日々是好舌

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北遠の榜示峠に曰くあり

2020年03月16日 19時25分45秒 | 日記
静岡県浜松市天竜区佐久間町と水窪町を結ぶ[北條(ほうじ)峠]、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、天皇方と武家方との土地争いが起こった際、この地を折半するという形で紛争を解決し、[杙]を立てたことから[榜示峠]と呼ばれた。

「角川日本地名大辞典22静岡県」(昭和57年10月発行)の佐久間の「北条峠」の項に、こんな解説がある。
 北条峠(ほうじとうげ)は榜示峠とも書く。佐久間町羽ヶ庄と南野田の境にある峠。標高572m。この峠から北を奥領家と称したことから明らかなように、山香庄の下地中分(「したじちゅうぶん」とは、日本の中世に使用された用語で、荘園公領制下の重層的に入り組んだ支配・権利関係の中で、それぞれの主体が一元的に土地を支配すること(一円知行)を目的にして行われた、土地の分割を指し示す用語である。)の際、地頭方と領家方を分ける榜示石などが置かれた所と推定される。以前はこの峠より西北の尾根伝いに城西村と佐久間村の境界があった。現在は県道水窪羽ヶ庄佐久間線が南北に峠を越える。
 
「北条」という地名は、条里制の名残として今でも残っている地方もあるが、さすがに佐久間の峠に「条里制」はそぐわない。鎌倉時代に、北條家ゆかりの者がこの地を通り信濃に逃れたという言い伝えがあり、その末裔がこの地を訪れた時に[榜示]を[北條]に当て字し、[北条峠]と呼んだともいわれているが、敗残兵が退路に名前を残すなどあろうはずもない。
 
 むしろ「ほうじ」と読むので「榜示(ほうじ)」の意味と考えたほうが分かりやすい。「榜示」とは、国境や地境を示すために立てた杭のこと。村の境には以前も標木を立て、または天然の樹木をこの目的に利用していた。これを榜示といい、その場所を榜示処(ぼうじど)といった。
この「榜示」という地名も全国に残っている。平安時代末期から鎌倉時代にかけて、天皇方と武家方との土地争いが起こった際、この地を折半するという形で紛争を解決し、[杙]を立てたことから[榜示峠]と呼ばれた。「北条峠」も、鎌倉時代に領家方と地頭方との境を示す杭を立てた所のようである。長講堂領(ちょうこうどうりょう)は、中世荘園公領制下における王家領荘園群の一つだが、遠江国山香庄はその一部であった。

奥山郷は五村に分れていたとある。今の周智郡奥山村大字奥領家(おくりょうけ)及び大字地頭方、同城西村大字相月、磐田郡山香(やまか)村大字大井、同佐久間村大字佐久間であるという。前の二村名は単に荘園制度の完備していた時代に、この村の拓(ひら)かれたことを証するのみならず、後日、領家と地頭との間に収納に関する諍訟があって、当時、最も普通なる和与(わよ)手段により、双方の間に下地(したじ)を中分(ちゅうぶん)して、二つ以上の所領となったことがよく分る。

これは蛇足だが、峠の近くに中央構造線の断層粘土が見られるところがある。この辺りはフォッサマグナの西端に位置する。

写真はフェイスブックフレンドの瀧本美知子さんからお借りしました。
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