外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

週べ今週号

2012-02-14 19:38:14 | 大学野球
週刊ベースボール今週号では、「おんりい・いえすたでぃ」のコラムに、ちょっと驚きました。
コラムを書いているのは、神宮ネット裏の常連・大内隆雄さん(県立福島高校-早大)

詳しくは、週べを買って読んでいただきたいのですが、概ね、次のような内容です。
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今年のセンバツは、北海道・東北から6校(神宮大会枠、21世紀枠を含む)が出場するのですが、第二次大戦前後には、何と「北海道・東北はお情け出場」と言われた時期があったのだそうです。

こんな理由がありました。
朝日新聞主催の「地域の代表」による夏の甲子園大会に対抗する形で、大阪毎日新聞がスタートさせたセンバツは、その名の通り、強いチームの選りすぐりをモットーとしました。
すなわち、強いチームならば、同じ地域から何校でも出すという方針で大会が運営されていたということです。

したがって、例えば中京・東海地区が強かった時代のセンバツは、こんな
様子であったと。

1933年(昭和8年):準々決勝(8強)に、中京商業、享栄商業、岐阜商業の3校が入り、最終的に岐阜商業の優勝。

1934年(昭和9年):準決勝(4強)に東邦商業、享栄商業が入り、東邦商業が優勝。

1935年(昭和10年):準決勝(4強)に、東邦商業、愛知商業、岐阜商業が入り、岐阜商業が優勝、
といった具合。

この時期のセンバツは、中京・東海大会の上位校によるリターン・マッチという様相を呈していた訳です。

オフ会の盟友・dawase86さん(愛知県出身)が、もしこの時代に生まれていたら、センバツが開催されるたびに狂喜乱舞。
学業や仕事が、かなり(いま以上に?)疎かになったに違いありません。

もちろん、中京商業と広島商業が大好きな私も、同じような状況になったと思いますが。
(;^_^A

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現在のように、室内練習場が充実し、あるいは除雪技術が進歩しているならばともかく、戦前の雪国の学校が弱いのは、仕方がないことだと思います。

それにしても、「強いチームならば、同じ地域から何校でも出す」という方針は、なかなか新鮮です。

もし、毎日新聞が、この方針を現在まで堅持したならば、どうなっていたかと、ふと考えました。

ひょっとしたら、大阪、神奈川などの有力選手が地方の高校に進学する、いわゆる「野球留学」という問題が生じていなかったかも知れません。
Comment (1)
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