日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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七月の俳句の色紙書きました

2018年06月27日 16時21分27秒 | 日記
【7月の俳句】
◆天金の鈍き聖書を曝しけり
(よみ)てんきんのにぶきせいしょをさらしけり
天金とは本の天小口に金箔、またはイミテーションゴールドを貼り付けること。現代ではあまり見ることが出来ないが聖書や全集、手帳などでみられることがある。季語は「曝書」で夏。

◆へぼ胡瓜細る家計に歪みあり 
(よみ)へぼきゅうりほそるかけいにひずみあり
へぼ胡瓜は胴の生育が悪い胡瓜で苦いことが多い。収入よりも支出がの多い下流老人の家計は苦しい。私の収入が1円も増えないアベノミクスは誤魔化しだ。季語は「胡瓜」で夏。

◆五月闇魑魅魍魎が息殺す
(よみ)さつきやみちみもうりょうがいきころす
五月闇は陰暦5月の、梅雨が降るころの夜の暗さ。また、その暗やみ。魑魅魍魎(ちみもうりょう)とは、山の怪物や川の怪物。様々な化け物、妖怪変化。魑魅は山の怪、魍魎は川の怪であり、一般には山河すべての怪として魑魅魍魎の名で用いられることが多い。暗闇は気味悪い。季語は「五月闇」で夏。

◆髪洗ひ女仏性あらはにす 
(よみ)かみあらひをんなぶっしょうあらはにす
洗い髪の女性はあでやかで仏法の守護神である弁財天のようである。季語は「髪洗ふ」で夏。

◆泡盛や琉歌短く恋を叙す
(よみ)あはもりやりゅうかみじかくこひをじょす
泡盛は焼酎と同じ蒸留酒です。琉歌(りゅうか)は、奄美群島・沖縄諸島・宮古諸島・八重山諸島に伝承される叙情短詩形の歌謡である。和歌と同様にウタとも言われる。詠むための歌であると同時に謳うための歌でもある。奄美群島においては、主に島唄と呼称される。短歌や長歌など幾つかの形式があり、八八、八六の三十音の形式いわゆるサンパチロクが多く歌われている。季語は「泡盛」で夏。  
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菊川の菜飯田楽食べました

2018年06月03日 14時48分40秒 | 日記
江戸時代、金谷宿と日坂宿の間の菊川は、小夜の中山という難所をひかえて急な坂が続くため中世には宿場として栄えましたが、江戸時代には「間の宿(あいのしゅく)」とされ、旅人の宿泊は固く禁じられていました。大井川の川留めがあっても、金谷宿の許可がなければ泊めることができず、本格的な料理を出すこともできませんでした。そんなことから生まれた軽食が、菊川の菜飯・田楽です。

 菊川名物の菜飯・田楽とは、菜を混ぜた飯へ豆腐田楽を菜としたもので、菜飯は大根の葉または小松菜の湯通ししたものを焙烙(ほうろく)鍋で煎り、粉状にして少し塩味をつけ、炊きあがりの飯へ混ぜこんだもの。田楽は、豆腐を軽く絞って、丸く切って二本の串に刺し、味をつけた味噌にまぶして炉の灰の中に立て、あぶって焼いたものです。この焼豆腐は、その形が平安時代から田植えおどりとして流行った田楽舞に似ていたところからこの名がでたといい、のちに豆腐の形は四切に切ったまま串に刺したものに変わりました。

 田楽に用いた焼豆腐が、江戸時代から当地の名物であったことは、『西遊紀行』や『明暦三年の道中記』など多くの書物に記されています。大永二(1522)年『宗長日記』には、「田楽豆腐の盃たび重なりて」とあり、田楽は酒の肴や飯の菜として好まれていたようです。また、『嬉遊笑覧』に、飯の中に野菜を炊き込み、豆腐でつくった田楽をそえて食べることが記されており、菜飯に田楽を添えた「菜飯・田楽」は、寛永時代(1630~)には食されていたことがわかります。

 この菜飯・田楽は、一度途絶えていましたが、最近地元料理人の手によって復活し、伝統食として紹介されるようになりました。金谷の郷土料理店「よし善」でいただくことができます。
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蕨野に聖一国師眠ります

2018年06月02日 10時29分02秒 | 日記
静岡県静岡市葵区蕨野にある「蕨野の吊り橋」です。

相渕橋の上流約800mにあります。相渕の吊り橋を過ぎて、蕨野集落に入ると県道が右へ曲がるカーブのところに「聖一国師の墓碑」の看板が左路側に見えます。

静岡茶の始祖・聖一国師円爾の墓所がある医王山回春院の入り口から県道梅ヶ島温泉昭和線を挟んだ反対側です。県道のカーブにあって道路よりも低いところにあるので見えにくくなっています。


ここもまたとても長い吊り橋です。県道側の蕨野集落から対岸の茶畑へ渡る生活橋です。実測245m+(南側取付部)3m+(北側取付部)2m。

聖一国師は静岡市の栃沢に生まれ、33歳で宋に渡り修行。茶の実を持ち帰って足久保の地に栽培したのが静岡茶の起こりだそうです。また京都に東福寺を開き、日本で最初の国師号を時の花園天皇から与えられた臨済宗の偉いお坊さんです。

コメント (2)
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