日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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土方とて 誇りもあれば 意地もある

2012年09月27日 15時33分04秒 | 日記
「乙甲」はオツコウではなくてメリカリ、メリハリ、オツカツまたはオッツカッツと読むそうだが、今回はメリハリと読んでいただきたい。
 あまり詳しく書くと、何かと差し障りもあろうから、伊豆は下田近辺の古くからの温泉街とだけ言っておく。
 古風な造りの純和風旅館である。前庭も広く、玄関先までマイクロバスが乗り入れられる。『歓迎・我慢組御一行様』と、下手糞な字で書いた看板の脇に、ひねた感じのお女中衆が四,五人並んで出迎えている。「いらっしゃいませェ」ひねている分だけ愛想はよい。
 女中さんの案内で広々とした部屋に通される。畳の座敷、網代の天井、床の間の掛け軸、季節の花を生けた花器、部屋の外には竹林を配した日本庭園・・・雰囲気としては決して悪くない。
 浴衣に着替えてくつろいでいると、旅館の者がやって来て、少し狭いが、二階にもう一部屋空いているから移って欲しいという。仕方がないので、鼾の喧しい私とナガシマという男が荷物を抱えて移動することになった。このナガシマという男は中学校の英語教師ベティー先生と卒業後に情を交わし、「男の恩返し」をした義理堅い男で、同級生仲間からは「注射器」と呼ばれている。
 長い廊下の先の急な階段を昇って二階の部屋に入る。六畳と四畳半に床の間と縁側がついた間取りで、掛け軸、花器、その他の調度品は、先ほどの部屋の物よりも一段と上等である。
 宴会が始まる前に一っ風呂浴びておこうと浴室に向かう。迷路のような廊下を歩きながら、改めて旅館の細部を確かめる。古色蒼然とした純和風の造りである。建物の内装、調度などには贅を尽くしてあるが、とにかく建てられてから相当の年数を経ているようだ。体重八〇キロを超える私が、のっしのっしと歩くと、板張りの廊下がまるで鴬張りのように軋む。
 浴室は、床も浴槽も大理石の仕上げで、手入れも行き届いているから清潔な感じだ。肝心要の湯の量も豊富である。屋外には自然石で囲んだ露天風呂もしつらえてある。私は普段から、入浴を滅多に欠かしたことはない。しかし、ゆったりした気分で温泉に浸るのはまた格別なものである。
 露天風呂には先客が入っている。珍しもん好きの私も入る。露天風呂は「熱いっ」などと悠長に構えてはいられない。「アッチッ。アッチッチッ。アヂアヂッ。ダヂゲデェー」と、まあ露天風呂の湯はこれくらいの熱さである。
 宴会開始の時刻が近づいた。同室のナガシマ注射器と連れだって廊下の奥の宴会場へ向かう。宴会場は数十畳敷きの大広間で、座敷の正面には本格的な舞台もしつらえてある。「かんぱーいッ」宴会の前には短い挨拶が好ましい。後は無礼講だ。
日本酒にビールにウーロン酎。鯛や鮃の舞踊り。呑んだり喰ったり喋ったり、嘴ばかりが大忙しだ。
「それではこれよりカラオケ大会を始めたいと思います」
慰安旅行の幹事は宴会の余興としてカラオケ大会をしたいといっている。宴会場の舞台には立派なカラオケセットが備え付けてあるのだから利用しない手はない。
「俺がカラオケセットの調整を兼ねて『山』を唄うわ」
最初にマイクを握ったのはつるっ禿げ頭の社長である。唄いながら音量とかエコーの具合を細かくチェックする。
「これじゃァ駄目だ。スピーカーの向きを変えろ」
社長の指図で舞台の準備は完璧にととのった。
「スタンバイオッケー」
次は俺、その次はお前が唄え、などと順番を決めたり、カラオケの本を開いて選曲したりしていると、そこへ座敷付の女中さんが、あたふたした様子でやってきた。
「すっ。すいません。隣の座敷のお客さんが喧しいと仰っているもんですから、もう少しカラオケのボリュームを落としてもらえないでしょうか」
「なにッ。喧しいだとォ。喧しいとは聞き捨てならねェ。こっちはそれなりに気を遣ってスピーカーの向きまで変えているんだ」
「宴会なんていうもんは、賑やかくやってこそ値打ちがあろうっていうもんだろう。いったい、何を勘違いしていやァがるんだ」
「喧しいっていったって、こっちは使用料を払ってカラオケ使っているんだから、駄目なら、こんなもん最初っから置かなきゃァいいんだ」
「こッ、こッ、困っちゃったなァ本当にもう」
軽い気持ちで、隣座敷からの苦情を取り次いだ女中さんは、此方からの筋を通した反駁を喰らって、しどろもどろの様相だ。
此方としては、これから盛り上がろうとしていた矢先のことである。突然、頭のてっぺんから冷や水を浴びせかけられたのであるから若い衆が怒るのも無理はない。
しかし、だからといって、いきなり大きな声を出したりはしない。知性と教養はなくても、機転を利かせるのが我われ土方稼業の良いところである。
「喧しいんじゃァ仕方がねェ。カラオケは止しにして、パフォーマンス(形態模写)大会に切り替えよう」
パフォーマンス大会も我慢組の宴会では定番の催しである。
早速、小柄な一八君が舞台に上って得意の擬態を演じる。この一八という男は、不肖青柳奴が頼まれ仲人を務めて結婚したのであるが、わずか八ヶ月で離婚したという曰くつきの野郎だ。
「青柳さんが郷島の現場でメタルフォームを運んでいるところ」と、いう演技は、先ず、ズボンをだらしなく下げて、脚を蟹股に開く。メタルフォームが身体に触れないよう両腕を開き気味に下げて、いかにも重たそうにゆっくりと歩く。文字に著せば、たったこれだけの動作なのだが、誇張して滑稽感をもって演技するから拍手喝采、抱腹絶倒といった塩梅だ。
一八君が担当の急傾斜地崩壊防止工事が、労務者不足などの理由で大幅な工程遅延となったから、私が応援に駆けつけたのだ。折りしも暑い盛りのことだったからメタルフォームつまり鋼製型枠は灼熱の太陽に焼かれて、素手ではとても触れない。仕方がないから革の手袋をはめて両手に一枚ずつ持つ。うっかり素肌に触れようものなら、たちまちにして火傷を負うし、表面には錆止めの油を塗ってあるから被服に触ればきたなく汚れる。一枚ずつでは大した重さではないのだが、反復して何十枚も運ぶとなると肩にずっしりこたえる。
私は布袋腹だから、腹に力を入れると途端にベルトがゆるんでズボンがずり落ちる。そう、布で作った蛇を使って笑わせる東京コミックショーという寄席芸人にも似たような人物がいた。
仕事に追いまくられて全く余裕のなかった筈の一八君が一体どこでどのように観察していたのかは知らない。全く油断も隙もない野郎だ。
「青柳さんがパソコンのマウスを操作しているところ」と、いう演技は、私が不慣れなパソコン操作で四苦八苦している様子を演じているのだが、この演技にもやんややんやの喝采がとぶ。
私をネタにした出し物は何故か誰が演じてもうけている。演技者が思いっきり滑稽に演じている所為でもあるが、普段から小難しいことばかり言っている私のことを、おおっぴらにコケにしてもよいのだから、演ずる方も観る方も熱が入って当然である。
さて、当方のカラオケが喧しいと文句をいってきた隣の座敷が段々と騒々しくなってきた。いや、宴会なのだからお互いに賑やかくやればよいのだが、相手は此方へ小賢しくも小言をいってきた。小言の一方通行では道理が通らない。我慢組が出来る我慢にも限界があろうと云うものだ。
「他所の座敷のカラオケの音量まで世話をやいておきゃァがって、テメェたちだけ勝手に盛り上がろうったって許さねェ」
「彼奴達の所為で、こっちはお通夜の晩みてェなもんだ。向こうの座敷も静かにするよう言ってこいッ」
「早くしろッ」
厳しい口調で命じたから、舞台のパフォーマンス大会を一緒になって楽しんでいた女中さんの顔が一瞬にして強張る。
隣の座敷は、今や宴たけなわの様相で、これからいよいよ佳境を迎えようとしているところである。
厳命を受けた女中さんが恐る恐る隣の座敷へ伝えに行く。
「どうしたんだ。ちっとも静かにならんじゃァないか」
隣の座敷はますます騒がしくなってきたから、伝令に立たされた女中さんは独りおろおろしているばかりだ。
「向こうの座敷の連中は一体どんな奴等なんだ」と、隣座敷に屯している敵の様子を社長が訊くから私が答える。
「えェー。齢のころなら還暦過ぎ、とっくに月賦を払い終わったような婆ァが多かったようですな」
「それで」
「所謂、上流階級のご婦人方ではないと観ました。かと云って、百姓の婆さんとか商家の女将さんタイプでもない」
「すると」
「そうですなァ。ピーテェーエー役員、そうだ。口喧しいピーテェーエー役員の母親をそのまんま婆さんにしたような感じですな」
「と、云うことは」
「一流ではないが、一応、田舎の女学校かなんかを出ている。自分は教養のある女なんだと勝手に思い込んでいるんですな。何回も見合いを繰り返した末に、やっとこすっとこ結婚した亭主は、そこそこの地位と稼ぎがあったサラリーマンかなんかで、大した財産が有るわけじゃァないが、退職金と年金とで当座の生活には不自由しない。若い頃からこれといった苦労もしてないから、気位ばっかしが高くて鼻持ちならない年寄りになってしまった。まあ、こんなところじゃァないんですかな」
「それで、ちょびちょび他所の座敷の世話までやくのか」
「旅館の玄関に我慢組御一行様とか書いてあったから、ふん、土方風情が喧しいッてんで軽くたしなめた積もりでいるんじゃないですか」
敵を知り己を知らば以って百戦危うからず・・・『孫子』の兵法を引き合いに出すまでもないが、敵の様子を知らずして戦には臨めない。
「少なくとも唄うのだけは止めさせろ。こっちもカラオケを遠慮しているんだ」
「困っちゃったなァ」
「女中さん。貴女が最初に向こうの苦情を代弁してきたんだから、今度は此方の言い分もしっかり伝えて欲しい」
「それにしてもいい気なもんだ。なんだ、あの騒ぎようは。向こうは祝言、こっちはお通夜だ」
「そうだ、女将だ。女将を呼びなさい。貴女では埒があかない」
女中さんは暫くの間、躊躇っていたが、この旅館には女将がいないのだと打ち明けた。
「女将がいなけりゃァご主人でもいい。経営者を連れてきなさい」
女中さんは、この旅館の経営者は東京の人で、普段は不在なのだという。
「ならば、支配人でも営業主任でもいい。とにかく責任の持てる人と話がしたい」
ああ云えばこう云う。女中さんは何とか言い逃れをして苦境から脱しようとするのだが、当方が追及の手を緩めようとしないから、渋々ながらも責任者を呼びに行く。
「申し訳ありません。係の者が大変な不調法を致しましたそうで」
座敷の入り口で平蜘蛛のように這い蹲っているのは、先ほど私とナガシマ注射器が部屋を換わったときに案内してくれた女性だ。
「いや、係の人が粗相したからと云って咎めているわけではない。隣の座敷の連中が、こっちのカラオケが喧しいといったそうだから、遠慮して止めたんだ。それなのに隣の連中の、あの騒々しさは一体なんなんだ。身勝手にも程がある。すぐさま静かにさせて欲しい」
「申し訳ありません・・・すいません・・・」
「貴女に詫びろと云っている訳ではない。隣の座敷で騒いでいるあの連中の身勝手さを許せないと云っているんだ」
「まことに申し訳ありません。此方さまのご意向は確かに先方様へお伝えしましたんですが」
「ならば、おかしいじゃァないか。いっこうに静まる気配がない」
「申し訳ありません・・・。あのォー。お詫びのしるしと云っては何ですが、今晩の飲み代を無料に致しますんで、それでどうかご勘弁を」
「冗談云っちゃァいけねェよ。それじゃァこっちが強請りたかりになっちまわァ」
「それでは、一体どうすればよろしいのでしょうか」
「解からないのなら順々にお話しよう」
「お願い致します」
「大体、温泉旅館なんぞというもんは、大勢の客が泊まって、温泉に浸かりながら、酒や料理を楽しもうと云う場所だろう」
「左様でございます」
「酒を飲めば酔う。酔えば歌の一つも唄いたくなる、と云うのが人情ではないのかね」
「左様でございます」
「どこの座敷も客で一杯になる。その客が気分良く酒を飲んで、歌を唄って盛り上がってくれる。その賑やかさが座敷の外まで、いや旅館の塀の外まで、こぼれることが繁盛の証、これこそ旅館の誇り、商売を営む者の本望ではないのかね」
「まことにもって仰せの通りでございます」
「それを何だ。カラオケの音が喧しいだと。客から料金を取ってカラオケを貸しておいて音が喧しいでは済まされないだろう。本当に、喧しいと思うのなら、最初っから適当な音量に調整しておけばいいんだ」
「ごもっともで」
「まあ、それは後の祭りで仕方がないとしても、問題なのは女中さんの教育だ。女中さんが全くなんにもわかっちゃいないんだ。隣の座敷の客が喧しいといっている。確かに喧しいのかもしれないが、それをそのまま鸚鵡返しに伝える方があるか。あまりにも芸がなさすぎる。向こうも客だがこっちも客の筈だ。お客さん達も、喧しいなんて野暮なことをおっしゃらず、隣の座敷の皆さんに負けないように賑やかにやって下さいよッて何故云えないんだ」
「至りませんで申し訳ありません」
「どうするんだ。向こうの座敷の連中を静かにさせるのか、それとも相手の非礼、無粋を認めさせて、こっちにも唄わせるのか。どっちでもいいから、もう一度貴女が隣の座敷へ行ってご意向を訊いてきなさい」
別段、声を荒げて凄んでいるわけではない。筋道を通して優しく説諭しているだけなのだが、こっちは土建業者の談合で鍛えた弁舌だから迫力がある。
女中頭とおぼしき女性は、促されて仕方なしに隣の座敷へ向かう。
「申し訳ありませんでした。どうか賑やかに唄ってくださいとのことでした」
「そうか。そうだろうな。では遠慮せずに唄わせてもらうとしよう」
隣座敷の無粋な客から不意の小言を喰らったお陰で、騒いだり静まったり、期せずして乙甲(めりはり)の利いた宴会となった。
宴が果ててから再び風呂へ向かう。
廊下ですれ違った隣座敷の老婦人達に何となく覇気がない。軽くいなしてやろうと、小言を云ったまでは良かったのだが、筋の通った反撃を喰らい、無惨にも高慢ちきな鼻っ柱をへし折られたのだから無理もなかろう。
「チャンチャンチャンチャララララランチャララララララン・・・思い出に降る雨もあろ、恋に濡れ行く傘もあろ、伊豆の夜雨を湯船で聴けば、明日の別れが辛くなる」
隣の女風呂まで聞こえよがしに唄う『女の宿』が、天井に響いてやけに調子よく聴こえる。
伊豆の一夜は、こうして更けていった。
翌朝、出発に先立って、宿泊料金、飲食料金を全額支払ったのは云うまでもあるまい。

コメント (2)
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