東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

善光寺坂(谷中)

2012年07月04日 | 坂道

善光寺坂上 善光寺坂下 善幸寺坂下 善光寺坂下 前回の三段坂上を左折し、北へ歩くと、まもなく四差路にでるが、ここを左折すると、善光寺坂の坂上である。そのあたりから坂下側を撮ったのが一枚目の写真である。遠く、根津谷の向こうに本郷台の建物が見える。坂を下り引き返したので、坂下から順に写真をならべる。

この坂は、言問通りにあり、坂下の先で不忍通りと交差する。二枚目は坂下から西側の交差点方面を撮ったもので、このあたりはほぼ平坦である。三枚目は交差点から不忍通りをはさんでその先の弥生坂(以前の記事)を撮ったものである。言問通りは、東大農学部そばの本郷通りの交差点(本郷弥生)から東へ延びているが、弥生坂を根津谷へと下り、そこから善光寺坂を上野台地へと上っている。

交差点から引き返すが、このあたりは、むかしながらの商店が多く、地元の人、買い物客、観光客など人通りが多い。

四枚目は交差点からちょっと入った坂下から坂上を撮ったもので、このあたりからかなり緩やかであるが、勾配がつきはじめる。

善光寺坂下 善光寺坂下 善光寺坂中腹 善光寺坂中腹 一枚目の写真のように、しだいに勾配がついてくるが、まだ緩やかである。この坂はほぼまっすぐに坂下の先の交差点から東へと上っている。ちょっと上り、坂下側を撮ったのが二枚目である。三枚目は信号のある交差点から坂上側を撮ったもので、このあたりから上がもっとも勾配があるが、それでも中程度といったところである。四枚目は、さらにちょっと上り、坂下側を撮ったもので、このあたりで坂らしくなっているのがわかる。

坂上左側(北)歩道わきに坂の標識(下二枚目の写真)が立っている。次のような詳しい説明がある。

「善光寺坂(せんこうじざか)        台東区谷中一丁目五番
 谷中から文京区根津の谷に下りる坂には、この坂と北方の三浦坂・あかぢ坂とがあり、あかぢ坂は明治以後の新設である。
 善光寺坂は信濃坂ともいい、その名は坂上の北側にあった善光寺にちなむ。善光寺は慶長六年(一六〇一)信濃善光寺の宿院として建立され門前町もできた。寺は元禄十六年(一七〇三)の大火に類焼して、青山(現港区青山三町目)に移転し、善光寺門前町の名称のみが明治五年まで坂の南側にあった。
 善光寺坂のことは、明和九年(一七七二)刊行の『再校江戸砂子』にも見え、『御府内備考』の文政九年(一八二六)の書上には「幅二間(約三・六メートル)、長さ十六間(約二九メートル)、高さ一丈五尺(約四・五メートル)ほどとある。
  平成七年三月                 台東区教育委員会」

善光寺坂中腹 善光寺坂説明板 小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861)) 御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 一枚目の写真は、信号のところからさらに上側から坂下を撮ったものである。信号から上がちょっと道幅が広くなっている。この通りはかなり車の交通量があり、車の通らない坂を撮るには、ときどき立ち止まって車の流れが途切れるのを待たなければならない。

三枚目は、尾張屋板江戸切絵図 小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861))の部分図で、左側(南)の不忍池の方からの道が清水坂を通って直角に屈曲しながら延びて突き当たってから、上(西)へと延びる道があるが、これが善光寺坂である。道沿いに善光寺前町の町屋が細長く続き、坂下に天眼寺が見える。この寺は現在もある。

尾張屋板には坂名も坂マークもないが、近江屋板には、△ゼンコウシサカ、とある。

四枚目は、御江戸大絵図(天保十四年(1843))の部分図で、これには坂名も坂マークもないが、坂下に、天ガンジ、とあり、この前の道がこの坂である。

『御府内備考』の「谷中之一」の総説に次の説明が引用されている。

「善光寺坂
 一名信濃坂ともいへり、むかし青山の善光寺此前にありしゆえの名なり、【江戸紀聞】」

上記の標識の説明にもあるように、善光寺は慶長六年(1601)信濃善光寺の宿院として建立され、元禄十六年(1703)の大火で焼け、宝永二年(1705)青山に移転したが、坂名はそのまま残ったということらしい。同じように寺の移転後もそのまま坂名が残っている例として、麹町の善国寺坂や麻布市兵衛町の幸国寺坂(長垂坂)などがある。

上記の標識が引用している『御府内備考』の書上は、善光寺前町についてのものである。

以上のように、この坂は、江戸から続く坂である。

善光寺坂上 善光寺坂上 善光寺坂上 善光寺坂上 一、二、三枚目の写真は坂上のちょっと下から坂上を撮ったもので、四枚目は坂上から坂下側を撮ったものであるが、坂上近くになると緩やかになる。

横関によれば、善光寺の旧地は、坂北側の王林寺の右手、本光寺、上聖寺、妙情寺、信行寺のあるところだったという。

善光寺は、現代地図を見ると、表参道駅の近く港区北青山三丁目にある。

同名の坂が文京区小石川の伝通院の東にある。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「大日本地誌大系御府内備考 第二巻」(雄山閣)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)

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