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日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
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段取り八分。

2011年07月29日 13時36分36秒 | 日記
私たち土建の世界には「段取り八分」という言葉がある。この言葉の後に、「仕上げは二分」と続くこともある。

段取り八分とは、仕事を進める上で、事前の準備がいかに重要かを表した言葉であり、仕事の段取りをキッチリしておけば、その仕事は8割方完了したも同然であるという意味である。

段取りというのは、工程や、興行を組む場合に、効率よくスピーディに作業がすすむように、場所、人の動き、機械の動きなどの、特性を把握して、上手に手配、配置、スケジューリングすることである。段取りは、頭のよい人、仕事のできる人にまかせたほうがよい。

さて、今の日本で何を効率よくスピーディに行わなければならないのかといえば、東電福島原発事故の収束と東日本大震災からの復旧・復興であろう。では、菅内閣はこの二つのことを効率よくスピーディに行っているのかといえば、大いに異論のあるところである。

3月11日の震災発生以来まもなく5ヶ月になろうとしているが、いまだ具体的な復興計画は示されないばかりか、多くの被災者に義捐金すらも届いていないというのが現実だ。

また、復興財源など優先するべき論議が後回しにされ、脱原発だの発・送電の分離だのと後回しでもよいことが盛んに論議されている。つまり、段取りが悪いのである。

今の民主党政権は、内閣の中もばらばら、党と内閣の考え方もチグハグである。 

内閣支持率は低迷し、ほとんどの国民が愛想をつかしているのにもかかわらず、独り菅さんだけが総理の座にしがみついているのがなんとも情けない。
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中国高速鉄道事故。

2011年07月25日 10時40分20秒 | 日記
中国浙江省温州市で23日夜に起きた高速鉄道列車の追突・脱線事故は24日、死者が43人に増え、負傷者は210人を超えた。事故原因としては、列車衝突防止システムの作動不良などが指摘されている。中国が誇る高速鉄道の安全性への信頼を失墜させる事態で、胡錦濤国家主席は張徳江副首相を現場に派遣、事故原因の徹底究明を指示した。

 鉄道省は同日夜の会見で、死者数は35人としている。上海の日本総領事館によると、死者に日本人は含まれていない。2007年に運行を開始した高速鉄道初の大事故で、鉄道省は同日、上海鉄道局の竜京局長ら幹部3人を更迭した。

 新華社によると、鉄道省報道官は同日、「落雷による設備故障が原因だった」と説明し、衝突防止の自動制御システムが作動しなかった可能性を示した。

 この事故は、浙江省杭州から福建省福州に向かっていた「D3115」(乗客約900人)が何らかの理由で急停車したところに、北京発で福州行きの列車「D301」(乗客約500人)が追突。D301の車両4両が高さ約20メートルの高架橋から落下した。追突したD301は、6月30日に開業した北京-上海間の高速鉄道(中国版新幹線)を経由し、南下する路線を走っていた。D301は日本からの技術供与で中国で製造されたCRH2型の「和諧(わかい)号」。

 不謹慎な話であるが、中国が新幹線の技術をアメリカで特許申請したという話を聞いたときに、私は今の中国の技術水準では近いうちに間違いなく事故が起きることを予見した。これは複数の人に話しているので単なる私の思い込みではない。

 私は宮崎県のリニア実験線にも乗車したことがある。つまり、鉄道アニアの一人である。何故、事故を予見したかというと、我が国と中国とでは高速鉄道に対する技術の歴史が違うということである。

 東海道新幹線が開業したのは47年前の昭和39年(1964)10月1日である。

 実のところ、新幹線は昭和29年(1954)に完成するはずだった。正確に言えば、昭和15年(1940)からの15年計画ということである。
 この列車は、最高時速200キロ、東京ー大阪を4時間、東京ー下関を9時間という、当時としては驚異的なスピードで運行される超特急で、「弾丸列車」と呼ばれていた。

 弾丸列車の終着駅は下関ではない。計画では、下関から世界最長の「朝鮮海峡海底トンネル」(全長約200キロ)を経て釜山へ。さらに、京城(現ソウル)、奉天(現瀋陽)を通過して、片や満州国の首都・新京(現長春)へ、片や北京へと到達するスーパー国際列車であった。
 新京までは35時間40分、北京までは49時間10分という所要時間である。
 従来、特急「富士」を使って下関まで行き、そこから船使用で新京まで行くのに52時間かかったので、まさに「弾丸」の名にふさわしいスピードだったのである。
 戦前日本の鉄道計画は、弾丸列車で終わったわけではない。
 最終的には、大東亜共栄圏を縦断し、昭南(現シンガポール)まで到達する大鉄道網を亜細亜に建設するはずであった。ルート案はいくつもあったが、主なものは、北京から更に漢口、ハノイ、バンコクを通って昭南へ。まさに壮大なプロジェクトが進行していたのである。

と、まあくどくどと申しましたが、我が国の高速鉄道は旧・国鉄時代から70年以上に及ぶ歴史がある。それに比べれば中国の高速鉄道は歴史が浅く、当然のこととして技術の蓄積も少ないのである。

 
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菅内閣支持率と貧困率。

2011年07月13日 13時46分14秒 | 日記
内閣支持率にもいろいろな数字がある。
昨夜の報道で、NHKの調査では10数パーセントはあると言っていたが、「内閣支持率」と入力してインターネットで検索すると下記のような数字が出てきた。

驚くべき不支持率というのか当然の支持率というのか、いずれにしても菅内閣に対して国民は厳しい見方をしていることだけは間違いがないだろう。



7月13日の内閣支持率 支持 4.4% 不支持 95.6% 有効投票 274票
7月13日の内閣総理大臣支持率 支持 3.6% 不支持 96.4%

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過去一週間の内閣支持率 支持 4.0% 不支持 96.0% 有効投票 3,836票
過去一週間の内閣総理大臣支持率 支持 3.9% 不支持 96.1%

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過去30日間の内閣支持率 支持 3.5% 不支持 96.5% 有効投票 13,354票

もう一つの注目するべき数字は「貧困率」である。

国民全体のうち貧困の状態にある人の割合を示す「貧困率」は、おととしの時点で16%となり、過去最悪となったことが厚生労働省の調査で分かった。

「貧困率」は所得から税金などを差し引いた可処分所得をもとに算出し、貧困の状態にある人の割合を示したもので、率が高いほど貧困の状態にある人が多いことをあらわす。厚生労働省によると、おととしの貧困率は16.0%となり、前回行った3年前の調査と比べて0.3ポイント悪化して過去最悪となった。また、子どもがいる世帯の貧困率は14.6%で3年前より2.4ポイント悪化し、特に1人親の世帯では貧困率が50.8%と半数以上に上っている。さらに厚生労働省が、去年、全国2万6000世帯を対象に意識調査を行った結果、「生活が苦しい」と答えた世帯の割合は59.4%に上り、前の年より1.3ポイント増加した。厚生労働省は「景気の低迷に加えて年金だけで暮らす高齢者や非正規労働者が増えているため、貧困の状態にある人の割合が増加している」と分析している。

「最小不幸社会」の実現を標榜した菅首相だが、今や「宰相不幸社会」と揶揄されているのが現実である。それでも総理の座に居座っているのを見ると内閣支持率が0パーセントになったとしても菅首相は辞めないのではないかと心配している。
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菅首相と北朝鮮をめぐる暗黒。

2011年07月08日 15時01分56秒 | 日記
自民党の礒崎陽輔参院議員は7月7日の参議院予算委員会で、菅首相の政治資金管理団体「草志会」の政治献金について質問した。
磯崎陽輔氏は東大法学部を卒業し、旧自治省に入省した元キャリア官僚で、内閣参事官時代には安全保障を担当するなど問題意識は明確だ。

礒崎陽輔議員が問題にしたのは、菅首相の資金管理団体「草志会」が2007年から3年間にわたり、政治団体「政権交代をめざす市民の会」に行っていた計6250万円もの政治献金である。この「めざす会」は、北朝鮮の金正日総書記が指揮したとされる日本人拉致事件の容疑者の親族が所属する政治団体「市民の党」から派生した政治団体である。

菅首相は1989年、北朝鮮の元工作員で拉致実行犯である辛光洙元死刑囚の釈放を求める韓国政府への「要望書」に署名したことでも知られる。辛元死刑囚は99年に恩赦で釈放され、翌2000年、英雄として北朝鮮に帰国した。献金先の団体には公安当局や米情報機関も関心を寄せており、背後には深い闇が広がっていそうだ。

磯崎氏は「(北朝鮮による拉致事件)容疑者親族の関連団体に、多額の寄付をしている。首相としておかしいと思わないのか。どんな関係があるのか。(団体代表者は)マルクスレーニン主義者であることを隠していない。思想的には極左だ。極左と民主党が切っても切れない関係にある」と、厳しく糺した。

これに対し、菅首相は「政治資金規正法に則って適正に報告している」「党役職者として、ローカルーパーティとの連携支援のために寄付した」などと繰り返すだけで、北朝鮮や拉致事件には一切触れなかった。

ここで磯崎議員が親族というのは、1980年に石岡亨さん=拉致当時(22)=と、松木薫さん=同(26)=を欧州から北朝鮮に拉致したとして、結婚目的誘拐容疑で国際手配されている森順子容疑者(58)と、よど号ハイジャック犯の故田宮高麿元リーダーを両親に持つ長男森大志氏(28)のことで、北朝鮮で生まれ育ち、7年前に日本に帰国した。今年4月の東京都三鷹市議選に「市民の党」から立候補して、落選している。

森順子(よりこ)は、在日朝鮮人の父と日本人の母の間に生まれているが、パスポートを取得していることから、日本国籍であることは間違いない。
しかし、北朝鮮では“在日2世”として迎えられており、自分は「日本人」だと言う一方、平壌では「ここは私にとって祖国でもありますからね」と語っている。この森順子は、欧州における日本人拉致事件に関与しているとして、警察庁により国際指名手配されている。つまり、有本恵子さんや松本薫さん、石岡亨さんを拉致した実行犯である可能性が極めて高いのである。

拉致事件では、当時まだ中学生だった横田めぐみさん=同(13)=をはじめ、何の罪もない数多くの日本人が北朝鮮の国家機関によって拉致された。その容疑者の親族が関わる団体に、日本のリーダーたる菅首相が数千万円もの多額献金することは、法的にはともかく、国民感情的には到底納得できないことである。

6日の衆院予算委員会でも、自民党の石原伸晃幹事長が「『めざす会』は、極左過激派団体により結成された『市民の党』から派生し、設立された。拉致事件との関係も取り沙汰されている」などと問題に触れた。菅首相は「事実だ」と認め、「私の政治資金の流れは、すべて正式に届け出をしている」と述べ、適正な献金であると強調した。

日本政府の拉致問題対策本部の本部長は内閣総理大臣であるが、今の菅総理のもとでは拉致問題が進展するとは到底考えられない状況である。







 
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松本復興担当相就任9日目の辞任。

2011年07月05日 12時40分56秒 | 日記
松本龍復興担当相は5日午前、菅直人首相に復興相と防災担当相の辞表を提出した。菅首相は慰留したが、松本氏の辞任の意志は固く、辞表を受理した。松本氏は3日に東日本大震災の被災地を訪問した際、地元知事らに「知恵を出さないやつは助けない」などと発言したことで批判を浴び、引責した。

松本氏は復興基本法成立で復興相ポストができたことを受け、6月27日に就いたばかり。就任9日目で辞めるという異例の事態となった。政権は、本格復興の第3次補正予算案の前提となる復興基本方針を今月中に策定することにしているが、復興担当相の辞任に因り復興・復旧に遅れが出る可能性が出てきた。

会見で松本氏は涙ぐみながら、「被災者に人一倍寄り添っているつもりだったが、言葉が足りなかったり、また荒かったりして、被災者の心を痛めたことを本当におわび申し上げたい。これからは一議員として復興に取り組みたい」と語った。

松本氏は復興相就任直後からサングラス姿で会見するなど、奇抜な言動を繰り返していた。3日の被災地訪問では、岩手県の達増拓也知事らに「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とかわからんのだ」と述べ、宮城県の村井嘉浩知事らには「(漁港の集約は)県でコンセンサス取れよ。そうしないと、我々は何もしないぞ」などと話した。会談場所に後から入室した村井氏に対しては「お客さんが来る時は自分が入ってからお客さんを呼べ」などと叱責もした。

こうした言動に、被災地を中心に「復興相はお客さんなのか」などと反発が噴出。村井氏は「国と地方自治体には主従関係はない」と不快感を表明していた。松本氏は翌4日に記者団に「結果として被災者を傷つけたとしたら申しわけない」と陳謝したが、「このまままっすぐ前を向いて復興にあたっていく」と辞任を否定していた。だが、批判は広がる一方で、与野党から辞任を求める声が出ていた。

松本龍前復興担当相は、福岡県立福岡高等学校を経て中央大学法学部政治学科卒業。

1980年、父松本英一(参議院議員)の秘書となる。

1990年の第39回衆議院議員総選挙に日本社会党から出馬して初当選し、以後7回連続当選(現在は福岡県第1区)。

1996年、社民党を離党して旧民主党結党に参加。解放同盟ナンバー2の副委員長であり、人権擁護法案の推進派である。日韓議員連盟常任幹事。国鉄労働組合のJR採用差別闘争に連帯している。

解放の父と呼ばれた松本治一郎の養孫。実家は養祖父の代からのゼネコン・松本組。自身も顧問を務める。

2000年10月17日、実家の松本組を継いだ実弟松本優三の自宅玄関ドアに約5発の銃弾を撃ち込まれる事件が発生した。

2008年度の国会議員の所得公開で国会議員でトップの8億4366万円の所得を得ていたことが伝えられている。

衆議院国会等の移転に関する特別委員長、衆議院環境委員長、環境大臣(第15代)などを歴任した。

土建業界出身の私がこんなことを言いたくはないのだが、そもそも実家が土建屋で自らがその顧問をつとめている議員を利権の塊のような復興担当相に据えた菅首相のセンスが疑われるような人選であった。そいう意味においては就任9日目の辞任はむしろ喜ぶべきではないかと思う次第である。
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