日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
読者のコメント歓迎いたします。

仁義なき政界。

2011年06月28日 11時56分17秒 | 日記
大道廃れて仁義有り、知恵出でて大偽有り。
六親和せずして孝慈有り、国家昏乱して忠臣有り。

「道」が廃れて仁義の概念が生まれ、知恵が現れてそれによる偽りが生じる。
父子・兄弟・夫婦の仲が悪いために親孝行・子への慈愛という概念が生まれ、国家が衰え混乱して忠臣の概念が生まれる。と、いうのが現代文の訳だ。

『老子』の有名なところだが、ヤクザ者がことさらに「仁義」を強調するのは、実は彼らの世界には逆に仁義の観念が希薄だからということなのであろう。

仁義礼智信「じんぎれいちしん」を儒教では、「五常の徳」という。
仁は思いやり。義は普遍的正義。礼は習俗を尊重する。智は智慧。信は自分の発言は実行する。と、いう意味である。

仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌を「八徳」という。
「仁義礼智信」に「忠孝悌」が足されて南総里見八犬伝で有名な「仁義礼智忠信孝悌」になったそうであるが、この八徳を失った者を忘八(ぼうはち)と呼び、(1)遊里で遊ぶこと。また、その人。(2)遊女屋。置屋。また、その主人を指す。

私はここで、老子、孔子の教えを講釈しようというわけではない。昨今の政界の嘆かわしい状態を憂いているのである。与謝野さん或いは今回の浜田さんの寝返りについてである。私がいくら憂いても嘆いても何の意味もないことは百も承知している。

仲間を裏切り、これまでの政治信条を捨ててまで大臣や政務官になりたいものなのか、本人たちに直接訊いてみたいものである。人間性を疑われるような行動をしてこれからも政治家としてやっていけるのかどうか興味のあるところである。

確かに普通の人であれば、昨日まで自民党支持だった人が今日からは民主党支持になったからといったってそれは個人の自由だろう。しかし、選挙で選ばれた政治家はちょっと訳が違うのではないかと思う。

国民は自民党の与謝野さん、自民党の浜田さんの政策、信条を可として選挙の際に投票しているのである。それが、当選して議席を得てから、急に反対勢力の民主党へ鞍替えされたのでは全くの裏切り行為と断ぜざるを得ない。

古来より人間として守らなければならない「八徳」を守れない人、つまりは「忘八」のような人たちに国の行く末を任せてよいのか。信も義も礼も弁えぬ人物に政治家としての資質があるのか?これらの疑問に対しては多くの皆さんがNOと答えるだろう。

菅首相もここへきてから最後の悪あがきともいえる引っこ抜きをして見せたが、まとめて14,5人も引っこ抜くのなら兎も角、一人や二人引っこ抜いたところで参議院のねじれ現象が解消するわけでもなく、却って野党との関係を悪化させただけ損だったのではないだろうか。

恥を知らない人たちが繰り広げる変節と背信の茶番劇はこれからも延々と続くのだろう。
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菅首相の論法。

2011年06月24日 09時52分12秒 | 日記
私は28歳から48歳まで約20年間を土木建築業界の営業として働いてきた。営業といえば聞こえは良いが、所謂「談合」という仕事である。

工事が発注されると入札に先立って指名業者の中から落札者を決める話し合いを行うのであるが、欲の皮の突っ張った土建業者間の複雑な利害関係を調整して落札者を決めるのであるから、常に緊張感のある真剣な話し合いがなされた。

談合には幾つかの基本ルールがあった。
一番解りやすいのは継続工事である。前回の工事を施工したので今回も引き続きお願いしますと言えば、大概は認めてもらえるのである。

地域性ということもあった。ここの集落の工事は従来から我社でやっているので今回も是非お願いしたいという頼み方である。田舎の集落で円滑に仕事をするためには氏神様の祭礼に際して冥加金を納めたり、酒を届けたり何かと神経を遣うものである。

順番というのは、同一工事が繰り返し発注されるような場合に順番で受注しようという取り決めで、落札の順番は籤で決めたりした。

貸借というのは、業者間の貸し借りを仕事の配分に反映させようという考え方である。他にも談合のルールにはいろいろあった。
もっと昔は、無尽と同様でトクマキ(談合金)を競り合って落札業者を決めたりしていた時代もあったが、金がかかりすぎるということで徐々に改善されたのである。

さて、一つの工事が発注されたときに、複数の業者が受注を希望してお互いに譲らないことが往々にしてある。そうした場合には指名業者メンバーの裁定に委ねるということがある。これを「オオナカに任せる」というのだが、多分オーナー会議に任せるという意味だと解釈される。

裁定を任せられた「オオナカ」はいわば裁判員による裁判のようなもので、個々の業者の言い分を聴取したり、貸借関係を調べたりして極力公平な裁定に努めるのだが、それでも決めかねるときには、一本籤や人気併用籤や時には阿弥陀籤によって決めたこともあった。

人気併用籤というのは、指名メンバーが受けた心証に基づく人気投票と当事者が引く屁ッピリ籤のポイントを合計して多い得点の者を当選者とするものである。当事者が引く屁ッピリ籤は①から⑩までの札を二通り作るのであるが、同点を避けるために⑩の札の片方はわざと⑪にするのである。この札を折ったり丸めたりして壺の中などへ入れて当事者に代わる代わる引かせるのであるが、これにもイカサマの方法があって固く丸めたものが大きな数字とか、折った紙の端が少しずれたものが大きな数字だとかいうのである。

話し合いの中では、「次の工事は必ず譲るから」などという口約束をして工事を受注することがある。この「次の工事」という表現が実に都合のよい表現である。次の工事は必ずお譲りしますという約束をした直後に相手の継続工事が発注になったりすれば、お約束通り恭しくお譲りすればいいのである。
運悪く次の工事も自分の継続工事だった場合には、継続工事までお譲りするなどという約束はしていないといって突っぱねるのである。継続工事まで寄こせというのなら、アンタも自分の継続工事を手放しますかと言って開き直るのである。

こちらにとって都合の悪い相手が受注を希望している工事へ気脈を通じた別の業者に立候補してもらうこともあった。これを「化粧立ち」というのだが、相手に恩を売りながら気脈を通じた別の業者には手ごろなタイミングで降りてもらうのである。

こうして私が16年前に足を洗った談合の世界を振り返ってみると、「ある一定の目途が立ったら次の世代に引き継ぐ」とか、あれこれの法案が成立したら辞めるとか、辞めないとか、曖昧なことを言い続けてちっとも辞めようとしないばかりか、なおも政権の座に留まろうと画策する菅首相の論法は田舎土建業者の談合の言質とあまり変わらないのではないかと思う次第である。
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菅総理は辞めない。

2011年06月23日 12時39分53秒 | 日記
 通常国会が22日の会期末になってから8月31日まで70日間の延長が決まった。野党の自民・公明両党のみならず民主党執行部が菅直人首相に早期退陣の確約を求め、首相がこれを突っぱねるという異例続きの展開で、政局は一層、混迷の度合いを深めている。

 このため、首相の退陣と引き換えに公債発行特例法案を成立させるとした民主党と自民・公明両党との大筋合意は破綻し、法案成立の目途は立っていない。

 菅首相に批判的な西岡武夫参院議長は、22日午前の記者会見で、菅直人首相が今国会の会期延長問題に絡んで今年度第3次補正予算案を「新しい体制」で対応する方針を示したことについて「またもや首相はいつ辞めるのかをおっしゃらない。大幅な内閣改造をやってそれを新体制と言うわけだから、そういうごまかしの政治はよくない」と厳しく批判した。
 そのうえで「政権として責任を取っていない。菅首相がいつまでに辞めると言わなければ、国会として受けられない」と菅政権による会期延長の方針に苦言を呈した。

 発足当初はさながら仙石内閣の無任所大臣のようだった菅首相がここに来て異常なほどの粘り腰をみせているのにはそれなりの理由があるのではないだろうか。つまり、自分が辞めた後に誰が次の総理の座に付くのか皆目見当がつかないといった党内の事情が一番わかっているのは他ならない菅首相本人なのだろう。民主党執行部の首相説得も、次の首相候補が決まっていないという中途半端なものだから足元をみられているのに違いない。

 私は政治評論家でも、政治通でもないから、今後の政局については全く見通すことが出来ないが、あえて申し上げればポスト菅は菅直人本人なのではないかと危惧している。

 これだけ露骨に辞めろ辞めろと責められれば、さしもの菅首相も伝家の宝刀を抜いて、8月の延長国会会期末に解散総選挙に打って出るのではないだろうか?

小泉純一郎元首相が郵政解散で大勝した前例に倣って、今度は菅首相が脱原発の旗印を掲げて総選挙に打って出るような気がしてならない。
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カナサシ重工がんばれっ!!

2011年06月22日 14時00分19秒 | 日記
 カナサシ重工はもともと金指造船所として1903年(明治36年)7月に大阪府で初代社長金指丈吉により設立された。1923年(大正12年)から日本で初めての鋼製漁船の建造を開始し、1928年(昭和3年)10月からは清水市(後の静岡市清水区)に移転し、1936年(昭和11年)9月に法人化して以後も漁船の建造を行ってきた。1963年(昭和38年)には鋼製漁船の建造量がシェア42 パーセントで日本一となっている。

 しかし1988年(昭和63年)に造船不況の影響を受けて会社更生法の適用を申請した。1991年(平成3年)4月1日に商号を変更して株式会社カナサシとなり、さらに1999年(平成11年)3月に清水工場を分社化して株式会社カナサシ重工となった。存続した株式会社カナサシは株式会社豊橋造船(現・新来島豊橋造船)となっている。2004年(平成16年)には旧カナサシから完全独立を果たした。

 その後は貨物船の建造などにも進出して売り上げを拡大したが、資材と燃料費高騰の影響により2007年(平成19年)から赤字に転落した。これに加えて、カナサシからの独立に伴う設備や不動産の買い取り費用も重荷となっていた。
2009年(平成21年)3月31日には銀行からの融資が得られなかったとして新卒入社予定の19人の内定を取り消し、翌4月1日から工場の操業を停止した。その後、静岡市などからの支援要請も行われていたが、自力での再建は困難と判断して4月10日に会社更生法の適用を申請した。負債総額は約201億2000万円であった。

 カナサシ重工は会社更生法申請後、スポンサー企業の支援による再建プランを描き、これまでに10社以上の企業と交渉してきたが、いずれも条件面で折り合いがつかず不調に終わっていた。

 今回は、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた東北屈指の造船会社、㈱ヤマニシ(宮城県石巻市西浜町1−2)と業務提携し、同社が受注した船を建造して受託手数料を得ながら会社の自主再建を目指そうという計画である。㈱ヤマニシは大地震とその後の大津波で船台やドッグなどに壊滅的なダメージを受けたが、一方で既に受注している船の納期をまもるために早急な対応に迫られていた。カナサシ重工では、当面、㈱ヤマニシが受注している2万5000トン級のバラ積み船2隻の建造に当る予定である。

 さて、一介の民間人たる私に何の所以があってカナサシ重工の自主再建を応援・・・・勿論、掛け声だけであるが・・・するのか不思議に思われるだろう。私は長く土木技術者として働いてきた者である。今から20数年前、まだ金指造船所のころからであるが、同社の陸上特機部門の耐震性鋼製防火貯水槽の施工を5~6基手がけているのである。だから、陸上特機部門の古い連中とは面識もあったし、工場検査などで清水の工場へ出向いたこともある。

 同社の耐震性防火水槽・貯水槽のすべてが鋼製の2次製品で、40t級、60t級、80t級、100t級について、財団法人日本消防設備安全センターより認定を受けている。
40t・60t・100t  円型  (潜函工法)
40t・60t       小判型 (潜函工法)
40t・60t・80t・100t横置角型(オープン掘削工法)2タイプ
40t横置き円筒型(オープン掘削工法)2タイプ等々多種多様な品揃えで、場所に応じて形状や工法を選択、設置することが可能である。

 と、まあ最後は防火貯水槽の宣伝をしておしまいにする。



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袴田事件と私の接点。

2011年06月16日 11時41分01秒 | 日記
袴田事件(はかまだじけん)とは、1966年(昭和41年)に静岡県清水市(現静岡市清水区)で発生した強盗殺人放火事件、およびその裁判で死刑が確定した袴田 巖(はかまだ いわお、1936年3月10日-)死刑囚が冤罪を訴え再審を請求している事件である。

【事件および裁判経過】・・・・以下、ウィキペデアより抜粋。
1966年6月30日 - 味噌製造会社専務の自宅が放火された。焼跡から専務(41歳)、妻(38歳)、次女(17歳)、長男(14歳)の計4人の他殺死体が発見される。一家の中では別棟に寝ていた長女が唯一生き残った。

1966年7月4日 - 静岡県警清水警察署が味噌製造工場および工場内従業員寮を捜索し、当時味噌製造会社の従業員で元プロボクサーの袴田巖の部屋から極微量の血痕が付着したパジャマを押収。

1966年8月18日 - 静岡県警が袴田を強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕。

1966年9月6日 - 犯行を頑強に否認していた袴田が勾留期限3日前に一転自白。

1966年9月9日 - 静岡地検が起訴。

1966年11月15日 - 静岡地裁の第1回公判で袴田が起訴事実を全面否認。以後一貫して無実を主張。

1967年8月31日 - 味噌製造工場の味噌タンク内から血染めの「5点の衣類」が発見される。

1968年9月11日 - 静岡地裁、死刑判決。

1976年5月18日 - 東京高裁、控訴棄却。

1980年11月19日 - 最高裁、上告棄却。

(省略)

2004年9月1日 - 弁護側、最高裁に特別抗告。

2008年3月24日 - 最高裁で棄却。第一次再審請求終了。

2008年4月25日 - 弁護側、静岡地裁に第二次再審請求。

2010年4月20日 - 衆参両院議員による「袴田巌死刑囚救援議員連盟」設立総会を開催。

【裁判の主な争点】
任意性に関する争点 : 自白調書全45通のうち、裁判所は44通を強制的・威圧的な影響下での取調べによるもの等の理由で任意性を認めず証拠から排除したが、そのうちの2通の調書と同日に取られ、唯一証拠採用された検察官調書には任意性があるのかなど。
信用性に関する争点 : 自白によれば犯行着衣はパジャマだったが、1年後に現場付近で発見され、裁判所が犯行着衣と認定した「5点の衣類」については自白では全く触れられていない点など。
凶器とされているくり小刀で犯行は可能か。
逃走ルートとされた裏木戸からの逃走は可能か。
犯行着衣とされた「5点の衣類」は犯人である証拠か、警察の捏造か。弁護側は「サイズから見て被告人の着用は不可能」、検察は「1年間近く、味噌づけになってサイズが縮んだ」と主張している。2011年2月、弁護側により、ズボンについていたタブのアルファベットコードはサイズではなく色を示しているとして、警察が誤認した疑いが指摘された。
【取調べ・拷問】
袴田への取調べは過酷をきわめ、炎天下で平均12時間、最長17時間にも及んだ。さらに取調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせる等した。
睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせる等して一切の安眠もさせなかった。そして勾留期限がせまってくると取調べはさらに過酷をきわめ、朝、昼、深夜問わず、2、3人がかりで棍棒で殴る蹴るの取調べになっていき、袴田は勾留期限3日前に自供した。取調担当の刑事達も当初は3、4人だったのが後に10人近くになっている。

さて、なんで私が袴田事件に触れるのかというと、ほんの僅かながらの接点があるからである。昭和41年の事件発生当時、私は横浜市南区大岡町に居住して、東京銀座4丁目の事務所に通勤するというサラリーマン生活を送っていたから事件とは全く接点が無い。

接点というのは昭和53年に当時、静岡市瀬名川に所在した大坪建設㈱に転職したことに起因する。大坪建設には建設機械の整備などを業務とする大洋建機という子会社があって、新潟鐵工所製のコンクリートポンプ車などの整備をしていたが、その大洋建機の営業社員にM氏がいた。

M氏は当時50歳前後で、清水商業卒。袴田事件の発生当時は「こがね味噌」の営業販売員をしていたそうである。古い記憶なので曖昧な点は否めないが、M氏は味噌製造会社の経営者一族とは縁戚関係にあり、事件当日は伊豆の修善寺とかに出張中でアリバイがあったというようなことを聞いた記憶が残っている。
そして、事件に関して積極的に喋ろうとしないM氏の発言の中でよく覚えているのは「商売物の味噌の中へ犯行着衣を隠すということは、食品製造に従事する者として考えにくいことである。いくら塩辛い味噌であっても、湿った状態の味噌の中では犯行着衣がふやけて伸びることはあっても縮むということは考えにくいのではないか」と、いうことである。34,5年も前のことであるが、私は芸者遊びが好きでお座敷芸に長けたM氏のことを一瞬ではあるが事件と関係あるのではないかと疑ったことを今でもよく覚えている。


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生肉食うなら馬刺しをお食べ!!

2011年06月16日 07時38分43秒 | グルメ
焼き肉チェーン店でユッケを食べた客が集団食中毒を起こし、4人が死亡し、170人が発病した事件があった。

ユッケは肉膾のことで、「肉」はユク(육、Yuk)、「膾」はフェ(회、Hoe)の発音で、連音化して「ユッケ」と聞こえる。「膾・なます」は獣や魚の生肉を細かく刻んだものという意味である。名前が示す通り、生肉を使った韓国式の料理である。生の牛肉(主にランプなどのモモ肉)を細切りにし、ゴマやネギ、松の実などの薬味と、醤油やごま油、砂糖、コチュジャン、ナシの果汁などの調味料で和え、中央に卵黄を乗せて供することが多い。ナシやリンゴの千切りを添えることも多く見られる。食前にはよくかき混ぜるのが良いとされる。

今回の集団食中毒事件のユッケに使われた牛肉は店舗納入前の汚染が濃厚で、運営会社や食肉卸業者のずさんな衛生管理も露呈している。

富山県などは横浜若草台店で回収した未開封の生肉と、死者4人を含む客らから検出された大腸菌O111(オー・イチ・イチ・イチ)の遺伝子型が一致したと発表した。

これまでの捜査などで、チェーン店運営会社と食肉卸業者が、菌のついた肉の表面を削る「トリミング」をしていなかったことが明らかになっている。

大腸菌というのは、人や家畜の腸内に存在し、ほとんどのものは無害であるが、いくつかのものは、人に下痢などの消化器症状や合併症を起こすことがあり、病原性大腸菌と呼ばれている。この中で、特に毒力の強いベロ毒素を産生し、出血を伴う腸炎や溶血性尿毒症症候群(HUS)をおこすものを、腸管出血性大腸菌と呼んでいる。1996年の堺市などの集団感染で有名になったO157(オー・イチ・ゴ・ナナ)はその代表的なものであるが、そのほかに026,O111,O128など多くの種類がある。

大腸菌O111(オー・イチ・イチ・イチ)は自然界では主に、牛や羊の腸内に存在するとされる。

脚に蹄(ひづめ)を持った動物を有蹄類という。有蹄類は奇蹄類と偶蹄類に分けられるがいずれも草食動物である。
現在、奇蹄類はウマ・バク・サイの3科、23種が地球上で知られている。それに対して偶蹄類は、イノシシ、カバ、ラクダ、シカ、キリン、ウシなどの9科、185種である。(クジラはDNA解析ではカバの近縁とされているが、偶蹄類と呼べるかどうかは議論中のようである)。

ここで注目していただきたいのは、牛、羊、豚などはいずれも偶蹄目ということである。

昨年、宮崎県で蔓延した家畜伝染病、口蹄疫(こうていえき)は、鯨偶蹄目(豚、牛、水牛、山羊、羊、鹿、猪、カモシカ、など蹄が偶数に割れている動物)およびハリネズミ、ゾウなどが感染する口蹄疫ウイルスによる病気であったが、奇蹄類の馬は口蹄疫ウイルスに感染しなかったということである。つまり、馬肉と牛肉では基本的な違いがあるのである。

馬肉を食べる習慣のある地域は古来より馬の名産地であり、馬の生産と直結した文化が根付いていたと考えられる。
文禄・慶長の役で朝鮮に出兵した加藤清正軍が補給線を断たれ食料が底をついた時にやむを得ず軍馬を食したのに始まり、帰国後、清正が領地である肥後国(熊本県)に馬肉食を広めたという俗説がある。
しかし、馬肉を生で食べる習慣は熊本県の他、青森県や山形県、福島県(会津地方)、長野県、山梨県に存在する。

現在、国内に流通している馬刺しは、生食用食肉の衛生基準に適合している屠畜場から生食が認められた馬刺しが出荷されている。2011年現在、生食用食肉の加工基準に適合し、生肉の出荷が認められた屠畜場は全国で12ヶ所のみであり、全て生肉は馬肉のみを出荷している。また、馬肉生産量が1位の熊本県では、県内に所在する屠畜場で県及び市職員が大腸菌やサルモネラ菌などの病原菌が無いかを確認した上で出荷している事を公表している。

馬刺しについても、かねてから、住肉胞子虫に感染した馬による食中毒の可能性が示唆されている。ただし、厚生労働省によるとマイナス20度で48時間以上冷凍すれば寄生虫は死滅するとしている。

以上のとおり、牛肉については生食を前提とした国の基準が存在しなかったようだが、馬肉についてはしっかりした衛生基準が存在する。また、牛と馬では生物学的な違いもある。

どうしても生肉が食べたい人にはユッケではなくて馬刺しをお薦めしたい。
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おじゃら・りか作品展開催のお報せ。

2011年06月14日 13時46分37秒 | 日記
おじゃら・りか作品展
期間:7月21日~26日

場所:静岡県焼津市本町2丁目16-44
焼津市役所西側・JR焼津駅東口から徒歩9分

藍画廊

電話:054-627-0025


油彩・水彩・リトグラフ・・・・多彩な表現方法を駆使する現代感覚のアーチストおじゃら・りかさんの新作を含む作品多数を展示します。

静岡県内では初めての作品展です。


【作家略歴】

おじゃら・りかさんは東京都足立区の出身。
東京都足立区北千住にて「おじゃら画廊」を経営。
日本イラストレーター協会理事。
北野たけしさんのテレビ番組の背景に使われた油絵を手がけた実績もあります。


【受賞暦】

足立区展 美術協会賞 立体(2007)
足立区展 美術協会賞 洋画(2006)
足立区展 美術協会賞 洋画(2005)

【個展等】

2002 バリ島、セニワティグループ展(当時はバリ島在住)
毎年 7月、1月に、北千住のおじゃら画廊にて、作品を発表
イラストレーター協会展にも毎年出展


【今迄にした主な仕事】

月刊誌I.M.press紙表紙(2003.1から現在も継続)
同誌、イラスト付エッセイ おじゃら的イ-ライフ(2004.11-2005.3)
同誌、イラスト付エッセイ はだしのコンシューマー(2006.07-現在も継続)
あおりの美人道アイテム 挿絵 WEBイラストレーション (2006.5-12)
ピカっとツーハン イラスト付エッセイ (2005-2006)
他、公共ポスター イラスト&デザイン/観光マップ等多数


【ホームページ】
http://www.ojara.sakura.ne.jp/illust/


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静岡のお茶にも降った放射能。

2011年06月10日 12時35分45秒 | 日記
お茶に含まれる放射性物質の検査結果について9日、静岡県から発表があった。
それに拠ると静岡市葵区藁科地区の1番茶の「製茶」から国の暫定基準値・・・1キログラム当り500ベクレル・・・を超える679ベクレルの放射性セシウムが検出された。
該当する茶を製造した工場は既に特定されており出荷自粛と自主回収を要請済みであるという。

お茶というのは通常、茶畑で露地栽培されている。茶畑から摘み取られた(或いは刈取られた)状態の茶を「生葉」という。
製茶工場では生葉を蒸気で蒸して幾つかの工程を経て「荒茶」に加工するのであるが、単純に表現すれば水分の含有率を3~4パーセントにまで乾燥させるのである。この状態で生葉1トンは荒茶200~250キログラム程度になる。

つまり、生葉は荒茶になる過程において重量換算で四分の一乃至五分の一にまで濃縮されるのである。私たちが普段飲んでいる煎茶はこの荒茶を更に精製加工したものである。

お茶を淹れるときは少量の茶葉を急須などに入れて白湯を注いで出すのであるから、実際に飲用するときは含有される放射性物質も数百倍に薄まってしまうのである。だから、国の暫定基準値を少しぐらい上回っていたからといって決して大騒ぎするような問題ではないのである。

因みに、今回679ベクレルを検出したお茶2グラムを毎日1リットルずつ1年間飲み続けたときの被爆量は0.04ミリシーベルトであり、これはレントゲン撮影1回で受ける0.05ミリシーベルトを下回る数値でまったく問題にはならないものである。第一、1キログラム当たり500ベクレルというのは食べる食品の暫定基準値であって、お茶は飲み物である。

私の主治医にいわせれば糖尿病に効くともてはやされている天然バナジウム水からも微量の放射線は放出されているそうである。バナジウム水の放射線は身体に良くてお茶の放射線は身体に悪いという理屈は成り立たないのである。

今回、問題となった「藁科地区」というのは安倍川の支流藁科川流域一帯を指すが、旧安倍郡服織村・中藁科村・南藁科村・清沢村・大川村など相当に広範囲を示す表示であるので、もう少し地域を限定する必要がある。

皮肉なことに藁科川上流の旧・安倍郡大川村栃沢は静岡茶の祖と敬われている聖一国師円爾弁円の生まれたところである。
聖一国師は釜石峠を越えて栃沢の生家へ戻る途中の安倍郡美和村足久保奥長島の地へ、宋から持ち帰った茶の実を播いたとされる。この由緒をもってこのあたりで産するお茶を特に「本山」と称している。本山茶、なかんずく足久保茶は大御所徳川家康が愛飲したことでも夙に知られている。

さて、安倍郡美和村のお茶農家に生まれた私が本山茶の弁護にこれつとめるのは至極当然のこととして、県や市などの行政当局には東京電力に対する損害賠償請求などに怠りなきようお願いしたい。

そして、真に遺憾なことは、今回のお茶に対する放射性物質検査において突然として放射性物質の存在が明らかにされたことである。お茶の中に放射性物質が存在するということは、それがいかに濃縮されたものであったとしても静岡市にも放射性物質が降り注いでいたという物的証拠である。
お茶に限らず他の野菜にも、いや私たち人間にも放射性物質が容赦なく降りかかっていたということである。

国にせよ県にせよ行政当局は都合の悪い情報を隠さないでもらいたい。一体、何時の時点でどれほどの放射性物質を浴びたのか真実を明らかにしてもらいたいと願うものである。
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花を楽しむ。

2011年06月08日 13時09分00秒 | 日記
この季節はバラを初め色々な花が楽しめる。
今日アップしたのはクチナシの花であるが、私のデジカメの中には、ユリやアジサイやホタルブクロなど、まだまだたくさん入っている。

私が植物に興味を持ったのは、5歳か6歳か・・・・いずれにしても小学校へ入学する前であった。山中で植物採集に来ていた静岡大学の先生と偶然に出遭ったことによる。
そのとき、私は山奥で炭焼きをしていた両親の所へ行く途中だったので、先生を両親のいる炭焼き窯の場所へ案内した。大学の先生は両親にこれから登る「牛ヶ峰」への道順を訊ねたのである。別れ際に先生は缶入りのドロップを缶ごと私に呉れた。

ドロップを缶ごと呉れた先生の姿は今でも鮮明に覚えている。チロリアンハットというのか・・・登山帽をかぶり、シャツやズボン、靴はいずれも登山スタイルであった。帆布製のリュックを背負い、手には「根掘り」を持ち、肩からブリキ製の「胴乱」をかけていた。もっとも、「根掘り」も「胴乱」もずっと後から名前を知ったものである。

小学生の頃、牧野富太郎博士のところへ出身地の高知県から飛行機で「やまもも」の実が届けられたという新聞記事を読んだことがある。そんな訳で、植物学に対しては小学生の頃から意識していたのだと思う。

中学生になったとき科学部へ入部し、理科の先生から指導を受けながら蘚苔類の研究をした。研究といってももっぱら採集をしてスケッチをして名前を調べた程度である。
この理科の先生は渡辺というお名前だったが「火の玉」の研究などをしていたちょっと風変わりな人物だった。

商業高校に入学したとき、たまたま中学の先輩からの誘いを受けて生物部へ入部した。ここでももっぱら植物採集をした。
安倍川流域の主な山はほとんど登ったし、夏休みには天城山系を縦走したりもした。

顧問の伊藤先生が採集したキバナノショウキランなどという珍しい植物標本も見た。

現在、64歳になった私は、当時覚えた植物分類学のほとんどを失念してしまっているが、それでも普通の人よりも多くの植物名を知っている。

土木技術者として治山工事や林道工事、或いは公園、街路工事などの植樹や緑化工事などで植物に対する知識も少しは役に立ったが、今になって一番に役立つのは俳句を書くときである。
俳句の季語には植物がたくさんあるし、花を見たときに何の花かということが直ぐに判るからである。

俗に三つ子の魂百までもというが、子供のころに貰った一缶のドロップは私の人生に花を楽しむということを残してくれたのである。
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死に体内閣。

2011年06月06日 14時02分23秒 | 日記
死に体(しにたい)は、相撲用語で自力で回復不可能なほど体が崩れた状態を指す。「体(たい)がない」「体(たい)が死んでいる」ともいう。

この言葉が転じて、レームダックとほぼ同義の政治用語としても使われる。
レームダック(lame duck)は「足の悪いアヒル」というのが本来の意味である。
アメリカのスラング(隠語・俗語)で、選挙に落選した議員が残りの任期を勤めている様子を揶揄していう言葉だ。つまり、「もう影響力がないやつ」ということである。

内閣不信任決議案の可決を目前に嘘っこの退陣表明をして首の皮一枚つながった菅首相であったが、直後から退陣表明が期日未定であるかのごとき発言をして、鳩山前首相から「ペテン師」呼ばわりされる破目になった。

その後の民主党内では8月退陣論が大勢を占めているが、自民党、公明党などの野党は「死に体内閣」に協力は出来ないとして6月中にも辞任するよう要求を強めている。

問題なのは民主党内に衆目一致する後継総理の候補者がいないということである。

前原前外相、岡田幹事長、仙石官房副長官、枝野官房長官、野田財務相などなどいずれも帯に短し襷に長しの面々である。

私はこの際、小沢一郎氏にリーダーシップを発揮してもらえばいいのではないかと思っている。小沢氏ならば少なくとも官僚を使いこなすだけの度量をもっているだろうし、菅首相や鳩山前首相よりは少しはマシではないかと思う。これだけ騒がれたのだから首相になったからといってこれまで以上に悪いことはしないのではないかという変な期待感もある。

小沢氏の場合は強制起訴の問題が大きなネックである。しかし、検察審査会が起訴相当の議決をしたからといって、検察が二度も不起訴処分にした案件だから実際問題として有罪の可能性は少ないのではないだろうか。裁判所には早く白黒の判定をしてやってもらいたいものである。

政治資金に問題があるのは前原前外相も同じである。他の政治家も似たようなものだろう。

これは自民党にもいえることだ。

もし、大連立が実現して自民・公明と民主党の一部が連携し新政権が誕生したとしても、谷垣首相がすんなり決まるかというとちょっと怪しいものである。
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