日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
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審判部自ら破る目安かな

2011年11月28日 11時02分53秒 | 日記
大相撲は興行である。本質的にはプロレスとあまり変わらないのではないだろうか。
だから八百長も行われればインスリンを注射して力士を太らせたりもする。国技という美名の下に文部科学省が所管する公益法人としているから何かと問題になるのである。
いっそのこと株式会社にして自由に営業してもらえばかえって真剣な経営努力がなされるのではないかとさえ思う次第である。

私が面白くないのは稀勢の里の大関昇進問題である。
日本相撲協会審判部は大関昇進の目安として直前3場所33勝を公言してきた。稀勢の里は千秋楽に新大関琴奨菊の渡し込みに敗れて10勝5敗の成績に終わった。直前3場所32勝である。

にもかかわらず、土俵態度や将来性があるから大関に推挙するのだという。八百長問題でも一度も名前がでなかったのも理由の一つだという。しかし、これでは不公平であり相撲協会は自ら目安と決めていたハードルを自己都合で低くしたことになる。これまでに直前3場所32勝で大関になれなかった力士はいなかったのだろうか。星一つの違いで負け越しになるのが相撲の厳しさであり、それが相撲の魅力でもあるのだ。

最初に書いたように興行である以上は人気を博して興行収入を得なければならない。だから、横綱も白鵬一人だけではなくて東西二人は欲しいのだろう。横綱・大関陣に日本人力士を一人でも多く増やしたい気持ちも解からなくは無い。

横綱になるのには大関の地位にあって連続優勝するか、それに準ずる成績を上げなければ推挙できない。だから可能性のある力士を先ずは大関にしたいということなのだろうが、現状をみるとなんとか大関らしいのは千秋楽結びの一番で横綱白鵬を破った把瑠都くらなもので琴欧州にしても日馬富士にしても8勝、9勝の大関ばかりである。

これで来場所からは一人の横綱、5人の大関という頭でっかちの番付になるが、大関という地位が8勝さえすれば陥落しないで済むという権威の無い地位にならないように、5人の大関には切磋琢磨していただきたいと切望する次第である。

こんな憎まれ口を叩く私は千代の山・鏡里の時代からずっと大相撲ファンである。
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元巡も元先もいて多士済々

2011年11月25日 13時24分16秒 | 日記
多士済々(たしせいせい)とは、 優れた人が多い様子をいう。
土木建築の現場で長く過ごした私は若い頃に現場の労務者宿舎、所謂「飯場」で数年間過ごしたこともある。この間、多くの人たちと交わってきたが、人間の吹き溜まりともいえる飯場には種々雑多な人間が屯していて非常に勉強になった。

元巡(もとじゅん)というのは元巡査だった男、元先(もとせん)は元先公つまり教師だった男である。
元巡も元先も何かの拍子にしくじって職を失い肉体労働者になったものである。私が知り合った元巡は自分の口からはっきりとは言わなかったが金銭的なことでしくじったようだった。警官の不祥事で多いのは金にまつわること女に関することが多いのは他の職業と余り変わらない。

元先は若い頃に教え子の母親と仲良くなって駆け落ちしてきたということだった。彼、金子さんの生まれ故郷は長野県だった。

隣の奥さんと手に手をとって駆け落ちしてきた男もいた。彼、藤嶋君は九州の男だったが数年後に女の方の離婚が成立して晴れて夫婦になった。

私に演歌の歌い方を教えてくれたのは、カラオケの普及で稼ぎ場を失った浅草の元ギター流しの男で、当時は左官屋の練りを担当していた。砂を篩いにかけてセメントと混ぜ、ミキサーでモルタルを練り、足場の上にいる左官職人のところまでベビーウインチで上げてやるのが彼の仕事だった。この男の変わったところは、自分の女に電話で歌を聞かせることであった。

元ヤクザだったという男は立派な倶利伽羅モンモンを背負っていたが元の親分や組のことは一切喋らなかった。お控えなすっての仁義も切ってはくれなかった。

人を殺めて刑務所からでてきたばかりだという男は現場で重たいコンクリートブロックを運ばされて半日で音を上げてしまった。

元ナニナニというのは元医者にしても元看護士にしてもどうもいけないのが多い。しかしこんな私がいうのも変だが最初から土方つまり元土方という人とは会ったことが無い。学校を終えるなり最初から土方になる人は皆無だということなのであろう。

最近、私が顧問をしている会社に元税が入社することになった。元税務署員である。彼は事務職や営業志望ではなくて材料置き場要員を希望している。果たして勤まるものかどうかしばらくは様子を見ないとわからない。
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助平な先生さまが勢揃い

2011年11月24日 13時36分06秒 | 日記
静岡県では教職員の不祥事が続発している。
県の教育長は「万策尽きた」とか発言したそうだが、本当に万策尽きたのであれば、とっとと辞任して後進に道を譲るべきである。無能な者がいつまでも責任ある地位に留まるべきではない。

教え子の女生徒への準強制わいせつ罪で起訴された県立高校教諭森田ナニガシ(47歳)は、こともあろうに若手教諭の指導にあたる「アドバイザリーティーチャー」だったというから笑止千万だ。この森田という男の所業も論外だが、先生の先生にあたる「アドバイザリーティーチャー」に任用した者も任命責任を取るべきである。それが責任のある組織のとるべき姿である。
因みに、準強制わいせつ罪というのは、人の心神喪失や抵抗ができないことに乗じて、または暴行・脅迫によらずこれらの状態にして猥褻な行為をする罪。刑法第178条の1第1項が禁じ、6か月以上10年以下の懲役に処せられる。

解かりやすく言えば、無理やり手篭めにした強姦ではないが、教師という優越的な立場を利用して女生徒と性的な関係をもったということなのだろう。世に「むっつり助平」・・・無関心のふりをしながら、実際は好色である人・・・というくらいだから、森田ナニガシを「アドバイザリーティーチャー」に任命した者も森田の性癖は判らなかったのだろう。しかし、それでは想定外だったといって責任逃れをしてしまう原子力保安院や東電と同じになってしまう。

静岡県下の教育長・教育委員長らの分析では、教員の不祥事の主な原因は「教職員のストレス増加」「学校教育現場のコミュニケーションの希薄化」「教職員の多忙化」などとされているが、私には些か合点がいかないのである。

ストレスが増えたからといって学校の教師が幼い児童の下着を脱がせてデジカメで下腹部を写してよい訳が無い。
多忙だからといって万引きをしてよいはずもなく、これらの分析は上に立つ人たちの問題意識が少しピント外れになっているのではないかと思われる。

教職員が犯した性犯罪や窃盗の原因を「教職員」とか「学校」といった限られた枠の中で考えようとするところに無理があるのではないか。考える人が教育長やら教育委員長といった立場のこれまた「教育界」という限られた世界の人たちだから視野が狭くなるのではないだろうか。

もう少し広い視野で見る必要があるのではないだろうか。
「教職員のストレス増加」「学校教育現場のコミュニケーションの希薄化」「教職員の多忙化」が主な要因だと思うのなら、何故もっと相談に乗ってやれないのか。ストレスのガス抜きをしてやるためにたまには居酒屋で一杯やったらどうか。忙しすぎると思ったら業務に無駄は無いか点検したことはあるのか。
役人根性丸出しの上意下達に明け暮れていないのか。
現場の教職員にも問題は多いが、実はその上に立つ管理職にも問題があると思うのが私の見解である。

今の世の中で、教師は「聖職者」ではなく単なる「月給取り」であり、管理する校長や教頭も普通の人間として扱うべきである。極端な見方かもしれないが、ロリータ・コンプレックスの青年が己の卑しい欲望を達成する目的で小学校の教師になることだってあながち荒唐無稽な空想とは思えない。

つまり、今の教師というのは、子供のときから勉強、勉強のガリ勉君たちの中でも東大、京大には行けなかった二流どころの人たちが目指す職業になっているのではないだろうか。こうした中途半端なエリートというのは、すでに幼年期、少年期から鬱屈した精神の持ち主が多いものである。マザコンでロリコンの青年がいたってちっとも不思議ではない。

相手が子供であっても勉強を教えるのであるから先生は馬鹿では困る。かといって特別に優秀でなくても良いはずである。
私が言いたいのは、教職員に任用する人材をもう少し人物本位にしたらどうかということである。

つまり、大学の成績や採用試験の成績ばかりではなく、もっと性格や精神の健全性に重きを置いた選抜をするべきではないかとおもう次第である。

大学は2流、3流でもよいからストレスに強い性格、コミュニケーションのとれる社交性のある人材を選ぶべきであり、1年或いは2年間くらいは試用期間として適性を見極めた上で本採用するようにしたらどうか。

大体、大学を出たばかりの若僧を「先生、先生」と呼んで持ち上げるからいい気になるのである。もう少し謙虚な気持ちを持てるように若いうちは修行ををさせないといけないのである。教職員全体が今の特権意識を捨てるところから始めないと教育界の健全化は望めそうも無い。
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我輩は鳶の会社の兎なり

2011年11月18日 10時17分29秒 | 日記
警察の隠語ではウサギは脱走犯のことである。
豆泥棒は婦女暴行。
観音様は全裸。
まんじゅうは死体。
鳶は路上強盗。
ぐには質。
おでこは警官でバイクに乗った警官を月光仮面というそうだ。他にも警察隠語は色々とある。
隠語といえば直ぐに猥褻な言葉を連想するのは小生だけではないだろう。
「ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯」
この句は、温泉好きの種田山頭火が湯田温泉(山口県山口市)にあった千人風呂をよんだ句である。おそそは京言葉で女性器のことであるがこの句を読んで猥褻だという人は少ないだろう。
以下の言葉は猥褻なのであろうか。
【御事紙】(おんことがみ)
今で言うティッシュペーパーのことである。『色里三所世帯』に「延紙は吉野より」とあり。その吉野紙、または廉紙(れんし)など称する閨房(けいぼう)用の紙を言う。
【くなどの神】(くなどのかみ)
男性の生殖器神を言う。『道神考』に「“くな”とは男陰の義なり」とあり。鶺鴒を“にわくなふり”と呼ぶは、庭にて陰茎を振る鳥との義なりと聞く。この“くな”、動詞となりて、くなぐ、くなぎと言えば交接の義。くなげ、くながんなどの活用もあり。『古事談』に「大納言(だいなごん)道綱卿の放言して何言を言うぞ、妻をば人にくながれて……」とあり。讃岐の阿波に接する山間の者が交接することを今なお「チンポする」と言えり。これくなぐと同様、男陰を主とせること奇とすべし。松岡調の『陰名考』に「美斗能麻具波比(ミトノマグバイ)ぞ最も古かりける。それに亜(つ)ぎ(=次)ては度都岐(トツギ)、また久那岐(クナギ)と言う」とあり。
【くぼ】
女陰の古名にて凹(くぼ)の義なり。「しなたりくぼ」とも言う。落くぼ、谷くぼなど言える窪(くぼ)も女陰の名義より出たるなりとの説あり。紫貝を「馬のくぼ貝」と言うも、この貝の形状が牝馬(ひんば)の陰部に似たるをもってなり。また『新猿楽記』の中に、老女の陰部を「鮑苦本(あわびくぼ)」と書ける由『陰名考』にあり。
【千ずり百がき】(ちずりももがき)
手淫を言う。『陰名考』には「千(ち)ずり百(もも)むき」とあり。また「百(ひゃく)むくり」とも言う。『三陰論』に「田舎にては百むくりとも、また手○○とも言うよし」とあり。
【ちゅうぼう】
古書には重宝(ちゅうぼう)と書けり。男陰を言う。身体の「中棒」なるべし。「柱棒」と書けるもあり。 男陰を「男柱」(おばしら)または「帆柱」「肉柱」など言うに基くならんも、柱棒は重言なり。男陰を棒と称することは「肉棒」また「厄介(やっかい)棒」など言う例あり。
【情所】(なさけところ)
女陰を言う。性欲の情を満足せしむる所との意なり。また「情の穴」とも言えり。『松屋筆記』にいわく「女陰を情竇というは心の奥の情を通ずる穴という義なり。上古は男陰をも言いしか。『古史伝』にいわく「最(いと)古くは男女ともに、ここ(陰部)を那佐祁(なさけ)と言いていたく隠し、名をさえ避けていわざるところなり」。
【丹鉾】(にぼこ)
男陰の古名なり。丹とは赤きを言う。
【ひなさき】
陰核を言う。「吉舌」(ひなさき)または「雛先」とも書す。「ひなさき」は「火の穴のさき」ならんと大槻如電翁語れり。松岡調翁は「火の門鉾(とさき)」かと説けり。
【やりくり】
交接を言う。 貞享元禄(1684-1704)頃の淫書にこの語多く出ず。『好色赤烏帽子』に「女をとらかし、日々に“やりくり”の数を重ね」、『色里三所世帯』に「この事よりほかに楽しみなしと思い入りの“やりくり”」、『風流呉竹男』に「我国の法師など“やりくり”を知らず」、『好色貝合』に「今生の“やりくり”は思いとどまり」、『好色変通占』に「門に犬の遣繰(やりくり)あり」、『好色旅枕』に「犬の遣曲(やりくり)」などあり。
【ろてん】
男陰を言う。京大阪にて天和(1681-)頃より寛政(-1801)頃まで行われたる語なり。『好色一代男』に契(ちぎり)の隔板とて「女楽寝をすれば、ろてんの通うほどの穴あり……」。 貞享(1684-88)の京版『好色貝合』には弱露転の題下に「人なみならぬ露転を持つ」とあり。『風流玉の盃』には「“ろてん”火のごとくなり」とあり、精液を露と言うより、それを転ずる器として「露転」の字をあてはめしならんか(現今の医家が男陰を注射器と言うに同じ)。 語源は船頭および船乗商人が男陰を「櫓栓」(ろせん)と言いし転訛なるべし。
小生は、これらの言葉を決して猥褻とは思いませんが、ご判断はそれぞれの自由です。

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遅咲きの男おしんも糖尿で

2011年11月15日 09時42分59秒 | 日記
先日、11月7日、元横綱・隆の里の鳴戸親方が59歳の若さで急逝した。
死因は急性呼吸不全という発表であるが、鳴戸親方に対しては、先月下旬から、弟子に対する暴行やインスリン注射疑惑が週刊誌の報道により発覚、渦中にあっただけに自殺説まで持ち上がって様々な憶測を呼んでいる。

報道によれば弟子に対する暴行もインスリン注射もほぼ事実であったようで8日には相撲協会の処分も決まっていたそうである。

このあたりの事情は素人の私が云々するよりもネット上にたくさんの情報があるのでヤフるなりググるなりしていただいたらよいと思う。

私が注目したいのはインスリン注射についてである。鳴戸親方は弟子の体重を増やすために意図的にインスリンを注射させていたというのである。

私の主治医もインスリン注射を処方しながら減量をするようにといつも言う。これは医者として至極当たり前の指示ではあろうが、私はこれまでインスリンを使用すると太るということを医者から直接聞いたことが無い。

私に処方されている薬剤は先ずインスリン注射と血糖降下剤のアクトスである。
次に肥満・コレステロール抑制薬のリピトール、それに牛車腎気丸である。便秘薬のセンナもときどき貰っている。

糖尿病は主に遺伝によって起きている。私の場合は祖母が糖尿病であった。糖尿病を起こす遺伝子に「倹約遺伝子」と云う呼び方がある。

「倹約遺伝子」つまりは「肥満遺伝子」を多く保有している民族はイヌイット、ピマインディアン、日本人の順である。
これらの民族に共通していることは氷河期時代(2~3万年前)に獲物を追い求め、ユーラシア大陸から氷結したベーリング海峡や日本海を越えて、アメリカ大陸、日本列島に渡ったモンゴロイドだと云うことである。

獲物がとれず飢餓に陥っても、脂肪という蓄積したエネルギーを消費する生理的なメカニズムがあったから、人類は氷河期を生き延びることが出来た。

そして、1~2万年も続く氷河期の飢餓的環境に耐える体質をそれぞれの民族が獲得したのであろう。その中でも更に過酷な飢餓に順応すべく、摂取した栄養を少しでも脂肪として蓄えようとする体質を獲得した種族がいた。
皮肉な事により少量の食料でも生命保持に足ることになると、摂取した栄養をエネルギーに転化するインスリンの分泌量もより少量で足りることになり、インスリン分泌量の少ない体質も併せて獲得したようである。

私などはその末裔であるから、粗食に甘んじていさえすれば発病することもなかったのだが、なまじ経済的に恵まれて栄養過多になったために「倹約遺伝子」の反作用で糖尿病になってしまったのである。

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野蒜喰う土方渡世の冥利かな

2011年11月09日 19時38分01秒 | グルメ
 春まだ浅いある午後のことであった。若い現場監督が運転する安全パトロール車の助手席でうつらうつらしていると、運転席の若者が何かぶつぶつと呟きだした。不明瞭な言葉の意味を訝しく思ったので、問い質してみると、突如として野蒜が食いたくなったのだという。
 何故、斯くも唐突に野蒜が食いたくなったのかという私の問いかけには、しどろもどろと曖昧に答える若者であった。人間という動物は何かの加減で突拍子もないことを考えることがままある。しかし、それにしてもこの若者の言動は珍妙で私は理解に苦しんだ。そして、私が導き出した答は、野蒜を酒肴にして一杯やりたい、つまり小言ばかり言っていないで偶には一杯奢れよという催促なんだと結論付けた。
 若い現場監督も普段から口煩い上司である私に話すからには、どうしても野蒜が食いたかったのであろうし、酒も飲みたかったのに違いない。どんなに他愛のない事柄でも頼りにされれば嬉しいものである。
 私は自慢の記憶装置を逆回転させた。野蒜・のびる・ノビルと記憶の抽斗を検索してゆく。静岡方言ではノンビルと訛って呼ぶ、と、いうあたりで脳味噌の底でチーンと微かに音がして記憶装置が確かな反応を示した。
 安倍川の支流、藁科川のそのまた支流の飯間谷川の護岸工事をやったとき、山裾の茶畑で立小便をした。その折に股間の一つ目小僧が確かに野蒜を目撃していたのである。
 若者の運転する安全パトロール車は直ちに飯間谷川の工事箇所へ向かった。見覚えのある風景の中に確かに野蒜はあった。早速、鶴嘴で掘り採って土を振るい落とす。私の小便が肥やしに効いた所為もあってか球根も立派な野蒜に育っていた。その日の夕刻、行きつけの居酒屋で野蒜の玉子炒めを肴に一杯やったのは言うまでもない。
 野蒜は葱などと同じユリ科の植物で、古い時代に朝鮮あたりから渡来した帰化植物だという説もあるが、現在では人里に近い畦道や野原や土手などに多く野生の状態で分布している。晩春から初夏にかけて小さな擬宝珠をつけるのであるが、葱などのように種子を結ぶことは稀である。擬宝珠の中には小さな珠芽つまり「むかご」がたくさん着いていて塊状に肥大する。所謂、野蒜の花とよばれる紫褐色の塊がそれである。野蒜の地上部は初夏のころに枯れて球根は夏眠する。「むかご」は枯れて倒れた茎から地表に散布されて繁殖する。だから、野蒜は一箇所に太いのから細いのまで幾世代かが群生しているのが普通である。
 野蒜の食し方について掻い摘んで書いて置こう。
先ずは、生食である。これは太くて球根も大きな野蒜の表皮と髭根を取り除いてエシャレットと同じ要領で味噌などをつけて生のまま食べるのである。エシャレットつまり辣韮に比べると野蒜は少し辛さに勝る。
 旬の野蒜は刻んで葱と同じように味噌汁の実にしても美味い。因みに野蒜の旬は晩冬から早春にかけてである。野蒜は韮のように玉子やベーコンと炒めるのも良い。軽く茹でてから烏賊などの魚介と「ぬた」に和えれば申し分ない。桜海老などと掻揚げにしても美味い。
 野天で働く我々土方の流儀では、束のまま焚き火の灰に埋めて焼き、灰を掃って味噌や醤油で食うのが普通である。これは蛇足だが、タラの芽でもフキノトウでも焚き火で炙って食うときに必ず味噌や醤油を使うのは山菜に多く含まれるカリウムを塩のナトリウムで中和するためである。土方流といえば、酒の肴にと土方仲間の韓国人から塩昆布と一緒に漬けた野蒜の松前漬を貰ったことがある。これも結構美味かった。概して韓国人は山菜の食い方が日本人よりもはるかに上手で学ぶべき点が多い。
 その他にもいろいろな食べ方があると思うが、要は葱や韮や浅葱や辣韮の仲間であるから、それらの食べ方に従えば概ね間違いはなかろう。
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ひむがしへ流れて止まず秋の空

2011年11月07日 12時51分12秒 | 日記
流れているのは白い雲であるがそれは目に見える現象であって雲が無いときでも青い空は流れているのである。

近頃、私の身辺で変わったことといえば首筋から右肩へかけての激痛である。一番酷いときにはほとんど寝ることができなかった。布団に入って横になると首筋は痛むし肩が抜けるように痛いのである。こんなときに普通は寝違えたと思うのであるが、寝違えたにしては何時までも治らないのである。

総合病院の整形外科の診断を受けようか、それとも知り合いの接骨院に行こうかと迷ったが、とりあえず事務所の近くにある整体院の施術を受けてみることにした。

整体院というのは病院とは違って健康保険は適用されない。と、いうのも整体師というのは鍼灸・按摩と違って国家資格ではないそうである。

整体師はしっかりした体形の若い女性である。器量は決して良いほうではないが症状の把握とそれに対する施術は的を射ていた。
つまり、私の首や肩の激痛は姿勢の悪さからきているいう診断であり、最近私が使い始めた低反発枕にも要因があるのではないかという見立てである。低反発枕というのはある健康飲料の景品としてついてきたものだが、この低反発が却ってよくないのだと整体師はいう。

固い台の上に寝かされて身体を伸ばしたり、捩じったり、引っ張ったり、さすったりしての施術である。

私の身体は背骨や骨盤に歪みがあって、それは普段の姿勢の悪さから来ているのだという。パソコンやテレビを見るときの姿勢に問題があるという整体師の見立てには説得力があって一々納得できた。

今日は二度目の施術を受けた。一回5000円の料金は決して安くは無いが、夜も寝られない痛さから解放されたのであるから文句は言えない。

当面は一週間に一度程度の間隔で整体院へ通院することになる。青汁三昧の低反発枕は即行捨てることにした。
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鳥が来てあけびの種の糞をひる

2011年11月05日 14時35分20秒 | グルメ
「山のあけびは何見て割れる。下の松茸見て割れる」この些か卑猥な文句は艶物と呼ばれる都都逸である。何処の宴席であったかは失念したが、厚化粧の老妓が秋田民謡「おこさ節」の節回しにのせて元気よく唄ってくれたのを今でも憶えている。
 アケビはアケビ科の蔓性の落葉木本である。平地に多いのが五葉アケビで、山地には三つ葉アケビが多く、二つが交雑した中間種もある。近い仲間として郁子(むべ)がある。郁子は「ときわあけび」の別名が示す通り常緑であって実も開かない。
 アケビの語源は「開け実」の意で、熟すと左右にぱっくりと開くことに基づいている。山姫という呼び名も熟したアケビの実から女陰を連想した命名である。秋に熟す漿果は、淡紫色を帯びた楕円体で、二~四個が車輪状につき、完熟すると縦に開裂し、黒い種子を多量に含んだゼラチン状の白い果肉を現す。アケビが笑むという表現はこの状態を指す。熟れた果肉は甘くて美味である。アケビの食い方にはちょっとした骨(こつ)を必要とする。先ず、果肉を種子ごと口に含んで種を噛み潰さないように解す。舌を器用に使い果肉と種子をわけるとよい。甘い果肉は唾液とともに啜りこみ、残った種子はぺっぺっと音をたてて吐き出す。ちょうど、種の多い西瓜を食うのと同じ要領と考えて差し支えない。従って、アケビの上手な食い方はどうしても品格に欠けるのが難点である。もそっと上品に食したいという向きには種ごと食べることをお勧めする。種を噛み砕くと苦くて不味いので、適度に味わったらそのまま呑み込めばよいのである。多量の種は生理的には何らの問題もなく糞として安全に排泄できる。
 アケビの分厚い果皮は非常に苦く、生のままでは手におえないが、表皮を剥いた果皮の中に季節の茸や味噌などを詰め、爪楊枝で止めてから、植物油で揚げると苦味の利いた絶好の酒肴となる。嘗て、東北地方では囲炉裏の上にアケビの果皮を吊るして煙燻保存し、飢饉の際の救荒食とした。以上は一般的な果実の食い方であるが、山菜としては春の新芽を利用する。越後長岡地方ではアケビの新芽に限って「木の芽」と称して特別に扱い、雪解けの山から摘み採った「木の芽」を湯掻いて水に晒し、苦味を抜いてから胡麻醤油などで和える。アケビの利用価値は多岐にわたる。皮を剥いた蔓を晒して漂白したものでアケビ籠を編む。確か信州の野沢温泉だったと思うが、アケビの蔓で編んだ鳩車が所の名物である。
 太い蔓の部分を輪切りにして乾燥させたものを「モクツウ」と呼ぶ。日本薬局方にも収載されている生薬である。漢方では消炎性利尿薬として鎮痛、排膿、通経等の方剤に加えられる。通経剤とは月経不順時に、来潮を促進させるのに用いる薬剤のことであるから、生薬としての役割も女性の下半身に縁が深いことになる。成分はトリテルペノイドのhederageninとoleanolic acidが知られている。
 アケビの時季は存外短く、熟した順に小鳥や野猿が食べてしまうので、苦労して採っても果肉が入っていなかったなどということがしばしばある。最近では山形県あたりから栽培品の大きなアケビが果物店やスーパーなどに入荷しているので興味のわいた方は是非一度食べてみていただきた。
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紫蘇揉んで生命線を際立たす

2011年11月02日 20時35分00秒 | 日記
シソはシソ科シソ属の一年生草本で成長すると高さ一メートルほどになる。シソ科植物は世界中に約一八〇属三五〇〇種があるとされるが、この科にはシソのほか、バジル、ミント、ローズマリー、セージ、マジョラム、オレガノ、タイム、レモンバームなど多くの香草やハーブを含む。葉は対生で、低木やつる性の種もあるが、植物中に精油を含むため香気に富むものが多い。
シソにもペリルアルデヒドに由来する特有の香りと辛味がある。種子からは抗酸化作用のあるα‐リノレン酸を多く含むシソ油が取れるので最近では健康食品としても注目されている。

シソは、元々ヒマラヤやビルマ、中国などが原産で日本へは中国を経て伝わったとされている。その中国にはシソにまつわる次のような逸話が残されている。後漢末、洛陽の若者が蟹の食い過ぎで食中毒を起こした。若者は死にかけていたが、名医・華佗が薬草を煎じ、紫色の薬を作った。この薬を用いたところ、若者はたちまち健康を取り戻した。これ以来、「紫」の「蘇る」薬だということで、この薬草を「紫蘇」というようになった。

シソには幾つもの品種があるが、通常、食用にするのはアオジソとアカジソである。アオジソは葉や花を香味野菜として薬味や刺身のつまや天ぷらなどにする。アオジソの葉は野菜としては「大葉・おおば」とも呼び、四国の土佐地方では「青蘇・せいそ」と呼んでいる。アカジソは、梅干などの色づけに使い、葉を乾燥させたものを香辛料として七味唐辛子に配合することがある。また、熟さない実を付けた「穂じそ」、花が開きかけの「花穂じそ」も刺身のつまに用いることがある。「穂じそ」は箸または手指で茎からこそげ落として使用する。実は萼ごと食用とし、茶漬けなどの風味付けに用いる。ぷちぷちした食感と独特の風味がある。

アカジソの葉を摘んで水洗いし、水気を切って、塩で揉み、初めに出た汁は捨てる。次に梅酢を加えて揉んでから絞ると鮮紅色に発色する。シソの葉はそのまま梅酢に浸して四、五日も置くと、一層濃厚な赤梅酢が得られる。梅干を赤く染めるのには、この赤梅酢に浸けるのである。赤梅酢の用途としては、新生姜、茗荷の子、大根などの赤漬けに用いる。
 
赤梅酢を搾った後のシソは、梅干と一緒に塩蔵することも出来るが、土用の頃に十分に干して、乾燥させ、粉末にする。これを「ゆかりの粉」と呼ぶのは、むらさきを意味してのことである。

アカジソを使ったもので特に有名なのは京都大原名物の紫葉漬である。茄子を刻んだアカジソの葉で塩漬けしたものだが、かの建礼門院徳子も好んで食べたという逸品である。
最後は、私のふるさと静岡のお国自慢ということで「ほととぎす漬」を紹介しておく。

東海道藤枝宿は、東海道五十三次の二十二番目の宿場である。江戸時代の藤枝名物といえば梔子の染め飯と辛い漬物「ほととぎす漬」であったが、現在では焼津市の焼酎屋本店が「ほととぎす漬」の伝統を守っている。「ほととぎす漬」は、古くは白瓜の辛い漬物だったとも言うが、今に伝わるものはカラシやワサビを味噌に混ぜ、シソの葉に巻き込んだものである。
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