日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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文月の駄句を色紙に蚯蚓書き

2019年06月19日 12時57分07秒 | 日記

◆宿六と呼ばれて久し梅雨籠り
(よみ)やどろくとよばれてひさしつゆごもり
宿六とは「宿の碌でなし(ろくでなし)」の略で、『宿』は妻が夫のことを他人に言う際に使う俗称である(現代だと『あの人』『うちの人』など)。つまり、宿六とは仕事をしない甲斐性なしの夫など、ろくでなしな夫を妻が他人に罵る際に使う言葉である。馬鹿亭主など、こうした夫を罵る言葉は時折親しみを込めて使われることもあるが、宿六も同様に親しみを込めて使われる場合もある。季語は「梅雨籠り」で夏。

◆海匂ふ港小路の夏つばめ
(よみ)うみにほふみなとこうぢのなつつばめ
焼津漁港や用宗漁港の風景です。季語は「夏つばめ」で夏。

◆望郷の祭囃子を口ずさむ
(よみ)ぼうきょうのまつりばやしをくちずさむ
神社の祭礼の際に、山車(だし)や屋台の上などで行われる囃子。多く太鼓・笛を主にして、鉦(かね)をあしらう。祇園祭の囃子は「コンチキチン」。季語は「祭囃子」で夏。

◆泡に噎せ旅のラムネに涙ぐむ
(よみ)あはにむせたびのらむねになみだぐむ
昔、松本城で飲んだラムネが美味しくていつまでも記憶に残っている。季語は「ラムネ」で夏。

◆吉野家の牛で乗り切る土用かな
(よみ)よしのやのうしでのりきるどようかな
土用の丑の日には「う」の付く食べ物を食うのがよいとされている。そこで鰻を食うのだが近頃ではシラス鰻が不漁で鰻の価格は高騰している。「う」の付く食べ物は、梅干し・瓜・饂飩・ウズラの卵など幾つもあるから鰻が食えずともちっとも困らない。季語は「土用」で夏。春夏秋冬それぞれに土用はあるが、普通、土用といえば夏の土用 のことである。
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倍助を担いだ腰がまた痛む

2019年06月03日 07時25分55秒 | 日記
 「倍助」は「ばいすけ」ではなくて「パイスケ」である。英語の「basket」がパイスケに訛ったものという。つまり、パイスケは籠(かご)である。漢字表記は当て字であるが、これを使えば2倍の仕事ができるという意味もこめられている。

 パイスケには1番、2番、3番とあってそれぞれ大、中、小のサイズである。1番パイスケよりもさらに大きな鋸パイスケと呼ばれるものもある。因みに2番パイスケの口径は58センチ、深さは20センチである。

 パイスケは、篠竹もしくは根曲がり竹を小割にしたヒゴをそのまま編んだもので廉価である。そのパイスケの代表的な用途が石炭荷役の「てんぐどり」である。北九州の若松港を舞台にした古い映画で見た記憶があるのだが、岸壁から汽船に架け渡したタラップに並んだ仲仕たちが石炭を盛ったパイスケをバケツリレーよろしく手から手へと渡して運ぶのである。これは石炭を燃料にした蒸気船時代の話である。なお、「てんぐどり」は漢字で書くと伝供取りであり、神仏へ手渡しで供物を供える伝供(でんく)が語源であり手渡しで物を運ぶことをいうのである。

 パイスケは現在でも野菜の収穫などに利用されており、竹製品のパイスケも生産されているが、石箕などと同様にプラスチック製品におきかえられているのが実情である。

 それでは、私たち土方の使い方を説明しよう。土木工事の現場でも運搬距離が短い場合は「てんぐどり」も行った。しかし、多くの場合は天秤棒の前後に担って運んだものである。前後に二つ、つまりここに倍助の「倍」の意味がある。

 パイスケに4箇所つけられた二本の吊縄は担ぎ手の腕の長さに合わせてある。パイスケで運ぶ物は主に土や砂や砂利である。目的の場所に着くとパイスケの吊縄へ手をかけてパッと裏返しにして手際よく荷物を降ろすのである。

 序のことだから天秤棒にも触れておく。

 天秤棒は「荷い棒・にないぼう」ともいう。金魚売りや風鈴売りなどの行商人が品物を担う道具である。と、いうよりも一心太助が魚の入った桶を担いだ棒、あるいは下肥の入った肥桶を担う棒であるといったほうが解り易いだろう。

 長さ2メートル前後の堅木で作り、肩に当たる部分の断面は横の長円形、荷を吊る先端部分は縦の長円形に作ってある。先端に近いところに吊縄が外れないように突起がつけてある。

 天秤棒は荷物を担ったときに適度に撓るものがよい。安倍川あたりの工事現場では棕櫚の材を孟宗竹で挟んだ複合材の天秤棒を使用した。これは和弓の構造を考えていただくと解り易いと思う。棕櫚の天秤棒については私が親しくしていた土建業界の古老から直に聞いた話である。

◆パイスケてんこ盛りで天秤撓る   白兎


(写真は三島市役所教育部郷土資料館の資料より拝借いたしました)
 
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