日々是好舌

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アメリカの兵糧攻めに根が尽き

2011年12月07日 09時54分12秒 | 日記
12月8日は太平洋戦争の開戦日である。

日本陸軍が日本時間12月8日未明にイギリス領マレー半島東北端のコタ・バルに接近、午前1時30分に上陸し海岸線で英印軍と交戦し(マレー作戦)、イギリス政府に対する宣戦布告前の奇襲によって太平洋戦争の戦端が開かれた。

続いて日本海軍航空隊によるアメリカ領ハワイのオアフ島にあるアメリカ軍基地に対する攻撃(真珠湾攻撃)も、日本時間12月8日午前1時30分(ハワイ時間12月7日午前7時)に発進して、日本時間午前3時19分(ハワイ時間午前7時49分)から攻撃が開始された。

昭和16年(1941年)のこの日、我が国は米英に対して戦争に突入したのであるが、日本時間12月8日月曜日午前4時20分(ワシントン時間12月7日午後2時20分)に、来栖三郎特命全権大使と野村吉三郎大使が米国務省のコーデル・ハル国務長官に手交した「対米覚書」には戦争をうかがわせる記述が無く、「宣戦布告無しのだまし討ち」であるとアメリカ大統領が議会で発言している。

日本はイギリスに対して開戦に先立つ宣戦布告は行っておらず、対英開戦後の12月8日の朝7時半になってロバート・クレーギー駐日大使を外務省に呼び、ワシントンでハル国務長官に手渡したのと同文の対米「覚書」の写しを手渡したものの、これは正式な宣戦布告ではなかった。同日に、オランダは日本に宣戦布告した。

1937年(昭和12年)に勃発した日中戦争において、大日本帝国政府は当初、現地解決や不拡大方針によって事態の収拾を試みた。しかし政府は軍事行動(対支一撃論)を主張する陸軍を抑えきることができず、情勢は日中両軍による大規模な全面衝突(事変)に発展する。日本軍は、北京や上海などの主要都市を占領、続いて中華民国政府の首都が置かれた南京を陥落させたが、蒋介石総統率いる国民党は首都を後方の重慶に移し抗戦を続けた。国民党軍はアメリカやイギリス、ソ連から軍需物資や人的援助(援蒋ルート)を受け、地の利を活かし各地で抵抗、徐州会戦や武漢会戦が発生した。また正規戦法以外に督戦隊戦法やゲリラ戦術、清野戦術などの戦術を用い日本軍を攪乱した。一方、西安事件を通じ成立した国共合作に基づき中国共産党軍(八路軍)も山奥の延安を拠点に朱徳率いる八路軍や新四軍が日本軍にゲリラ戦を仕掛けた。こうして日華事変の戦線は伸び未曽有の長期戦に陥っていた。

日本と中国は共にアメリカに物資を依存して戦争を行っていた。この時点で日本は石油の6割以上をアメリカから輸入していたため、アメリカなしではそもそも日中戦争の遂行は不可能な状況であった。

こうした状況の中でアメリカは、1941年7月25日には在米日本資産を凍結、8月1日には「全ての侵略国」への石油輸出禁止の方針を決定し、日本に対しても石油輸出の全面禁止という厳しい経済制裁を発令し、イギリスとオランダもただちに同調した(ABCD包囲陣の完成)。当時の日本は事実上アメリカから物資を購入しながら大陸にあった日本の権益を蒋介石軍から守っていた。例えば日米開戦時の国内における石油の備蓄は民事・軍事をあわせても2年分しかなく、禁輸措置は日本経済に対し破滅的な影響を与える恐れがあった。対日制裁を決めた会議の席上、ルーズベルトも「これで日本は蘭印に向かうだろう。それは太平洋での戦争を意味する」と発言している。

その後この戦争は広島、長崎への原爆投下で昭和20年8月15日の敗戦を迎えるのであるが、この戦争は

枢軸国側 戦闘参加国
大日本帝国、タイ王国(1942-45)、満州国、中華民国南京政府、蒙古自治邦政府、自由インド仮政府、ビルマ独立義勇軍(1941-42のビルマ進攻作戦のみ)

連合国側 戦闘参加国
アメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア・ニュージーランド連合軍、カナダ、オランダ、中華民国重慶政府、ソビエト連邦(1945)、蒙古人民共和国(1945)、八路軍、自由フランス(1945)

の間で戦われ、民兵・ゲリラなど日本軍支援でつくられた郷土義勇軍のインド国民軍、ビルマ防衛軍、郷土防衛義勇軍(インドネシア)、スマトラ義勇軍、ボルネオ義勇軍、ジャワ防衛義勇軍、マレー義勇軍、マレー義勇隊、越南青年先鋒隊(ベトナム)、フィリピン人義勇軍〈マカピリ〉、比島ラウエル大統領付親衛隊、石家荘白系ロシア人義勇軍(中国)、皇協維新軍(中国)、中華民国臨時政府軍、皇協新中華救国民軍、満洲イスラム教徒騎兵団 など多くの皆さんが我が国を支援してくれたことを忘れてはならない。
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