日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
読者のコメント歓迎いたします。

棲むところ無い小雀に軒を貸す

2011年09月29日 15時45分08秒 | 日記
刑務所や少年院などを出所した後、帰る家のない人が、自立できるまでの間、一時的に住むことができる民間の施設に更正保護施設と自立準備ホームというものがある。

更正保護施設は法務大臣の認可を受けて運営されている施設で、過ちを犯した人たちが社会復帰に向けて、集団で生活をし、その自立に向けた生活指導などを行う専門の職員が配置されており、全国に100箇所以上がある。

自立準備ホームというのは、あらかじめ保護観察所に登録されたNPO法人、社会福祉法人などが、それぞれの特徴を生かして、保護観察対象者の自立を促すというものである。

現在、私たちの会社では保護観察中の若者を一人預かっているが、今回改めて法律に基づく受託事業者として申請するように要請を受けたものである。

受託事業者の用件としては、
① 原則として法人格を有していること。
② 暴力団等反社会性のある団体または個人との関係がないこと。
③ 経営の安定性を確保していること等々の条件を満たさなければならないのであるが、会社は資本金1000万円の株式会社であって建設業者として県知事許可を受けているし、古物商として公安委員会の認可も受けているのであるから、基本的な用件は満たされているものと判断される。因みに、古物商の認可は警察署の生活安全課が受付窓口で役員一人一人の身分証明など細かく審査を受けている。

その他もろもろ細かなことまで明文化されているが、ここでは割愛する。要するに法務省保護局が行っている緊急的住居確保・自立支援対策事業の一環であるから実施要領だけで7ページもある。

私はこれまでにも感じていたことであるが、刑務所や少年院でいくら真面目に務めてきても、娑婆へ出たときに、迎えてくれる家族や仲間がなくて、住む家や働き口がなければ更正しようにも不可能なのである。人間は働いて、稼いで、飯を食わなければ生きていけないのである。

私たちの会社は、少なくとも働く場所と住む家は提供出来るし、前科前歴によって人を差別するようなことは無い。要は保護観察対象者が本気で働く気持ちさえあれば、見習いから仕込んで一人前の鳶職人になれるまで技能の習得も出来るようなシステムになっている。事実、中学校を出てぷー太郎だった少年が今では立派な鳶職人になっているのである。

保護観察所長の委託を受けて少しでも社会のお役に立つことが出来れば営利を目的とする会社ではあるが本望というところである。
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青丹よし奈良のみやこは酒どころ

2011年09月21日 09時09分51秒 | 旅行
久しぶりの奈良見物である。

十数年前に家族三人で柳生の民宿へ二泊して奈良各地を見物して回ったことがある。それ以前には中学校の修学旅行で奈良に行ったことがあるのだが、細かいことはほとんど憶えていない。

今回は家内と二人連れであるが、お互いに鼾を掻くのでホテルはシングルの部屋を二部屋キープした。家内が飛鳥寺を訪ねて見たいと言っていたので明日香村に近い橿原市の安ホテルを予約しておいた。シングルの部屋であるが大きいベッドだったので楽に寝ることができた。

今回も日産サニーのおんぼろ自家用車で走ったのであるが5万キロちょっと走っている私の愛車は極めて良い調子で乗り心地も悪くはない。
私はこれまでカーナビを着けずに運転していたが、最近、知り合いから紹介されて29800円という格安なカーナビを入手して自分で車へ装着した。つまり、難しい配線の必要は一切なく、付属のコードをシガレットライターに差し込めばよいのである。

画面は7インチと少し小さめだが、小型車の狭い運転席に後付けするのだから却って好都合である。本体の取り付け方法も両面テープと吸盤だから簡単である。

さて、17日の朝7時45分、カーナビの目的地を奈良県橿原市のホテルの電話番号で設定して自宅を出発した。静岡インターから東名高速に入り一路西へ向けてひた走る。

浜名湖を過ぎ豊川を過ぎ、豊田で左へ進路をとれというカーナビの指示で車は伊勢湾岸道へ入った。やがて名古屋港の辺りを過ぎて木曽川河口を通過、左手に長島スパーランドの大きな観覧車やジェットコースターが見えた。このあたりは三重県桑名市である。

しばらく走ると高速道路の料金所があって、そのまま西名阪道へ入った。ここは一般自動車道で制限速度は時速60キロである。
鈴鹿、伊賀と進んでだんだん山深い感じになってきたが、信号や交差点は一箇所も無い自動車専用道であるから時速70~80キロで順調に走れた。やがて針というインターを過ぎて道が下り坂になると前方に視界が開けて奈良盆地が見えてきた。坂を下りきると天理の町である。

ここで時計は12時少し過ぎていた。4時間ちょっとで奈良まで来たのである。天理から道を北へとって奈良市へ向かった。午後1時ころ奈良町の駐車場へ車を預けて奈良町の散策をした。

寿し店の人に誘われるままに入ってワサビの葉で包んだ寿しを食べた。ネタはアナゴと〆鯖であった。家内はサーモンと海老を食べた。オニギリほどの大きさがあったので二つ食べれば十分である。

奈良町では他にみたらし団子も食べた。これもその場で炭火で炙って甘鹹いタレを付けたもので香ばしくて美味かった。その後、興福寺などを見学していると少し雨が降ってきたので車に戻って、橿原のホテルへ向かった。

ホテルは橿原神宮のすぐ近所にあってわかりやすい場所であった。午後4時チェックイン。
橿原神宮を鳥居のところから参拝して、ホテルに戻りテレビで大相撲を観戦した。

夕飯はホテル内のレストランで食べたがメニューは限られていたので、当たり障りの無いところで奈良豚のトンカツライスを頼んだ。奈良県は海の無い農業県だから野菜と豚や鶏には自信があるのだそうである。事実トンカツは不味くはなかったが肉が薄くて普段私がよく食べる和幸のトンカツの半分くらいの厚さであった。

二日目の18日は朝から好天に恵まれた。
ホテルから飛鳥寺へは直ぐに着いた。飛鳥寺はまだ準備中で若い女性が掃除をしている最中であった。どこかで時間つぶしをしてから出直そうとしたら中へ入っても良いということだったので、狭い境内を拝見してきた。ただし、拝観料を払わないので飛鳥大仏は見ることが出来なかった。飛鳥大仏は前に来たときに一度拝観しているので今回は省くことにした。

次に三輪明神・大和国一の宮の大神神社に参詣した。長い参道には野菜などの露店が並び朝からにぎやかである。
鬱蒼とした森を抜けたところにある社殿は風格があり、神職・巫女の人数も多い。

神妙な面持ちで二礼二拍手一礼をし恭しく参拝を済ませ、お守りをいただいてきた。

次に向かったのは斑鳩の法隆寺である。今回はガイドの人の説明もじっくり聴いて、宝物殿や夢殿もしっかり見てきた。
玉虫厨子は前に見たときの印象よりも少し大きく感じた。以前は遠くから、今回は間近にみたのでそう感じたのだろうと思う。

法隆寺の門前の店で名物の柿の葉寿しと茶蕎麦のセットを昼飯に食べた。私は元々〆鯖や鯖鮨が好物なので柿の葉寿しは口になじむのである。

法隆寺の次は壮麗な薬師寺の伽藍を拝観し、境内の茶店で吉野葛の落雁で冷やし抹茶をいただいた。冷やし抹茶のガラスの茶碗が我が家で使っているものと同じであった。

次に唐招提寺へ向かったのであるが同行の家内が歩き疲れたというので駐車場に残して私だけでお参りしてきた。時間は少し残っていたが疲れた妻を労わってやるためにホテルへ戻って大相撲をテレビ観戦して時間つぶしをした。

この日の夕飯はホテルの前の居酒屋でとることにしていたので6時過ぎに出かけた。メニューを見ると魚介類は皆無で自慢の野菜と鶏が主体であった。

生ビールはキリンで文句なし。焼き鳥、野菜の天麩羅など料理はいずれも美味であった。妻が食べた塩焼きソバも野菜と鶏肉で美味しかったそうである。

三日目の19日も天気は良かったが、午後から崩れるという予報だったのでホテルの朝食を済ませると同時に帰り支度を始め、8時少し前に帰路についた。
帰りも天理から西名阪道に入って来たときのコースを逆に走った。天理の町を走ったとき右手に見えた天理教の建物が長く続いていたのが印象的だった。

帰路で特筆すべきことは鈴鹿あたりのサービスエリアでトイレ休憩したときに自販機の前の段差に躓いて転倒したことである。
顔を少しすりむいて、メガネのガラスに疵がついてしまった。
静岡には正午過ぎに帰着したので途中の「まいどおおきに食堂」静岡インター店で昼飯を食べた後、眼鏡市場へ直行して眼鏡を新調した。待ち時間40分で眼鏡が出来るのは素晴らしいことである。

今回の小旅行はカーナビのお陰で極めて順調に行動できた。
今週は山梨県韮崎市の山本美術館で開催中のダウン症の皆さんが描いた絵を拝見に上がります。
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秋風や忘れがたきは人の恩

2011年09月16日 16時13分50秒 | 日記
この黒犬の飼い主は私の恩人である。
かつて私が勤め先の会社を追われたときに一年もの長きにわたって私を客分として厚遇してくれた人である。

諺に、”犬は三日飼えば三年は恩を忘れぬ”と、言う。
犬は三日間飼っただけでも、三年間その恩を忘れない、それゆえ人間は恩知らずであってはならないという戒めである。万物の霊長たる人間が犬猫に劣ってはならないのである。

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秋風につのる女の怨み節

2011年09月14日 10時46分29秒 | 日記
ここの事務所は鉄骨造2階建延べ床面積18.2坪ほどの小さな建物である。
家主のK氏はもともとこの場所で空調設備の会社を経営していたものであるが、妻のA子さんと離婚したために他の場所へ事務所を移転したのである。つまり、ここの事務所はK氏の元の妻であったA子さんの実家の隣に位置し、離婚したA子さんは隣の家に年老いた父親と一緒に住んでいるのである。

S氏とA子さんの間には一人娘がいる。詳しい経緯は判らないが離婚の主な原因はA子さんの浮気にあるらしい。
A子さんは運転代行を営むX氏と男女関係に陥り、X氏に頼まれるままに600万円もの大金を融資したとのことである。これはA子さん本人から直接聴いた話だから間違いは無い。

A子さんはK氏と離婚した後にX氏と結婚する約束をして600万円を融資したそうだが、X氏には別に内縁関係の女性がいてそうそう簡単にA子さんと結婚するわけには行かないらしい。と、いうのはA子さんの認識だが、私の見立てでは、X氏と内縁関係の女性は出来レースを仕組んでA子さんから運転資金600万円を引き出したものと考えている。

X氏は東北の裕福な農家の息子だから親が死ねば多額の遺産が転がり込むから借りた金は間違いなく返せるといっているらしい。それを証明するためと称してA子さんを東北旅行に誘い、実家の土地だといって広い空き地を見せたそうである。そして、東北の温泉ホテルへ同宿して情交を交わしたというのだからどうしようもない。
静岡あたりの都市近郊の土地ならば坪当たり10~20万円の評価もできるだろうが、東北の田舎では坪当たりの土地単価も安いのではないか。200坪や300坪の土地があったとしても知れた評価額にしかならないものと思われる。この点でも残念ながらA子さんの思惑は外れていることになる。

その後、2年程も経過したがX氏に融資した金は一銭も戻ってこないばかりか頼みにしていた父親が病に倒れ、先日は本人が体調不良で倒れて救急車で病院へ搬送される事態になり、どうも雲行きの悪いA子さんの近頃である。

この世の中には男と女しかいない。
男と女の織り成すもろもろのドラマが毎日繰り広げられているのである。

知り合いの女性Yちゃんは当年29歳である。3年前というから26歳の頃に知り合った男性と結婚の約束をして肉体関係を結んだ。程なく妊娠したので相手の男性に結婚を迫ったら、相手の男性が両親のところへ挨拶に来た。Yちゃんの両親も娘のお腹に子供が出来ているのは知っていたから喜んで承知した。ここまでの流れは普通である。

問題が起きたのはこの先からである。本人が両親のところへ挨拶にきたまではよかったのであるが、それから先の手続きが一向に進まなかったのである。つまり、結納とか結婚式の日取りとか。

痺れを切らしたYちゃんは、直接、男性の親のところへ電話を掛けたそうである。すると、驚いたことに男性の母親は、家の息子には嫁もいるし孫も二人いるのだから他の女性と結婚なんかできるはずが無いといったそうである。

Yちゃんは男性の妻に離婚してもらいたいと頼んだそうであるが、二人の子供に十分な養育費をもらえる保証もなしに離婚は出来ないと断られたそうである。

Yちゃんは結局、自分の祖母からお金を借りてお腹の子供を堕胎したそうだが、その男性とは完全に別れられないで、今でもときどき家族の目を盗んでは逢っているそうである。

A子さんといいYちゃんといい女の本能というものは男の私にはどうにも理解できないものがある。
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法師蝉鳴く木の陰で待ちぼうけ

2011年09月13日 11時09分39秒 | 日記
今日は営業職希望者の面接をするために予定時刻の10時前から事務所で待っていたのだが、見事に背負い投げを食わされてしまった。
先週の金曜日にハローワークから連絡があって白石何某41歳が営業職の募集に応募したいと連絡があった。先方の都合の良い時間に経歴書と紹介状を持参の上で来社して欲しいと言ったところ、火曜日の10時にということで先方が時間を決めたのである。

こうしたことはこれまでにもしばしばあったが、ハローワークも一方的に紹介するだけで、後の結果や求職者の行動については極めて無責任である。

白石何某は複数の紹介を受けていて、先に面接したところで採用が決定したか、或いは失業保険を貰う手続き上の求職活動を装っていたということだろう。

営業職の採用は人選が一番むずかしいのである。兎に角、就職だけして安くても給料をせしめようとする人間が多いのである。以前、会社にいたダーマスこと増田氏は隣町の建材商社で10年の営業経験があるということで採用した。

ところがダーマスは事務所の机に座ってばかりいて一向に外出しようとしない。挙句の果てに煙草銭を1000円貸してくれなどという。

彼は建材商社を不始末があって退職した後にネットフェンスの組立などの仕事を短期間であるが自営していたために失業保険の受給資格が無かった。しかも、自営していた商売は赤字で生活資金も底をついていたのである。

ダーマスは入社すると同時に社長から15万円を前借して月々5万円を返済すると約束したそうだ。入社して一ヶ月が経過した頃になって社長から私のところへダーマスの面倒をみるようにとのお達しがあった。

そこで、どんな相手先へ営業をかけているのか詳しく問い質したのであるが、一向に要領を得ない話ばかりであった。つまり、営業しようにも軽自動車のガソリン代にも事欠く有様でほとんど動いていなかったらしい。

私は直ぐに営業日報を作って、毎日の訪問先と商談の内容を書かせることにした。
この頃、事務所の下の倉庫に保管してあった発電機用のガソリンタンクが空になっていたという騒ぎがあった。ガソリンはその後も二回ほど霧散したが、ダーマスが自分の軽乗用車の燃料にしたものと見てほぼ間違いはなかろう。霧散したガソリンは合計で120リットルほど、金額にして1万7~8000円くらいだろうか。

ダーマスの営業日報によると、朝一番に焼津市の自宅から御前崎市の建築会社を訪問し、次に藤枝市、焼津市、静岡市などの建設会社を7~8社回ったことになっていた。

自動車の走行距離は100キロメートルほどになっていた。私はダーマスに注意を与えた。一日に7~8社を訪問するだけで走行距離が100キロメートル以上は異状である。会社によっては門前払いで1分もかからないこともあるだろう。
もっと効率よく、今日は藤枝市、今日は焼津市と訪問範囲を決めて短い走行距離で多くの会社を訪問するようにしたらどうか。

翌日からは訪問先が急に20社ほどになったのだが相変わらず営業の成果はなかった。二ヶ月目も結局は何の成果もないままに過ぎた。
三ヶ月目に入った初めに私の知り合いの会社へ連れて行って事情を話したら、先方の社長が工事担当の常務を紹介してくれて10万円ほどの簡単な足場工事を発注してくれた。

しかし、相手の常務は打ち合わせは素人のダーマスでは駄目だから、仕事の解かる人に来て欲しいといった。ダーマスは解かったようなことを言っていたが、全てはハッタリで、実は足場工事のことなどほとんど経験がなかったようだ。

間もなく試用期間の3ヶ月が経とうとしたとき、ダーマスが17万円ほどの壁の洗浄工事を受注してきた。その工場は私も知っていた工場で、壁の汚れ方も分かっていた。
私が簡単には落ちそうも無い汚れだが大丈夫だろうか、と、心配すると、ダーマスは血相を変えて、変な心配はご無用だ、強力な洗剤も用意してあると豪語した。

さて、話が決まれば後は仕事をして代金を貰うだけである。

足場の材料を積み込み、現地に運んで組み立てた。強力な洗剤とやらを噴霧器で満遍なく降りかけておいて、高圧洗浄器で洗い流すのであるが、肝心の汚れは一向に落ちない。壁の材料の中まで汚れが染み込んでいたのである。

そこで、ブラシを掛けたり、束子で擦ったりしたのだが、ついに汚れは落ちなかったのである。
残った問題は代金の請求である。先方は、汚れが落ちて綺麗になるからというから頼んだのだという。こちらは、10人近い鳶職人が作業しているのだから約束の代金は欲しいのだ。

営業のダーマスは相手の工場長にやり込められてすごすごと退散してきた。
堪忍袋の緒が切れたのは社長である。ダーマスは3ヶ月間で60万円ほどの基本給を受け取り、最後に17万円の未収入金を置き土産にして試用期間の満了をもって本採用を見送られた。

代金は私が先方と交渉して30パーセントの5万円ほどを回収して残りは諦めた。

ダーマスが辞めてから一ヶ月ほどしてから会社へ一本の電話があった。
増田さんはおいでになりますか。
増田はもう辞めましたというと、実は増田さんに2万円ほどのお金を貸したままになっている。お宅の会社の名刺の裏に借用証文を書いてあるから電話をかけたという。

私は貴方様を存じ上げないが、私どもの会社の信用で増田へお金を貸したのでしょうか、と、訊くと、そうではなくて、増田氏の生家の近所の小母さんが静岡へ嫁にきているのだという。ガソリン代が足りないので明日返しに来るからといって借りて行ったらしい。

そういうのを所謂「寸借詐欺」というのだから遠慮なく警察へ届けてください、と、いうと、いやいや警察沙汰なんかとんでもないということで話は終わった。今日のお話はこれまで。乞う次回!!。
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海苔弁のフライが旨し秋の風

2011年09月12日 12時44分58秒 | 日記
朝からカトちゃんが事務所へ来ている。
カトちゃんが最初に此処へやって来たときは、三日間も飯を食っていないとかで、泥棒猫のように目だけがギラギラ光っていて、表情には精彩を欠いていた。今日はサッパリとした表情で血色も良い。やっぱり人間はちゃんと働いて三度、三度の飯を食わなければいけない。

今日は、ハローワーク(公共職業安定所)へ失業保険の残金の給付を申請しに行くために仕事を休んだそうで、失業保険の残りを5万円弱貰えるそうである。
その前に私のところへ来たのは飯代を都合するためだったようだ。

東京へ連れていったとき仲間のタバコをくすねたのがばれているので私のほうからも自分の物と他人の所有物を厳格に区別するように改めて注意を与えた。

カトちゃんがもともと無一文なことは分かっているし、もう10日間ばかりは会社で働いているから希望通り2000円を貸してやった。
彼はその金を持ってハローワークへ自転車で行ってきた。その自転車は誰かに貰ったもので盗んだものではないことを確認した。

昼飯前に戻ってきたが、帰りがけに280円の海苔弁当を買ってきて美味そうに食べ終えたところである。カトちゃん曰く、東京の海苔弁当は280円で値段は同じだが、白身魚のフライが小さくて食い応えがないそうだ。

カトちゃんは遠州灘に面した福田漁港の生まれだから子供のころから魚はふんだんに食べなれている。白身魚のフライが魚価の安いシイラであることもわかっていた。

食後の休憩時間に事務員のシノちゃんがコーヒーを買いに行くというのでカトちゃんにも買ってくるように小銭入れを渡したら、無糖じゃなくて甘いコーヒーをお願いしますと、小さな声で頼んでいた。55歳になるカトちゃんに結婚歴はなく彼女もいないそうだが、だからといって女性に興味がないわけではないと言っている。ワダちゃんのように女性に対して異常に興味がありすぎるのも困るが、女性に興味がないのも困るのでそこそこ興味はあったほうが人間らしいと思う。

カトちゃんは、先日、突然辞めたワダちゃんとも二日間一緒に働いたそうで、ワダちゃんもその時点では働く気でいたそうである。
結局、ワダちゃんの心境の変化は仲間のカトちゃんにもよく解からないそうであるが、大量のアダルトDVDの存在が微妙に影響していることに疑う余地はないようだ。

カトちゃんは午後から材料置き場の片付けをするということで社長に連れられて出かけた。
出てゆくときに、頑張れよっと声をかけたら、ハイッと応えたから、もうしばらくは大丈夫だろう。
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母の日も知らず飯場を流れけり

2011年09月06日 13時09分04秒 | 日記
私も20代の頃には工事現場から工事現場へと転々として飯場生活を送ったことがある。

◆母の日も知らず飯場を流れけり

しかし、私の場合、勤めていた会社は中堅ゼネコンであって、どこにいようと社員としての身分は一応保証されていた。

先日、ホームレスから会社の寮に入って働くことになったワダちゃんは現場で二日間働いて日曜日になった。
9月4日の日曜日にワダちゃんは布団一枚とDVDプレーヤー1台2980円を買ってきた。手持ち資金1万円あまりの中で生活必需品の布団はともかくとしてDVDプレーヤー2980円は思い切った出費ではなかったろうか。この段階ではワダちゃんは引き続き会社で働く心算でいたのであろう。で、なければ野外生活には不要の電気製品などを買うことはないだろう。

驚いたことに5年間に及ぶホームレス生活のなかでも後生大事に持っていたというアダルトのDVDが大きなボストンバック一杯分もあったのである。その数100枚以上。41歳の独身ホームレスと大量のアダルトDVDの組み合わせは何となく薄気味悪い話だが、何にしても個人の趣味の問題だから他人がとやかく干渉するようなことではない。

彼は寮の中にあった他人のテレビにDVDプレーヤーを接続して久しぶりにアダルトDVDを堪能したようだ。さて、一夜が明けようとしていた5日の早朝4時ごろ、むっくり起き上がったワダちゃんは突然「こんな会社は辞めてやるっ!!」と大声で叫ぶと着の身着のままでおんぼろ自転車に乗って寮を飛び出して行ったそうだ。

それから一昼夜、何処で何をしていたのかは全く不明だが、本日、9月6日の10時ごろ寮を管理する女性が掃除をしていると、突然ワダちゃんが背後からやってきたので、女性は驚いて建物の外へ退避して、私のところへ連絡してきた。
ワダちゃんは荷物一つを持って直ぐに寮をでたが、残りの荷物を今日の午後3時に取りに戻ると言い残して行ったそうである。

ワダちゃんは新しい住処を国道150号線の橋の下に決めたとかで、新しい仕事も既に決まっていると女性に話していたそうである。

人間の生き方考え方にはそれぞれの個性があって当たり前だし、個人の考え方は尊重されなければならない。一度、乞食をやると止められないというが、ホームレスも同じことなのかもしれない。

だから、私は辞めてゆくワダちゃんにエールこそ送るが決して批難はしない。自分の生きたいように生きてゆけばそれが一番良いのである。
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松風の海風のこれホームレス

2011年09月02日 08時55分05秒 | 日記
先日の「カトちゃん」に続いて、昨日は「ワダちゃん」がおんぼろの自転車を漕いでやってきた。「ワダちゃん」はマヒナスターズのリーダーと同姓同名である。
住所不定。いや、住所不定ではなくて、静岡市駿河区宮竹地先官有無番地防潮林内居住である。ホームレス歴5年。41歳。所持金は1万円余り。前科はないが弁当を盗んだり、盗難届けの出ていた自転車に乗っていたところを捕まったりして警察のご厄介には何度かなっている模様である。

市内の山間部で生まれ育って、地元の中学を卒業後、15の歳から市内の左官業者へ住み込みで奉公したが、仕事の覚えが悪くて3年ほどで見切りをつけてそこを辞めた。実態は見切りをつけられたと言った方が適切かもしれない。その後は幾つもの仕事を転々としたが、どこも長くは続かなかったようだ。これは本人の内向的な性格によるものと推察される。つまり、「ワダちゃん」は極めて社交性に欠けるのである。

今から5年ほど前の36歳の時からホームレスになり、夏は海岸の松林の中でのテント生活、冬場は橋の下などを住処にしていたそうだ。生活費はホームレスになった最初の頃は働いていた時の貯金が少しあったが、近頃では母親に金をせびって暮らしていたそうだ。

その母親であるが18歳のときに12歳も年上の父親との間に長女を出産してから、本人を含めて6男3女合わせて9人の子供をもうけ、生活は赤貧を極めたようだ。9人の姉弟の内で結婚しているのが妹二人だけというのも何となくこの家族の実態を物語っているようである。土木・山林労務者だった父親は5年前、既に亡くなっている。

先日の「カトちゃん」はネットカフェ難民だったが、今回の「ワダちゃん」は正真正銘、本物のホームレスであり、その期間も5年と長い。
夏場は海岸の松林の中に、どこかから失敬してきたブルーシートでテントを作り、冬場は国道の橋の下などに寝泊りしていたそうで、橋の下は松林よりも平均して3~4℃は温かいらしい。そういえば松林には薮蚊が多くて敵わないとかいっていた。

食事は10時ごろに一度取るだけで、一日一食である。米は拾ってきた炊飯器の中身のアルミの鍋と、これまた拾ってきた鍋蓋で炊いたそうで副食は保存が利く缶詰類が主体である。燃料は松林の中だから幾らでもあるし、水は公衆便所の水道を利用していたそうだ。本人は生活費は母親に貰っていたといっていたが、実際にはコンビニのゴミ箱を漁ったり畑の野菜をくすねたりと乞食同然の暮らしをしていたことは隠しようもないだろう。

風呂は公衆便所の水道からペットボトルで運んだ水で石鹸を使って洗っていたから大丈夫だと嘯いていた。しかし、着ている物などからは仄かな異臭が漂っていて決して清潔とは言いがたいのである。

さて、「カトちゃん」といい今回の「ワダちゃん」といいハローワーク(公共職業安定所)の紹介できたのだが、彼ら浮浪者からみるとハローワークは職業安定所というよりも簡易宿泊紹介所のような存在らしい。

このところ立て続けにこの種の人種が職を求めて、と、いうよりは塒(ねぐら)と食料を求めてやってくるのは、間もなく冬がくるからである。

「歩き疲れては 夜空と陸との すきまにもぐり込んで 草に埋もれては 寝たのです ところかまわず 寝たのです 歩き疲れては 草にうもれて 寝たのです 歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです このごろは 眠れない おかをひいては 眠れない 夜空の下では 眠れない ゆり起こされては 眠れない 歩き 疲れては 草にうもれて 寝たのです 歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです そんな僕の 生活の柄が 夏向きなのでしょうか 寝たかと思うと 寝たかと思うと またも冷気に からかわれて 秋は 秋からは 浮浪者のままでは 眠れない 秋は 秋からは 浮浪者のままでは 眠れない 歩き疲れては 夜空と陸との すきまにもぐり込んで 草に埋もれては 寝たのです ところかまわず 寝たのです」

高田渡の「生活の柄」という歌は実にこのあたりの実態を表している。

「ワダちゃん」は昨夜久しぶりに風呂に入って溜まった垢を洗い流した。夕飯も食べた。屋根のある部屋でゆっくりと寝て今日は朝から少しずつ働いていることだろう。

こんなことを書いている最中に宿舎の世話をしている女性から電話が入った。「ワダちゃん」が持ってきた汚れた衣類は一度洗っただけでは綺麗にならないので2度ずつ洗濯機にかけているとのことである。
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