日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
読者のコメント歓迎いたします。

湧水の雷井戸は霊水ぞ

2023年06月10日 10時31分42秒 | 旅行

静岡県三島市南本町の民家の脇で大切に管理されている井戸が「雷井戸」。井戸保存のために、市民の有志が土地を買い上げて保存活動を続けている。三島は昭和30年代中頃までは、街のあちらこちらで湧水が見られたが、雷井戸もその一つ。水量は減ったものの、現在でも一年を通してこんこんと水が湧き出ている。

この井戸はかつて田町水道と呼ばれる地域住民の飲料水を供給する簡易水道の水源であった。
雷井戸は、源兵衛川や水の苑緑地の近くにある。住宅街を抜けた先の少し分かりにくい場所であるが、道の分岐点には案内板が設置されている。

この付近には「南本町湧水群」と言われる数多くの湧水があり、その一つの水源として雷井戸は地域住民の生活を支えていた。

三島梅花藻は、1930年(昭和5年)に三島の楽寿園で発見された水草で、水の量・温度・質のどれもが良い条件でないと育たないというデリケートな性質。
この水草が群生しているということは、その水がきれいな水であるという証拠となり、水質のバロメーターとも言われる。

画像は旅行サイト「たびらい」からお借りしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菊石が伝ふ悲恋の物語り

2018年05月04日 19時26分07秒 | 旅行

静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)佐夜鹿(さよしか)にある菊石は、直径約1mの菊の花のようにヒビ割れた石です。

亀の甲羅のようにも見えるので、亀石とも呼ばれます。

石灰岩に鉄を含む水がしみ込んで、科学変化によってヒビ割れたものだそうです。

この菊石には、南北朝時代に盗賊討伐のため京都から菊川の里へやって来た一条三位 上杉憲藤(うえすぎのりふじ)と、長者の娘 白菊姫との伝説があります。

菊石の隣りは喜多向延命地蔵堂、

その隣の洒落た建物は佐夜鹿公民館なんだと思います。


菊石の近くにあった標識によれば昔この辺は佐野郡大鹿村だったそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青丹よし奈良のみやこは酒どころ

2011年09月21日 09時09分51秒 | 旅行
久しぶりの奈良見物である。

十数年前に家族三人で柳生の民宿へ二泊して奈良各地を見物して回ったことがある。それ以前には中学校の修学旅行で奈良に行ったことがあるのだが、細かいことはほとんど憶えていない。

今回は家内と二人連れであるが、お互いに鼾を掻くのでホテルはシングルの部屋を二部屋キープした。家内が飛鳥寺を訪ねて見たいと言っていたので明日香村に近い橿原市の安ホテルを予約しておいた。シングルの部屋であるが大きいベッドだったので楽に寝ることができた。

今回も日産サニーのおんぼろ自家用車で走ったのであるが5万キロちょっと走っている私の愛車は極めて良い調子で乗り心地も悪くはない。
私はこれまでカーナビを着けずに運転していたが、最近、知り合いから紹介されて29800円という格安なカーナビを入手して自分で車へ装着した。つまり、難しい配線の必要は一切なく、付属のコードをシガレットライターに差し込めばよいのである。

画面は7インチと少し小さめだが、小型車の狭い運転席に後付けするのだから却って好都合である。本体の取り付け方法も両面テープと吸盤だから簡単である。

さて、17日の朝7時45分、カーナビの目的地を奈良県橿原市のホテルの電話番号で設定して自宅を出発した。静岡インターから東名高速に入り一路西へ向けてひた走る。

浜名湖を過ぎ豊川を過ぎ、豊田で左へ進路をとれというカーナビの指示で車は伊勢湾岸道へ入った。やがて名古屋港の辺りを過ぎて木曽川河口を通過、左手に長島スパーランドの大きな観覧車やジェットコースターが見えた。このあたりは三重県桑名市である。

しばらく走ると高速道路の料金所があって、そのまま西名阪道へ入った。ここは一般自動車道で制限速度は時速60キロである。
鈴鹿、伊賀と進んでだんだん山深い感じになってきたが、信号や交差点は一箇所も無い自動車専用道であるから時速70~80キロで順調に走れた。やがて針というインターを過ぎて道が下り坂になると前方に視界が開けて奈良盆地が見えてきた。坂を下りきると天理の町である。

ここで時計は12時少し過ぎていた。4時間ちょっとで奈良まで来たのである。天理から道を北へとって奈良市へ向かった。午後1時ころ奈良町の駐車場へ車を預けて奈良町の散策をした。

寿し店の人に誘われるままに入ってワサビの葉で包んだ寿しを食べた。ネタはアナゴと〆鯖であった。家内はサーモンと海老を食べた。オニギリほどの大きさがあったので二つ食べれば十分である。

奈良町では他にみたらし団子も食べた。これもその場で炭火で炙って甘鹹いタレを付けたもので香ばしくて美味かった。その後、興福寺などを見学していると少し雨が降ってきたので車に戻って、橿原のホテルへ向かった。

ホテルは橿原神宮のすぐ近所にあってわかりやすい場所であった。午後4時チェックイン。
橿原神宮を鳥居のところから参拝して、ホテルに戻りテレビで大相撲を観戦した。

夕飯はホテル内のレストランで食べたがメニューは限られていたので、当たり障りの無いところで奈良豚のトンカツライスを頼んだ。奈良県は海の無い農業県だから野菜と豚や鶏には自信があるのだそうである。事実トンカツは不味くはなかったが肉が薄くて普段私がよく食べる和幸のトンカツの半分くらいの厚さであった。

二日目の18日は朝から好天に恵まれた。
ホテルから飛鳥寺へは直ぐに着いた。飛鳥寺はまだ準備中で若い女性が掃除をしている最中であった。どこかで時間つぶしをしてから出直そうとしたら中へ入っても良いということだったので、狭い境内を拝見してきた。ただし、拝観料を払わないので飛鳥大仏は見ることが出来なかった。飛鳥大仏は前に来たときに一度拝観しているので今回は省くことにした。

次に三輪明神・大和国一の宮の大神神社に参詣した。長い参道には野菜などの露店が並び朝からにぎやかである。
鬱蒼とした森を抜けたところにある社殿は風格があり、神職・巫女の人数も多い。

神妙な面持ちで二礼二拍手一礼をし恭しく参拝を済ませ、お守りをいただいてきた。

次に向かったのは斑鳩の法隆寺である。今回はガイドの人の説明もじっくり聴いて、宝物殿や夢殿もしっかり見てきた。
玉虫厨子は前に見たときの印象よりも少し大きく感じた。以前は遠くから、今回は間近にみたのでそう感じたのだろうと思う。

法隆寺の門前の店で名物の柿の葉寿しと茶蕎麦のセットを昼飯に食べた。私は元々〆鯖や鯖鮨が好物なので柿の葉寿しは口になじむのである。

法隆寺の次は壮麗な薬師寺の伽藍を拝観し、境内の茶店で吉野葛の落雁で冷やし抹茶をいただいた。冷やし抹茶のガラスの茶碗が我が家で使っているものと同じであった。

次に唐招提寺へ向かったのであるが同行の家内が歩き疲れたというので駐車場に残して私だけでお参りしてきた。時間は少し残っていたが疲れた妻を労わってやるためにホテルへ戻って大相撲をテレビ観戦して時間つぶしをした。

この日の夕飯はホテルの前の居酒屋でとることにしていたので6時過ぎに出かけた。メニューを見ると魚介類は皆無で自慢の野菜と鶏が主体であった。

生ビールはキリンで文句なし。焼き鳥、野菜の天麩羅など料理はいずれも美味であった。妻が食べた塩焼きソバも野菜と鶏肉で美味しかったそうである。

三日目の19日も天気は良かったが、午後から崩れるという予報だったのでホテルの朝食を済ませると同時に帰り支度を始め、8時少し前に帰路についた。
帰りも天理から西名阪道に入って来たときのコースを逆に走った。天理の町を走ったとき右手に見えた天理教の建物が長く続いていたのが印象的だった。

帰路で特筆すべきことは鈴鹿あたりのサービスエリアでトイレ休憩したときに自販機の前の段差に躓いて転倒したことである。
顔を少しすりむいて、メガネのガラスに疵がついてしまった。
静岡には正午過ぎに帰着したので途中の「まいどおおきに食堂」静岡インター店で昼飯を食べた後、眼鏡市場へ直行して眼鏡を新調した。待ち時間40分で眼鏡が出来るのは素晴らしいことである。

今回の小旅行はカーナビのお陰で極めて順調に行動できた。
今週は山梨県韮崎市の山本美術館で開催中のダウン症の皆さんが描いた絵を拝見に上がります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする