東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

地蔵坂(西日暮里)

2012年07月28日 | 坂道

諏訪台通り 諏訪神社境内 諏訪台から東側 諏訪台説明板 前回の御殿坂下からもどり坂上の先の経王寺の角を右折すると、一枚目の写真のように細い道(諏訪台通り)が北へまっすぐに延びている。途中、左に富士見坂が見えるが、通り過ぎ、その先の諏訪神社(諏方神社)の境内に入る。二枚目は以前に境内を撮ったものである(2007年11月)。

境内の東端に行くと、三枚目のようにちょっと眺めのよいところがある。近くに立っている四枚目の説明板によれば、この諏訪台は古くから景勝の地であった。諏訪台は上野台地の東端北側に位置し、上野台地は、東京の山の手とよばれる台地の中でもっとも東に位置する。ここから東側は平坦な土地が広がっているから、眺望がよかった。現在は、ビルが乱立しているが、そういったむかしの眺望がちょっとだけ感じられる。直下に山手線と京浜東北線が走っている。

地蔵坂上 地蔵坂上 地蔵坂下 地蔵坂下 上記の諏訪台の眺望のよい所から左(北)の方へ行くと、一枚目の写真のように、直下に地蔵坂が見え、坂の向こうにJR西日暮里駅のホームが見える。この坂は階段坂で、二枚目のように境内の端からいったんちょっと東へ下るが、すぐに左に直角に曲がってから崖地を横切るようにしてほぼまっすぐに北へ下っている。

三枚目の写真以降は、坂下から順に並べるが、三枚目は最下段から坂上を撮ったもので、ここの横にガードができていて、中を通り抜けると、西日暮里駅東側の方に出ることができる。谷中方面との間の近道になっている。二枚目はそのちょっと上から坂上側を撮ったもので、この上でちょっと右に曲がっている。

二枚目の写真のように坂上に坂の標識が立っているが、次の説明がある。

「地蔵坂
この坂はJR西日暮里駅の西わきへ屈折して下る坂である。坂名の由来は、諏方神社の別当寺であった浄光寺に、江戸六地蔵の三番目として有名な地蔵尊が安置されていることにちなむという。
  荒川区教育委員会」

地蔵坂下 地蔵坂中腹 地蔵坂中腹 根岸谷中日暮里豊島辺図(安政三年(1856)) 一、二枚目の写真から坂上が見えるが、突き当たりの上が諏訪台の眺望のよい所である。三枚目は途中から坂下側を撮ったもので、ここは崖地であることがよくわかる。

四枚目の尾張屋板江戸切絵図 根岸谷中日暮里豊島辺図(安政三年(1856))の部分図を見ると、経王寺のわきをまっすぐに北へ延びる道が諏訪台通りで、大八大明神と植木ヤとの間の道がこの坂と思われる。坂下の川は音無川で、この上流の動坂下近くで藍染川が分岐している。近江屋板を見ると、諏訪明神のわきの道に△チソウサカ、とある。

鉄道ができる前の明治十一年の東京実測地図を見ると、浄光寺と諏訪社との間に、東から北向きに変わる道があり、さらに北東へと向きを変えて新堀村の方へ延びているが、この北東へ向いている所が崖地になっている。この崖地も前回の御殿坂と同じように鉄道ができたときに現在の崖の所まで削られたのかもしれない。もしそうだとすると、この坂は往古の道筋とかなり違っていることになる。

地蔵坂中腹 地蔵坂上 地蔵坂上 地蔵坂上 一枚目の写真は途中から坂上側を、二枚目は坂上から坂下を撮ったものである。三枚目は直角に曲がってから坂上を、四枚目はこの曲がりを坂上から撮ったものである。この坂は以前の記事でもちょっとだけ紹介した。

坂名の由来は、標識にあるように、諏訪神社の隣の浄光寺の地蔵尊が江戸六地蔵の第三番として知名であったためとされている(石川)。

この坂は、神社の境内の外れから隠れるように下っており、谷中の方から西日暮里駅の東側に出ることができるので、ちょっと意外性のある坂である。同名の坂は、都内に何カ所かあり、たとえば、神楽坂上近くや東向島にある。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「江戸から東京へ明治の東京」(人文社)

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