Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

東日本大震災.3

2013-11-06 07:14:28 | Weblog

東日本大震災.3       2013-11-06

東松島市災ボラセンターの概要:
設立:2011-3-19から8-12まで。8-12終了の
計画は、関西から来たボランテイアの意見
により、開設早々に決めた。

開設根拠:2005年県、市、市社協の三者協定
宮城県沖地震が来ると言われていたので、
3.11が来る前に協定が出来ていた。これが
素晴らしい。

市社会福祉協議会が障害者の為の避難所を
自ら立ち上げることになっていたので、これ
を3.11当日に立ち上げ、第一号避難者をその
日に受け入れた。

運営主体:東松島市社会福祉協議会
運営スタッフ:三者協定の通り、外来ボラ
ンテイアと外部からきた行政と社協の職員
からなる。地元ボランテイアは、高齢化と
過疎化の進行で居ない。横浜も10年後くら
いには、こうなるのであろうか。

設置場所:矢本保健相談センター2階
移転後:6/02コミュニテイパーク内
    大型テント
ニーズ:合計2929件、1日最高86件

助けに来てくれたボランテイア:1日平均
1000人、最高は1167人。その職種:

建築士、税理士、弁護士、パイロット、大工
看護師、農業、証券デイーラー、運転手、
エンジニア、NPO職員、アーテイスト、主婦
中、高、大学生など。(2週間以上滞在で募集)

東松島市災ボラセンターは8/12終了後すぐ
東松島市社協生活復興センターとして活動。
発災と同時に立ち上がった福祉避難所には
日赤医療チームが加わっていた。

以上横浜磯子とはかなり事情が違っている
ことを報告して終了します。

 

 

 


被災地から学ぶ .2

2013-11-04 06:57:49 | Weblog

東日本大震災.2       2013-11-04

横浜市民の私から見れば市社会福祉協議会が
障害者の為の避難所を自ら立ち上げることな
ど想像もしていなかったし、また現実にも
磯子区では起こり得ないと思う。

次に私の、あるいは磯子区災ボラの仲間達が
想定していることと大きく異なる事態は、ボ
ランテイア集めであろう。東日本大震災は、
過疎地が被災し、人口集積地からボランテイ
アが行った。だから仙台駅前にボランテイア
が溢れ、その人達は何処へ行ったら良いのか
判らないで居た。

東松島市災ボラセンターのセンター長は、
バスを仕立て仙台駅前で、「何処へ行って
良いか判らない人は、こちらへどうぞ」と
言ってごっそりかき集めたとのこと。氏曰く
有名な松島市と違い「東」のついた無名の市
には来てくれないので、智恵を絞った。

智恵だけではどうにもならないボラ集めの
手段は、「○○公園にテント張れます」とか
「宿泊場所あり」と言うビラとかチラシで
あり、幸いにもそういう施設が市内に有った
ことだそうだ。我が磯子に、それらは有るの
か。今は無いけど準備できるか。

首都圏が被災したら外来ボランテイアは、東
日本大震災の時のようにどっと来るのか、殆
ど来ないのか。日帰りで自宅に帰れる人だけ
募集するのか、想定は難しい。

上述のように東松島市災ボラセンターには、
大量の外来ボランテイアが来たので、受付
業務をセンター本部1か所では捌き切れず、
被災地の拠点2カ所にサテライトを設け、そ
こで受付をして上手く処理できた。磯子の
シミュレーションでは想定してなかったこと
である。       .3へ


被災地から学ぶ

2013-11-03 09:12:00 | Weblog

東日本大震災.1       2013-11-03

あれから2年8か月、現場からの報告を聞いた。
神奈川災害ボランテイアネットワーク主催に
よる講演会『被災地から学ぶこと神奈川で活
かせること』に参加した。講師は宮城県東松
島市社会福祉協議会常務理事阿部英一氏です。

私は磯子区災害ボランテイアネットワークに
所属するボランテイアで、地元が被災すれば
磯子区社会福祉協議会のビルに出向き、そこ
の体育館に災害ボランテイアセンターを立ち
上げる立場ですから、阿部氏の話は凄く役に
立つ話だ。

私達は年に1回センター立ち上げ訓練をする。
普段はそういう場合、こうなるんじゃないか、
ああなるんじゃないかと想定しながら立ち上
げ訓練のシナリオを組み立てる。実際にセン
ターをされた阿部氏の話はこちらの想定とは
随分違ってた。

大きな違いは、東松島には地元ボランテイア
が居ないかわりに外来ボランテイアが大勢
来た。だからそれを受け入れるセンターの
運営を市社協が直接やる。磯子は区社協の
援助は仰ぐが、センターの立ち上げと運営を
私達地元ボランテイアがやる。センター長
は私達の代表がやる。彼が負傷していれば
副代表がやる。

東松島の災ボラは3/19に立ち上がったが、磯子
は発災後3日には立ち上げたい。東松島が遅い
のではなく彼等は発災の3/11には障害者の為
の避難所を立ち上げている。素晴らしい実行
力、飲料のための雪を集め火の確保をして
いる。           .2へ