日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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下手なりに 俳句続ける 理由(わけ)があり

2015年12月26日 19時52分10秒 | 日記
 もう15年以上も前のことになる。飲みすぎ食い過ぎの無節制な生活を続けた所為で糖尿病を悪化させてしまった。
その理由というのが子供じみていて恥ずかしいことであるが、あらましは次のとおりである。

 40代の初めごろ会社の健康診断で癌の疑いがあるといわれた。これは診療所の医者の性質(たち)の悪い冗談であったが血糖値がかなり高いのは事実であった。そこで県立病院で改めて検査を受けたのであるが、結果は初期の糖尿病だという診断であった。

 そこで月に一度、内科の検診を受けて血糖降下剤を処方されたのであるが、あるときの検診時に血糖値が普段よりも少し高かった。

 中年の太った看護婦は「あなた昨夜はお酒を飲んだでしょう」と、まるで鬼の首でもとったように決め付けてものをいう。明日は糖尿病の検診に行くのが分かっていて酒を飲む馬鹿がいるかと内心思いつつ「酒は飲んでいませんよ」と、応ずると「嘘おっしゃい。こんなに高いのだからお酒を飲んだのに決まっている」と畳み掛けてくる。「いや、酒は絶対に飲んでいません」というと、「嘘を吐いても医者の目は誤魔化せないわよ」とまだしつこくいってくる。ここで私の堪忍袋の緒がぷつんと切れた。

 「誰が医者だ。この野郎。てめェは唯の太った看護婦じゃねぇか。医者はこちらにおいでの若い先生じゃあねぇか。婆の看護婦風情が利いた風な口たたくんじゃねぇ」突如として豹変した私をみて看護婦は目を白黒していたが、私はその若い医師にこういった。「昨日の晩飯に肉じゃがを食べたのですが拙かったでしょうか」。若い医師は「ジャガイモは澱粉の塊ですから血糖値を上げる食べ物ですね」と答えた。若い医師とベテランの看護婦の間では、看護婦のほうに主導権があったようだ。

 この一件があってからなんだか県立病院へ行きにくくなってしばらく通院を中断してしまった。この間も病気は徐々に進行して、次の健康診断の時には完全にアウトになってとうとう入院する羽目になってしまった。

 糖尿病患者の入院というのは何もすることがない。カロリー計算された食餌を摂り、インスリン注射のやり方を習う程度である。

 私が暇そうにしているのを見て担当の美人看護師さんが図書室から俳句の本を借りてきてくれた。俳句というものは小学校の国語の時間に習った程度でその後特に意識したことはなかった。私と俳句の出会いはこの半月ばかりの入院がきっかけではじまったのである。

 その後、複数のインターネット俳句会に入会して句作を続けているが一向に上達しないままである。ただ、それでも続けているのはときどきしゃぶらせて頂く飴玉の所為である。いずれの句もネット句会では1ポイント、2ポイントを得たのに過ぎないが、俳句が解かっている方から講評をいただけるのは嬉しいことである。

【現代俳句協会・インターネット俳句会平成25年3月】

919  山ざくら炭焼小屋は朽ちにけり  秋山白兎

実景の強さ、風土を感じる句。「山桜」と漢字にしなかったのは「炭焼小屋」を立体的に浮き立たせるためのこと。座五の切れ字「けり」も効いています。

3月句会において大畑 等先生から【注目句】として上記のようなご講評をいただきました。うれしいですね。

【現代俳句協会・インターネット俳句会平成25年10月】

93  石仏の御鼻欠けおり青みかん   秋山白兎

率直な書きっぷり。「御鼻」と書く作者に温かさを感じました。お供え物だったのでしょうか、「青みかん」が句の焦点を作っています。

10月のネット句会で大畑等先生から【注目句】として上記のような講評をいただきました。ありがとうございました。

【現代俳句協会・インターネット俳句会26年10月】

430  なりはひのニッカポッカやゐのこづち   秋山白兎

「ニッカポッカ」は建設現場で職人さんが穿いているだぼだぼのズボン。障害物をより早く感知するために、太ももの部分を広げていると聞きます。このズボンの「ゐのこづち」、作者は愛しい仲間のように感じたのかもしれません。上五の「なりはひの」が効いています。

10月のネット句会で大畑等先生から【注目句】として上記のような講評をいただきました。ありがとうございました。

【現代俳句協会・インターネット俳句会26年11月】

1053  酒がある青首大根煮てくれろ  秋山白兎

川端茅舎に「約束の寒の土筆を煮て下さい」がありますが、この句は「酒がある」と書いて、さらに直接的な表現となっています。「青首大根」の「青首」は土俗的に響いています。

11月のネット句会で大畑等先生から【注目句】として上記のような講評をいただきました。ありがとうございました。

大畑 等(おおはた・ひとし)先生・略歴
1950年、和歌山県生れ。
千葉県在住。建築士。
昭和63年「麦」の東京研究会にて田沼文雄の指導を受ける。
平成4年「麦」新人賞。
平成12年「麦」作家賞。
現在、「遊牧」同人、「宙」会員。
私家版句集「むぎ懲役」、共著「おおいとⅡ」。
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唄はちゃっきりぶし男は次郎長

2015年12月21日 13時23分28秒 | 日記
 ちゃっきり節は郷土静岡の新民謡である。
 1927年(昭和2年)、静岡市近郊に開園した狐ヶ崎遊園地(後の狐ヶ崎ヤングランド 1993年閉園)のコマーシャルソングとして、静岡電気鉄道(現・静岡鉄道)の依頼によって制作された。

 静岡電鉄は当時すでに名のある詩人であった北原白秋に懇請して作詞を引き受けさせたが、取材のため静岡を訪れた白秋は、静岡の花柳地・二丁町・蓬莱楼で芸者遊びを続け、一向に詩作に取りかかろうとしなかった。
 
 豪遊続きの長逗留に電鉄会社側が作詞依頼の取り下げも検討し始めた頃、老妓の方言によるふとした一言にインスピレーションを得て、白秋は30番まである長大な歌詞を書き上げたという。

 作曲者の町田嘉章(1888年 - 1981年)は、邦楽作曲家で民謡の研究家でもあるが、白秋の知人であったことからその推挙により「ちゃっきり節」の作曲を引き受けることになった。

 この曲は1927年11月25日に狐ヶ崎遊園地を会場として、同時に白秋・嘉章のコンビによって作られた「狐音頭」「新駿河節」と共に、地元芸妓衆の歌・踊りによって発表された。


 
 静岡鉄道のホ-ムページに(原本のまま全30節)作詞:北原白秋、作曲:町田嘉章ということで掲載されている。

1.
唄はちやっきりぶし、男は次郎長、花はたちばな、夏はたちばな、茶のかをり。
ちやっきり ちやっきり ちやっきりよ、
きやァるが啼くから雨づらよ。
2.
茶山、茶どころ、茶は縁どころ、ねえね行かづか、やぁれ行かづか、お茶つみに。
ちやっきり ちやっきり ちやっきりよ、
きやァるが啼くから雨づらよ。
3.
駿河よい国、茶の香がにほうて、いつも日和の、沖は日和の 大漁ぶね。
ちやっきり ちやっきり ちやっきりよ、
きやァるが啼くから雨づらよ。
4.
さァさ、また行こ、茶山の茶つみ、日本平の 山の平の お茶つみに。
ちやっきり ちやっきり ちやっきりよ、
きやァるが啼くから雨づらよ。
5.
日永、そよかぜ、南が晴れて、茶つみ鋏の、そろた鋏の 音のよさ。
ちやっきり ちやっきり ちやっきりよ、
きやァるが啼くから雨づらよ。
6.
昔や火のなか、草薙さまよ、いまは茶のなか、茶山、茶のなか、茶んぶくろ。
ちやっきり ちやっきり ちやっきりよ、
きやァるが啼くから雨づらよ。
7.
山で鳴くのは やぶ鴬よ、茶つみ日和の、晴れた日和の 目のとろさ。
ちやっきり ちやっきり ちやっきりよ、
きやァるが啼くから雨づらよ。
8.
帯はお茶の葉、鴬染よ、あかい襷の そろた襷の ほどのよさ。
ちやっきり ちやっきり ちやっきりよ、
きやァるが啼くから雨づらよ。
9.
歌へ、歌へよ、茶山の薮で、ほれてうたわにや、そろてうたわにや 日がたたぬ。
ちやっきり ちやっきり ちやっきりよ、
きやァるが啼くから雨づらよ。
10.
どんどどんどと 積み出すお茶は 茶摘み娘の 歌で娘の 摘んだ葉茶。
ちやっきり ちやっきり ちやっきりよ、
きやァるが啼くから雨づらよ。( 以下省略)

 さて、ここで一つ二つ厄介な問題がある。

 冒頭に(原本のまま全30節)と断り書きがあるのにもかかわらず数箇所の誤字があるから困るのだ。

 まずは第5節の『茶つみ鉄の、そろた鉄の』はどう考えても『茶つみ鋏の、そろた鋏の』であろう。

 同様に第11節の『管の笠』は『菅の笠』。第14節の『蜜紺』は『蜜柑』。第18節の『茶の寛』は『茶の實』つまり茶の実。第19節、20節の『賊機』は『賤機・しずはた』。第27節の『云なにや』は『去なにや』ではなかろうか?

 また、白秋がインスピレーションを得たという地元の老妓の「蛙が鳴いているから (明日は)雨だろうね」という意味の方言「蛙(きゃある)が鳴くんて 雨ずらよ」は白秋自身が「鳴くんて」が正しいといっているのにもかかわらず反映されていない。白秋はこの部分を甚く気に入ったそうで各コーラス共通の囃し詞として用いている。

 お節介者の私は直ちに当該企業に連絡をとって訂正するように促したのであるが現在に至るも直されていない。

 天下に高名な詩人・北原白秋がいかに酩酊状態で作詞したからといってかかる不手際は絶対にするまいと信じている。
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追憶の ほのかに甘し 玄圃梨

2015年12月11日 20時45分29秒 | グルメ
 山梨県南巨摩郡南部町にある道の駅「とみざわ」は、静岡市清水区興津から山梨県甲府市に到る国道52号線に設けられている。私はこの道の駅を身延山まで甘養亭の「みのぶまんぢゅう」を買いに行く道中でしばしば利用させてもらっている。

 道の駅「とみざわ」は、名産の筍のモニュメントで有名なところであるが、そのモニュメントの脇に俳人・松崎鉄之介氏の句碑がある。黒御影石に「枳梖散るなり南巨摩郡」と刻んであったと記憶している。「枳梖」は元来漢方生薬の名前で通常は「きぐ」と読むそうであるが、この句の場合は「けんぽなし ちるなり みなみこまごおり」と読むようである。

 ケンポナシはクロウメモドキ科ケンポナシ属の落葉高木で玄圃梨と書くのが普通である。英語名はジャパニーズ・レーズン・ツリーと云い、食べられる果実の形状を干し葡萄に見立てた命名である。因みに、中国では鼠李(ソリ)科の拐棗(カイソウ)というのだそうだ。東南アジア温帯一帯に広く分布し、日本では北海道の一部から九州まで自生する。

 樹高は15メートルから25メートルに達し、古木の幹の直径は1メートル以上にもなる。広葉樹であるが木材としても有用で床の間材として床柱、床板、落とし掛けなどに珍重される。木理は一般的に直通だが、もめた杢目は美しいことから指物家具、テーブル、化粧単板などに利用されている。また、造作材、装飾材、家具材、器具材、彫刻材などとして広く利用されるほか、三味線の胴などの楽器材としても使われている。

 花は初夏に5弁で星形の約7ミリ程度の緑白色の小花を集散花序につける。花序の軸は花後ふくらみ多肉質になる。集散花序というのは花の脇からまた枝が出て花が咲くといった状態をいう。

 果実は核果で直径は約9ミリ程度、秋に紫褐色に熟す。核は直径約4ミリ程度、黒褐色で光沢がある。

 秋に多肉質の果柄を集めて日干しにして乾燥させたものを生薬名で枳梖(きぐ)と呼ぶ。有効成分としては蔗糖、ブドウ糖、硝酸カリ、リンゴ酸カリ、酵素ペルオキシダーゼなどが知られている。薬効は利尿作用と二日酔いに有効であるとする。この肥大して不思議な形に曲がった果柄の部分は甘くて梨に似た味がすることからケンポナシと呼ぶのである。



 名前の由来は、肥大して曲がった果肉を中国の俗名で癩漢指頭と呼び、ハンセン病に侵されて曲がった指という意味である。日本ではハンセン病で曲がった指などをテンボウ或いはテンポなどと呼んだことからテンボノナシが転訛してケンポナシになったというのが有力である。勿論、近年の特効薬の開発によってハンセン病は制圧されたのであり、この病気に対する誤解と偏見は排除されなければならないことは言うまでもない。

  さて、いつもの悪い癖が出て能書きが長くなってしまったが、いよいよこれからが本題である。

 私が小学生の頃のことであるが、夏休みになると毎日のように通う場所があった。ゲンちゃんの山のコナラの木である。ゲンちゃんとは隣集落の農家の当主海野源一氏の愛称である。

 山裾の斜面に生えた幹の直径が20センチほどのコナラの木にはカミキリムシの幼虫が入った痕があって樹液が滲み出ていたため、カブトムシやクワガタムシやカナブンやスズメバチや蝶などが樹液を吸いに集まるのであった。その場所へ行けば必ずといってよいほど獲物にありつけたのである。

 ゲンちゃんの山は雑木林になっていてコナラの他にもリョウブや樫や椎の木やヤマザクラなど多くの樹種が混在していたが、コナラの木の近くに幹の直径が30センチばかりのケンポナシの木があった。

 晩秋の頃、この木の下へ行くと「けんぷん」を拾うことができた。私の故郷ではケンポナシの果実を「けんぷん」と呼んでいた。未熟な果肉には渋味が強かったと思うが、そろそろ初霜が降りようという頃になるとほんのりと甘い果汁を存分に味わえたものである。私の場合「けんぷん」は食べるというよりも口中で噛み潰して果汁を吸って残った滓は吐き出していた。

 「けんぷん」を噛んだのはもう50年以上も前のことであるが味覚の記憶というものは思ったよりも鮮明である。

 ◆ 半世紀忘れぬ甘さ玄圃梨  白兎



 
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子を焼かれ髪切虫は泣いたのか   

2015年12月05日 13時54分55秒 | 日記
 鉄砲虫とは髪切虫の幼虫のことであるが、本題に入る前に少し私の思い出話にお付き合いいただきたい。

 私が生まれ育ったところは静岡県安倍郡美和村大字内牧字門村という山間の戸数九戸の小さな集落である。私が小学生の頃に静岡市に編入されて現在では静岡市葵区内牧となっている。

 低い山一つ越えたところがお茶で有名な足久保で、名僧聖一国師円爾弁円が宋から持ち帰った茶の種子を播いた処として知られている。「足久保茶」は徳川家康にも献上された由緒を誇り、所謂「本山茶」の主流となっている。

 私の生家も製茶で生計を維持していたので子供のころから茶畑の施肥や消毒、茶摘、製茶などをよく手伝ったものである。当時は今よりお茶の需要が多かったとみえて一番茶から二番茶、三番茶、四番茶、秋冬番茶と年に五回も製茶をしていた。秋冬番茶を刈取るのは十月頃であったから山の畑の柿が食べられた。

 製茶の方法には手揉み、釜煎りなどのやり方もあるが、普通は製茶機械で一連の工程を行う。先ず、生葉を高熱の蒸気で蒸す。次に葉打ち、粗揉を行い、更に揉捻、中揉、精揉、乾燥といった工程を経て荒茶が出来る。製茶は生葉中の水分を取り除くことが主な目的であるから、ほとんどの工程で熱源を必要とする。現在では重油バーナーなどが多く使用されているようであるが、私が手伝っていた頃はボイラーでは石炭や薪を焚き、精揉機や乾燥機では木炭を燃料としていた。

 昭和三〇年代までは製茶に限らず、一般家庭でも木炭を燃料に使っていたので、炭焼きが盛んに行われていた。私の両親も茶業が終わった冬場には炭焼きに専念していた。炭は冬場の貴重な現金収入にもなったし、夏場の製茶の燃料として必要不可欠だったのである。

 父は山奥の雑木林を一山幾らで買って山裾の水の便の良い場所に炭焼き窯を築くのである。その一部始終を手伝っているから炭焼き窯の築造方法も炭焼きの方法もほぼ正確に覚えているが、ここでは割愛することにしたい。

 雑木林には栗、山桜、コナラ、椎、樫、クヌギ、リョウブ、ヤマガキなど色々な樹種が生えている。それらを全て伐採すると枝を払って長さを切り揃えて集材する。

この際、小枝や炭に焼けない細い幹は静岡方言でいう「もや」つまり焚き木として利用するために長さを揃えて束ねる。

 炭の原木や「もや」を束ねるのには専ら藤蔓や葛の蔓を利用した。運搬には多く「でんしん」を利用した。「でんしん」とは田舎の呼び名で簡易な索道のことである。山の斜面へ立ち木などを利用して番線やワイヤーを一本だけ張って滑車に吊るした荷物を滑らせて送るのである。

 原木は樹種も太さも雑多であるが規格以上に太いものは斧や楔を用いて二つ割乃至四つ割りにする。炭焼きは原木を乾留することによって炭化するのであるから太さもある程度はそろえる必要がある。

 原木の中に瘤のあるものがしばしばある。クリ、ナラ、クヌギ、シイなどブナ科に属する樹木の比較的太い幹が多い。こうした瘤はシロシジカミキリ(白筋髪切)の幼虫が侵入した痕であることが多く、割ると中から大きな髪切虫やその幼虫が出てくるのである。

 シロスジカミキリは体長約五センチ、日本に生息が確認されている約九〇〇種類ほどのカミキリムシの中で最大である。触角は体長よりも更に長いからカブト虫やクワガタ虫にも遜色のない大きさであり、しかも動くときにはギィギィっと音を立てるのである。



 幼虫も成育したものは成虫と同じく体長五センチくらいで茶褐色の口の部分を除き全身白乳色をしている。丁度カブト虫の幼虫を細長くしたような感じと思ってもらえればイメージが湧くだろう。

 オーストラリア原住民アボリジニの人たちがウィッチティ・グラブという蛾の幼虫を好んで食べることはよく知られている。ニューギニアでは現地の人たちがウォレスシロスジカミキリの幼虫を好んで食べるために種の絶滅が危惧されている。他の民族でも昆虫やその幼虫を食べることは普通に行われている。私も幼い頃から蜂の幼虫などを好んで食べてきた。クロスズメバチの幼虫の炊き込みご飯などは田舎料理の中でも美味い部類に属する。

 さて、前置きが長くなったが、鉄砲虫つまりシロスジカミキリの幼虫の食べ方はそのままこんがりと焼いて食することになる。

 炭焼き窯の焚き口は間断なく燃料の薪を焚いているから高温である。焚き口の周りには石を使ってあるのだが、その石の上に物を置くと何でも加減よく焼けるのである。サツマイモなども手ごろな厚さに切って貼りつけて置くと実に美味しく焼けた。鉄砲虫もたちまちにして一丁あがりになるのだが、熱で膨らんで伸びるので砂糖を塗ってない花林糖のような形状になる。

 焼きあがった鉄砲虫の味を文章で表現するのはちょっと難しい。「あれ」に似た味だという「あれ」に心当たりがないのである。読者の方でアシナガバチの幼虫を食べたことがあるとすれば「あれ」に近いと言えるかもしれない。とろっとした舌触りと仄かな甘さである。昆虫にありがちな変な臭いなどは全く無い。蜂の子、孫太郎虫、蝗など食べられる昆虫は色々あるが鉄砲虫が一番美味いと私は思う。

 鉄砲虫の仄かな甘さの元は、昆虫が氷点下の冬を越すときに体液を氷結させないために具えているグリセリン(糖質アルコール)であることが知られている。勿論、子供の頃の私にそんな知識があろうはずもなく、寝小便に効くからなどと言われて親から無理矢理に食わされたのがことの始まりである。

 後年、安倍川の支流、藁科川の堤防で盛んにイタドリの根茎を掘り取っている男に出合った。訳を訊ねるとイタドリの根茎の中にいる鉄砲虫を探しているとのことであった。イタドリの茎にはゴマダラカミキリが寄生していることがよくある。その男は集めた鉄砲虫を下手物食いの店に卸して金に換えているような口ぶりであった。取り留めの無い話に終始したが今回はこれでお仕舞いにする。

◆ 子を焼かれ髪切虫は泣いたのか   白兎

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