丸の内の大家さん、三菱地所によるラグビーの魅力を伝えようという企画です。
三菱地所といえば、ラグビー早慶戦で劇的な逆転トライを決めた若林選手(都立小石川高−慶應大学)の勤務先でもあります。
また、私が銀行マン時代に親しくなった三菱地所社員の人は、小樽商大ラグビー部OBでした。
都心で働いているラグビーファンの皆さん、いかがでしょうか。
早稲田の大田尾監督が母校佐賀工業を訪問しました。
早稲田佐賀もラグビー強化に取り組んでいるので、いずれ どちらを応援するか悩む日もやってくるかも知れません。
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以前にも取り上げた秋田県副知事の話題です。
副知事といえば、プロパー職員の頂点。
新入職員から ここまで登り詰めたのですから、立派というしかありません。
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一昨日あたりから、沖縄戦についての報道が続いています。
私が青山高校に入学した1971年、佐藤栄作首相によって沖縄返還協定が調印されました。
この協定の粉砕を叫ぶ新左翼の学生たちが、連日 明治公園で集会を開き、そこからデモ隊が青山高校の前を通って国会へと向かいました。
神宮球場から外苑前の交差点に向かう道には重装備の機動隊が並び、デモ隊と激突。
辺りには催涙ガスが立ちこめました。
地下鉄の外苑前駅は入口のシャッターを下し、青山高校も正門を閉じてしまったので、帰宅しようにも校門を出ることができなくなった私たちは、校舎の窓からデモ隊が機動隊の警棒に袋叩きにあって、血だらけになるのを眺めていたのです。
そして、私が大学に入学して1975年には、沖縄のひめゆりの塔を訪問された皇太子ご夫妻に向かって、過激派が火炎瓶を投げつけるという前代未聞の大事件が発生しました。
あれから半世紀近い日々が過ぎました。
日本本土の人たちにとって、沖縄は身近なリゾート地となりました。
私も10年以上にわたって、早大沖縄キャンプを見学するために、沖縄を訪問してきました。
でも、いわゆる観光スポットは どこも訪れていません。
友人からは「せっかく沖縄に行っているのに、もったいない」と言われます。
でも、それは学生時代の強烈な思い出のためかも知れません。
火炎瓶を投げた活動家のその後です。