日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
読者のコメント歓迎いたします。

浜岡や弘法麦に砂ほてり

2012年07月31日 08時20分21秒 | 日記
中部電力の浜岡原発は昨年の大震災後、菅前総理の唐突ともいえる停止要請によって現在も運転が停止中である。

停止要請の根拠は他の原発に比べて断トツに大地震の発生リスクが高いということであったが、私はこの判断を高く評価している。

東電福島原発の事故処理をめぐって菅前総理が出しゃばり過ぎたという評価乃至は風潮であるが、では、そのときの当事者である東電や原子力委員会、原子力保安院等々専門家の対応は適切であったのかというと、甚だ疑問である。

まあ、その辺の検証、評価は専門家に任せるとして、中部電力浜岡原発に対する運転停止要請はまことに時宜を得たものであったと私は思う。現に、中部電力管内では電力不足は生じていないし、節電要請もほとんど無い。

当時の状態では津波に対する備えはほとんど無防備といってよい程度であった。中部電力ではその後、高さ18メートルの防潮堤を新設するなど総工費1400億円に及ぶ津波対策工事に取り掛かっているが、最近では最大20メートル以上の津波が予想されるなど防潮堤の高さ一つとっても健全性に万全とは言えない状況である。

浜岡原発5号機では、昨年の5月、政府からの要請を受けて、原子炉停止作業中に復水器内の細管が損傷し、海水約400トンが流入するトラブルが発生した。中部電力では復水器内の水を浄化するため、復水器内の水を回収タンクに移して塩分除去装置に送る作業をしている。

海水流入後の調査では、復水貯蔵槽や原子炉内部の部品などに複数の腐食箇所が見つかっている。

そんなこんなの矢先にまたもや5号機タービン建屋内での漏水騒ぎである。今回のトラブルはタービン建屋内の配管から放射能を帯びた水約3リットルが漏れたというものだが、運転停止中であったからよかったものの、これが運転中の漏水だったらと思うとぞっとする。

中部電力は、配管の溶接部付近に微小な穴が見つかった。漏れた水の放射能濃度は低く環境に影響はないと説明しているが、問題はそういうことではなくて、設備の老朽化や整備点検の不備ということである。あっちもこっちも海水の塩分で腐食しているのではないかという心配である。

私は原発再稼動には反対である。総理官邸前のデモ行進には参加できないが原発再稼動には絶対反対である。
太陽光発電や小型水力発電など官民一体となってもっと積極的に推進すべきである。

原発再稼動反対っ!!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あと一つ 勝って目指せよ 甲子園

2012年07月26日 15時16分31秒 | 日記
第94回全国高校野球選手権大会静岡大会は昨日25日、沼津市のあしたか球場で準決勝戦が行われ、我輩の母校・静岡商業が延長14回の熱戦を制して静清高校を下し決勝戦へ駒を進めた。

決勝戦は明日27日、あしたか球場で常葉橘高校を相手に行われる。
静岡商業高校は昭和27年に選抜大会に優勝したこともあるが、それ以来春夏とも全国優勝からは遠ざかっている。
県大会の決勝進出は5年ぶり、優勝して甲子園に行くことになれば6年ぶりということになる。

さて、25日の準決勝戦ではNHK静岡放送局が勝利した静岡商業の校歌が流れている際に、テレビ画面には静岡市立商業校歌の歌詞を字幕で流すという失態もあった。

【硬式野球部の活躍】

静岡商業硬式野球部は戦前から甲子園に出場している古豪であり、プロ野球選手も多く輩出している。創部は昭和3年と、同じく静岡の古豪である静岡高校と比べるとかなり後発であるが、甲子園では優勝1回、準優勝2回、ベスト8が3回と好成績を挙げている。夏の選手権で初戦敗退が一度も無いことも特筆できる(2007年現在)。「芸術品」とまで謳われたバント戦法と足を絡めた機動力野球がお家芸。ライバル静岡高校との定期戦は古くから「静岡の早慶戦」と言われており、戦前から現在まで続いている。また軟式野球部も全国大会優勝2回、準優勝4回を誇る。

【甲子園通算成績】

出場:春6回、夏9回
勝敗:春6勝5敗、夏17勝9敗 
優勝:1952年春
準優勝:1954年夏、1968年夏
選抜大会記録 連続試合完封4 田所善治郎(1952年2回戦~決勝)
選手権大会記録 1試合最多得点差23(1936年1回戦 27-4長野商)、1試合最多犠打9(2006年1回戦 八幡商戦)

【年表】

1928年 - 創部
1934年 - 第11回選抜中等学校野球大会(現選抜)出場
1936年 - 第22回全国中等学校優勝野球大会(現選手権)出場  
1952年 - 第24回選抜高校野球大会優勝  田所善治郎投手(元国鉄)が全試合完封の快挙。阿井利治(元国鉄)、望月教治(元ヤマハ発動機監督他)らが活躍。
1953年 - 第35回全国高校野球選手権大会出場  阿井利治、望月教治らが前年より残る。
1954年 - 第36回全国高校野球選手権大会準優勝  興津立雄(元広島)、滝英雄(元阪神)、松浦三千男(元阪神)らが活躍
1955年 - 第27回選抜高校野球大会出場
1959年 - 第41回全国高校野球選手権大会出場  朝井茂治(元阪神他)
1966年 - 第48回全国高校野球選手権大会出場  奥柿幸雄(元サンケイ)
1968年 - 第50回全国高校野球選手権大会準優勝  新浦壽夫(元巨人)が一年生エース、藤波行雄が中心打者として活躍
1969年 - 第51回全国高校野球選手権大会ベスト8。 前年に続き藤波行雄が中心打者として活躍。新浦が中退して巨人に入団してしまったため松島英雄(元大洋)がエース、後にプロ野球で大成する池谷公二郎(元広島)は控え投手。 準々決勝の相手は、この大会の決勝で三沢高校と延長18回再試合の熱戦を演じた松山商であったが、秋の国体では準決勝で松山商を破り雪辱を果たした後、優勝している。
1972年 - 第44回選抜高校野球大会出場  秋田秀幸(元中日)
1973年 - 第45回選抜高校野球大会出場  秋田秀幸
1974年 - 第56回全国高校野球選手権大会ベスト8  高橋三千丈(元中日)が大エースで漆畑和男(プリンスホテル)、大石優治らが活躍。一年生に大石大二郎(元近鉄)、久保寺雄二(元南海)がいた。
1975年 - 第47回選抜高校野球大会ベスト8  大石大二郎、久保寺雄二らが活躍。不祥事のため大会後に1977年までの2年にわたり対外試合出場禁止の処分を受ける。
2006年 - 第88回全国高校野球選手権大会に32年ぶり出場。


残念ながら母校静岡商業は決勝戦で負けてしまいました。グヤジイっ!!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女生徒に 誘われたから 抱きました

2012年07月24日 10時56分29秒 | 日記
静岡県中部の県立高校男性教諭(25歳)が自校の女子生徒と性的行為に及んだとして懲戒免職になった。県教育委員会による教職員への懲戒処分は今年度6件目である。

静岡県教育委員会が7月23日に発表したところによると、男性教諭は昨年の5月、女子生徒から「学習についての相談をしたいのでメールアドレスを教えてほしい」と言われ、携帯電話のメールアドレスを教えた。

その後、頻繁にメールのやり取りを繰り返しているうちに女生徒の個人的な悩みについても相談に乗るようになり、昨年の8月と今年6月の2回、ホテルで性的行為をしたという。

今年6月に別の生徒から学校側へ「二人が親密な関係にあるようだ」との情報提供があり、学校側が事情を聴取したところ、男性教諭が事実を認めたという。

静岡県教育委員会では、予てより懲戒免職の場合は実名を発表するとしていたが、今回の場合は、女子生徒の保護者からの強い要望があったため匿名とした。

18歳未満と知りながら猥褻行為をした場合は「児童買春・児童ポルノ禁止法」違反に当たるが、今回の場合は女子生徒が男性教諭に好意を抱いた結果の「和姦」であって「わいせつ」や「淫行」には該当せず、遵って刑事告発は検討されていないという。

男性教諭は「女子生徒から誘われ、断り切れなかった。教員として未熟だった」と説明しているという。

処分決定後、金子容子教育委員長は「まだ不祥事の重大さに気付いていない教職員は自分の心に厳しく問い掛けてほしい」とのメッセージを読み上げたそうである。

安部徹静岡県教育長は「教諭が適切な判断行動を取れなかったために起きたものと考えている。今後、使命感・倫理観の高揚を図り、信頼回復に努めたい」と、いつもどおり紋切型のコメントを発表した。

私の高校時代の担任教師は教え子と結婚していた。田舎では中学校の代用教員が教え子の女生徒の家に婿に入った例もある。世の中は筋を通せばよいのである。

若くて元気な独身教員が女子高校生から誘われたら、立場を忘れて手を出してしまう気持ちはよくわかる。しかし、あと数ヶ月間辛抱して女子生徒が卒業し、18歳になってから行為に及べば誰からも文句を言われることはない。

いつも私がいうように教師と生徒、教師と保護者の間柄であっても、所詮は男と女の関係である。職を賭してやるんだったらみすみす馘首されなくても済むように上手くやりましょう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無刀取り 新陰流の 極意なり

2012年07月19日 11時29分56秒 | 日記
息子が小学生の頃だったからもう二〇年近くも前のことになる。家族三人で奈良見物に出かけたのだが、折りしも行楽シーズンの真っ最中で宿の手配がつかず、仕方なし柳生の民宿へ二泊したことがある。

柳生というのは奈良市の北東部、大和高原の北部に位置する旧柳生村、大柳生村の区域で、山間の小盆地は水田耕作や茶栽培が盛んな農村である。

旧柳生村は、江戸時代に徳川将軍家の剣術指南役だった柳生氏一万石の領地だったところで、今でも陣屋跡や家老小山田氏の屋敷などが残っている。

私たちも柳生氏菩提寺の芳徳寺や正木坂道場などを見物したが、中でも印象的だったのは農道を登り詰めた杉林の中にあった「一刀石」と呼ばれる巨石である。

新陰流の流祖、柳生石舟斎宗厳が修行中、天狗と試合をし一刀のもとに切り捨てたのだが、あとに残っていたのは真っ二つに割れた巨石だったという逸話のある約七メートル四方の花崗岩の巨石である。

宗厳は大和柳生の小柳生城に生まれた。祖父は重永、父を家厳という。父とともに、三好長慶、および松永弾正久秀に属して、しばしば軍功があった。その後、織田信長に招かれて仕えたが、病気と称して退身し、剃髪して柳生の庄に閑居した。

宗厳は、はじめ、神取新十郎に新当流を学んだとも、あるいは戸田一刀斎について、一刀流の奥義まで鍛錬したとも言う。神陰流の上泉伊勢守信綱に入門したのは永禄六年の夏であり、約三年後の永禄八年四月に神陰流皆伝印可状を受けている。一国唯授一人の奥伝を得たのは元亀二年であった。

文禄三年五月、石舟斎宗厳は徳川家康に招かれて、京都鷹が峰の御小屋に伺候した。家康自ら技を試みようと、木刀を構えて立ち向かったが、宗厳は、これを無刀取りの術で破った。

家康は、その場で二〇〇石を与えて、師範役を命じ、自らすすんで入門誓紙を入れた。石舟斎宗厳このとき六十八歳。老年の故をもって辞し、同行していた五男の又右衛門宗矩を自分の代わりに御側に薦めた。宗矩はこのとき二十四歳であった。

柳生家は石舟斎以来、徳川家の間諜役として活躍してきた。関ヶ原合戦以前から、柳生家は徳川家に通牒して上方諸大名を監視する張耳飛目であった。但馬守宗矩が惣目付の役に挙げられたのもこうした高等警察としての手腕を見込まれてのことである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

校長は 知らぬ存ぜぬ 押し通す

2012年07月17日 13時35分37秒 | 日記
大津市立皇子山中学校の「苛め自殺事件」について大津市は第二回目の公判で和解の意向を示したそうだ。裁判当初は虐めと自殺との因果関係は不明だとして争う姿勢であったから、大津市側の方針は大きく変わったことになる。苛めがあったことを認めて和解への道を選んだ越市長の判断は正しいと思う。

それに引き換え、校長と教育長の往生際の悪さと言ったら噴飯ものである。言い訳と言い逃れに終始していた先日の会見の様子を見ていると、程度の悪い土建業者の談合場面よりも品の無い内容だった。つまり、彼らの主張する「知らぬ存ぜぬ」には整合性が全くないのである。

二度にわたってアンケート調査を行い、苛めに関する多くの回答があったにもかかわらず、苛めはなかったとする無神経さは理解できない。

女生徒からの通報が少なくとも二度はあったのにもかかわらず「いじめ」を「けんか」にすり替えて取り上げなかった担任教師の無責任な態度は容認できない。

事件後ではあったろうが、加害者生徒は転校しているのであるから、それが事件に起因するものであることは学校長として解らないはずが無い。

子供だましのような彼らの言い訳はすでに”開き直り”以外の何ものでもない。

皇子山中学校は最近まで「イジメなど問題行動を起こす生徒は存在しない」ことが前提となる道徳教育推進研究のモデル校だったそうである。そのような名誉ある学校で苛めがあったことを認めてしまうと、これまでの研究内容そのものが疑わしくなるから、常識はずれともいえる隠蔽工作に走ったのは疑う余地が無い。

現校長と前校長で今の教育長の二人の程度が悪すぎる。徹底した犯罪隠滅と、それが不可能になったら今度は「知らぬ存ぜぬ」で保身を図るというのでは教育者としてあるべき姿ではない。早晩この二人を排除して捜査を進めないと真相がいつまでたっても分からない。

直接虐めをして自殺に追い込んだのは加害者の三人の生徒かもしれないが、それを見て見ぬ振りをしてきた担任教師と校長、それを監督するべき立場の教育長はもっと程度の悪い加害者であることを指摘しておきたい。彼らこそが真の犯罪者である。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由律俳句にいらぬ季語切れ字

2012年07月16日 09時42分25秒 | 日記
◆ おめかし婆の声華やいでいる  白兎句

 平成元年の8月に今の桜町へ定住したから早いものでもう24年目になる。それ以前から勤務先が桜町にあったので町内の人たちとの付き合いは三十年以上になる。

 定住した当時、家の裏側に木造平屋建ての市営住宅が十数戸あったがだいぶ前に取り壊されて跡地を民間へ払い下げしたので今では個人の住宅地になっている。

 市役所では市営住宅十数戸の内の一戸だけを残して『老人の家』として地域の老人会へ貸与している。

 私が初めてこの町へ来たころ、四〇、五〇の女ざかりだった女性たちが、七〇、八〇と熟成して今では『老人の家』を牛耳っている。

 散歩のたびに『老人の家』の前を通ると、窓から顔を出した知り合いの熟女が手招きをして、私にも老人会へ入会せよという。私も還暦を過ぎているので入会資格があるのだそうだ。

 冬の間はいかにも年寄り臭い服装だった熟女たちも夏の装いに変り、こころなしか腰もしゃんと伸びているように感じた。
 
 私が所属する随句「草原」ではインターネットによる互選句会をしております。会費は年間で6,000円ですが毎月の句誌代を含みますから安いです。主宰・北田傀子先生の選句もあります。

 自由律俳句に興味がある方のご参加をお待ちしております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校が 嘘を教えて 何んとする

2012年07月14日 21時22分11秒 | 日記
大津市立皇子山中学校の苛め自殺事件の加害主犯格の父親はPTA会長で母親は市地域女性団体連合会会長だったそうだ。この両名は学校が開いた説明会の前に会場入り口で自分の子供が被害者だったというビラを配ったそうである。つまり、自分の息子を加害者から被害者にすりかえてしまったのである。

加害準主犯格生徒の祖父は滋賀県警に42年間勤めた警察OBであり、彼ら加害者は高所やロープで何度も被害生徒に自殺の練習をさせていた。

被害者は自宅マンションから転落したが、仰向けで死亡していた。被害者が転落直後、加害者達は現場に居たが、その理由は、「死体を捜していた」というもの。

被害者の遺書は無かった。これは、被害者が自殺ではなく、加害者らが被害者を突き落した可能性が高い。にもかかわらず、警察はなぜか飛び降り自殺として処理した。
そして、加害者たちは被害者が死亡した後、周囲に被害者の死亡を言いふらしており、全く反省していない。この辺の真実もいずれは警察の捜査により明らかにされるだろう。

事件の後、被害者の親が3回も警察に被害届を出そうとしたのにもかかわらず、滋賀県警は3回とも受理を拒否したが、滋賀県警OBの準主犯格の祖父が受理しないように手回しした可能性が高いと巷間ささやかれている。

また、大津市教育委員会がアンケート結果を隠して虐めと自殺の関係を認めなかった。
理由としては、主犯格生徒の父親がPTA会長だったことや、母親が市地域女性団体連合会会長だったことが影響しているのはほぼ間違いがないだろう。

このところ次々と新しい事実が出てきているが、教育委員会・学校・警察がグルになって事実を隠蔽しようとしていたことは隠しようがないだろう。

あの嘘吐きの教育長や校長を更迭しないで職にとどめておく任命権者の神経を疑いたくなる。

本気で真実を明らかにしようと考えるのであれば、隠蔽工作の共犯者である教育長や校長は速やかに更迭して、新しい体制で徹底した調査をするべきではないだろうか。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エロ教師 後を絶たぬは 何故か

2012年07月13日 07時44分53秒 | 日記
静岡市教育委員会の高木雅宏教育長は12日、市役所清水庁舎で会見を行い、静岡市清水区の市立飯田中学校に勤務している岡部博教諭(30歳)が、顧問をしていた女子ソフトテニス部員の着替えを盗撮していたとして、謹慎処分にしたことを明らかにした。

高木教育長は会見で「不祥事が続き、まことに残念。厳正に対処したい」といつもどおりの決まり文句で陳謝した。謹慎処分のあとでどうなるのか明らかではないが、こうした異常な性癖を持つ教師は教育者としてふさわしくないことは明白である。手ぬるい処分で済まさないことが肝要である。

静岡市教育委員会の発表によると、当該教師は6日午後5時ごろ、勤務先中学の教室に録画録音機能付き小型レコーダーを設置し、部活を終えた女生徒16人の着替えの様子を盗撮したものである。

ことの発端は、着替え前のミーティングのときに、同教師が教室後部のロッカー付近で不審な動きをしたことで、教師の退室後に女生徒たちによって本の間に挟まれたレコーダーが発見された。

このレコーダーはモニターのない携帯電話ぐらいの大きさで、女生徒たちは隠しカメラとは気づかないまま帰宅した。

同日の夜になって、生徒からこの話を聞いた保護者からの通報で校長らが教師から事情を聴いたが、教師は「黒いケースがあってゴミ箱に棄てた」と盗撮を認めず、持ち帰ったレコーダーは自分の車の中でばらばらに分解したと供述した。

後日、校長らからの再度の聴取でこの教師は盗撮を認めた。壊されたレコーダーは静岡市教育委員会に保管されているが、盗撮された映像はまだ確認されていない。

静岡市教育委員会は9日に、教師から詳しい事情を聴き、10日に清水警察署へ届けた。

12日夜、同校の保護者を対象に説明会が開かれ、13日には臨時の校長会が開かれる。

静岡市では本年5月にも市立中学の男性教師が教え子に対する強制わいせつ罪で逮捕された事件があり、昨年10月には市立小学校の校長が知人女性へのセクハラ行為で依願退職している。

教育界の荒廃はこのブログでも繰り返し取り上げているが、何故このような不祥事が繰り返されるのかというと、その最大の理由は「当事者意識の欠如」である。

教育長も教育委員も校長も教頭も教師もどいつもこいつも不祥事は他所の学校の出来事、他人事として捉えているのである。教育界という閉鎖社会の仲間意識だけでやっているからそうなるのだ。

緊急校長会を何度開いても、通達を何度出しても、教師を対象にした講習会を何度開いたとしても、こうした事件は後を絶たないだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逃げ腰の 滋賀県警が 奮起した

2012年07月12日 08時49分00秒 | 日記
苛めにより自殺した大津市立皇子山中学2年生の父親は3回も大津警察署を訪ねて「どうすれば苛めた者を罰することができるのか」と相談したそうである。対応した署員は「事実認定が困難」と応じて被害届の提出にはいたらなかったそうである。

この対応は千葉県警が被害届を受理しなかっために起きたストーカー殺人事件を思い出させる。私がこのブログに書いた車の不法占拠の問題でもそうだったが、警察には面倒なことから逃げたがる傾向がある。警察という組織も懲りない面々の集まりだといまさらながらにあきれる。

事件発生以来9ヶ月を過ぎてからの強制捜査は、世論の批判に対する警察自体の自己防衛的泥縄捜査であるが、それでも一度重い腰を上げたからには中途半端な捜査では済まされないだろう。徹底的な捜査をつくして事実関係を究明してもらいたい。

家宅捜索の結果、どんな資料を押収したのか定かではないが、おそらく二度にわたるアンケートの原本は押さえたとおもわれる。その内容を精査して、具体的な苛めの目撃証言や加害者の暴行の事実立証に役立てようということだろう。

皇子山中学の生徒諸君は事実をありのままに証言して捜査に協力してやってもらいたい。それが貴君らが見殺しにした同級生へのせめてもの供養となるだろう。鎮魂となるだろう。それはまた自己保身と体面ばかりにこだわって事実を隠そうとする狡猾な大人たちへの鉄槌ともなるだろう。恐れることはない。ありのままの真実を語ってください。

担任の教師、校長、教頭、そのほかの教職員、そして教育委員会のみなさんもこの際は知っていることは包み隠さず全てしゃべってもらいたい。そのことが全国の学校に潜在する陰湿な”苛め”の問題解決に少しは役立つだろう。特に担任の先生は名前もネット上に書かれているし今さら逃げられもしない。本来、自分がしなければならなかった職分を十分に反芻して捜査に協力してやってもらいたい。

加害者とされる生徒は主犯格も準主犯格も既に京都市内の中学校に転校しているそうである。逃げてはいけない。この生徒らもその保護者もひとかけらの良心があるのなら先ず謙虚に反省し、詫びることから始めないといけないとおもう。
詫びたら罪を認めることになり裁判に負けてしまうというのであれば、それは人間としてもっとも恥ずべきことだと申し上げたい。


ついにランキングが19,159位になりました。読者の諸兄諸姉に感謝申し上げます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大津市の 苛め自殺にゃ 裏がある

2012年07月11日 08時53分30秒 | 日記
大津市の「中学生苛め自殺問題」が泥沼化している。

この事件はいっちゃあ悪いが静岡なんかよりもずっと程度が悪い。教育委員会の調査なども杜撰であり、会見内容もお粗末である。

虐めの内容がまた酷すぎる。自殺の練習はないだろう。葬式ゴッコとは何だ。蜂の死骸を食べさせるとは何なんだ。

件の中学校の校長が校内放送で「虐めはなかった」と、涙声で訴え、これを聴いた生徒全員が白けたということだが茶番劇も甚だしい。臭い物には蓋をする。こんな姑息な人物が校長をしていること自体がおかしいのである。

既に越直美大津市長が自殺の原因は苛めであり、被害者の両親と和解したいと発言しているのにもかかわらず、教育委員会は依然として虐めと自殺の因果関係は不明だとの立場に固執している。自分たちに都合の悪いアンケートの結果は握りつぶす。自己保身と組織防衛の何ものでもない。かかる輩はバッサリ一刀両断に斬り捨てるしかないだろう。いや暴力には反対だから更迭するしかないだろうということだ。責任者は責任を取れということである。アンケート結果の主要部分を見落としたなどというのは詭弁に過ぎず意図的に隠蔽したことは紛れもないだろう。

担任教師や同級生からは見てみぬ振り、聴いて聴かぬ振りをされたのでは弱い生徒が自殺の道を選んだとしても不思議ではない。被害者にとっては地獄のような日々であっただろうと涙を禁じえない。

同級生も反省しろ。担任教師も最低な教師である。そこまでして自分を庇いたいのかと情けなくなる。まったく情けない奴らだ。

この事件にはどうやら裏があるようだ。

大津市教育委員長は実はこの中学校の前校長だったということだ。加害生徒の母親はPTA会長で父親は京都大学医学部卒業だそうである。教育委員長が前校長だった中学校のPTA会長の息子が加害者であるということが、教師、学校、教育委員会、果ては警察までもが及び腰になっている一つの要因ではないのか。

加害生徒の名前がネット上に書き込まれたり、保護者の勤務先まで調べられてバッシングを受けているそうだが、加害者側がいつまでも隠れているからそうなるのである。自分が悪いことをしたと思ったら警察へ自首したらどうなんだ。

PTA会長である加害者のお袋さんもさっさと辞任して息子ともども謹慎してもらいたいものである。

昨日は20,121位でした。みなさまありがとう。

夜になって警察がやっと重い腰をあげた。世論の批判にさらされて動かざるを得なかったのだろう。遅ればせながら慎重な捜査を行い、全容の解明をねがいたいものだ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする