日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
読者のコメント歓迎いたします。

有東木は水のふるさと山葵咲く

2023年05月18日 10時16分51秒 | グルメ

有東木は水のふるさと山葵咲く  白兎
うとうぎは みずのふるさと わさびさく
山葵の花(わさびのはな)は初夏の季語。子季語に、花山葵。
山葵は、日本原産で北海道から九州まで渓流のほとりに自生する。栽培されることも多い。五月ごろ、小さい白い十字の花を、短い房状ににつける。根茎は和食に欠かせない香辛料「わさび」。花穂も食用になる。
有東木は「うとうぎ」と読む。静岡市葵区有東木である。旧安倍郡大河内村に属し、静岡市街から安倍川沿いに三〇キロメートルほど北上した山間高地に位置する。
十枚山、仏谷山、青笹山と続く安倍山系の中腹に開けた戸数八〇戸ばかりの集落であるが、寺や神社もあれば、商店や農協の出張所もあり、路線バスの運行もあるので、所謂、山間僻地の感覚はない。「静岡のチベット」などともいうが、これは伝統芸能や昔からの習俗をよく伝えていることに対する譬喩だろう。この地の標高は五〇〇メートルを超えており、一般的に温暖と言われる静岡にあって、冬季には積雪もみられる寒冷な地域である。
慶長年間、一六〇〇年頃というから丁度関ヶ原の合戦があったころだが、有東木の人、白鳥亀衛門がワサビ山の野生ワサビを村内「井戸頭」湧水地に移植したところ非常によく成長繁殖したので、他の村民もこれを見習ったのがワサビ栽培の始まりとされる。このワサビの人工栽培を我が国で最初に始めたのが有東木の人たちであったと言うのが、何と言ってもこの土地の人たちにとって最大にして最高の自慢の種なのである。
慶長一二年(一六〇七年)七月、駿府城へ入城した大御所家康に献上した折に、その味が絶賛されたことや、葉が徳川家の葵の家紋に通じることから、幕府の庇護を受けることとなり、村外不出の御法度品扱いとなって厳重に管理された。

ワサビの栽培技術が有東木以外へ流出したのは家康の時代からずっと下って延享元年(一七四四年)に伊豆の天城から当地へシイタケ栽培の技術指導のために来ていた板垣勘四郎と与市主従によって翌延享二年五月に伊豆の天城へ伝えられた。これは東照権現家康公の決めた掟を破るものとして寛延三年(一七五〇年)五月十日、駿府町奉行所の白洲において訴訟裁判が行われたが、九代将軍家重の御側御用取次側衆の大岡忠光によって一切お構いなしの裁定が下されている。写真はFBフレンド白鳥洋子さん撮影。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿里山の甘蕉に黒き斑が著し

2023年05月17日 15時51分21秒 | 日記


阿里山の甘蕉に黒き斑が著し  白兎
ありさんのばななにくろきふがしるし
バナナ(ばなな)は、三夏の季語。子季語に、実芭蕉。世代によって異なる評価がバナナには与えられる。かつては夢の高級フルーツであった。バナナが日本へやってきた1903年(明治36年)、台湾の基隆(キールン)港から神戸港に向けて、7籠(約70kg)が積み込まれたという。輸送中に蒸れた「籠熟れバナナ」や、一部不良品などは早く換金する必要から、露天商の口上で売りさばかれ、「バナナの叩き売り」が始まった。JR門司港駅前(旧門司三井倶楽部側)に「バナナの叩き売り発祥の地」という記念碑が建つ。門司港バナナの叩き売り連合会によってこれが継承され、「門司港バナナ塾」が毎年開講される。啖呵売口上の一例を書いて置く。
「さぁ、さぁ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。門司港名物バナナの叩き売りだよ~。春よ三月春雨に、弥生のお空に桜散る 生まれは台湾台中の 阿里山ふもとの片田舎~。台湾娘に見初められ、ポッと色気のさすうちに、国定忠治じゃないけれど、一房二房もぎ取られ、唐丸籠に詰められて、阿里山ふもとを後にして ガタゴトお汽車に揺すられて、着いた所がキールン港。キールン港を船出して、金波銀波の波を越え、海原遠き船の旅、艱難辛苦の暁に、ようやく着いたが門司みなと。門司は九州の大都会。門司のみなとで検査され、一等二等とある中で、私のバナちゃん一等よ。さぁさあ、こうた、こ~た。スーパーで買うなら1000円だ。1000円くれとはいわないが、さぁ、ひと房みんなで500円。さぁ、どうだ?どうだ?今日のお客は渋ちんか、それでは、480、450?買わなきゃ損だよ。一等バナちゃん。越中富山の反魂丹。鼻くそまるめて万金丹。馬のしょんべん、水薬。チョーク削って粉薬。それを飲むのはあんぽんたん。ゴホンといったら龍角散。万病の薬にゃこのバナナ。毎日1本食べなさい。長生きするならこのバナナ。10年20年長生きよ。死ぬまで長生きしなさいよ。はい、では大勉強、400と50!あれ?450ないか?
早く買わなきゃ人が買う。人が買ったら後はない。もってけ買っちゃえ。え~い、親戚価格の430。え?いないか内科、耳鼻科、産婦人科?歯科たないか?今日のお客は渋ちんか。えい、ひっちゃかめっちゃか、やけのやんぱち、400丁度でいいや。どうだどうだ? はい。そこのおじょうさん!どうもありがとうさん。」
バナナの食べごろは雀斑(そばかす)のような黒い斑点がでた時である。黒い斑点は、シュガースポットと言ってバナナが熟したサインだ。「バナナ」の漢字表記は、「芭蕉」「実芭蕉」「甘蕉」と全部で3種類。画像出典:豊洲市場ドットコム。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蟹漬けに合ふ甜酒を見繕ふ

2023年05月10日 10時30分20秒 | グルメ


蟹漬けに合ふ甜酒を見繕ふ   白兎

がんづけにあふたむざけをみつくらふ

蟹胥(かにびしこ)は三夏の季語。子季語に、蟹醤、蟹漬。
蟹の塩辛のこと。蟹の肉や味噌に塩と唐辛子を混ぜ熟成させる。酒肴などに珍重される。
『がん漬け』は干満差の大きい干潟として知られる有明海沿岸地域で昔から食べられている郷土料理。干潟に棲む小型のカニをよく洗った後で丸ごとすりつぶし、塩や唐辛子などと混ぜ合わせてねかせる塩辛の一種だ。『がに漬け』、『がね漬け』などと呼ばれることもある。『万葉集』の第16巻3886番に『がん漬け』の作り方を詠んだ愉快な歌がある。
『万葉集』の原文は全て万葉仮名であるから訓読みを書いて置く。
おしてるや 難波の小江に 廬作り 隠りて居る 葦蟹を 大君召すと 何せむに 我を召すらめや 明けく 我が知ることを 歌人と 我を召すらめや 笛吹きと 我を召すらめや 琴弾きと 我を召すらめや かもかくも 命受けむと 今日今日と 飛鳥に至り 置くとも 置勿に至り つかねども 都久野に至り 東の 中の御門ゆ 参入り来て 命受くれば 馬にこそ ふもだしかくもの 牛にこそ 鼻縄はくれ あしひきの この片山の もむ楡を 五百枝剥き垂り 天照るや 日の異に干し さひづるや 韓臼に搗き 庭に立つ 手臼に搗き おしてるや 難波の小江の 初垂りを からく垂り来て 陶人の 作れる瓶を 今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩塗りたまひ きたひはやすも きたひはやすも。歌作者不詳(乞食者)。 
意訳は以下の通り。
私めは難波の小江に棲んでひっそり隠れている葦蟹(あしがに)でござんす。あいや聞いて下され、その私めを大君が召しておられるというじゃありませんか。どうして私めなんかお召しになるのでしょう。明らかなことは、歌う人とこの私めを、笛吹き人と私めを、琴弾き人と私めを、一緒に所望なさったらしい。とにもかくにもお召しをお受けしようと、今日明日の飛鳥に至り、置くともの置きなに至り、つかないとの都久野に至り、東の中の御門より参内して用命をお受けしました。私めが馬なら手綱、牛なら鼻輪で、片山の楡(にれ)の木につなぎとめるが、私めは蟹ゆえ幾日も日に干し、からからとさえずるような音を立てて、韓臼で搗き、庭に出て、手臼に搗くのでございます。そうしておいて、私めの故郷である難波の小江から作った濃く辛い初塩を陶職人の作る瓶(かめ)に垂らし込む。その瓶を早急に取り寄せてわが目に塗り込めるんでござんす。そうしておいて、干物にさらし、干物にさらすんでがんすよ 。画像出典:ウイキペディア。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする