日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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安倍総理 ポツダム宣言 読んでくれ

2015年05月22日 10時48分11秒 | 日記
千九百四十五年七月二十六日
米、英、支三国宣言
(千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ)

一、吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート・ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ

二、合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国カ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ連合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ

三、蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レサル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スヘク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スヘシ

四、無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国カ引続キ統御セラルヘキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国カ履ムヘキカヲ日本国カ決意スヘキ時期ハ到来セリ

五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
  吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス

六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス

七、右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ

八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ

九、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ

十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ

十一、日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルヘシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ

十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ

十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス

(出典:外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊[3])

現代語訳

日本の降伏のための定義および規約
1945年7月26日、ポツダムにおける宣言

1.我々(合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣)は、我々の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機会を与えることで一致した。

2.3ヶ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する戦争を遂行する一切の連合国の決意により支持され且つ鼓舞される。

3.世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ナチス・ドイツに対して適用された場合にドイツとドイツ軍に完全に破壊をもたらしたことが示すように、日本と日本軍が完全に壊滅することを意味する。

4.日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。

5.我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。

6.日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。

7.第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。

8.カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。

9.日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る機会を与えられる。

10.我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。

11.日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。

12.日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。

13.我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。

日本国の内閣総理大臣がポツダム宣言を知らないではすまされないでしょうね。戦後レジウムからの脱却などと殊更にこだわるのは安倍総理が敬愛してやまない祖父・岸信介元総理の経歴にかかわるのではないかと私は勝手に考えている。

つまり、岸信介氏は東條内閣では商工大臣として入閣し、のちに無任所の国務大臣として軍需省の次官を兼任する。昭和戦前は「革新官僚」の筆頭格として陸軍からも関東軍からも嘱望された。

東條英機内閣の大東亜戦争開戦時の重要閣僚であったことから極東国際軍事裁判ではA級戦犯被疑者として3年半拘留された。しかし、即時停戦講和を求めて東条内閣を閣内不一致で倒閣した最大の功労者であることなどの事情が考慮されて不起訴のまま無罪放免されている。他の戦争指導者同様、公職追放は免れなかったが、それも東西冷戦の影響による米国の方針変更によりサンフランシスコ講和条約発効とともに解除される。



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ネパールのゴビンダさんは良い暮らし

2015年05月19日 14時13分35秒 | 日記
 東電OL殺人事件(とうでんオーエルさつじんじけん)という未解決事件がある。

 1997年(平成9年)3月9日未明に、東京電力の幹部社員だった女性が、東京都渋谷区円山町にあるアパートで殺害された事件。ゴビンダ・プラサド・マイナリさんというネパール人が犯人として逮捕・収監されたが、後に冤罪とされ釈放された。

 事件発生から10日を経た1997年(平成9年)3月19日午後5時過ぎに、東京都渋谷区円山町にあるアパートの1階空室で、東京電力東京本店に勤務する女性(当時39歳)の遺体が発見された。発見し通報したのはこのアパートのオーナーが経営するネパール料理店の店長であった。

 ネパール人、ゴビンダ・プラサド・マイナリさん(当時30歳)はこのアパートの隣のビルの4階に同じく不法滞在のネパール人4名と住んでいて、被害者が生前に売春した相手の一人でもあった。死因は絞殺で、死亡推定日時は同8日深夜から翌9日未明にかけてとされる。

 1997年(平成9年)5月20日、警視庁は、殺害現場の隣のビルに住み、不法滞在(オーバーステイ)していたゴビンダさんを殺人事件の実行犯として強盗殺人容疑で逮捕した。逮捕されたゴビンダさんは捜査段階から一貫して無実を主張し、一審無罪、控訴審での逆転有罪、上告棄却、再審決定を経て、2012年に無罪が確定した。

 被害者女性は、慶應義塾大学経済学部を卒業した後、東京電力に初の女性総合職として入社したれっきとしたエリート社員(未婚)であったが、後の捜査で、退勤後は円山町付近の路上で客を勧誘し売春を行っていたことが判明する。

 被害者が、昼間は大企業の幹部社員、夜は娼婦と全く別の顔を持っていたことがマスコミによって取り上げられ、被害者および家族のプライバシーをめぐり、議論が喚起された。

 女性は東京電力の企画部調査課の副長であり、当時の直属上司は取締役企画部長勝俣恒久氏(元・東電会長)。女性の殺害事件後、勝俣氏は常務取締役となる。殺害された女性は「原発の危険性を指摘」する報告書を作成していた。被害者の父親は東電工務部副部長。社内で原子力の危険性を指摘して降格人事となり一年後にガンで死去。

 再審開始決定後も検察側は有罪主張を維持していたが、被害者の爪から男性XのDNAが検出されたことから一転して無罪主張に転換した。

 再審初公判は2012年10月29日に開かれ、検察は、「被告以外が犯人である可能性を否定できない」として無罪を主張、結審した。同年11月7日、東京高裁(小川正持裁判長)が無罪判決を言い渡した。検察は上訴権を放棄し、ただちに無罪判決が確定した。12月末、ゴビンダさん側から刑事補償請求がされた事が判明。2013年5月、補償額いっぱい(一日当たり12500円)の6800余万円が支払われた。

 先日、ネパール大地震のテレビ番組の中でゴビンダさんがインタビューを受けていたが立派な住宅は被害もなかったようで悠々自適の生活ぶりであった。

 IMFの統計によると、2013年のネパールのGDPは193億ドル。一人当たりのGDPは693ドル(1ドル120円換算で83,160円)であり、非常に低い水準である。2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル(240円)未満で暮らす貧困層は2200万人と推定されており、国民の70%を超えている。国際連合による基準に基づき、後発開発途上国に分類されている。

 ゴビンダさんは異国の地で15年間拘束されたが結果として国民平均年収の850年分を手にしたことになる。
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刑務所と呼ぶな技能訓練所

2015年05月17日 16時30分40秒 | 日記
 川越少年刑務所(かわごえしょうねんけいむしょ)は、埼玉県川越市南大塚にある法務省矯正局の東京矯正管区に属する刑務所で、全国7箇所の少年刑務所のうちの一つである。少年という名称であるが未成年者に限らず26歳未満の懲役受刑者及び少年禁固受刑者を収容している。

 川越少年刑務所は必要があれば「初雁技能訓練所」の名称を用いることができる全国に8つある総合訓練施設の一つであり、理容科、電気工事科、自動車整備科、木工科、金属造形科、総合左官科、畳科、情報処理科、クリーニング科、建築塗装科、ボイラー運転科、小型車両系建設機械科、フォークリフト運転科、数値制御機械科の14種目の技能訓練を実施している。

 先日、24歳になったばかりの出所者を引き取りに行ってきた。まだ刑期を残しての仮釈放である。24歳といえば早い人では女房子供がいても不思議ではない歳であるが、刑務所の中では人間的な成長が遅いらしく言動には幼さが目立つ若者である。

 会社の近所にいる保護司さんからのお話もあり引き受けることにしたのだが、一番の理由は他に引き受ける人がいないということである。つまり、本人の父親は既に故人で、産みの母親とは絶縁状態で、母親は引取りを拒否したのである。

 刑務所でいくら真面目に刑期を努めたとしても、社会に復帰して住むところや働ける場所が無ければ更正しようにも出来ないことになる。と、いうわけで調理師志望の若者を鳶工事の会社で受け入れることにしたのである。尤も、調理師になりたくても犯罪歴のあるものは一定の期間を過ぎないと調理師にはなれないのである。

 出所の翌日、保護観察所に出頭して保護監察官に面会した。

 保護観察所(ほごかんさつしょ)は、法務省設置法及び更生保護法に基づいて設置される法務省の地方支分部局で、犯罪や非行を犯し家庭裁判所の決定により保護観察になった少年、刑務所や少年院から仮釈放になった者、保護観察付の刑執行猶予となった者に対して保護観察を行う機関である。

 また、保護観察所では、刑務所や少年院に収容されている者が釈放後に立ち直りに適した環境の中で生活できるように、本人と家族等と融和を図り、就職先を斡旋するなど、その受け入れ体制を整えておくための環境調整を行い、刑務所や少年院を満期釈放になるなど刑事上の手続きによる身体の拘束を解かれた者に対しては、必要に応じて更生緊急保護の措置を行うほか、犯罪・非行予防活動の一環として、法務省主唱による、社会を明るくする運動をはじめ各種の活動を行っている。

 保護観察所には、常勤職員として保護観察官がいる。保護観察官は職名であり、官名は、法務事務官である。保護観察官は、医学、心理学、社会学、教育学などの専門知識に基づき、事務に当たる。

 地方更生保護委員会事務局に配置された保護観察官は、刑事施設からの仮釈放や少年院からの仮退院審理の準備調査に従事するほか、仮釈放の取消や仮退院中の者の本退院、保護観察付き刑執行猶予中の者の保護観察の仮解除などに関する事務に従事している。

 保護観察所の次には担当の保護司のところへ出頭した。保護司は保護観察所の長の指揮下に職務を行う。身分は国家公務員であるが俸給は支払われず、無給なので実質的にはボランティアである。更生保護法では「保護観察官で十分でないところを補う」とされている。

 次に区役所へ行って、滞納している市県民税や国民健康保険料、国民年金の納付について分割納付の手続きをとってきた。何せ、刑務所の中では時給24円で計算されるそうだから2年間で5万円ほどの収入だったらしい。

 次に、警察署へいって失効していた運転免許証の再交付を受けてきた。

 結局、丸々一日がかりでこれだけのことをするのがやっとで、本人の希望であった父親の墓参りまでは時間的に無理であった。

 更正できるか、出来ないかは一に本人の気持ち次第である。刑務所の門を出たときの気持ちをいつまでも忘れないで欲しいものである。
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暇だから鮨に薀蓄傾ける

2015年05月14日 09時48分14秒 | グルメ
 鮨は大好物である。大好物ではあるが鮨は高価な食物である。

 昭和40年代の初めごろ、私は東京の銀座で働いていたが、当時、銀座に10円鮨というのがあってしばしば通ったものである。10円鮨はいかにも安いと思われるだろうが初任給が月給1万6000円の時代である。一つ10円の握り鮨であっても鱈腹食べるのにはそれなりの覚悟が必要だった。

 最近では一皿105円の回転寿司が全盛で「スシロー」や「かっぱ寿司」へも気が向けば食いに出かけるが、私の贔屓にしているのは回転寿司ではなくて焼津魚センター内の「カネトモ」直営店である。

 「カネトモ」は遠洋漁業の町焼津でも屈指のマグロ問屋で、本マグロは地中海あたりの蓄養マグロのようである。

 写真の赤いのがマグロの赤身、白いのはトンボマグロである。6個で850円は良心的価格であると思うから、遠方から来た友人などにも自信をもって薦めている。

 私を訪ねて静岡へきて、焼津の「カネトモ」へ連れて行かれた友人は数多いが、このゲタを2枚食べると大概は満足してくれる。もっとも、中には更にアナゴの1本握りを追加で食べて、帰りに弥勒町の石部屋で安倍川餅も食べたという豪傑もいる。

 私は回転寿司へ行くと、先ず、”出花”ということでお茶を用意する。そして”御手塩”に”ムラサキ”と”ナミダ”を用意する。回転寿司のネタで一番好きなのは”きずし”である。〆鯖を食べるときにはサービスの”ガリ”を遠慮なくいただく。

 次に手を出すのが”草”で捲いた”軍艦”で蛸サラダなどは特に好きである。回転寿司で食べるのはそのほかに”ゲソ”の握りなどが多い。

 回転寿司でも値段の高い”ネタ”もあるが私は105円の皿以外には絶対に手を出さないことにしている。


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