直接の原因であることは明らかです。

日本のかなりの識者、政策担当者、産業界、ジャーナリズムなどがしばしば主張する「世界に冠たるエネルギーの利用効率を誇る国」、「世界一の省エネ国家」、「世界の最高水準にある環境保全分野での国際貢献」などという勇ましい説に接すると、日本は“世界の模範国”であるかのような錯覚に陥りがちです。
しかし、実態は正反対で、日本が21世紀の社会である「持続可能な社会」に最も軟着陸しがたい状況にあることが、この表から推察できるでしょう。「景気対策のための国債増発」によって日本の財政は破綻寸前です。

生態系の劣化や廃棄物の増大は、人間活動の拡大の結果の現象面にほかなりませんから、私たちが、現在、直面している環境問題への対応は、「価値観の転換」とか「ライフスタイルの変更」など、より本質的な対応が迫られ、社会システム全体の変革の問題にならざるを得ないのです。
 
このように、私たちが20世紀には当然視してきた様々な「経済活動の拡大」が環境問題の原因であることは明らかですので、現在の産業経済システムを不問にしたまま、経済活動を拡大する方向(右肩上りの方向)を続けようとすれば、環境問題が極に達し、数10年後にはその危険域に入ってしまうでしょう。

ですから、環境問題の解決とは「自然科学」が示唆する「生態系の劣化」、「人間の生存条件の劣化」および「企業の生産条件の劣化」を、技術開発の変革と社会システムの変革を通して、言い換えれば「工学」と「人文・社会科学」の知識を総動員して修復し、「持続可能な社会」を構築することを意味するのです。

 さきほども少しふれたように、日本では、「経済の持続的拡大」という暗黙の了解のもとで、「公害に代表される環境問題」や「地球環境問題」の個別的な現象に着目している、ということです。 

自然科学は多くの場合、人間を除いて問題を考えてきました。生態系の説明から人間の存在が抜け落ちているように、自然を「人間の社会」の外側に置く傾向がありました。こうした自然科学は、環境問題を分析し理解するのに役立ちますが、環境問題の主な原因が「人間の経済活動の拡大」であることを考えると、環境問題の解決には、人間社会を研究対象にする社会科学からの適切なアプローチが強く求められます。

 しかし、社会科学のなかでも経済学は、人間社会の外側にある「自然」を研究対象としていません。さらに、「お金の流れ」としてあらわれない現象も、対象としていません。

つまり、20世紀の自然科学も社会科学も、環境問題に正面から対応できないのが現状なのです。21世紀の新しい学問体系が求められています。


緑の福祉国家8 「持続可能な開発省」の誕生、「環境省」の廃止

2007-01-18 10:22:37 | 市民連続講座:緑の福祉国家
皆さんへの期待は「環境問題」に対する私の考えや「スウェーデン」に関する私の観察と分析を、ぜひ批判的な立場で検証し、日本の将来を「明るい希望の持てる社会」に変えていくためにそれぞれの立場から日本の現状を真剣に考えてほしいことです私たちの子どもや孫のために・・・・・

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行政分野では、新しいビジョンの実現を加速するために、2005年1月1日から環境省が廃止され、世界初の「持続可能な開発省」が誕生しました。同時に所管の行政機関も再編されました。ここで、「緑の福祉国家」をめざす改革のなかでもいちばん最近実施された、「持続可能な開発省」にふれておきましょう。

スウェーデンの行政機構は日本の「官僚主導型」とは異なり、「政治(内閣)主導型」です。この国には、 「省の決定」というものがありませんので、制度的には日本のような行政の縦割りも、日本でいう「省益」もありません。

1967年に世界初の環境分野の行政機関「環境保護庁」を設置したスウェーデンが、今度は21世紀前半のビジョンである「緑の福祉国家の実現」のために、名実ともに世界初の「持続可能な開発省」を新設したのです。あえて「名実ともに」と書き加えたのは、2002年にフランス政府が「エコロジー(環境)・持続可能な開発省」という類似の名称の行政省を設置していたからです。
 
ちなみに、日本の環境庁が発足したのは1971年7月で、環境庁が環境省に昇格したのは2001年1月のことでした。

持続可能な開発省の主な任務はつぎのとおりです。

新設の持続可能な開発省は、省を代表する「大臣」(モーナ・サリーンさん) と持続可能な開発省内で「旧環境省」からの所管事項を引き継いで環境問題を担当する「大臣」(レーナ・ソムスタットさん)の二人の女性大臣を擁しています。持続可能な開発省は、20世紀の「福祉国家」を21世紀の「緑の福祉国家」に転換するための中心的な役割を担った行政省なのです。
 
  
今回の組織改正により、スウェーデン政府の環境行政組織は「持続可能な開発省」と、「環境保護庁」をはじめとする「住宅・建設・計画庁」「化学物質検査院」「原子力検査院」「放射線防護庁」「エネルギー庁」などの19の行政機関からなっています。これらの行政機関は、いずれも機能的にはこの省を代表する持続可能な開発省大臣の指示・監督を受けることのない独立機関ですが、所管事項について持続可能な開発省へ報告する義務を負っています。
 
日本や米国の視点で考えると、スウェーデンの環境行政組織のなかに、環境省が発展的に改組して誕生した「持続可能な開発省」「環境保護庁」が共存していることは理解しがたいことかもしれませんが、両者にははっきりした役割分担があります。

持続可能な開発省は、政治(内閣)主導型政府の構成メンバーとして、ほかの省と協力して所管事項である環境政策と持続可能な開発政策に携たずさわるとともに、国会に対しての責任を果たします。

なお、1月8日のブログでお伝えしたように、昨年10月のラインフェルト新政権の誕生にともなって、「持続可能な開発省」は2007年1月1日から名称を「環境省」に改めました。改称にともなって、関連の行政庁に移動がありました。
 
1月8日のブログで示した「新しい環境省の組織」と、このブログの「持続可能な開発省の組織」を比較してみると、改称にともなって、「エネルギー」「住宅」の2部門が他の省へ移動しただけであることがわかります。
  


私の環境論7 「環境問題」は「公害問題」ではない

2007-01-17 09:55:30 | 市民連続講座:環境問題

  
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日本で環境問題にかかわる最も基本的な法律といえば、1967年制定の「公害対策基本法」で、それが93年に「環境基本法」に置き換えられました。法律だけではありません。74年3月に発足した「国立公害研究所」が、日本独自の概念である「地球環境問題」に対応するために、90年7月から「国立環境研究所」と改称したのにともなって、多くの地方の「公害研究所」が「環境研究所」と看板を書き換えています。
 
そして、その典型的な例が日本の「環境白書」です。白書というのは政府が国会に提出する年次報告で、その名のとおり、白表紙の報告書です。私の手元にある「環境白書」の最も古いものは「昭和50年版環境白書」で、第4回目の環境白書です。この環境白書の「はしがき」を見ますと、「この環境白書は、公害対策基本法第7条の規定に基づき政府が第75回国会に提出した『昭和49年度公害の状況に関する年次報告』及び『昭和50年度において講じようとする公害防止に関する施策』である」と書いてあります。

つまり、環境白書の内容は、この「はしがき」が述べているように「公害の状況に関する年次報告」であり、「翌年度の公害防止に関する施策」なのです。このことは政府が国会に提出した白表紙の報告書を表紙だけ変えて、「環境白書」の名で「公害白書」を市販していたことになります。 

この状況は1993年発行の「平成5年版環境白書」まで、なんと20年以上も続いてきました。

94年6月発行の「平成6年版環境白書」の「はしがき」は、「この環境白書(「総説」「各論」)は、環境基本法第12条の規定に基づき政府が第129回国会に提出した『平成5年度環境の状況に関する年次報告』及び『平成6年度において講じようとする環境の保全に関する施策』である」と記されており、ここに初めて、形式的には「表紙」と「内容」が一致したことになります。

しかし、「公害」と「環境問題」を同義語として用いるのは明らかに誤りであるし、日本の認識不足だと思います。

いま、私たちが直面している「環境問題」は、過去の公害のように企業と住民(被害者)が対立するのではなく、国民の間に協力体制ができないことには、解決はおぼつきません。いずれにしても、日本で早急になすべきことは国民各主体の間にこれまでのような「公害への共通認識」ではなく、「環境問題への共通認識」を育て上げることです。

十分な「環境への共通認識」が育っていないうちに、不十分な「環境基本法」のもとでいろんな立場にある人々がそれぞれに「自立的な取り組み」(「それぞれができることから始める」とか「身近な所から始める」といったような)を求めることは、環境への負荷をさらに高めることになりかねません。

緑の福祉国家7 21世紀へ移る準備をした「90年代」④

2007-01-17 07:12:26 | 市民連続講座:緑の福祉国家


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★「環境法典」の制定(98年6月)
新しいビジョンを実現するためには、新法の制定と既存の法体系の改正や廃止が必要となります。1月5日のブログでお話したように、スウェーデンは「予防志向の国」です。問題が起きてから対処するより、事前に策を講じて、問題を未然に防ごうとする傾向があります。したがって、環境関連法もこれまで、「人間の活動は基本的には汚染活動である」と認識し、「問題を起こす可能性があるものは何か」という予防的視点でつくられてきました。

69年に制定された環境保護法は、「環境に有害な活動」を規制する包括的な法律で、20世紀のスウェーデンの環境法体系の中心をなすものでした。この法律も98年成立の「環境法典」に統合されました
 スウェーデンの現行環境関連法である「98年の環境法典」(Environmental Code)制定への準備は、89年5月に国会に設置された「環境法体系を見直すための委員会」に始まります。ですから、新環境立法の制定までにおよそ9年が費やされたことになります。 

93年2月の国会委員会報告に基づいて、政府は既存の15本の環境関連法を一本化するために、「類似のルール」を「共通のルール」で置き換え、数多くの規定を削除して、97年12月4日に整合性のある「環境法典制定法案」を国会に上程しました。

この法案には「1972年にストックホルムで開かれた第一回国連人間環境会議から25年たった現在、つぎの25年間、新しい環境法典のもとで『持続可能な開発』をめざす」と書かれています。この環境法典の制定作業も当然、「緑の福祉国家」に向かう過程の一環あることはいうまでもありません

ついで、政府は既存の法律に環境法典の概念を盛り込むため、98年3月12日に「土地利用」、「林業」、「建設」、「道路」、「航空」、「原子力」など社会基盤(インフラ)の整備にかかわる49本の法律の改正案」を国会に上程しました。

「環境法典制定案」と「インフラにかかわる49本の法律の改正案」はともに98年6月3日に採択され、成立し、99年1月1日から施行されました。 

この図は環境法典に統合された「15の旧環境関連法」を示したものです。スウェーデンの環境関連法体系は60年代以降につくられた多くの法律からなっていました。スウェーデンでは従来から、「環境問題は企業の責任負担」という考え方が徹底していますから、「環境に有害な活動を行なおうとするもの(企業)」は、さまざまな法令で決められた規則に対応しなければなりません。

しかし、旧環境法体系では、どんな活動が法律上「環境に有害」とされていて、そのような場合、どのような対応策を講ずれば許可が下りるのかが、あまりにいろいろな法律にまたがって定められているため、事業者にとっても政府の担当者にとっても、はなはだわかりづらくなっていました。この環境法典で環境法規が一本化されたので、こうしたわかりにくさを解消し、実効性を高めるために、かなり改善されました。

環境法典を特色づける、汚染者負担の原則(PPP)、最良技術(BAT)利用の原則、有害性の低い物質への切り替えの原則、予防原則(人間および環境への被害を防止するために慎重な態度をとる原則)の考え方はどれも、ここに至って突然あらわれたものではなく、60年代から、さまざまな個別の事柄に対して、個別の法律で決められていたことです。

なお、スウェーデン環境法典の条文の和訳本が昨年8月に関東弁護士連合会から公表されています




私の環境論6 「人間第一主義」はいけないのだろうか?

2007-01-16 19:07:25 | 市民連続講座:環境問題

 
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環境問題に対する知識が増えるにしたがって、私たちが直面している環境問題が人間活動に起因することが明らかになってきました。そこからの深い反省なのか、「共生」という心地よい響きの言葉の浸透とともに、「人間中心主義あるいは人間優先主義を否定し、他の生物の生存や権利を大幅に認める」という趣旨の考えが出てきました。

私は「人間中心主義」や「人間優先主義」を否定することには抵抗があります。人間第一主義でよいのではないでしょうか。人間を忘れた、あるいは人間を否定した環境問題の議論はあり得ないというのが私の主張です。

私も多くの人と同じように、現在の環境問題の原因は、明らかに近代の科学技術文明に基礎を置く近代合理主義の広がりであると思っていますが、近代合理主義そのものが誤っていたというのではなく、合理主義が社会に広く共有されたほどには、「生態学的な知識」がゆきわたらなかったことが問題なのだと思います。
 

現在は生態学的な知識が少しずつ増えてはいますが、日本ではその知識がほとんど生かされてこなかったのではないでしょうか。1950年代に入ると、スウェーデンで環境問題の重要性が認識されはじめ、日本では公害が顕在化してきました。過去40年間に公害・環境分野で活躍してきた専門家の役割を両国で比較してみると、つぎのようになるというのが私の観察です。


スウェーデン    日本
①科学者      医者
②技術者(工学者) 技術者(工学者)
③医者       科学者

ここで象徴的なのは、両国で活躍してきた専門家の順序が逆になっていることです。このことはスウェーデンが環境保護のために努力してきたのに対し、日本は公害および公害病の対応のために努力し、多額の投資をしてきたということです。


日本で公害の現象に最初に気づき、問題を提起したのが治療の現場で働く医者でした。医者が公害の原因を突きとめ、技術者(工学者)が工学的な公害防止対策を行なってきたというわけです。これに対して、スウェーデンでは科学者が環境の変化に警告を発し、技術者(工学者)が工学的な防止対策をとってきたのです。
 

最初に医者が問題提起するということは環境汚染がもう人間に達しており、「治療」の状態にあることを意味します。スウェーデンでは、人間にまで環境汚染が達する前に「予防対策」をとるということなのです。

私は、 1月5日のブログで、スウェーデンを「予防志向の国」日本を「治療志向の国」であると書きましたが、このことは環境問題に対するこれまでの対応の仕方を見れば明らかでしょう。