日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
読者のコメント歓迎いたします。

土捨場の マンボの姉ちゃん 厚化粧

2013年10月31日 15時17分17秒 | 日記
 前稿のパイスケは普段よりも多くの方々に読んでいただいた。次は「イ」のところを「ン」に換えて書けなどという貴重なご意見もいただいたがそれはさておき、今回は「万棒」について書くことにする。

 「万棒・マンボウ」の正体は写真の通りである。この写真は物流博物館の展示品から拝借したのでここでお断りしておく。物流博物館とは上戸彩ちゃんのCMでおなじみの日本通運さんが運営する博物館である。

 
 我々土木屋の世界では砕石場や土捨場などの受付にいて伝票などを管理している検数係の人のことを「マンボ」或いは「マンボとり」と呼んでいる。

 私が若いころに出入りしていた砕石場のマンボは「おきみちゃん」という器量はまあまあだが威勢のよいお姉さんだった。言葉は悪いがダンプトラックの雲助運転手を相手の仕事だからお淑やかで上品なお嬢さんではなまなか勤まらないのである。女だからと甘く見て下手にからかえば「馬鹿野郎っ。味噌汁で顔洗って出直して来いっ」ってな感じで軽くあしらわれてしまうのである。

 そこで「マンボとり」や「万棒」で検索してみるとこんな具合である。

【マンボとり】
 埋立工事現場などで、ダンプトラックの運搬台数を数える(記帳する)者。

【万棒】
 よみ:まんぼう
 分量や作業量が回数で数えられるときに使用する言葉。丸太の本数・員数。杭打ち数等を数えること。トラック・ダンプの搬出台数を堀削工事で数えるのは”まんぼうを取る”という。

【まんぼ】
 <まんぼ>とは、ダンプの運搬回数等を数える、我々土方の現場での専門用語で『萬棒』から来ているらしく、即ち『萬棒』とは『お金の棒』のことで、以前は「おがら」みたいに中空の簡単に折れる棒を使って、ダンプ等をナンバー毎に別々に「腹巻か懐」に入れ後で計算、精算して金を渡していたが、さすがに今は「おがら」の使用は無く、メモ帳に「正」を書いて各ダンプ毎にナンバーを1台づつ控え、金を精算している。

【万棒】
 当時(昭和初期)、肥料の出荷はほとんど船で行われていたが、出荷の際に何千、何万とあるかますや袋の数を確実に数えることは大変だった。その為、この万棒を陸側でかますに刺し、船側で回収することでかますの数を数えた。

■ まんぼう(万棒)
 連続する繰り返し作業で回数を確認するために使用する棒のこと。 現在は、棒を使用することは無いと思うが、ダンプの台数を数えることを「万棒をとる」などと言う。

【万棒】
 貨物の個数確認のために用いられたもの。作業員に運搬貨物1個につき1本ずつ手渡され
倉入れ終了後その本数を数え、個数確認を行い、荷物の授受が成立した。

【万棒】
 読み方:まんぼう
宿屋の通り符牒にして、五といふ数量を表す。

【マンボ(Mambo)】
 ラテン音楽の一つ。キューバの音楽形式でダンスのスタイル。
Mamboという言葉とはハイチの土着宗教ヴードゥーの女司祭の名前で「神との対話」の意味を持つ。

【万棒( スキッド)】
 鋼板を梱包する台 - 鋼板をクレーンで吊ったり積み重ねたりするときに、傷やキンクと呼ばれるゆがみが発生しないようにしたり、吊り具を掛けるための隙間を作って作業性を向上させるためのものである。バンドや角金などと組み合わせて使用する。材料は、主に4×5cm程度の角材であり、専ら繰り返し使うものについては角パイプである。

【マンボウ】
 (翻車魚、Mola mola)は、魚類フグ目マンボウ科の1種である。巨体と独特の体型が特徴の海水魚である。

 写真を見ていただいて幾つかの検索結果を示したので賢明なる読者には直ぐにお解かりのことと思う。ラテン音楽のマンボと魚類のマンボウそれと鋼材に挟むスキッドはこの際あんまり関係がないと想われる。

 万棒とはお百度参りの小石や紙縒りや竹串などと同じ役目だと考えていただければ大きな間違いはないだろう。

 ここで注目したいのは万棒が宿屋の符牒で「五」という数量を表していることである。私も現役の現場監督をしていたころには河川の浚渫工事現場でダンプトラックのマンボを取ったものだが、緑色の表紙の野帳にダンプのナンバーと「正」の字を書いて運搬台数を記録したものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老いたとて 忘れがたきは 茗荷なり

2013年10月21日 16時19分26秒 | 日記
 私が生まれ育った家の北側に一本の欅の大木があった。その欅を父親が何日もかけて伐採し、数年間枯らして乾燥させた後に大鋸で挽いて新しく建てた家の大黒柱にした。尺角以上もある漆塗りの立派な柱である。

 建替える前の家というのは、おそらく明治の中期以降に建てられたであろう粗末な造りの平屋で、居間の真ん中に囲炉裏が切ってある典型的な田舎風の家屋であった。柱は細く、天井板のないない屋根は低く、囲炉裏の煙に燻されて家の中全体が真っ黒に煤けていた。

 屋根は檜や杉の樹皮を重ねて葺き、孟宗竹を割ったもので押さえて釘で止めた簡素な構造である。切妻の棟の部分に囲炉裏の煙を抜く穴が開けてある。この穴から煙も抜けるが逆に風も吹き込むので、冬になると家の中でも滅法寒かった。

 家の間取りを説明しよう。玄関というと聞こえは良いのだが、ただの入り口である。入り口の右側に大甕が埋めてある。小便を垂れる甕である。従って、この付近は常に小便臭い。入り口は障子紙を張った引き戸である。敷居は磨り減っていて戸の開け閉めにはちょっとした骨(こつ)がいる。入ってすぐの土間には臼、杵などが乱雑に置いてある。

 六畳の部屋が二つと囲炉裏を切った居間が一つ、居間の奥が納戸部屋である。土間の奥に続いて台所がある。石と土で拵えた竈が二つと流し台と戸棚があるだけの殺風景な台所である。

 流し台の脇に大きな水瓶が埋めてあって裏山から懸樋で水を引いてあった。懸樋は孟宗竹の節を抜いた竹筒をつなげて隙間は襤褸を詰めて塞いである。角度を大きく変えたりサイホンの原理を応用して垂直に配管する部分は刳り貫いた木材を利用して接合してあった。

 水瓶の前が据風呂である。風呂桶は鋳物の釜をはめ込んだ小判型の木桶で、底に水抜き孔を開けてある。風呂桶の材は槙で針金の箍を嵌めてある。風呂の水汲みと風呂焚きは私の日課であった。

 閑話休題。欅の大木から話は随分と脇道へ逸れた。話を本題へ戻そう。

 欅の大木の根元は狭い水路になっていて、水路の畔にたくさんの茗荷が生えていた。夏の早朝に茗荷の葉先を覗くと油蝉やミンミン蝉の羽化を観察できた。私が茗荷にまつわる記憶を手繰ると、いつも決まって欅の大木と蝉の羽化に辿り着くのである。

 茗荷と生姜は一見よく似ている。生姜は地下茎を食うが、茗荷は若芽と花蕾を食う。茗荷の若芽即ち茗荷竹である。日光を遮断した室(むろ)で軟白栽培したものを野菜として売っている。

 普通に栽培された茗荷の若芽は緑色の円錐形で小さな筍(たけのこ)の形状を呈する。この茗荷竹を採って、薄く刻み、甘酢に漬けたり、花鰹と混ぜて醤油を垂らして食う。茗荷特有の風味と歯切れのよさを賞味するのである。花の苞が所謂、茗荷である。茗荷汁にしたり薬味にしたり紫葉漬の材料にしたりする。私がもっとも好むのは茗荷竹の酢の物である。

◆ 枯葉突き上げ茗荷角ぐむ  白兎
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

莢蒾を 漢字で書くと こうなるの

2013年10月17日 16時24分59秒 | 日記
 秋も深まるころに陽当たりのよい尾根道などを歩いていて、ガマズミの実が真っ赤に熟れていたりすると思わずにんまり北叟笑んでしまう。早速採って口に運ぶのであるが、甘酸っぱさが口いっぱいに広がって咽喉の渇きも癒すのである。

 ガマズミはスイカズラ科の落葉低木で樹高はせいぜい3メートルくらいといったところである。初夏に咲く花は白くて派手さはないが香りがよい。紅葉が美しく結実しやすいことから庭木に植えられることも多い。私はかつて山野草や雑木盆栽などを三〇〇鉢ほど育てていたが、その中にはガマズミの盆栽も数鉢あった。ガマズミは枝が徒長しやすく形を整えるのが難しい樹種であった。

 ガマズミは地方によってヨツズミ、ヨソゾメ、ヨウゾメ、ソゾミ、ゾメ、ヘミキ、ムシカリ、ズミなど様々な呼び名がある。名前の由来でゾメというのは、昔はガマズミの実を赤色の染料に用いたことから、染(そめ)がゾメとなり、ズミに転訛したというのである。勿論これにも異説があって東北地方で熊狩りなどを生業としていたマタギが山の神からの授かりもの「神ツ実」として珍重したからだという説もある。

 考古学の研究成果として、ガマズミの種がたくさん入った縄文時代の土器が発見されている。このことから縄文人は土器にガマズミの実を詰めて自然発酵させ、酒を醸していたのであろうと推測されている、

 ルビー色に熟れたガマズミの実は、そのまま食べても野趣を楽しめるが、たくさん採れた場合にはホワイトリカーとグラニュー糖で漬けて薬用酒にすることをお奨めする。ガマズミの実にはクエン酸、没食子酸(もっしょくしさん、またはぼっしょくしさん。芳香族カルボン酸)、ブドウ糖、果糖を多く含み、滋養強壮、利尿、美容などに効能があるとされている。酒が苦手だという方にはジャムやジュースにするのも良いかもしれない。

 東北地方では大根の漬物をガマズミで赤く染める習慣があると聞く。種を取り除いたガマズミの実を懐石の箸洗いに二粒ばかり入れるということも聞いたことがある。箸洗いの汁は昆布出汁の薄い塩味だから山のガマズミの実とよく調和して、炉辺の茶事に一層の風趣を添えるというのである。恥ずかしながら私はお茶の作法をまったく心得ない。

◆ ガマズミ熟れてルビーの輝き  白兎
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柿食えば 金が無くなり  放浪児

2013年10月15日 12時59分36秒 | 日記
 折から柿の季節である。柿は私の大好きな果物である。

 柿には甘柿と渋柿がって双方ともに多くの品種がある。その数は日本・朝鮮・中国に凡そ200種とされている。

 一般的に広く知られているところで幾つか挙げるとすれば、先ず、甘柿では、鎌倉時代に現・川崎市麻生区の禅寺・王禅寺において日本で最初に発見された甘柿「禅寺丸柿」であろう。禅寺丸柿の原産地は小田急線「柿生駅」に今もその名残を留めている。

 次いで奈良県御所市が原産とされる「御所柿」。御所系統から改良された岐阜県瑞穂市発祥の「富有柿」。静岡県周智郡森町原産の「治郎柿」といったところだろうか。特に、森の石松で有名な遠州森町の治郎柿は弘化元年(1844年)松本治郎吉が太田川の堤防普請に出役した時、大水の後、寄せ洲に流れついた柿の幼木を見つけ、自宅の井戸端に植えたのが発端であり今でも原木が残っている。

 渋柿では、会津の「身知不柿・ミシラズガキ」。岐阜県美濃加茂市蜂屋町の「蜂屋柿」。広島県西条市の「西条柿」。新潟県新潟市原産の「平核無柿・ヒラタネナシガキ」は「八珍柿」とも呼ばれ、栽培地によって「庄内柿」や「おけさ柿」となっている。他にも色々な柿の品種はあるが限がないのでこの辺で端折っておく。

 さて、今回の本題は「山柿」である。これは品種というより野生種の柿である。我が国の本州、四国、九州並びに韓国(済州島)、中国の山地に自生するカキノキ科カキノキ属の落葉高木で樹高は十五メートルくらいまでになる。

 果実は四センチくらいの扁球形で鈴なり状態にたくさん生る。私の田舎では「猿泣かせ」と呼ぶほどの渋柿であるが、皮をむいて干し柿にしたり、醂して渋抜きをすれば十分美味しく食べられる。

 蛇足ながら「醂す・さわす」という言葉には、渋柿の渋みを抜く。水に浸してさらす。黒漆を艶の出ないように薄く塗る。などの意味がある。渋抜きは蔕に焼酎を塗ったり、柿全体に噴霧して密閉状態で保存することによって柿渋の正体であるタンニンをアルコールと反応させるのである。この方法を「樽抜き」といい処理した柿を樽柿という。渋抜きの方法は温湯に浸す「湯抜き」や炭酸ガスによる方法などがある。

 また、山柿は生薬名を「柿蔕・してい」または「柿の葉」と呼んで血圧降下やしゃっくり止めに薬効があるとされている。蔕や葉に含まれるタンニンやウルソール酸などの成分が血圧降下に作用するのであるが、詳しい処方の記述については医師でも薬剤師でもないので遠慮する。

 山柿は私の田舎の山の雑木林の中にも点々と混在していた。紅葉が済んで雑木林の葉が散ると山柿の実が際立って見えるようになる。長い竹竿の先をV字形に作った柿取竿を持って出かければ子供でも容易く採ることができた。

 小さな柿の皮を剥くのは結構面倒であったが、勉強などは一切せずにひねもす遊びほうけていたのであるから時間は充分にあった。青竹を割って作った籤(ひご)に刺して日当たりのよい軒下に吊るせば後は干し柿の出来上がりを待つばかりである。剥いた皮も莚の上に広げて干した。これも結構甘くなって食べられたのである。

 私の田舎には山柿のほかにも猿柿というのもあった。信濃柿、豆柿、黒柿、貧乏柿などと呼ばれるものと同じ種類らしい。これは山の茶畑の隅にあって二センチくらいの小さな柿が枝にびっしりと並んで生っていた。この柿は祖父の代に柿渋を取るために植えたもののようである。柿渋は手揉み製茶の焙炉(ほいろ)などに塗って使ったようである。

 渋くて小さくて誰も手を出す者はいないのであるが、やがて霜が降りる頃になると皮がほとんど黒く変色してくる。これを摘まんで葡萄を食べるように中の果肉を啜ると実に美味いのである。

 私が山柿や猿柿を食べたのはもう五〇年ほども前のことである。

 ◆ 酒に酔わせて渋柿醂す  白兎
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大事です 男と女の 別れ際

2013年10月11日 15時03分43秒 | 日記
 三鷹女子高生ストーカー殺人事件が世間を騒がせている。

 被害者の高校生が美人のタレントであり、親族に脚本家・劇作家・演出家の倉本聡氏(夫人は女優の平木久子)や前衛美術家・現代美術家の高松次郎氏(故人)などの有名人が多数いることも事件が衆目を集める一因であろう。

 一方、加害者の青年は京都に在住する日本人の父親(一説に在日コーリアン)とフィリピン人の母親をもつ所謂ハーフだそうであるが、この際加害青年の出自は事件の本質とはあまり関係ないだろう。

 二人はFacebookで知り合い、親密な交際を続けていたようだ。その証左として加害青年によってXVIDEOS(無料ポルノサイト)に投稿されたフェラ動画は既に削除されてはいるものの多くの人に閲覧されたそうである。被害者のアンダーヘアーも綺麗に処理されていたというから動画の投稿もあながち作り話ではないようだ。

 フェラとは言うまでもなくフェラチオのことで、文語的には「吸茎」、隠語として「尺八」、「F」、「フェラーリ」、などがある。フェラチオ (Fellatio) は、オーラルセックスの一種であり、性的関係においてパートナーが相手の陰茎を、口に含んだり舌を使うなどして刺激する行為である。とても18歳の女子高生がすることとは思えないがこれも当世の現実であろう。

 表では明るい性格で前向きな美少女が他人の眼からは見えない裏側では不純な性行為に耽り、最後は命まで失うことになったということを多くの同世代の少女たちは肝に銘ずるべきだろう。

 そんな親しい関係の二人だったのだが加害青年は被害者のアメリカ留学を契機に一方的に振られることになる。

 加害者と被害者の間のことは本人同士でなければ解らない。多感な青春時代の男女間の感情のもつれは誰しもが少なからず経験することであるが、それが殺人事件にまで発展してしまったことに今回の事件の特異性があるのではないだろうか。

 以前にも桶川の事件があってやっぱり殺される前の加害者と被害者はきわめて親しい間柄であった。この種の事件が起きると後から必ず警察の対応が問題になる。

 今回の事件でも杉並署と三鷹署の間の連携が問題視されているが、警察は男女間の揉め事を民事不介入という及び腰ではなくてストーカー事件として積極的に介入する姿勢を示すことが必要である。

 Facebookや出会い系サイトでいとも簡単に男女が出会える世の中である。安易に交際はできても殺されちゃったんでは身も蓋もない話である。

 若いもの同士であろうと熟年であろうと男と女は別れ際を綺麗にするのが一番大切なことである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駅のない リニアなんかは 糞食らえ

2013年10月08日 12時56分32秒 | 日記
 最初にお断りしておくが、私は静岡県民の代表でもなければ、静岡市民を代表する者でもない。ただ、郷土をこよなく愛する一介の労務者である。

 JR東海は2027年開業を目指すリニア中央新幹線で、品川-名古屋間(約286キロ)の約8割をトンネルとし、うち都市部は鉄道として初めて「大深度地下利用法」の適用を受け、40メートル超の地下深くを走行するとする計画の概略を発表した。

 発表されたルートは東京から神奈川、山梨、静岡、長野、岐阜、愛知各県を横断するものだが、静岡県内には駅もなく南アルプスの地下深くを東西に貫通するというものである。

 大深度地下利用法が適用されると、地下40メートル以上であれば地上の用地買収や事前の補償の必要がなく、スムーズに着工できる利点がある。トンネルは直径約13メートルで設計、この中にガイドウエーと呼ばれるU字形の軌道を上り、下りそれぞれ設置する。

 乗客の避難用として、トンネルと地上をつなげた非常口を5キロごとに設ける。非常口は直径30~40メートルの立て坑で、避難階段と非常用電源付きエレベーターを併設するほか、地下の空気を入れ替えるためのファンを設置。時速500キロ走行による騒音や風圧を抑える装置も備える。と、まあ計画の概要を説明するだけでも草臥れる。

 私のように古いタイプの建設業界人にとってヨッシャヨッシャの田中角栄元総理は神様のような存在だった。その田中角さんの派閥に金丸信という実力者がいてリニアの実験線を山梨県へ持っていった。

 新しく作るリニア新幹線は、この実験線の両端を東と西へ延ばすものである。

 私が面白くないのは駅がないからでない。リニアモーターカーなんか宮崎県に実験線があったとき既に試乗済みである。

 私が心配しているのは、南アルプスの豊かな自然とそこに棲息、生育する貴重な動植物を守りたいからである。このことに対して県や市のアクションがないのが不思議である。

 鉄道は地下深くを貫通するだけかも知れないが、5キロごとの非常口は少なくとも2箇所は出来るだろうし、その立て坑から排出される膨大な掘削土の処分は大井川の上流部で行われるのである。静岡県静岡市は残土処分地にされるだけである。

 土木技術者の端くれである私が過去の経験から申し上げると、トンネルが貫通した山は地下水が抜けて乾燥するのである。膨大な土砂はよほどの処理を施さない限り流出して川を荒らすことになる。堅固な施設を作ればそれだけでも自然環境を破壊することになるであろう。小さな沢でも堰堤を作れば山女や岩魚は遡上できなくなる。

 建設工事に伴って人や車両や建設機械が動くだけでも空気は汚れて環境は汚染する。工事用の運搬路や非常口への通路をつくるだけでも急峻な山肌へ大きな負荷をかけることになるのだ。普通の山でも林道を開設すると各所で崩壊を招き安定するまでには5年、10年とかかるのである。

つまり、静岡県民や静岡市民にとってリニア中央新幹線はかけがえのない自然を犠牲にするだけのメリットが一つも見当たらないのである。それどころではない。リニア新幹線の建設費を補うために在来線や新幹線の料金値上げなどされたら最悪のシナリオである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする