東急東横線の学芸大学駅を訪れました。
目黒区五本木は、1963年(昭和38年)、小学校二年生の4月に富山県から引っ越してきて、高校を卒業するまで住んだ街です。
かつて、駅前の商店街には、学校の同級生や先輩・後輩の家族が営む個人商店がズラリと並んでいました。
でも、いつの間にかチェーン店ばかりが目立つ駅前になっていました。
それでも、いくつかは昔からのお店が頑張っています。
店先で、昔話をしたり、クラスメートの消息を聞いたりしていたら、あっという間に時間が過ぎていきました。
もちろん楽しく懐かしい話題が大半ですが、この年齢にもなると、いくつかの悲しい知らせにも接しなければなりませんでした。
冒頭の写真は、現在の駅の様子です。
今の線路は高架となっていますが、私が中学生の頃までは、地上に線路が敷かれていて、写真の場所には踏切と改札口がありました。
小学生の頃、傘を持たずに会社に行った父を改札口まで迎えにいったことがあります。
父を待っているうちに駅員さんと仲良しとなり、改札口で回収された使用済みの乗車券の中から、発行駅を選んで何十枚も切符をもらい、翌日に学校で駅員ごっこをして遊んだ思い出もあります。
私にとって「三丁目の夕日」のような場所です。
さて、今日は参議院選挙。
民主党の苦戦が避けられない情勢です。
苦しいときこそ、原点をきっちり見定めることが大切です。
明日以降、民主党が政権をどのように組んでいくのか、見守りたいと思います。
目黒区五本木は、1963年(昭和38年)、小学校二年生の4月に富山県から引っ越してきて、高校を卒業するまで住んだ街です。
かつて、駅前の商店街には、学校の同級生や先輩・後輩の家族が営む個人商店がズラリと並んでいました。
でも、いつの間にかチェーン店ばかりが目立つ駅前になっていました。
それでも、いくつかは昔からのお店が頑張っています。
店先で、昔話をしたり、クラスメートの消息を聞いたりしていたら、あっという間に時間が過ぎていきました。
もちろん楽しく懐かしい話題が大半ですが、この年齢にもなると、いくつかの悲しい知らせにも接しなければなりませんでした。
冒頭の写真は、現在の駅の様子です。
今の線路は高架となっていますが、私が中学生の頃までは、地上に線路が敷かれていて、写真の場所には踏切と改札口がありました。
小学生の頃、傘を持たずに会社に行った父を改札口まで迎えにいったことがあります。
父を待っているうちに駅員さんと仲良しとなり、改札口で回収された使用済みの乗車券の中から、発行駅を選んで何十枚も切符をもらい、翌日に学校で駅員ごっこをして遊んだ思い出もあります。
私にとって「三丁目の夕日」のような場所です。
さて、今日は参議院選挙。
民主党の苦戦が避けられない情勢です。
苦しいときこそ、原点をきっちり見定めることが大切です。
明日以降、民主党が政権をどのように組んでいくのか、見守りたいと思います。
学芸大学のアパートに住んでいたことがありました。駅から10分ぐらい
かかるところで夜は会社が早く終わればほとんど学芸大学の駅周辺の食堂で食べていました。さすがにアパート暮らしで将来どうなるのかと不安もありましたが、駅前はその当時は独身者向きの食堂が多かったような気がします。
sleptさんとも、mytochigiotokoさんとも、学芸大学駅前の商店街でスレ違っていたのかも知れません。
ちなみに、西口の小田レコード店・写真館と上野電機商会(パナソニック)、東口の飯島書店(古書)と池田動物病院が、私の同級生の代表的なお店であります。