日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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佐渡遊女みほのが情話はつしぐれ

2017年10月25日 11時26分38秒 | 日記
 僞(いつはり)とこちは思はじ初時雨  佐渡遊女みほの
 
 この句には「仰ごとはちがひ候へどもこなたはまことと存じ候」との前書きがあり作者は佐渡遊女「みほの」とだけ書いてある。夜半亭蕪村編輯《玉藻集》に採録されている句で季語は勿論「時雨」で冬である。

 佐渡金山華やかなりし頃、時の幕府は、鉱山労働者を確保するために、相川に歓楽街を設置し、それを手厚く保護した。労働者の労働後の楽しみと言えば、飲む打つ買うである。佐渡の遊郭は、江戸の吉原よりも先にできた。まず最初に山咲町に遊郭ができ、後に水金町に移った。

 遊郭に身を投ずる遊女は、佐渡の貧しい家庭に育った娘がほとんどであった。彼女らには、苦界に身を置いて居ると言う意識はほとんど無かった。その理由は二つある。一つは、貧しさからの解放である。彼女らには、着物、風呂、化粧、食事の心配が無く、しかも遊郭経営者により手厚く保護されたからだ。二つ目は、江戸時代に広まった儒教の影響で、親孝行の意識があったからである。

 親が娘を遊郭に預けると前貸し金をもらえる。遊女は10年間の年期奉公だが、その間の賃金は、全てそれらの利息の支払いに当てられる。だから遊郭を出るためには、前貸し金の支払いが必要であった。それが支払えない場合は、遊女は再び遊郭で働き続けなければならない。何とも悲しい話ではあるが、当時の佐渡では、それでも遊郭に身売りする娘は大勢いたようで、幕末の佐渡奉行だった川路 聖謨(かわじ としあきら)は、「佐渡で安いのは魚と女だ」と言ったとされる。

 金山の隆盛時は、コンドームなどない時代である。妊娠しにくくなったら一人前の遊女と言われた時代だ。そして性病の検査も治療もできない時代である、遊郭通いで性病に苦しんだ男達が平癒祈願の絵馬を神社に奉じたのもむべなるかなな時代であった。だが、現代のように多彩な娯楽の無かった時代である、彼らは性欲を満たすために、唯一の娯楽である遊郭へとこぞって通った。現代でもそれを目的に性風俗店通いをする男共を批判はできまい。

 川路 聖謨(かわじ としあきら)は、江戸時代末期(幕末)の武士(旗本)。号は敬斎。
 豊後日田代官所の役人の息子に生まれながらも、まれにみる才幹を示して、勘定吟味役、佐渡奉行、小普請奉行、大阪町奉行、勘定奉行などの要職を歴任している。そして、勘定奉行在任のまま海防掛になった。 幕末きっての名官吏で、有能なだけでなく、誠実で情愛深く、ユーモアに富んでいた。和歌にも造詣が深く、『島根乃言能葉』などの歌集も遺している。

 夜半亭蕪村編輯《玉藻集》は千代尼の序、田女の跋を付して安永3年甲午(1774)に刊行された。時に蕪村59歳8月であった。「玉藻」は伝説の美女玉藻の前(たまものまえ)を指すと思われるが、その正体は金毛九尾の妖狐。失礼ではないかと思いきや、田女は跋に「天地をうごかし鬼神を感ぜしめし女の歌仙、數ふるにいとまあらずとや」と記し、その命名に異議はないようである。

 女性俳人の作のみを集めたもので蕪村の句は含まれないが、蕪村の審美眼を知る意味でも、また有名無名の如何なる俳人があったかを知る意味でも興味深い。当撰集は大正11年に東京市神田の有朋堂書店より活版で出版されたことがある。それ以外の覆刻については未詳。

ここに遊女と肩書の付いた句だけを抜粋してみよう。

俳諧玉藻集     平安 夜半亭蕪村輯

色紙や色好みの家に筆始      遊女 利生

夕立やいとしい時と憎い時     遊女 しづか

蟲干や具足櫃から轉び出る     遊女 小源

朝夕に見る子見たがる踊哉     遊女 花崎

朝顏のはえあふ紅粉のねまき哉   遊女 高尾

月はのう淋しいでこそ哀なる    京遊女 九重

秋の千種の哀れなるが中に     遊女 長門

僞とこちは思はじ初時雨      佐渡遊女 みほの

兒の親の手笠いとはぬ時雨哉    遊女 夕霧

我袖の蔦や浮世の村時雨      遊女 薄雲

慰めし琴も名殘や冬の月      遊女 いくよ

我子なら供にはやらじ夜の雪    遊女 ときは

千鳥啼出れば雌か雄かの      遊女 いくよ

 遊女といえばもっと古い万葉集にも「うかれめ」の歌が残っている。「うかれめ」は、天平時代(一一六五~)の万葉集に、万葉仮名で「遊行婦女」と記されている。「遊行婦女(うかれめ)」とは、宴席に侍り詩歌音曲を奏する云わば芸妓であるが、錚々(そうそう)たる万葉歌人と同席して歌を詠んでいる。それらの歌は万葉歌人と同等、若しくは、優るとも劣らぬ詠みっぷりである。

 万葉集には四人の「遊行婦女」が名を残していて、名は、「土師(はにし)」、「蒲生(かまふ)」、「左夫流児(さぶるこ)」、「児嶋(こじま)」である。

 現代のキャバクラ嬢の無知・無教養に比べたら昔の遊女はなんと奥ゆかしいことかと嘆息せざるを得ない。

下手なりに俳句の色紙書きました

2017年10月16日 10時20分31秒 | 日記
【11月の俳句】

消炭の恋の落書き艶めける

【よみ】けしずみのこひのらくがきつやめける

昔は☂マークに男女の名前を並べて書いた色っぽい落書きがありました。季語は「消炭」で冬。

       
凩の娑婆を逃れる縄のれん

【よみ】こがらしのしゃばをのがれるなはのれん

木枯しの吹く世間は寒いが縄のれんをくぐればそこは補陀落・・・ふだらく・・・観音の浄土です。季語は「凩・こがらし」で冬。


風説と枯葉渦巻く吹き溜まり

【よみ】ふうせつとかれはうずまくふきだまり

公園のベンチにはうわさ話と枯葉が渦巻いている。季語は「枯葉」で冬。


麦飯の咀嚼も忘れとろろ汁

【よみ】むぎめしのそしゃくもわすれとろろじる

とろろ汁だと麦飯を噛み砕くこともなく啜りこんでしまう。季語は「とろろ汁」で秋。
       

鱈ちりや人の情けに似て淡し

【よみ】たらちりやひとのなさけににてあはし

寒い夜には鱈のちり鍋と熱燗がよい。ちり鍋はポン酢などで食べるから具材の味は淡白である。季語は「鱈ちり」で冬。

毛が生える 秘法を君に 伝授する

2017年10月08日 12時58分53秒 | 日記
 おい、若い衆、あんた、不惑四十になるかならぬかの歳じゃろう。ええっ。その割にはおぐしが薄いなぁ。なんかご苦労でもされたのかね。それとも副作用の強い薬の飲みすぎかな。まあ、そんなこたぁどうでもいいわ。禿には福音ともいえる耳よりな話があるんじゃが聞いてくれるかね。

 俺か。おりゃぁな。『□○書房・ほうえんしょぼう』の本棚に巣くう紙魚じゃよ。

 名前か。紙魚の老い耄れに名前なんぞは不要なんじゃが、『大言海』の裏表紙に棲んでおるゆえ、仲間の紙魚諸君からは「大言海の五郎」と呼ばれておるんじゃ。

 なっ。なにぃっ。『大言海・だいげんかい』を知らないってか。『大言海』とは、かの大槻文彦文学博士が著した国語辞書のことじゃないか。

 ええっ。なんだって、少し耳が遠いんでな。そりゃぁ紙魚だって寄る年波には克てんのじゃよ。

 ええっ。なっ。なにぃ。紙魚の耄碌爺風情に人間様の言葉が喋れる訳がねぇって。じょ。冗談いっちゃぁいけねぇよ。こちとらぁ大言海の五郎ってぇ二つ名ぁ背負った紙魚でぇ。そこいら辺にのたくってるちんけな蟲たぁちぃっとばかっし出来が違うんでいっ。

 この編の主人公は、青柳新太郎の書斎「□○書房」に巣くう紙魚の長老で「大言海の五郎」と呼ばれている。

 負けず嫌いで、偏屈で、嘴ばっかりが変に達者で、空威勢のよい年寄りである。だが、一寸した話を聞いただけでも、ただの耄碌爺でないことは、賢明な読者の皆さんにはお判りになるだろう。

 今回は、この老人ならぬ老紙魚が、半生を費やして舐めまわした、和漢の書籍の中から、「知らずとも全く困らぬが、知っておれば猶一層困らぬ」という、一風変わった話を紹介してみたい。

 早速じゃが、読者の諸兄諸姉は、もちろん遊郭は御存じだな。然様、江戸で吉原、京都で島原、大阪では新町、長崎では丸山、駿府では二丁町が有名な遊郭だったな。古くは、東海道は手越(静岡市手越)の宿の遊女なども有名だったがね。

 昔は売春が公許されていたんでな、各地に遊郭があったんだよ。それなのに、あの菅原通済とかいう、お節介な爺さんが、自分の一物が役立たずになったからといって、三悪追放とかいって騒ぎまくってな、若い衆には何の相談もなしに『売春禁止法』なる法律を制定させたんだよ。

 自分が若い頃には、散々やりちらかしたくせに、まったく身勝手の強い爺さんだった。まあ、この御仁は天神さんとして親しまれておる菅原道真公三十六代の遠孫で、鉄道業界から土建業界をも支配する黒幕として君臨した人物でな、なかなかの大物だったんじゃよ。

 なにっ。禿に効く秘薬とやらを早く教えろだと。慌てなさんな。焦るでない。慌てる乞食は貰いが少ないと、かの俚諺にも云うではないか。

 ところで禿はいまさら説明しなくても解かるな。そう。頭の毛が抜けて無くなることだな。つるっ禿・里芋頭・河童禿、ザビエル禿、他にも色々な禿げ方があるぞ。そうだ、禿頭病という厄介な病気もあったっけな。

 古来、中国では髪の毛のことを「血餘・けつよ」という。何といったかな。養毛剤だったか発毛剤だったか、とんと忘れてしまったが、こんな文句の宣伝文句があったな。

 毛髪は、有り余る血液から生まれるのであり、豊潤な血流の証明であると考えられておった。確かこんな文句が続いていたような記憶があるんじゃがな。

 昔の中国では髪の毛を血液の余りと考えた訳だな。中国といえば漢字発祥の国だが、毛髪に関係する文字も仰山あるぞ。

 「髪」の音はハツで、髪の毛の意味だが、一寸の百分の一を表す長さの単位としても使うんだよ。間一髪の髪はこの意味だ。

 「髭」の音はシで、口ひげの意味だ。

 「髟」の音はヒョウで、長いかみの毛の意味。

 「髢」の音はテイで、入れ髪、或いは添え髪のこと。入れ髪では解からないって。それでは「かもじ」ではどうかな。

 「髦」はボウで、垂れ髪のこと。

 「髥」はゼンで、頬ひげのこと。

 「髫」はチョウで、うない髪のこと。

 「髱」はホウで、「たぼ」のこと。

 「髷」はキョクで、縮れ毛のこと。日本では「まげ」にあてる。

 「髻」はケイで、「たぶさ」或いは「もとどり」の意味。キツと発音すると、竈神の意味もある。

 「鬆」はショウで、髪が乱れるの意味だが、ゆるい、しまりがない、の意味にも使う。骨粗鬆症(こつそしょうしょう)などというのがその用例だな。

 「鬘」はバン、またはマンと発音し、髪かざりのこと。

 「鬚」はシュ、またはスと発音し、顎ひげのこと。

 「鬟」はカンで、まるく束ねた髪のこと。

 「鬢」はヒンまたはビンで、びん即ち耳のそばの髪の毛のことだ。

 「鬛」はリョウで、これまた顎ひげのこと。

 この他にも「髣髴」という熟語があるな。ホウフツと発音するが「彷彿」と同音同義で、よく似ているさま、ありありと思い浮ぶさま、などの意味があるな。

 勿論、この外にも毛髪に関する漢字はあるんだが、なんせ字画の多い字ばかりなんで、記憶能力にも限界があるんじゃよ。

 実のところ、青柳の爺さんの知合いにも、禿げた人や髪の毛が極端に薄い人がおってな、禿とても決して他人事ではないと、かねがね心配しておるんだよ。

 ええっ。何っ。青柳の爺さんはどうかって。あの爺さんは、下半身の方はさっぱり駄目だが、大した苦労がない所為か、髪の毛だけはたっぷりあるし、いまだに黒々としてるんだよ。ただし、少し癖毛だがね。

 何っ。発毛の秘薬っ。ええっ。変に勿体をつけるなって。勿体なんかちっともつけちゃあいないよ。けれども話にゃぁ筋道ってぇものがあるでしょう。

 そうそう急くな。慌てなさんな。話の舞台は、花のお江戸の吉原だ。そうだ、吉原遊郭だ。遊郭というのは女郎屋がわんさと軒を並べている歓楽街ですよ。

 女郎屋ってなにだって。ちょっと、若い衆。いいかげんにしなさいよ。さっきから話がちっとも前に進まないじゃぁないか。女郎屋ってのは、お金を取って■■■■(いいこと)をさせる商売屋ですよ。■■■■じゃぁ解からないって。ちょっと、お前さん、とっとと家へ帰って、お袋さんにでも教えてもらいなさい。

 そこでだ。話は再び元へ戻るが、大体が漢字の「商」という字の起源からして、股間の穴の形、つまりは女陰を意味するという説もあるぐらいだ。

 従って、商売の「商・あきなう」の字は、本来は、大声で呼び込むことを意味する「唱」の字を充てるべきものらしい。

 唱えて売る。これが商売の原義だとすれば、祭礼・縁日の露店で香具師のお兄さんが、威勢のよい口上を並べて物を売る、所謂「啖呵売・たんかばい」が、商売と呼ぶのに最も相応しいと、俺は思うんじゃが如何なもんかな。

 あゝ。若い衆。ちょっと待って。いいことを思いついた。そこにほれ、丁度いいお師匠さんがおいでになる。秣場(まぐさば)さんにご指南を仰ぎなさい。なんてったって秣場さんは百戦錬磨の豪傑ですからね。

 ところで吽公(うんこう)さんは何人斬りでしたっけ。しかし、斬るというのもなんだかおかしな表現だな。得物は男子の一物なんだから、突くとか刺すとかいうべきじゃあないんかしら。そんなこたあ此の際どうでもいいや。どうもいかんな悪い癖じゃ。

 遊郭も江戸の吉原ともなれば、女郎の数も並ではないぞ。だが、人数が多ければ多いほどいるのが、有るべき処に毛の無い妓(こ)だ。そうだ。俗に「土器・かわらけ」ともいうが、当今では「パイパン」などともいうそうな。パイパンとは白板のことで麻雀牌の一つだな。

 そうだ、若い衆。白・發・中(ハク・ハツ・チュン)で大三元というやつじゃ。

 有り過ぎても困るが、無くても困るのが毛だ。何っ。今度はなんだ。そう。そうだよ。無くても困るのが陰毛だ。■■■■(だいじなところ)の縮れ毛だよ。

 『万葉集』の一首に「凡有者左毛右毛将為乎恐跡 振痛袖可忍而有香聞」という歌があってな、天平二年(730年)太宰帥大伴氏に、児島という遊行女婦が贈った歌として載っておるんじゃ。

 漢字の羅列だから鹿爪らしいが、これは万葉仮名といって、表音文字と思って間違いないな。解かりやすく片仮名書きすると「オホナラバ、カモカモセンヲカシコミト、フリイタキソデヲ、シノビテアルカモ」となるんだね。

 これを更に読下文に直すと「凡ならばかもかも為むを恐みと振り痛き袖を忍びてあるかも」となるようだな。

 この『万葉集』九六五の一首を、普通は「貴方が、九州の大宰府へ行かれるというので、一緒に連れていってよと訴えたが、連れては行けぬと諭された。だから、私は袖を振るのをも我慢して、じっと忍んで見送っておりますよ」といった程度に、当たり障りなく訳しているんだな。

 『古語辞典』などにも、「右毛左毛」を「右にしたり左にしたり・・・ああしたりこうしたりして、ほしい儘にいろんな事をする」といったふうに逃げておるんだよ。

 だがね。人間の体毛が右と左に分かれている場所は、ただの一ヶ所だけなんだから、本当の歌意は、もっともっと肉体的にエロチックに解釈するべきだという説もあるんだよ。なにっ。そうだもっと助平にじゃ。

 江戸時代の人は、これを「チンチンカモカモ」などという言葉にして結構頻繁に使っていたようなんだな。例えば「別嬪じゃぁねえか、かもって、かもかもしたいじゃぁありやせんか」とか、「締め切った小部屋で、ちんちんかもかもしてる最中に、とんだ邪魔が入りゃあがって」などといった具合に使っておるんだな。

 だからさ。実は『万葉集』のマンが曲者でな。万葉時代の女性は、極めておおらかに性を謳いあげておったという訳さ。おおらかにね。

 何っ。煩いねえ。お前さんは。ほら、だから話を途中で忘れてしまうじゃあないか。ちょびちょびしないで、おとなしく聞いていなさい。

 ええっと。さっき何処まで話したっけ。あゝそうだったな。パイパンのところまでね。カワラケすなわちパイパンじゃったな。

 でね。有るべき処に毛がないと、もちろん女郎も不憫だが、女郎を抱えた楼主も困るんだよ。

 何故かって。毛のない妓はどうしても客に嫌われることが多い。お客が寄らない。抱えている女郎の稼ぎが悪ければ楼主が儲からない。損をするのは誰でも嫌だから、楼主も知恵を絞るという訳さ。

 そこでだ、何とかしてカワラケの妓に毛を生やしてやろうと、考えだされた妙法が、なんと蚕の餌にする桑の葉の利用だったという訳さ。

 蚕のことは知っているかな。然様、蓑虫と同じ蛾の仲間だ。鱗翅目蛾亜目カイコガ科に属する昆虫ですな。カイコは「飼い蚕」という意味で、クワゴの家養変種だとされておる。従って、家蚕(かさん)ともいうな。

 カイコガの幼虫が所謂、カイコで、飼育して繭から絹糸を得るわけだ。繭は一本に繋がった長い糸で出来ておるんじゃよ。長い糸ね。

 卵から孵った直後のカイコは、多毛で黒く、これを毛蚕(けご)という。いいですか。カイコの毛虫は毛蚕ですぞ。毛蚕。多毛で黒い。いいな。

 毛蚕は成長すると、やがて脱皮して、白色で斑紋のある幼虫に姿を変える。毛蚕から数えて四回の脱皮を重ね、蛹(さなぎ)になる前の幼虫は熟蚕(じゅくご)と呼ばれる。熟蚕だ。

 熟蚕の体色は、やや透明で、なおも桑の葉を食み続ける。そして暫くすると、美しい糸を吐いて我が身を包み、繭を作るのじゃよ。

 繭の中で蛹化(ようか)したカイコは、やがて成虫と姿を変えますな。これを完全変態といいますぞ。完全変態と。何っ。お前さんは、ただの変態野郎じゃあないか。

 カイコの蛹の身体の中にはマルキピーシ管という器官がありましてな、これを取り出して見ると真っ黄色をしておるんじゃ。

 解剖用のメスで、これを切って中を見ると、真っ黄色な物質が詰まっておって、これを顕微鏡で覗いて見ると、美しい黄色い結晶が見えるんじゃよ。

 これが何という物質の結晶か想像がつくかな。解からんじゃろう。

 実は、これはビタミンB2でしてな、ビタミンB2が純粋に濃縮して結晶しておるんじゃよ。そこで皆さんに考えて欲しいんだがね、一体全体このビタミンB2は何処から来たものかっていうことをさ。

 何っ。解からないって。お前さんも盆が暗いねえ。さっきから一々煩いことを言っておるが、俺の話を全然聞いちゃあおらんじゃないか。

 蚕は卵から孵ったばかりの毛蚕のときから、桑の葉っぱしか食っちゃあおらんだろうに。してみればビタミンB2の源泉は、桑の葉っぱにあるとしか考えられんじゃろう。

 そこでだ、今度は桑のことについて少しばかり研究してみようという訳だ。いらぬ心配をするな。万事は俺に任せておけ。

 先ず、クワの植物分類学上の位置についてだ。位置について、ヨーイドンではないぞ。おいっ。若いのっ。他人の話を聞きながら欠伸(あくび)をするなっ。失礼じゃあないか。ええっ。

 さてっと。ここにおいでの皆さんは、界・門・綱・目・科・属・種という分類の方法をご存知かな。かい・もん・こう・もく・か・ぞく・しゅ。おや、ご存知ない。

 なっ。何っ。臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前だとう。そりゃあ忍術の呪文じゃないか。お前さん一体どこでその「九字印契・くじいんけい」を憶えなすったね。何っ。陰茎じゃない印契だ。護身の秘法として九字を切るだろう。あれだよ。驚いたなあ俺も。だが、残念ながら全く関係ないねえ。

 例えばじゃ。あの動物園にいるライオンじゃ。ライオンを例にとってみるとこうなるな。動物界・脊椎動物門・哺乳綱・食肉目・ネコ科・ヒョウ属のライオンということになる。

 それでは、問題のクワはどうかな。植物界・顕花植物門・被子植物亜門・双子葉植物綱・離弁花亜綱・イラクサ目・クワ科・クワ属、のクワということになるな。

 ところがな、世の中そうそう簡単には済まされないんだよ。クワ属のクワにはな、所謂、マグワのほかにヤマグワ・ケグワ・シマグワ・ハチジョウグワ・ロソウなどの種類があるのでな。山桑・毛桑・島桑・八丈桑・魯桑じゃ。細かい分布のことなどは省略するが、これらの桑はすべて蚕の餌になると考えてよろしい。

 桑はな、元々が中国原産の落葉の低木または高木でな、乳液があるんじゃよ。乳液だ。解かるな。日本でも蚕の飼料作物として、古くから栽培されておる。我が国へ養蚕技術が伝播したのも古いことなのでな。

 中央アジアあたりでは、街路樹としても広く利用されていてな、その椹果(じんか)は重要な食料となっておるんじゃ。椹果じゃ。すなわち桑の実のことだな。

 地中海沿岸地方からインドにかけては、食用にするための品種を栽培しているとも聞いたことがある。熟れた桑の実は多汁質で美味いもんだぞ。何っ。多汁質とはジューシーなということだ。

 樹幹の材はやや堅いが、強度があって紋理や色沢が優美で且つ工作し易いので、床柱、床板、家具、指物の材料として賞用されておる。

 春に採った根皮を桑白皮(ソウハクヒ)といい、消炎・利尿・鎮咳・去痰などの目的で漢方方剤(かんぽうほうざい)に配合される。

 葉は桑葉(ソウヨウ)と呼んで、中国では駆風薬に使われる。果実は桑椹(ソウジン)と呼び強壮薬にされる。樹皮は酒に浸して桑酒を作る。また、樹皮は製紙原料にもする。

 駆風薬とはなんぞや。腸管内に集積するガスを排泄させる作用のある薬剤、と辞書にあるな。屁だ。いや、屁になる前の濃縮ガスかな。

 どうだ。解かったかい。根っこ・樹幹・樹皮・葉っぱ・果実そして街路樹を兼ねた果樹としての利用価値、そして蚕の唯一の飼料植物。これじゃあ、この次に桑の樹を見たときには思わず伏し拝みたくなるだろうよ。

 さてさてと、ぼちぼち行っても田は濁るか。御託を並べるのはこのくらいにしてそろそろ結論に入りますか。何っ。前置きがくどすぎるって。怒るな。お前さんのように、一々頭の鉢から湯気を立てていると、ますます髪の毛が抜け落ちるぞ。ああ、桑原くわばらだ。

 桑の葉を利用したカワラケの治療法というのはだね、実はいたって簡単なことなんだ。だがね、だがしかし、この方法は、江戸の吉原で、大昔からずっと、遊郭が廃止になるまで続けられてきたというんだ。

 先ず、桑の葉をよく揉んで軟らかくして、青い葉の液が出るようになったのを局部に当てる。これを根気よく続けていると発毛してくるということだ。

 この毛生えの妙法が■■■■の本場というか、専門家とでもいうのか、江戸は吉原遊郭で、二百数十年ものあいだ連綿として施されてきたということは、余っ程のこと効力だあったという何よりの証(あかし)じゃあなかろうか。

 俺の話はこれでお終いだ。どれ、帰って寝るとでもするか。

 何っ。桑の葉の食い方だとう。おい、お兄さん、嬉しいことを聞いてくれるねえ。桑の葉の食し方ね。色々とありますよ。色々とね。

 先ず、一番美味しく、しかも手早く料理できるのは、桑の若葉を空揚げにする方法ですな。若葉ですよ。若葉。カラッと揚げて貰いたいもんだね。カラッとね。風流ですな。実に風流な桑の葉の食し方だ。

 次にか。お次の献立は天麩羅だ。何だって。空揚げも天麩羅も大して変わらんじゃあないかって。馬鹿をいうな。天麩羅は天麩羅専門店もある立派な料理の方式だ。

 薄く衣をつけて、上等の油で揚げた桑の葉の天麩羅。細く刻んだ桑の葉と桜海老の掻揚げ。乙(おつ)ですな。実に乙な桑の葉の食し方だ。話しているだけで涎が垂れそうだ。

 何っ。桑の葉の天麩羅はおかしい言い方だって。実はそうなんだよ。天麩羅の本義は魚貝の身に衣をつけて揚げた物のことで、野菜の天麩羅というのは蕎麦粉の饂飩というのに等しいんだよ。しかし、最近では野菜の天麩羅という言い方をしてるんだよな。

 硬い葉っぱは、ジューサーにかけて青汁にする。布巾で絞って滓を漉して、蜂蜜などを加え野菜ジュースの要領で飲用されては如何かな。ただし、味の方は保証のかぎりではありませんぞ。

 最後に一つ、俺の口から申し添えておこう。この一文を読んで、どうしても桑の葉の天麩羅を食してみたくなった諸君は、遠慮をせずに、秣場さんに相談してみなさい。

 秣場さんは『桑蒿倶楽部』の会員だから案外簡単にお世話してくださると思いますよ。では、御免なさいよ。