日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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先生は 銭勘定が 得意です

2013年01月29日 13時41分29秒 | 日記
地方公務員の給料が国家公務員に比べて高い。これは従来からずっといわれてきた。
その中でも教員の給料は他の公務員よりも更に少し高いそうである。どの程度高いのか私は詳しいことは知らない。

私の家の隣も向かいも学校の先生だった人が住んでいて表面的には普通の生活水準で暮らしている。もちろん、退職金や年金は多いはずだから貧乏な私などとは比べようもないだろう。
学校の先生は、少なくても未来を担う子供の教育を託されているんだから、多少の優遇を受けてもよいのではないかというのが従来からの私の率直な考えであった。

それが最近のいじめ問題や体罰問題にみられるような教員の質的低下を目の当たりにみたり、子供相手のわいせつ行為や買春行為をする教師の存在を見るにつけて少しずつ見方が変わってきていたが、今回の退職金欲しさの早期退職騒ぎを見るにつけ、彼らに対する尊敬の念は完全に消えうせた。先生は子供に教えるのが商売の只の欲の深い人たちだったのである。

ことの序でだから触れておくが、滋賀県大津市のいじめ問題であるが、皇子山中学の校長は事件直後に実施したアンケート調査などで苛めが原因の自殺であることが分かっていながら教育委員会には報告せず、アンケート調査の資料も握りつぶしていたことが最近になって判明したそうである。教師というよりも人間として最低である。

あのときの教育長や校長、教頭や担任教師以下の同僚教師はみんな一蓮托生の事件隠しの共犯者といってよいだろう。教師の中から誰一人として事実を語ろうとする人が出てこなかったのは実に残念でもあり不思議でならなかった。

大阪をはじめとする全国の体罰問題もいじめ問題と根源的には同じである。いじめ問題は一見、生徒同士の問題のように見えるが、実は見て見ぬ振りをしている教師からも虐めを受けているのである。苛める生徒とそれを無視する教師は共犯である。

体罰は最低の行為である。体罰にはしる教師は自らが模範を示すことができず、言葉でも上手く説明や表現ができないから、言葉より先に手が出てしまうのである。つまり、あまり頭が良くないのである。

人間を暴力で支配し、あたかも猛獣を調教するような体罰による指導などが認められるはずがない。人間には人間としての尊厳があるのだ。鞭と餌で調教される猛獣ではないのである。チンパンジーでも海驢でも熱心に教えれば芸を覚えるが教えられた以上のことはできないのである。人間だって体罰を受けながら練習してもそれ以上のプレーはできないのではなかろうか。

桜宮高校のバスケット部のキャプテンだった生徒が体罰を苦にして自殺した事件では、この悪徳教師は繰り返し執拗に体罰を加えていたそうであるが、一つ不思議でならないのは他のバスケット部員はキャプテンを庇うこともなく見てみぬ振りをしていたのだろうか。仲間が死ぬほど辛い体罰を受けているのに誰一人として抗議の声を上げようとしなかったのであろうか。そこのところがなんともやりきれない気持ちがする。

本当は言いたかったけれど、自分にも体罰が加えられるのが怖くて黙殺するしかなかったのか。いずれにしても友情とか仲間意識の希薄さに失望を禁じえないのである。

こんなチームが少しぐらい強くなっても、それは操り人形のチームだから、大学や社会人になってからナショナルチームで活躍できるような優秀な選手は育たないのではなかろうか。一流の選手は自分で考えてレベルアップをするのだと思う。

さて、退職金の問題である。
国家公務員より高い給与を支払っている地方自治体に対して国は地方交付税を減額するという措置に出た。これを受けて埼玉県などでは給与や退職金を減額する条例を制定したので、この3月に定年を迎える教職員が2ヶ月繰り上げて、この条例が発効する前の1月末を以って早期退職を願い出たというのである。その数が多数で2月、3月の学校運営に支障をきたすほどだという。

22歳で大学を卒業して教員に採用されて38年間、毎日日にち先生、先生と敬われて勤続すると退職金が2800万円ほどになるという。それが改正後は150万円減額されて2650万円になるというのだから、退職を目前に控えた教師にとっては切実な問題だろう。ところが、3月の定年まで勤めると退職金は150万円減るが、2月と3月の給料はもらえるので月給40万円が二ヶ月で80万円はもらえる。もちろん月給は働かなければもらえない。

そうすると、早期退職して退職金2800万円をもらう人と3月まで自分の職務を全うする人との差額は70万円である。
日ごろから子供たちに勤勉であることを説きながら、自分はわずか70万円のために教え子を見捨てて早期退職をしてしまう無責任な教師は恥ずかしくないのだろうか。

ここにきて7人の早期退職希望者が辞表を撤回したというから、やはり彼らにもなにがしかの良心や羞恥心が残っていたのだろう。これには多少救われた気持ちがしている。
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体罰の 無能教師は 馘首せよ

2013年01月24日 12時51分42秒 | 日記
 大阪市立桜宮高校をはじめとして各地の学校で体罰が問題になっている。私も小学校・中学校ではかなり激しい体罰を受けた経験者である。

 小学校2年生のときの担任は木部春子という中年の女教師だったが、勉強がほとんど解らなかった私はまるで目の敵にされていた感じで学校へ行くのが辛かったほどであった。このどちらかといえば婆さんの女教師の嫌らしいところは、金持ちの家の子供には妙にやさしいことであった。つまり、同じように遊んでいても酷く叱られるのはいつも私だったのである。私の家は貧しくて両親も教育などにはほとんど関心がなかったのである。一方の金持ちの同級生は村で一軒の酒屋の息子とか製茶問屋の息子とか農家でも大百姓の裕福な家の子供たちで、確かに礼儀正しく勉強もよくできたのである。だが、礼儀正しいから勉強ができたから彼らが優しくされたのではなくて、親が盆暮れの付け届けをしたり、家庭訪問のときに気の効いたお土産を持たせたりする所為であることぐらいは子供心にもすぐに解った。所謂「えこひいき」ということである。

 この女教師は私に対する体罰を自分ではせずに、吉川という背の高い教頭に針小棒大に誇張して言いつけるのである。その結果私は女教師からの報告を鵜呑みにした吉川教頭から問答無用で痛い拳骨をいただく羽目になるのであった。この吉川という教頭には4年生のときにローマ字の授業を受けたのだが、私がAkiyama(あきやま)と書くべきところAkyamaと書いたのをみつけるとアキャマ君などと鬼の首でもとったように同級生の前で読み上げて私に恥をかかせたのである。まったく教育者などと呼ぶのにはおよそ程遠い教師たちであったが戦前や戦時中に教師になった人たちであったからそんな程度だったのだろう。

 小学校2年生にしてすでに落ちこぼれだった私は昭和22年3月7日生まれで前年の21年4月に生まれた同学年の深沢清君とはほとんど1歳の年齢差があった。しかも、悪いことに当時の田舎には保育園も幼稚園もなくて、いきなり小学校へ入学したのであるから、親が無学で教育に関心がなかった私の場合は国語も算数もほとんど理解できなかったのである。

 女教師は自分の教え方が下手なのは棚に上げて、足し算引き算が出来ないからと私の首っ玉を掴んで一年生の教室へ連れて行って一緒に教えてもらいなさいというのであった。私が65歳になった今日でもこの女教師を憎たらしく思うのは私のことを「浮浪児」と呼んで蔑んだからである。「浮浪児」というあだ名は気に食わないが、当時の私は青洟を垂らした汚い子供であったことも事実である。

 こんな私が人並みに成れたのは小学校3年生のときの担任だった望月けい先生が分け隔てなく熱心に指導して下さったお蔭である。望月先生は静岡大学教育学部を卒業したばかりの新任の先生で鼻つまみ小僧の私のことも実に丁寧に面倒をみてくれた。解りやすく教えてさえくれれば私も根っからの馬鹿ではないから人並みに出来るようになったのである。私の母親も望月先生こそが本当の先生だったと85歳で亡くなる直前まで感謝していた。

 中学2年生のときの担任は水永文夫という小柄な教師で数学などを教えていた。あるとき同級生の松永君と廊下で遊んでいて、松永君が前から体を押してきたので、後ろに倒れるときに受身のように背中を丸めたら、ちょうど巴投げのような感じになって松永君の体がふわっと宙に浮いた。そのとき松永君の足が廊下のガラス窓に入ってしまい出血する怪我を負わせてしまったのである。松永君は冷静に自分が秋山君を突き倒した結果だからと担任に事情を説明してくれたのであるが、逆上した水永担任は私の胸ぐらを掴むなり有無も言わさず20発くらいの往復ビンタを張った。そのとき私は小便をちびってしまった。ビンタの痛さよりも人前で小便を漏らした恥ずかしさが今でも心に残る出来事である。

 その後しばらくは無事に過ぎたのであるが、今度は中学校の周りの草刈のときに私が持っていた鎌に同級生の海野君が触って指を切るという事件が起きた。この事故も私が何かのアクションをした結果の出来事ではなくて相手の海野君の不注意によるものであった。このときも海野君が自分の不注意で少し切れただけだからと言って取り成してくれたのであるが、水永担任は、またお前がやったのかというなり、胸ぐらをつかんで往復ビンタの連発だった。今にして思うとチビの水永担任は血を見ると逆上する性質(たち)だったのかもしれない。

 高校へ通うようになってから、村の入り口の長い橋の上で水永と会うことが何度かあった。私が”なんだこの野郎”という闘志満々の敵意に満ちた眼で睨みつけると、水永は眼を逸らせていたが、そのうちに会わなくなった。たぶん、水永が橋を渡る時間を少しずらしたのだと思う。

 後年、50歳を過ぎたころだったが、市内の料理屋で中学校の同級会があったので出席したら来賓席に水永担任がちゃっかり座っていた。幹事役の同級生に誰が水永を呼んだのかと訊ねたら、恩師だから自分が呼んだというので、お前には恩師かもしらんが、俺には憎い仇(かたき)でしかないといったら、35年以上も前のことをよく憶えているなと気楽にいうから、同じ人間に40発も50発も一方的に殴られて忘れる奴がいたとしたらそいつは馬鹿だといってやった。
 その後二度ほど同級会があったが水永担任は呼んでも出て来ないそうである。

 さて、桜宮高校の暴力教師もそうだが、なんで暴力をふるうのかという理由である。それは教師自らが範を垂れることが出来ず、言葉では説得力のある指導が出来ないからである。私の周囲にいる鳶・土工の職人の中にも”喧嘩っぱやくて直ぐに手を出す”という輩(やから)もいるが、総じて小心者で口下手で・・・分かり易く言えば頭の悪い野郎が多い。
つまり、暴力教師は教育者として無能なのだ。無能な教師に高給を与える必要はない。暴力は犯罪であるのだから犯罪者は速やかに罷免するべきである。
 
 大津のいじめ問題のときもそうだったが、教育委員会には自浄能力がない。彼らの組織は事なかれ主義の相互扶助集団に過ぎない。

 橋下大阪市長の方針にはなにかと批判もあるようだが、暴力教師の罷免、見て見ぬ振りをしてきた校長以下全教職員の配転など、思い切った方策を取らない限り問題は根絶しないだろう。コントロールのできない組織は一度リセットするのがよい。

 桜宮高校の生徒の代表が体罰を是認するような発言をしたというが、彼らは自分が体罰を受けていないから暴力教師を庇うような発言になるのではないか?もっと自殺した仲間の気持ちに近づいてやることは出来ないものか。己さえよければという利己主義は鼻持ちならない。

 体罰すなわち暴力の是認などは私のように何十発も殴られたことのある人間にはとても考えられないことである。
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働かず 飯を喰うのは 贅沢だ

2013年01月17日 13時33分49秒 | 日記
生活保護費の切り下げが現実的になってきた。

昭和25年5月4日施行の生活保護法には

第一条  この法律は、日本国憲法第二十五条 に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。

と、ある。

では、最低限度の生活とはどの程度の生活水準をいうのであろうか。この判断は非常に難しい。

私は貧しい農家に生まれ育った。貧乏人の子沢山で6人もの兄弟と両親、それに祖母がいて9人家族であった。家業は茶とミカンを栽培するだけで水田はなかった。だから、米は配給米や闇米を買って食べていた。当然、米だけ食べていたのでは家計が持たないから米と麦が半々の麦飯を常食としていた。おかずも魚や肉は時々買って食べる程度で普段は畑で作った野菜やその漬物などが主なものであった。この赤貧洗うが如き貧困家庭であったが生活保護を受けていたわけではない。いくら貧しくても農家には家屋敷や畑や山林などの不動産があるから生活保護を受けるのは不可能に近い。

現金はほとんどなくても、家の前の畑では麦を収穫した後にサツマイモを植えていたから、サツマイモだけは豊富にあった。これを毎日のように蒸かしていたからどんなに貧乏でも飢えることはなかったのである。

そんな少年時代を経験した私の目には、昨今の生活保護世帯の食事はご馳走である。毎日、米のご飯が食べられるだけでも素晴らしいことだ。

生活保護を受けることが悪いわけではない。問題は年金生活者や真面目に働いて生活している人とのバランスである。

生活保護費の受給にはいろいろな条件や地域によっても違いがあるから一概には言えないが、ここに一つのモデルケースがあるので抜粋しておく。

50歳代の単身世帯の基準額・・・・・・・・・135,310円(生活扶助 81,610円・住宅扶助 53,700円)

つまり、生活費と家賃の合計額であるが、生活保護受給者には住民税・市民税などの地方税や年金の掛金、国民年金保険料、上下水道基本料、NHK受信料、公営住宅の入居保証金および共益費、高等学校授業料などは免除されるし、医療費や介護費用、出産費用、葬祭費用などは支給される。

一方で真面目に働いている労働賃金の例。

時給800円 × 8時間 × 20日間(週休2日)  =  128,000円

所得税、健康保険料、国民健康保険料、雇用保険料などを引くと月額81,300円程度にしかならない。しかも、何一つ免除になるものはない。この金額から家賃や公共料金を払うのであるから霞を食って生きるしかないのである。仮に時給を1,000円にすれば単純計算では32,000円の収入増になる。こうした意味からも最低賃金を1,000円にしてもらいたいものだが、これには経済界の抵抗が強い。

生活保護費で一番の問題は不正受給である。
高額な収入のある芸能人の母親が生活保護を受けていたことが問題になったことがある。息子や娘に扶養できる能力があるのに親に生活保護を受けさせている例は他にもたくさんあるのではないか。仮に全額負担する能力がなかったとしても2万円、3万円・・・と応分の負担を求めるべきだろう。

暴力団員の夫が偽装離婚して女房子供は母子家庭として生活保護を受けていたり、露天商として収入があるのにもかかわらず所得申告をせずに生活保護をうけたり・・・不正の手口には枚挙に暇がない。

働く能力があるのに働かない輩にどこまで生活費を保障すればよいのかも難しい問題がある。私は働く能力のある受給者には内職でも何でもやらせて、その収入分だけは支給額を減額したらよいと思う。

国の財政が破綻状態になっている現況に鑑みれば、生活保護費の見直しも已むを得ないと思うが、同時に不正受給者の洗い出しや、働く能力のある者に対する職業斡旋などをもっと徹底するべきである。
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