日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
読者のコメント歓迎いたします。

出鱈目を 死んだ女房の 所為にする

2014年10月29日 10時47分18秒 | 日記
 地元静岡4区選出の望月義夫環境大臣が、28日未明に記者会見し、自分は政治資金規正法や公職選挙法に違反していないと釈明した。

 望月氏は2008年と2009年に後援会が行った新年会での支出として計664万円を政治資金収支報告書に計上していたものの、収入が記載されていなかった点を指摘されていた。これについて望月氏は会見で「私の政治活動を支え、35年間事務所の経理のすべてを任せていた妻が2010年に他界し、当時の支出の詳細は領収書なども残っていないので確認できない」としている。

 この問題は2008年と2009年の政治資金収支報告書で、実際には後援会の会合費などの交際費だったにもかかわらず、賀詞交歓会の費用などと偽って計上したものである。28日の会見で望月大臣は、4年前に亡くなった会計担当の妻が付け替えたとして、改めて自身の責任を否定するとともに大臣続投に強い意欲を示した。会合費などが実際にどう使われたかについては、「だいぶ前の話で分からない」として再調査する考えはないとしている。

 私も選挙区こそ違うが同じ静岡市民である。環境大臣就任は喜ばしいことと歓迎もした。しかし、今回の釈明会見を見てまったく釈明になっていないと強く感じた。

 賀詞交歓会の会費は別途徴収されたということであるから、支出に見合う664万円近い収入があったものと思われる。支出は664万円が計上されているのだから、その金額が何処かへ消えたことになる。消えた金の行方は古い話だから分からない。本当の使途も分からない。死んだ女房がやっていたことだから分からないでは政治家本人の責任というものがまったく果たされていないのではないか。

 政治活動していたのは亡くなった奥さんではなくて望月氏本人なのであるから664万円もの資金の行方や使途が分からないはずがないのである。

 小渕優子氏や松島みどり氏は辞任してけじめをつけた。望月義夫氏がこのまま大臣の椅子に座り続けるとしたら単なる「鉄面皮」としかいいようがない。

 私は辞めろとか続けろとか言える立場にないが死んだ人へ責任をなすりつけるのは人間として最低だと思う。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小渕さん 針の筵の 辞任劇

2014年10月21日 15時07分40秒 | 日記
 竹下登元総理の孫でDAIGO(だいご)というタレントがいる。この人が竹下元総理の孫の証しとしてときどき持ち出してくるのが例の『平成』と書かれた色紙である。

 竹下内閣のときに昭和天皇が崩御された。元号変更にあたり、総理大臣官邸での記者会見で「新しい元号は「平成」であります」と平成を公表したのが当時の官房長官だった小渕恵三氏であり、氏はそれ以後「平成おじさん」として広く知られるようになった。

1998年(平成10年)7月30日、第18回参議院議員通常選挙での敗北の責任をとって辞任した橋本龍太郎の後継首相になる。

 低い支持率からスタートした小渕政権だったが、自由党・公明党との連立などで政権基盤は安定し、長期政権も視野に入っていた。しかし2000年(平成12年)4月2日に脳梗塞を発症した。
 
 4月5日、小渕首相が昏睡状態の中、青木幹雄首相臨時代理は小渕内閣の総辞職を決定した。
その後も小渕の昏睡状態は続き、意識を回復する事のないまま、倒れてから約1か月半を経た同年5月14日午後4時7分に死去。62歳だった。

 2か月後の第42回衆議院議員総選挙には、次女の小渕優子が後継として、群馬県第5区から出馬した。この選挙は小渕前首相の弔い合戦であるかのような様相を呈し、優子は次点の山口鶴男(元日本社会党書記長・元総務庁長官)に13万票以上の大差をつけて当選した。以後優子は連続当選し、現在5期目の現職である。

 先月の内閣改造で経済産業大臣に就任したばかりであったが、一連の政治資金疑惑で早々辞任に追い込まれてしまった。

 小渕氏の一連の政治資金疑惑で、問題は主に2点ある。一つは後援会が支援者向けに開いた観劇会の収支を巡る問題だ。

 小渕氏は記者会見で、観劇会を年2回開き、毎回約1000人が参加して、2008年以降は1人当たり1万2000円を徴収したと説明した。年間約2400万円、2年で約4800万円の収入があった計算で、この通りなら後援会などの政治資金収支報告書に計上された10、11年の観劇会の入場料と昼食代の3384万円、バス代1284万円の計4668万円の支出をまかなえる。参加者は実費を負担したことになり、公職選挙法で禁じられた利益供与(寄付行為)には当たらない。

 だが、両年の収入は計742万円しか記載がない。08年開催分は収入が計上されておらず、12年分では収支とも一切記載がない。つまり、収入にせよ支出にせよ数千万円単位の金の行方がわからないのである。

 小渕氏は「収支報告書の記載に大きな疑念があると言わざるを得ない」と述べ、政治資金規正法上の虚偽記載に当たる可能性を自ら認めた。

 もう一つの問題は、資金管理団体からの不適切、不透明な支出だ。
 支出は下仁田ネギやベビー用品、化粧品など多岐にわたるが、小渕氏はいずれも県外在住支援者への贈答や海外出張時のお土産などと説明。「会社が経済活動の中で経費で社交儀礼するのと同じく、政治家がさまざまな人と交流を持ち人脈を広げるのは重要な仕事の一つで、政治活動の経費として認められると思う」と強調した。

 いま確認されている段階では選挙区内に配ったことはないと承知している」と述べたが、地元秘書が選挙区内の男性に小渕氏の顔写真が印刷されたワインボトルを贈ったことが明らかになっている。群馬県の市民団体は20日、観劇会の収支問題に加え、ワイン贈答に公選法違反の疑いがあるとして東京地検に刑事告発した。受理されれば事件として司直の手に委ねられることになる。

 小渕優子氏が辞任した当日、群馬県中之条町の折田謙一郎町長が中之条町議会議長に辞表を提出した。

 折田謙一郎氏は町長に就任した2012年以降も、小渕優子代議士の関連政治団体「小渕優子後援会」「自民党群馬県第五選挙区支部」「自民党群馬県ふるさと振興支部」の政治資金収支報告書をすべてチェック。その報告書に疑惑が浮上した責任を取る形での辞任となるのだが、町民や町政とはあまり関係ない小渕代議士絡みでの辞任に疑問の声が多い。

 折田氏は「私が作成した収支報告書のせいで小渕代議士や支援者に迷惑をかけた。おわびしたい」「調査委員会に全てを説明する」「小渕代議士は政治資金については全く関与していない」などとコメントしている。

 小渕氏をめぐる政治資金の問題は折田氏の言動も含めてこれからなにが飛び出すかわからない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

味自慢 我がふるさとの とろろ汁

2014年10月14日 14時06分53秒 | グルメ
 私が初めて山芋を掘ったのは八歳の頃である。場所は生家の正面の山で通称を「ウバガミさんの山」という。山の突先に「ウバガミ」を祀った小さな祠がある。「ウバガミ」が姥神なのか乳母神なのかは定かではない。祠の前には古い碾臼が置いてある。なんでも昔は乳の出ない女衆がお参りしたものらしい。

 この山は今日では開墾されて一面の茶畑に変貌しているが当時はまだ雑木林になっていて其処此処に山芋が生えていた。山腹の傾斜の具合や土質が手ごろだったので子供の手でも案外と簡単に山芋を掘ることが出来た。

 秋もようやく深まる頃になると山芋の葉は鮮やかに黄葉する。山芋は周囲の草木よりも黄葉するのが少し早いので慣れた者には見つけ易い。鮮黄色のハート形をした葉を目当てに探す。山芋の地上部は蔓草である。蔓の色には変化があって一概には言えない。蔓は陽当たりの良いところまで一気に伸びてから葉を広げる。従って、地面からしばらくの間は葉が一枚も無い。蔓には節があって、節のところに上向きの丸みのある膨らみを持つのが山芋の特徴である。

 近似種の野老(ところ)では鉤状の突起が下向きについている。葉のハート形にも特徴がある。トランプのハートに近い形、所謂、芋っ葉のものは通称「馬鹿芋」とよばれるもので正式な和名はニガカシュウである。担根体、つまり芋は蒟蒻芋に髭根をつけたような丸い形状を呈する。

 オニドコロともいう野老(ところ)はハート形の輪郭が角張っていて、葉脈の流線に滑らかさを欠く。蛇足だがヤマノイモ科は単子葉植物だから葉脈は網目にならない。芋は節くれ立った塊で一面に髭根を有する。この髭根を翁の白髪に見立てて正月の縁起物にするわけである。

 山芋は蔓の太さから芋の大きさを判断する。当たり前のことだが、蔓が太くて長く、広範囲に蔓延っているものほど芋が大きい。

 さて、手ごろな蔓を見つけたら、最初に蔓をたどって生えている場所を確認する。次に、付近の草や潅木を鎌で刈り払う。作業環境を整える訳である。刈り取った草や潅木は纏めて斜面の下側へ置く。掘った土石が直ちに崩れ落ちないように塞き止める役目である。これで山芋掘りの準備完了である。

 続いて、蔓の根元を丁寧に掘って臍(ほぞ)を探す。山芋は臍を中心にして放射状に根を伸ばしている。慣れてくると、この根から臍の位置を読めるようになる。臍の位置を確認したら、臍から幾らか離れた下側から鍬を入れる。山の勾配と予想される芋の長さから大体の掘削深さを決めるのである。山芋は臍から概ね垂直に伸びている。穴は幅三〇センチほどで底が水平になるように形よく掘るのが良い。

 粗方掘れたら、次には先を削って尖らせた棒切れで芋の周りの土を取り除く。この際に山芋を傷めないよう注意することが肝要である。特に、山芋の先端は柔らかくて傷めやすいので注意を要する。山芋に細い根っこなどが絡んでいるのを見落とすと、最後のところで思わぬ失態を招き、大事な芋を折ってしまう。周囲の土石や根っこを丁寧に取り除き、先端から徐々に土から外しておいて、最後に臍(ほぞ)を切って穴から取り出す。臍は穴の中か穴の上側に埋めておくと、次の春には芽を出して、数年もすれば元の大きさの山芋に戻る。

 掘った山芋は手ごろな蔓を探して副え木に括る。この時、薄(すすき)を刈って簡単に包むとよい。山芋の苞(つと)は古来、薄(すすき)が相場である。薄が無い場合には野茶(ひさかき)などに括ってその枝葉で包む手もある。山芋の掘り穴は山石などを積み、土で埋め戻しておくのが礼儀である。

 ここまで話した序でに美味しいトロロ汁の作り方を紹介しよう。先ず、準備する道具であるが、肌理の細かな下し金と大振りの擂鉢、それに擂粉木が必需品である。昔ながらの焼き物の下しがあれば最適だが無ければ擂鉢で直接磨り下ろすこともできる。この場合は山芋を布巾などで包んで磨ると滑らなくてよい。トトロ汁を作るときの擂粉木は山椒のものよりタラの木で作った太めのものがよい。

 次に材料である。山芋は肌の奇麗なすんなりしたものがよい。色で言えば黒っぽいものは避けたほうがよい。端的に言って山芋も色白がよい。土質の悪いところで掘った山芋は磨り下ろすとアクが出て黒くなってしまう。調味料は田舎味噌と鰹節があればよい。鰹節がなければ鯖節でも雑節でも結構である。

 道具と材料が揃ったら山芋を洗う。山芋には思わぬところに小石が挟まっていたりするので適当な長さに折って丁寧に洗う。竹で作った小箆などを使うと存外上手く洗える。

 鰹節で濃い目の出汁をとり、味噌を溶いて味噌汁を作る。味噌汁も多少濃い目に加減したほうがよい。山芋を下し金で磨り下し、擂鉢で暫らく当たる。全体的に均一な状態になったら、お玉杓子に半分程度の味噌汁を加えて更に当たる。この時、味噌汁は熱いほうがよい。よく当たって再び全体的に均一な状態になったらお玉杓子に七分目位の味噌汁を加える。この繰り返しで一回に加える味噌汁の量も徐々に増やしながら適度な濃さまでのばす。

 あまり急ぎすぎて、一度に大量の味噌汁を加えると、山芋と味噌汁が分離してしまってトロロ汁が上手くのびない。この状態を「ママッコ」になるという。ママッコつまり継子である。仕上げに隠し味として若干量の醤油を加えてトロロ汁の出来上がりである。トロロ汁には麦を多めにした麦飯がよく合う。麦トロは消化がよいから多少食べ過ぎても直ぐに楽になる。

 山芋の食い方には、トロロ汁の外に山かけや月見、魚鳥のすり身に混ぜてしん薯にする方法もある。私が子供の頃には、焚き火の灰に埋めて焼いて食べたものである。
 


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする