日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
読者のコメント歓迎いたします。

作詞した嶺はるかとは私です

2015年11月13日 11時38分57秒 | 日記
https://www.youtube.com/watch?v=6uAmPs64v5M


今は亡きネット友達の若尾美代子さんから勧められて生まれて初めて作詞しました。
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糖尿が諸病悪化の根源だ

2015年11月10日 15時58分35秒 | 日記
糖尿病という病気は始末が悪い。痛くも痒くもないのに知らないうちに身体が蝕まれてゆく。糖尿病は遺伝性の病気である。

私の両親は糖尿病を発症しなかったが、祖母が糖尿病であったから間違いなく祖母からの遺伝である。祖母はいつも飴玉などを舐めていた。しかし、孫の私には一つも呉れようとしなかった。だから祖母と私は仲が悪かった。その嫌いな祖母の体質を一番濃く受け継いだのが私なのだから皮肉なものである。

 私の場合、40歳くらいで発症した。連日の飲酒、仕事上のストレスなどが原因だったと思う。糖尿病だと診断されたのは会社の健康診断でガンの疑いがあると指摘されたためだ。ガンといわれたのでは捨て置けない。すぐさま県立総合病院へ行って検査を受けた。結果はガンではなくて糖尿病であった。最初にガンの疑いがあるといった診療所の医師は何を根拠にそんなことを言ったのかまったくわからない。

 それから、県立総合病院の内科へ通うことになったのだが、あるとき前日の晩飯に肉じゃがを食べたら血糖値がかなり高く出た。中年の看護婦が鬼の首でも取ったように「あなた、昨夜お酒を飲んだでしょう」という。私が、「いや、誓ってお酒は飲んでいません」と答えると、「嘘仰い。お酒を飲まずにこんなにも血糖値があがるわけがありません」と畳み掛けてくる。私は「飲んでいないものは飲んでいないんだ」と否定する。それでも「肉じゃがだけでこんなに高くなるなんて信じられない」などと嘯いている。看護婦の息子くらいの若い医師は黙って様子を見ている。

 私がついに切れた。「おいっ、看護婦。お前、看護婦だろう。看護婦風情が医者以上のものを言うんじゃネェ。」「先生、肉じゃがでは血糖値はあがらないですか」

 若い医師が「ジャガイモには澱粉が多いですからたくさん食べれば血糖値はあがりますよ」
私が「新じゃが・新たまねぎでこしらえたもんですから少し食べ過ぎました。残りは今朝も食べたんです」医師が「それじゃあ血糖値が高くても仕方ないですね」という。

「ほれ見ろ、肉じゃがだって血糖値が高くなるじゃねえか。患者を嘘つき呼ばわりしやァがって気分が悪い」

 こんな遣り取りがあって県立総合病院内科への通院は中断してしまった。この段階ではまだ血糖降下剤を一日一錠飲むだけだった。

 次に症状が出たのは50歳過ぎたころだった。喉が渇く、小便が泡立つなどの症状が目立ってきたので診察を受けると、教育的入院をせよといわれた。入院して食事の量やインスリンの自己注射を覚えるのだという。このとき2週間入院して完璧に覚えた。

 しばらくすると、このときの主治医が私の自宅の比較的近くに個人開業するというので、そちらへ転院した。以後、十数年間はこの九島内科医院へ月に一度通っていた。

 今年の1月20日の夜のことである。肛門周辺に激痛が走った。若いころに切痔になったことがあるので、その再発かと思って、妻に市販の座薬を買ってきてもらって挿入した。すると肛門の脇から夥しい量の血膿が噴出した。

 後でわかったことだが、年末年始に酒を飲んだり、美味いものを食べたりしたので糖尿病が悪化して免疫力が低下したようだ。

 病名・2型糖尿病・脂質異常症・肛門周囲膿瘍・痔ろう・両側陥入爪ということで痔ろうと陥入爪は外科手術を受けた。

 この入院で約40日間病院にいた。退院後、仕事にもどったのだが4月13日の夜、煎餅布団の上で尻餅を搗いて、そのときはよかったのだが、翌日の夜には歩行できないほどの痛みだった。翌15日、整形外科・脊椎クリニックでMRIにて診断をうけたところ、第5腰椎圧迫骨折・第12胸椎圧迫骨折ということになった。

 直ちにコルセットを作ってもらって装着し8月31日まで自宅療養した。この間、自宅内では車椅子と松葉杖を使用していた。

 さて、漸く背骨もつながって仕事にも復帰してやれやれという9月11日の早朝4時のことである。部屋に入る段差にはスロープを設けてあったのだが、勢いよく車椅子を乗り上げようとしたら、私の身体がついてゆけずに真後ろへ転倒してしまった。幸いにも廊下の平らなところで外傷はなかったのだが、少し違和感もあったので脳外科を受診した。

 CTなどの検査結果、急性硬膜下血腫との診断で即入院となり、ベッド上安静という医者の指示で小便は尿瓶、大便はおまるということになった。幸いにも食事はとらず点滴だけだったので一週間は大便をすることがなかった。

 風呂もシャワーも使えないで20日間過ごしたがさすがに私も辛抱できず別の病院へ転院するということで無理やり退院した。二日後に市立病院の診断を仰いだが、入浴・自動車運転をしても構わないということで現在は仕事に戻っている。

 血腫が消えたかどうかは今月20日の検診を待つしかないが、一時的に記憶が薄れたり言葉がでなかったりしたのはほぼ元に戻っている。

 ブログやフェイスブックもしばらく休んでいたが最近では元通り復活した。
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野球部の コーチ充実 我が母校

2015年11月01日 20時16分03秒 | 日記
 私は昭和40年に静岡商業高校をビリ3で卒業しました。私は昭和27年の選抜大会優勝チームの選手だった平井隆さんが経営する会社で働いていました。

 昭和27年の春、第24回選抜大会です。2回戦から出場して、函館西に1-0、準々決勝は平安に3-0、準決勝は八尾に2-0、決勝は鳴門に2-0で優勝しました。

 田所善治郎投手は全試合(36イニング)完封勝利です。もちろん平井社長の息子さんの結婚式でお会いしたことがあります。

 今回、プロ野球の巨人、横浜大洋(現DeNA)などで活躍した新浦寿夫氏(64)と、中日で活躍した藤波行雄氏(64)が、母校の静岡商高のコーチに就任することになり、30日に静岡市内で行われた「静商硬式野球部後援会・創立10周年パーティー」に出席。OBら参加者約200人の前で抱負を語った。

 新浦氏は現役時代、国内通算116勝を挙げた。「今夏の県予選にも足を運んだが、強い静商というイメージを何としても取り戻したい」と意欲を示した。1974年に新人王を獲得した藤波氏は「結果がすぐに出るとは思っていないし、甘くない世界だが、選手だけでなく指導者も育て、野球で感動を与えることができれば」と話した。
 藤波氏が打線の中心、新浦氏が1年生エースだった68年夏に全国準優勝するなど静岡商の黄金期を築いた両氏。後援会の赤石文男会長は「全国で戦えるチームを作ってもらうとともに、静商だけでなく、県全体のレベルアップに貢献してほしい」と期待した。

 両氏は学生野球資格回復者として県高野連に登録を済ませている。来月3日に初めて静岡商のグラウンドに立ち、指導する予定。

 このところ硬式野球部は成績がぱっとしないのでこれを契機に是非とも古豪復活をしていただきたいものだ.
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