東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

三浦坂

2012年07月10日 | 坂道

三浦坂上 三浦坂上 三浦坂上 三浦坂中腹 前回の善光寺坂上の信号のちょっと手前で左折して横道に入り、狭い道を北西へと歩く。さきほどまでの車の多い通りから一変して静かな寺町の小路の散歩となる。やはりこういった小路の方が落ち着いた雰囲気で散策を楽しむことができる。

やがて、T字路に出るが、ここを左折すると、一枚目の写真のように、細い道が延びている。これぞ裏道といった雰囲気でこういった道に出くわすとうれしくなってしまう。ここが三浦坂の坂上である。かなり緩やかに下っている。ちょっと進んでからふり返って撮ったのが二枚目である。このあたりから坂は急に傾斜している。三枚目は坂上から坂下側を撮ったもので、四枚目はちょっと下ってから坂上を撮ったもので、かなりの勾配であることがわかる。

この坂は『御府内備考』の「谷中之一」の総説に次のように説明されている。

「三浦坂
 三浦志摩守下屋敷の前根津の方へ下る坂なり、一名中坂と称す、」

小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861)) 御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 根岸谷中日暮里豊島辺図(安政三年(1856)) 一枚目は、尾張屋板江戸切絵図 小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861))の部分図であるが、善光寺坂とほぼ平行な道筋がその斜め上(北)に見えるが、これが三浦坂である。ミウラサカ、とあり、坂の北側に三浦備後守の下屋敷がある。坂名はこれに由来する。近江屋板にも、△ミウラサカ、とある。

二枚目の御江戸大絵図(天保十四年(1843))の部分図には、坂名はないが、三浦ビンゴ(備後)邸があり、その南側の道筋がこの坂である。

この坂は、これよりも北側の三崎坂と善光寺坂との間にできた坂であるので、御府内備考にもあるように中坂ともよばれた。

三枚目は、尾張屋板江戸切絵図 根岸谷中日暮里豊島辺図(安政三年(1856))で、ここにも三浦坂が見える。坂わきは三浦志摩守邸となっている。

上記の各江戸絵図には、坂下に川が流れているが、谷戸川(藍染川)で、この下流で不忍池へ流れ込んでいる。

『新撰東京名所図会』には、「三浦坂は真島町の東方西畔より領玄寺前に上る坂路をいふ。もと三浦志摩守の邸ありしに因る。一名中坂といふ」と記されている(石川)。

三浦坂中腹 三浦坂下 三浦坂下 三浦坂下 一枚目の写真は、中腹から坂下側を撮ったもので、坂下側に猫グッズかなにかの猫関係の店があり、このため、この坂下は賑わっていることがある。以前来たときもそうであった。

二~四枚目は、坂下側から坂上を撮ったもので、坂下側ではかなり緩やかになっている。となりの寺院からの樹木でちょっと鬱蒼としている。このため、四枚目のように坂下から坂上が見えない。

この坂は江戸から続く坂であるが、坂上側で部分的にかなり急になっているところなどは、これまで坂を平均化する工事などがなされてきていない証しのように想われ、このため、坂を下ると、かなりむかしの原形をとどめているような気がしてくるから不思議である。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「大日本地誌大系御府内備考 第二巻」(雄山閣)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)

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