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日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
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初亀は東海道の宿場酒

2020年10月31日 14時52分33秒 | 日記
 静岡市より西に10kmほど行くと初亀蔵元のある岡部町がある。古くは東海道53次の宿場として栄えた町である。西には酒の神である神神社があり、ご神体である山、高草山の麓で酒を醸す恵まれた蔵である。蔵から川を上ると日本有数の玉露の産地がある。自然環境にも恵まれた町で、仕込水は南アルプスの伏流水を使用して醸す。

 神神社(みわじんじゃ)は奈良県桜井市・大神神社(おおみわじんじゃ)を本社として、1370年の永きに渡り旧静岡県志太郡岡部町三輪村(現藤枝市)の地に鎮座し、三ツ鳥居を通し駿河の三輪山(現在は高草山と呼ばれている)を拝すると言う古代の祭祀の形態を伝えている。我が国最古の大神社(おおみわじんじゃ)の分社として崇敬され美和天神とも称され、「駿河国神名帳」には、三輪明神と記載されている古社である。

 会社名は、初亀醸造株式会社。 銘柄は「初亀」。 住所は静岡県志太郡岡部町岡部744。製造石数は1000石。旧東海道沿いに、「初亀」の字を白く染め抜いた日除け幕が宿場町の老舗酒蔵らしい風情を漂わせている。

 初亀酒造の創業は、1636年(寛永13年)、初代当主・橋本九郎右衛門が駿府城から程近い現在の静岡市葵区中町で「足名屋」として酒造業をはじめた。銘柄の「初亀」は“初日のように輝き、亀のように末長く栄える”ことを願い命名された。明治初年に宿場町岡部に蔵を移転して以来この地を故郷としている。当代は16代目となる橋本謹嗣社長。因みに、寛永13年は徳川三代将軍家光の治世。寛永通宝が鋳造された年である。翌、寛永14年10月に島原の乱が起きた。

 藤枝市岡部町はお茶とミカンと竹の子の街です。お茶は高品質の玉露の産地として有名で、独特の味は広く全国から誉め称えられています、又、ミカンは言わずと知れた名産です。あと竹の子ですが温暖な土地で、早くから筍が出る為、東京の料亭などに高額で取引されています。又、岡部町は安倍川と大井川の中間に位置し、東に「蔦の細道」で有名な宇津ノ谷峠の有る宿場町です。

お祭りとしては,大龍勢祭りが有名で、10月中旬『3年に1回』岡部町朝比奈地区で農民による龍勢ロケツト大会が行われます。10メートル近くの竹の先に、竹で制作した火薬筒に町内の各集落が古くから伝承されてきた火薬の配合で龍勢花火を創り上げる祭りです。当然、素人集団が作る龍勢花火ですので、成功率60~80%となり、集落同士の対抗意識が祭りを盛り上げます。昼射ちと夜射ちとありますが、小さな街の田んぼ一面桟敷が作られ、酒を交わしながら秋の一日を楽しみます。

 初亀醸造と吟醸酒の歴史は古く、昭和42年に静岡県、名古屋局、全国清酒品評会(当時東京農大主催)全ての品評会で第一位を受賞したのを記念し発売を始めた。その後も昭和52年に日本で一番高額な酒として当時の小売価格1万円の『亀』の発売に踏み切り、全国の蔵元の驚きをかった蔵です。

 アメリカで実施される日本酒鑑評会「全米日本酒歓評会2020」において「初亀 特別純米」が純米部門で準グランプリ、「初亀 純米大吟醸」が純米大吟醸部門で銀賞をそれぞれ受賞している。

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疣取りの穴地蔵さんは日本坂

2020年10月16日 19時52分12秒 | 日記
焼津市は2020年10月12日、同市の満観峰ハイキングコースで熊の親子が目撃されたとホームページ上で発表した。ハイカーや農業者に注意を呼び掛けている。市によると、11日午前11時15分ごろ、1人でハイキングしていた同市の男性が鞍掛(くらかけ)峠から満観峰山頂に登る途中、山の斜面を登っていく熊と子熊2頭を目撃した。男性から連絡を受け、市が調べたところ、ほかのハイカーからも目撃情報が寄せられた。
 市は登り口に注意喚起の張り紙を掲示し、ハイキングする際は熊鈴を携帯するなど対策を講じるよう呼び掛けている。

 日本坂峠あるいは単に日本坂は、焼津市花沢から静岡市駿河区小坂に至る峠とその峠道。標高309メートル。両市の市境になっている古道である。焼津市北部は、高草山や満観峰・花沢山などの山々が連なる山地が駿河湾の大崩海岸まで達し、静岡市との天然の境界をなしている。地名に「日本」を冠する由来は、日本神話における景行天皇の時代に、焼津に上陸した日本武尊がこの峠道を越えて東国征討に向かったという伝承からと言われている。
 焼津は古事記に語り継がれる草薙の剣の舞台となったところです。日本武尊が東征のとき敵の策略により草原に火を放たれたと言います。このとき草を払って火を消し止めた剣が草薙の剣、その地が焼津と伝えられています。また焼津と静岡を結ぶ日本坂峠は大化の改新の翌年、「ひむがしの海のみち」として制定された古い官道で後の東海道の一部になった道です。満観峰への曲がり角の左手の斜面に切石で囲った岩室があってその中に二体の地蔵さんが納められています。日本武尊が敵に追われて隠れたと言い伝えられている日本坂峠の穴にある地蔵さんなので峠の穴地蔵と言われています。
 
 穴地蔵に手で触れて疣とりを祈願すると疣が取れると言われています。疣が治ったらお礼参りは穴あき石を拾って来て奉納するそうですが、穴あき石のない場合は丸い普通の石でも良いそうです。石の代わりに花を奉納したり、お酒を地蔵さんにかけたりもします。日本坂訪問は熊に要注意です。

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名僧は玄国茶屋に名を遺す

2020年10月09日 14時13分58秒 | 日記
大川地区では崩野や楢尾や大間で仕事をしたので湯ノ島温泉や玄国茶屋はよく利用した。

【湯島玄国和尚伝説】
 県道大川村地内湯島橋のバス停留所付近からの四十度の急坂を登る高台に曹洞宗に属する「湯峯山宝積寺」がある。この寺は、昔は日向にある陽明寺の末寺として上湯島の宮ノ段の飯綱神社左隣に建立しあるも、ある年寺の裏山が崩壊して土砂に埋まったので現在の寺の屋敷に再建したと伝う。湯峯山の名号は最初の上湯島付近が温泉多量に湧出した処から湯峯山と称したという。同寺は明治初年頃までは住職が住んでいて、法事を営みしも現今は無住寺となり、戦後改築して公民館として現在に至る。この公民館より右方百メートルの山腹に建てたるお堂が玄国和尚を祀れる玄国堂で毎年春の彼岸の中日に例祭を執行し、彼岸の行事として遠近の参詣の人々で賑う。
 従前は玄国和尚の命日旧暦二月二十七日に行われ、その後に変更せられて旧暦二月十日なりしを最近彼岸の中日春分の日となった。
 玄国和尚さんは、今から二百年前に甲斐国八代郡大島の生れ(現在の南巨摩郡身延町大島)。幼少にして仏門に入りしが長じて後ち大川村に来たりて日向陽明寺の住職となる。学徳共に高く大いに檀家の景仰する処たるも晩年職を後嗣に譲り、静かに老を湯島の宝積寺に養ひしが玄国和尚はいつの頃からか瘡腫にかかり、日夜病魔に悩まされ闘病生活幾年月の永きにわたりたるも治療方法のない昔、漢方薬草の投薬や禁厭、または祈祷によって根治すべし全精魂を傾注したるが肉体の力や薬物及び霊の術は人界のものだから祈祷禁厭または呪詛の類が迷信だして一切を断定したと伝う。
 玄国和尚は自ら悟りし村人を頼んで生き埋めにしてもらうことを決意した。人々も和尚さんの酷い姿を見るに忍びず、嘆願について相談すること句日「人命」小田原会議に終始したのでまとまらないが和尚さんを苦しみから救うためならと相談が一沢し、和尚の申し出の通り生き埋めにした。
 玄国和尚は村人と最後の別れを告げて墓穴に入る時に村人から渡された若干のお菓子をおし頂いて仏具を片手に持ちたという。
 不治の病にかかり不遇の和尚さんも埋められた墓の中から念仏の声が一週間続いて聞こえたと言い伝えられている。
 時に安永四年末二月二十七日行年八十二才。(安永四年は一七七五年。)
 玄国和尚入寂後既に二百年に及び村人が病気治癒の祈願をなし、應病成就すると。就中皮膚病、乳幼児湿疹、膿皮症、痤瘡に霊験あらたかく、今尚霊前に香華の絶えたることなく以てその学徳の如何に崇高であったかを窺われる。
 玄国堂は最初は墓所の下に建立したが腐朽甚だしくかつまた狭隘のため宝積寺境内に移したるも現存する金毘羅権現の神社と並ぶので再び移転して今ある屋敷に建立し現在に至る。祠堂には土地の人の敬いで一体の尊像、高さ五十センチの座像を安置す。これ座像は名古屋市の某仏具店で謹作したもので、最近塗替補修を施したが近郷にはない彫刻とも云う。では目下二百年の遠忌の祭典の計画中ある。祈願成就のお礼参りのおはたしは菓子類の供物、おふきん、えま等が供えてある。
 戦前までの村人の病気平癒祈願の例を挙げると、先ず病人の隣り近所の人達が集りて相談して玄国堂に会合して霊前に車座を作りて誓願を各個人個人が唱え祈祷する。その経文眞言宗の和諧文で例示すると

 おんあぶきゃぴ、るじやのわかもだら、まにはんどま、じんぼら、はらはりたやおん。

の唱えごとを繰り返す。その際の時間は約一時間、戦前中市販されて居った線香約五センチのもの二本程度でその線香の絶える時間継続して唱和するもその途中に線香の煙が中絶すると願事が不成就といい伝う。
 眞言宗派の和讃文の唱え事が湯島の人々に充許されたのは年代不詳なるも、昔安倍郡玉川村桂山の某寺に大持会を開いた時に許されてから玄国和尚への集団祈願の例としたという。個人参拝は従前の方の方式が行っている。
 本堂改築に際して従前からの堂の建築古材を村人が譲り受け物置小屋にして使用したるに、霊験の具現によるものか穀物貯蔵中「ネズミ」その他の侵害なし。永年保存するも味の変質もなく収穫期と同様で戸締一切無用であったと伝う。『大川の風土記』(小沢慶一.1966)より転載。
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ご近所に秤の老舗ありました

2020年10月05日 16時47分26秒 | 日記
 私が通院している静岡厚生病院(北番町)近くの若松町に老舗の秤屋があるのことを最近知った。河瀬衡器製作所である。
 社史によれば、真田弾正幸隆を祖先に持つ初代川瀬(河瀬)光通は、承応二年(1653年)に秤屋を創業しました。その孫河瀬源右衛門が駿府(現在の静岡市)の七間町に秤座を開き、駿府秤所の初代名代になりました。
 真田幸隆は、戦国時代の武将。信濃の在地領主で、甲斐国の戦国大名である武田氏の家臣。息子三人と共に、武田二十四将にも数えられる。幼名は次郎三郎、通称は源太左衛門、剃髪して一徳斎と号す。諸系図では幸隆と記されるが、確実な同時代史料においては幸綱と記され、また子に“隆”を通字とする者がまったく居ない事などから、永禄5年頃までは幸綱と名乗り、幸隆は晩年に改めたものであると考えられている。「幸隆」の名に関して、『高野山蓮華定院過去帳』では一徳斎の道号に伴い「一徳斎幸隆」と記されており、道号は原則として音読みされることから、「幸隆」の読みは「こうりゅう」であるとも考えられている。
 出身は信濃小県郡の名族海野氏で、海野平合戦でいったん所領を失うが信濃に侵攻した武田晴信に仕えて旧領を回復。以後も武田家の信濃先方衆として活躍し、後の真田氏の礎を築いた。
 幸綱の智略と功績は信玄に高く評価され、外様衆でありながら譜代家臣と同等の待遇を受け、甲府に屋敷を構えることを許された。武田家中でも一目置かれていたと言われており、戦国三弾正の一人として、「攻め弾正」の異名で呼ばれている。
 真田家の旗印である「六文銭」は三途の川を渡るための船賃という不吉な意味であるが、幸綱はかつて仕えていた山内上杉家を見限り、身命を賭して武田家に仕えて家名を残す覚悟で、この旗印を用いたとされる。 
 天文年間(西暦1550年)甲州は名将武田信玄の治政のもと、その希有な政治的才能も相まって、大いなる繁栄をとげつつありました。
 当時領国内に甲斐金山を有し、産出する黄金のために精密なる秤が必要とされていたこと、その反面、領国内に横行する種々雑多、粗悪な秤が、商取引の円滑な交流を妨げることを憂え、長男義信の長子(信義)を吉川守隨家へ養子に下し、秤の製造専売権を与え(秤座の誕生)、規格の統一と品質の均一、向上を図り、黄金掛引秤を製造せしめたことにはじまります。
 天正十年(西暦1582年)勝頼亡びて、家康公甲府に入った折、吉川守隨家を呼び秤座の家職を特許しました。
 その翌年家康公、江戸に幕府を開くや直ちに江戸に出府し、家康公より御朱印を允可され、金座、銀座とならんで守隨秤座を創業いたしました。
 甲斐国内で使われていた秤を、家康が領国の公定秤と認定し各地の秤量を統一した。製造・販売者の守隨義信は信玄の孫で、前年の武田家滅亡後、家康の庇護を得た。
 長さや重さなどの「単位」の安定は人々の生活や経済活動に欠かせないものでした。徳川幕府も社会の安定のため、単位の統一と計量器具の統制を図ります。当時、重さを量る道具には桿秤と天秤があり、幕府は桿秤における秤座の特権を江戸の守随家と京都の神家に与えました。これにより両家は製造・販売・修理を独占し、秤の検査として秤改を実施しました。
 秤座は、戦国大名が領内の衡制統一のため設置したものもあるが、江戸幕府の秤座がよく知られる。江戸幕府は守随(しゆずい)家の江戸秤座(東33ヵ国)、神(じん)家の京秤座(西35ヵ国)を置いて,両家に秤の製作,販売,補修の特権を与えた。守随家は1874年の段階で東日本一帯41ヵ所・・・設立順に、甲府、名古屋、津、高田、敦賀、会津、柏崎、大津、駿河府中、丹波亀山、高崎、彦根、秋田、金沢、川越、長岡、下野佐野、遠江中泉、信濃下越、松本、善光寺、富山、宇都宮、三河泉村、八王子、新潟、三河吉田、磐城瀬之上、米沢、加茂、出羽庄内、福井、津軽、上野原、松代、上田、仙台、箱館、相模横山宿、木更津、松坂・・・に出張所を置き、その管掌者を名代(みようだい)役と呼んだ。河瀬源右衛門は守随(しゆずい)家江戸秤座の名代ということなのであろう。
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