今回の早慶一回戦の試合前、故・相田暢一(あいだ ちょういち)さんの野球殿堂入りをお祝いするセレモニーが行われました。
6月1日に、このブログに生前の相田さんの思い出を寄せていただきました。
そして、連盟HPに、その様子が記事となっています。
連盟HPへのリンク
生前の相田さんとお話しする機会はありませんでしたが、ネット裏で何度かお顔を拝見したことがあります。
とても穏やかな雰囲気の漂う紳士でした。
相田さんの著書が私の本棚にあります。
「あゝ 安部球場_紺碧の空に消ゆ」という1987年(昭和62年)の本です。
コンパクトな本ですが、早慶戦の歴史、そして安部球場や安部寮などにまつわる話など、興味深い話題が満載です。
相田さんは、1940年(昭和15年)に旧制小樽中学(現 小樽潮陵高校)から早稲田大学に入学されました。
当時は、毎年200名ほどの新入生が4月に野球部入部を希望。
7月の夏休み入りまで、入部希望者たちは東伏見グラウンドに集められて、新人監督(上級生部員)により猛訓練が行われ、いったん全員帰省。
8月上旬に、帰省先に「8月○日、合宿書に集合せよ」と通知が届き、そこで初めて野球部員として認められて安部球場(現 早大中央図書館)での練習に参加できるという決まりだったそうです。
学年あたり15名前後しか、その通知が届かないというのですから、実に厳しい競争、まさに現在のプロ球団の一軍入りを目指すようなものでした。
相田さんは投手として入部を許されましたが、その後に肩を傷めて選手続行を断念、マネージャーを務めることに。
第二次世界大戦が始まり、マネージャーとして相田さんは大変なご苦労をされることになるのですが、そのご苦労が高く評価されて野球殿堂入りにつながりました。
この本は絶版となっていますが、今も古書店やAmazonで入手可能だと思います。
最後に、この本に記されている戦没先輩及び学徒出陣部員一覧を、平和を祈念してご紹介いたします。
このブログを訪問してくださる皆さまの同窓あるいは同郷の部員がいらっしゃるかも知れません。