環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

私の環境論5 動物的な次元から逃れられない人間

2007-01-15 05:44:19 | 市民連続講座:環境問題


私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック

持続可能な緑と福祉の国をつくる会(仮称)のブログは、ここをクリック


現代社会に生きる私たちは時代の経過と共に動物的機能が劣化(後退あるいは進化?)していることを自覚しつつありますが、それでもなお、「私たちはどう頑張っても動物的な次元から逃れられない」ということです。
人間と他の動物を分ける相違点はいろいろありますが、環境問題を考えるときには、

★人間は意思を持って行動し、将来を創造することができる積極的な存在であること
★火を使うこと
★道具を作り、使用し、物をつくること。そして、道具の効率を高め、さらに高度なものを作ること、
★言葉を使い、概念を想像し、記録し、伝えること

の4点を挙げたいと思います。

有史以来、私たち人間はこれらの特殊性を生かし、生物として与えられた生存条件を広め、ついには自然の循環から独立しつつあるまでに至りました。そして、今、皮肉にもこれらの特殊性により、人間の生存条件がこれまでとは逆に狭められつつあることに気がついたのです。

ここで、人間以外の動物を考えてみましょう。人間以外で、火を使う動物や道具を使う動物はいるでしょうか? 極めて初歩的な道具を使うように見えるチンパンジーを除けば、そのような動物はいないと思います。つまり、いないということは、人間以外の動物は自然から必要なものを採り、自然に不要なものを捨てているのです。

不要となって捨てるものも、自然から採ってきたものですから、人間以外の動物の行動は、全部、自然の循環に乗っています。ところが、人間は動物的な次元からは逃れられませんけれども、その特殊性により、科学技術を発展させ、現在のような産業経済システムをつくりあげて来たのです。

この100~150年間の「経済活動の持続的な拡大」の結果、人間の活動が「有限な自然」に比べて大きくなり過ぎたにもかかわらず、私たち自身の体の機能は人類の誕生以来、多少、劣化(あるいは進化)の傾向はあるものの、数100万年の間ほとんど基本的には変わっていないのです。ですから、今後、さらに現在の延長上で経済成長の拡大を続けますと、環境の制約から私たちも他の生物と同じように生き続けることができなくなる可能性があります。

私たちの生存条件を左右する環境が怪しくなってきたということは、私たち人間の最も根本的である「動物的な次元」に直接かかわる問題だからです。

日本で環境問題を論じている多くの専門家や環境問題を講じている大学の教官(特に工学や法学・政治学・経済学などの社会科学、人文科学)に対して私が言いたいことは「私たち人間は動物だ」ということです。このことはあまりにも当たり前のことですが、そのあまりにも当たり前のことに、今、問題が生じつつあることを私たちは理解しなければなりません。

当たり前のことを是非とも当たり前のこととして思い起こして欲しいと思います。皆さんも環境問題を論ずる場合に、「私たちは動物なのだ。動物的な次元から逃れられない」ということを是非忘れないで欲しいと思います。そして、私たちが、火を使い、道具を使うという特殊性ゆえに、私たちが自分自身を危ない目に遭わせているということを。 

もう一つ追加すれば、「人間を含めた動物の生存を支えているのは基本的には植物だ」ということです。植物を食べる動物がいて、その動物を食べる動物がおり、私たち人間は動物と植物の両方を食べているわけです。ですから、植物がだんだん失われてくると私たちは生きていけなくなるわけです。このようなあまりにも当たり前のことを私たちはすっかり忘れ、環境問題は技術で解決できるかのような認識に浸っている感があります。私たちはこれらの原則を真剣に考える必要があります。

緑の福祉国家5 21世紀へ移る準備をした「90年代」②

2007-01-15 04:50:19 | 市民連続講座:緑の福祉国家


私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック

持続可能な緑と福祉の国をつくる会(仮称)のブログは、ここをクリック



★未来社会の環境の状況について(91年10月)
ブルントラント報告が公表される以前から、発展途上国への援助を通して「持続可能な開発」を試みてきたスウェーデンが描く「持続可能な社会」の環境的側面の要約が、スウェーデン環境保護庁が91年10月に公表した「未来社会の環境状況について」と題した資料の中に提示されています。

私は自然保護との関係で⑧がわかりやすいと思います。70年代頃までは、日本のどこにでもいたメダカやドジョウ、タナゴなどの魚、フジバカマのような野草は今絶滅が危惧されていますし、日本の普通の景観であった里山や棚田の現状をみれば、日本の状況の厳しさが実感できるでしょう。そして、⑨にバイオ技術で世界の最先端を行く、予防志向の国スウェーデンの「バイオ技術」に対する見識が見てとれると思います。

この要約に基づいて、「持続可能な社会」をイメージすれば、日本の現状は明らかに持続可能ではないといえるでしょう。持続可能な社会とは従来のSF小説や未来小説にしばしば登場する巨大なコンクリート構造物の間を高速交通が縫うように走り回る、電子機器に囲まれた都市型社会とはまったく正反対の、豊かな自然の中で環境にやさしい適正規模の科学技術が定着した落ち着いた社会となるでしょう。

一世を風靡した「手塚治虫の鉄腕アトムの世界」「真鍋博のイラストの世界」とは大きく異なります。そこには日本の行政当局者や多くの環境・エネルギー関係者が理解する「持続可能な開発/持続可能な社会」の概念とは大きな認識の相違があります。

★「循環政策」(92年6月)
「自然循環と調和した社会の実現」をめざすガイドラインとなる「循環政策(エコサイクル:環境の新たな展望)」(自然循環システムと調和した社会の実現をめざすガイドライン)が国会で承認され、これまでの「福祉国家」を「緑の福祉国家」に変える第一歩を踏み出す法的な基礎ができました。
循環政策の焦点は「廃棄物に対する製造者責任制度」、「廃棄物税の検討」、「化学物質の監視」などです。
 
★経済発展のための政策(95年11月)
「経済発展のための政策」は「税金」「教育」「労働」に関する権利と「環境問題」を包括的にとらえたもので、この政策の目玉は、税金部門の「課税対象の転換」でした。

★「緑の福祉国家の実現」というビジョンを掲げた施政方針演説(96年9月17日)
ペーション首相は施政方針演説で、「スウェーデンは生態学的に持続可能性を持った国をつくる推進力となり、そのモデルとなろう。エネルギー、水、各種原材料といった天然資源の、より効率的な利用なくしては、今後の社会の繁栄はあり得ないものである」と述べました。これは、「福祉国家」を25年かけて「緑の福祉国家」に転換する決意を述べたものです。

首相がこのビジョンを実現するための転換政策の柱としたのは、「エネルギー体系の転換」「環境関連法の整備や新たな環境税の導入を含めた新政策の実行と具体的目標の設定」、「環境にやさしい公共事業」、「国際協力」の4項目です。

この演説のなかで、 「持続可能な開発」に対するスウェーデンの解釈が明らかになっています。英文では、つぎのように表現されています。

Sustainable development in the broad sense is defined as community development that meets the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs.

ここでは、「広義の持続可能な開発とは、将来世代が彼らの必要を満たす能力を損なうことなく、現世代の必要を満たす社会の開発」と定義されています。 

重要なことは「社会の開発」であって、日本が理解する「経済の開発、経済の発展や経済の成長」ではありません。資源・エネルギーへの配慮を欠いた経済成長は「社会」や「環境」を破壊する可能性が高いからです。

首相は施政方針演説後の記者会見で「緑の福祉国家の実現を社民党の次期一大プロジェクトにしたい」と語り、「スウェーデンが今後25年のうちに緑の福祉国家のモデル国になることも可能である」との見通しを示しました。ここに、明快なビジョンが見えてきます。

記者会見で首相は、「各世代が希望に満ちた大プロジェクトを持つべきだ。それぞれの世代にビジョンが必要だ。私たちの前の世代のビジョンは、貧しかったスウェーデンを『福祉国家』にすることだった。いまの私たちのビジョンは、スウェーデンを『緑の福祉国家』に変えることだ。この仕事は若い閣僚が目標を立て、プロジェクト推進の原動力になるのが自然だ」と述べ、若い閣僚に政府の主導権を委ね、「閣僚環境委員会」を設置しました。