日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
読者のコメント歓迎いたします。

乗り換えて 終着駅を 見失う

2012年11月27日 14時32分21秒 | 日記
 「脱原発」だか「卒原発」だかはともかくとして、膨大な核廃棄物の処理方法も決まらないままで原発を運転し続けることには絶対に反対である。東電福島原発だっていまだに放射能を放出し続けているではないか。事故の時にはあれだけ大騒ぎしたのに国民はもう半分忘れかけているのである。福島はまったくといってよいほど終わってはいないのである。いまでも冷却水をかけ続けているのに過ぎないのだ。

脱原発はいまや国民の願いなのではないか。太陽光発電にせよ、風力発電にせよ、潮力発電にせよ、再生可能エネルギーへの転換が出来ないはずがない。
簡単に言ってしまえばドイツで出来たことは日本でも出来るでしょうということである。問題は政府や電力会社そして国民のやる気の問題である。

 嘉田由紀子滋賀県知事が「卒原発」の旗印のもとに新党を立ち上げ、そこへ小沢一郎氏の”国民の生活が第一”や亀井静香氏などが参集する勢いだと伝えられている。しかし、嘉田知事は県知事を辞職するのではなく職にとどまるのだという。

 そうなってくると喜んでばかりはいられない。地方の首長が国政に口を挟むのはよいとしても、国会に議席を持たない地方の首長が国政を陰で操るのはどうかということである。これは維新の会の橋下さんや松井さんにも同じことがいえるのではないか。

 あっちもこっちもということではなくて国政に挑むのであれば、それだけの覚悟をもって臨んでもらいたいということである。そして、自らの主張をしっかりとした表現方法でわかりやすくつたえてもらいたい。

 どうも今の第三極とよばれる勢力もだんだん混じりけが多くなって純粋さが失われてしまったような気がしてならない。
選ぶほうの国民も人物本意で信頼の置ける候補者を選ぼうではないか。果たしてその点で満足できる候補者がいるのかどうかが心配ではあるが。

 
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隠れなき 名は青柳 新太郎

2012年11月22日 12時30分36秒 | 日記
ある掲示板へ青柳新太郎の名前で書き込みしたら、お前は白兎ではないのかと、まるで偽名をつかって悪さでもしているかのような反応だった。

俳句の世界では白兎(ハクト)を名乗っているが、青柳新太郎は俳句を始める前からのペンネームである。だから青柳新太郎で検索すれば俳句のページにもつながるから知らない人からは白兎(ハクト)が偽名を使って悪戯をしているのだと思われるのかもしれない。

でもさ、悪戯をするのであれば普段使いのペンネームでは書き込みなんかしないよね。第一、このブログも開設してから3年近くになるし、おかげさまで180万近くもあるgooブログの中で30000位以内にランクされることもしばしばあるくらいだから検索すれば直ぐにこのブログがヒットするはずです。

青柳新太郎のプロフィール。

俳号は秋山白兎(はくと)。名は忠義(ただよし)、字は維新(いしん)、樵翁(しょうおう)と号す。

昭和22年3月、静岡県安倍郡美和村大字内牧字門村小字和田(現・静岡市葵区内牧)の貧農に生まれる。

幼少の頃より愛犬ハチ公(秋田犬)と共に山野を跋渉する。山中で炭焼きの父母より山菜、樹木、鳥獣などの基礎知識を得る。

この頃、蜂の子、鉄砲虫(髪切虫の幼虫)、赤蛙、蝮、縞蛇などを頻繁に喰う。また、鍋釜を用いずに飯を炊き味噌汁を沸かす方法、鳥獣を捕らえる罠の仕掛けなどを両親から伝授される。

5歳のとき山中で植物採集中の静岡大学教授と遭遇、ドロップ1缶を貰う。

昭和40年 3月、静岡県立静岡商業高校卒業。

昭和40年 3月、不動建設㈱東京支店入社。

昭和45年 2月、陸上自衛隊第3師団第7普通科連隊(京都府福知山駐屯地)へ訓練のため入隊。

昭和45年10月、大日本土木㈱東京支店入社。

爾来、数年間の飯場生活を含め、日本各地で修業。飯場の炊事、風呂焚き、便所掃除から経営管理まで建設業の各分野を広く浅く経験。鶴嘴、鋤簾など土工の技能には自負あり。

橋梁、堰堤、河川、道路、舗装、水門、地盤改良、海岸、治山、電力、下水道、上水道などの各種工事に携わる。建設業10社余りに在籍し、転居すること13回を数える。

昭和53年 8月、婚姻届。静岡市葵区千代田5丁目の帯金家所有の棟割長屋に所帯を持つ。

昭和57年 4月、長男義弘誕生。

平成元年  8月より静岡市葵区桜町1丁目に居住。

平成元年  9月より禁煙して今日に至る。

平成 2年 6月 シビル寺子屋(榊原久雄塾長)に入塾。ステンドグラスを習得。

平成 3年 1月、諸田家(静岡市葵区安倍口新田)より雄の仔犬1頭を譲り受け「秋山・ジョン・万次郎」と命名、爾来寝食を共にする。

平成12年 5月より断酒して今日に至る。

平成12年11月、アイティ戦争に惨敗して戦線離脱、失業者となる。

平成13年 1月よりハローワークの職業訓練でオックスクラブ・ドット・コム(静岡市葵区常盤町)にてパソコンの基礎講座を受講する。

平成13年 3月、OCNのメールアドレスを取得しホームページを開設する。

平成13年 6月、日本伝統俳句協会(稲畑汀子会長)が運営するインターネット俳句会に入会し投句を始める。

平成14年 1月、藤田弥世子氏(HP管理者は藤田ま~氏)の『趣味?俳句でしょ』に投句を始める。

平成14年 3月、建設不況の煽りをモロに喰らい失業する。

平成14年 3月、◆草笛や蒲公英の乳ほろ苦く    社団法人日本草地畜産種子協会機関紙『グラス&シード』のG&S俳壇(太田土男選)に佳作入選し図書券500円を貰う。

平成14年 4月、『よろづ屋・白兎』を開業する。4月28日、5月28日の両日、大炉不動尊の縁日において露天商を営業する。

平成14年 5月、『よろづ屋・白兎』を廃業する。

平成14年 8月、入谷チィー坊(甲斐犬系雑種・6歳)を家族の一員として迎える。入谷家は侠客・安東文吉の子分筋にあたる。

平成14年 8月 ◆うぶすなの祭太鼓は臍で聴く       伝統俳協ネット句会で高得点句に選ばれる。

平成14年10月、現代俳句協会が運営するインターネット俳句会に入会し投句を始める。

平成14年10月、『趣味?俳句でしょ』への投句を休止する。

平成14年10月、自由律俳句・周防一夜会(久光良一代表)へ投句を始める。

平成14年11月、『たちかわの空』(ChaCha代表)俳句コーナーに掲載を許可され投句を始める。

平成14年11月、自由律俳句・周防一夜会(久光良一代表)へ入会を許される。

平成15年10月 ◆流さねば泪が重し鰯雲         現代俳協ネット句会で高得点句に選ばれる。

平成16年 1月 ◆熱燗や身の上ばなし脚色す       現代俳協ネット句会で高得点句に選ばれる。

平成16年 9月 ◆天龍史ひもとけば紙魚走り出づ     静岡新聞社・静岡放送「天竜川の四季 俳句春夏編」で優秀賞受賞。賞状並びに賞金10,000円を貰う。福田甲子雄選。

平成17年 2月、自由律俳句・周防一夜会を退会する。

平成17年 2月 ◆寒紅をさして女の意地通す       現代俳協ネット句会で高得点句に選ばれる。

平成17年 3月 自由律随句『草原』(北田傀子代表)へ入会を許される。

平成17年 9月 秋山・ジョン・万次郎老衰により冥土の旅へ先立つ。

平成17年12月 ◆水洟や男の沽券ぶら下がる       掲載句ほか4句合計10点を獲得して高得点者になる。

平成18年 1月 ◆羽衣は西域の裂新松子         羽衣まつり運営委員会が主催した「羽衣まつり」第17回俳句コンペティションで佳作入選。賞状及び図書券3000円を貰う。

平成18年 2月 ◆コンビニの灯に安堵する雪の町     現代俳協ネット句会で高得点句に選ばれる。

平成18年 7月 ◆衣更え洗い晒しの菜っ葉服       第17回伊藤園お~いお茶新俳句大賞で佳作入選。

平成18年 8月 ◆炎天の短き影が杭を打つ        現代俳協ネット句会で高得点句に選ばれる。

平成19年 2月 ◆冬かもめ風待船を呼ぶごとし      伝統俳協ネット句会で坊城俊樹選を受ける。

平成19年 4月 ◆人を待つ片とき愉し夕ざくら      伝統俳協ネット句会で山本素竹選を受ける。

平成19年 5月 ◆母の日も知らず飯場を流れけり     伝統俳協ネット句会で高得点句に選ばれる。

平成19年 5月 ◆マネキンが胸を突き出す五月かな    現代俳協ネット句会で高得点句に選ばれる。

平成19年 7月 ◆自販機の灯りが温し雪の町       第18回伊藤園お~いお茶新俳句大賞で佳作特別賞受賞。

平成19年 8月 ◆暁の舳先を競ふ白子船         伝統俳協ネット句会で山田弘子選を受ける。

平成20年 3月 ◆朝礼の一分講話春めけり        現代俳協ネット句会で高得点句に選ばれる。

平成20年 3月 ◆尻取りにつなぐ言葉も春めきぬ     現代俳協ネット句会で高得点句に選ばれる。

平成20年 5月 ◆日の丸の旗翻す青嵐          伝統俳協ネット句会で奥村里選を受ける。

平成20年 6月 ◆風鈴に触るゝは誰が魂魄ぞ       伝統俳協ネット句会で岩岡中正選を受ける。

平成20年 7月 ◆滴るや眉目幽かな磨崖仏         伝統俳協ネット句会で大輪靖宏選を受ける。

平成21年 8月 株式会社若鳶取締役就任。

平成22年 6月 ◆紫蘇揉んで生命線を際立たす      伝統俳協ネット句会で高得点句に選ばれ、高得点者になる。

平成22年 8月 ◆勘当の解けぬ身ながら墓洗ふ      伝統俳協ネット句会で高得点句に選ばれ、高得点者になる。

平成22年10月 ◆せがまれてどんぐり独楽の孔穿つ    伝統俳協ネット句会で栗林眞知子選を受ける。

平成23年 9月 伊那市六道原にある俳人・井上井月の墓へ詣でる。

平成24年11月 自由律随句『草原』を退会する。

私は逃げも隠れもいたしません。
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アメリカの 傍若無人 許すまじ

2012年11月19日 10時44分43秒 | 日記
沖縄でまたまたアメリカ軍人が逮捕された。

今回、住居侵入容疑で現行犯逮捕されたのは普天間基地所属の海兵隊中尉であるからこれまでよりもっと始末が悪い。軍隊の階級で中尉といえば部下の兵士の綱紀粛正を指導する立場の者である。

最近では10月に、アメリカ兵二人による集団強姦致傷事件が発生し、在日米軍は日本に駐留する全アメリカ軍人の夜間(PM11:00~AM5:00)外出禁止令をだした。しかし、それでも11月2日未明にはアメリカ兵が読谷村の民家に侵入して中学生を殴打するという暴行事件が起きている。過去の類似事件を思えば枚挙に暇がない。沖縄は長い間にわたって米軍人の性欲処理の場所とされてきたのである。
私はきれいごとだけを並べる積もりはない。昭和33年に売春禁止法が施行されるまでは合法的な売春が行われ、沖縄にもそうした場所、所謂「赤線地帯」があったのも事実である。沖縄市「旧コザ市」の赤線地帯通称「吉原」や同じく宜野湾市前原にあった赤線地帯通称「新町」である。

こうした事件が起きるたびにルース米駐日大使の神妙な顔や仲井真県知事の口を尖らせて抗議する顔がテレビ画面に映るがこうした事件が一向に後を絶たないのはなぜだろうか。

解りやすい話をしよう。
NHKテレビの大河ドラマ「平清盛」を思い浮かべていただきたい。平治の乱に敗れた源義朝の愛妾・常盤御前は敵(かたき)の清盛にも抱かれたのである。つまり、戦いに敗れた側は、勝った側に生殺与奪の権を握られているのであるから生き延びようと思えば貞操も誇りも何もかも捨てなければならないのだ。

古来、戦争というものは相手の領土や財宝を奪い取るために行われたのであり、敵将の妻妾はおろか人民すべてを奪い取ったとしてもなんの不思議もないのである。

わが国はアメリカと戦争をして、原子爆弾二発を喰らい、完膚なきまでに叩きのめされた。オキュパイド・ジャパン・・・占領下の日本には進駐軍の兵士が我が物顔で闊歩し、これらの兵士を相手にした売春婦、所謂「パンパンガール」が嬌声をあげていたのである。

沖縄は日本国内で唯一地上戦が行われたところである。アメリカはペリー提督の時代から沖縄には領土的な野心を持っていたとされている。今日の中国の軍事的台頭から鑑みれば不沈空母としての沖縄米軍基地はさらにその重要さを増すばかりであろう。
つまり、沖縄のアメリカ軍基地は今後とも決して無くなることは期待できないのである。

敗戦後67年を経た今日でも戦勝国のアメリカは勝利者としての権利を保持し、敗戦国の日本は未だに戦後のままでいるのである。これがボクシングの戦いならばリターンマッチもできようというものだが、戦争は二度とできないのであるから、アメリカと日本の力関係はこれからもずっとこのまま続くのである。

せめて願いたいのは日米地位協定を見直し、犯罪者たるアメリカ兵の即刻引渡しや日本国内法に基づく裁判と処罰ができるようにしてもらいたいものである。
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お役所で 一番いいよ 法務局

2012年11月09日 09時54分58秒 | 日記
若いころから官公庁へは頻繁に通っている。

木更津高専の工事代金を当時の文部省へ集金に行ったら、担当職員が数千万円もの小切手を自分の机の抽斗から無造作に出して渡してくれたのにはちょっと驚いた。少なくともお金や小切手といった雰囲気ではなくて絵葉書かなんかを手軽に渡すような感じだった。

東京都庁へも集金にいったことがある。当時の都庁は八重洲の古い建物で小汚い感じだった。

日本銀行本店へは当時の西ドイツへ特許料を送金するための外国為替の申請に行ったのだが対応は決して悪くなかった。

大蔵省印刷局(当時)へ入札に行ったときは、カウンターの前に直立不動で立たされて順番に入札したのだが、役所の前の喫茶店で談合したのではないかと強い口調で詰問された。印刷局は静岡工場でも入札があったが紙幣を印刷しているだけに出入りのチェックは厳しいところである。

静岡大学の入札では本命の業者が封筒に入札書を入れ忘れるという失態を演じたが、私がまだ開札する前だからといってとりなして事なきを得たことがある。

大蔵省静岡財務事務所(当時)の入札では競争入札の結果、私の書いた札が最低価格で見事落札したのであるが、前払金目当てのダンピングではないかと疑われたことがある。このときは前払金を辞退すると申し出たら、今度は役所がそれでは困るからということで普通に契約してもらった。

建設省静岡河川工事事務所(当時)では、契約書に押印した社印が逆さまだったとして酷く叱られた。

静岡市役所の正庁で行われた入札では本命の業者が8000万円と書くべきところを800万円と書いて失格してしまったが、2番札は予定価格に達せずに再入札になった。このときは入札会場の後ろで急遽談合をして私が7950万円で落札した。

静岡県静岡土木事務所の堰堤の入札では談合が決裂して「叩き合い」になった。このとき私は一方の業者に頼まれて「控え」に入り工事価格の9掛けくらいで応札したのだが一番札、二番札がいずれも最低制限価格を下回って失格してしまったので私のところで落札した。入札の後で所長室に呼ばれて会計検査の対象となる補助金事業をダンピングされては困ると酷く叱られた。

国立富士療養所から入札通知があって喜び勇んで図面を受け取りに行ったら、応接室でさんざん待たされた挙句に、実は別の業者さんの間違いでしたと言われたときにはさすがに頭へカチンときた。

建設省中部地方建設局(当時)、厚生省東海北陸医務局(当時)、農林水産省関東農政局、同じく東京営林局、東海郵政局、東京水産大学・・・・そのほかにも県内市町の入札にはたくさん参加した。

あるとき、裾野市役所へ土地の図面を貰いに行ったら、丁度5時の閉庁時間だった。窓口へ着いたときは午後5時を少しまわっていたが、窓口の女性に、実は遠路はるばる静岡からきたのだが、道路が混んでいて、こんな時間になってしまったと、事情を話したら快く書類をだしてくれた。このときの女子職員は弁天様のようだった。

今では藤枝市に合併した志太郡岡部町役場の発注工事を担当したときに、静岡では当たり前になっている施工計画書以下の書類を提出したら、こんな完璧に整った書類をだしてくれる業者は初めてだといわれた。田舎の役所では案外ルーズにやっていたらしい。

数ある役所の中で意外に程度が悪いのが一番身近なはずの市役所である。いつも窓口で小言をいう羽目になるのだが、これは私が口うるさいというだけの理由ではないと思う。

総じて、わが国では大宝律令の古来より「官尊民卑」の傾向が強く、これは現在も連綿と続いている。公務員は公僕だ「全体の奉仕者」だなどというのはうわっすべりな建前だけである。

さて、昨日は所用があって静岡税務署と静岡法務局へ行った。

税務署のほうは用紙を貰いにいっただけなのだが、窓口に先客がいて立ったままでずっと待たされた。先客への対応で目いっぱいというところである。やっと私の番になったので、貴方のほかにも人はいるんでしょうからもう少し待たせないで対応していただきたいとお願いした。

静岡法務局へは会社の登記簿謄本を貰いに行ったのだが、窓口の女性職員はにこやかに「いらっしゃい」と声をかけてくれるし、書類を渡す時には「お待たせしました」というし、帰りには「ごくろうさまでした」と、まるで客商売のお店のような対応をしてくれるのである。一般的に静岡の商店は何故か店員の程度が低く、無愛想な対応をするところが多い。合同庁舎1Fの静岡法務局の窓口へいって接客の勉強をしてこいといってやりたい。

前法務大臣は暴力団員の仲人をしたとかで就任直後に辞任したが、末端の職員は実に真面目にやっているのだ。
私はうれしくなったから、ここの役所は全官公庁の中で一番対応が良いと褒めてやった。良いものは良いと褒め、駄目なものは駄目だと叱咤しないと役人根性はいつまでたっても直らない。
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我儘が 義理と恩義を 蹴散らした

2012年11月07日 12時25分17秒 | 日記
俳句をやる人は大抵は俳句結社なり同人誌の会員、あるいはインターネット俳句会のメンバーになっている。そうしないと作品を発表することができないからである。
中には新聞や雑誌の文芸欄だけに投句している人もいるのかもしれない。

私の場合も伝統俳句協会や現代俳協のネット句会から始まり、ある自由律俳句の結社に入会した。結社には主宰とか社主とか呼ばれる代表者がいて会員を束ねている。

伝統俳句の「ホトトギス」であれば虚子の孫の稲畑汀子先生、俳句協会系の「風土」であれば神蔵器先生といった具合である。
大きな結社になれば組織化して会計や編集長などの役職をもうけて活動しているのであるが、その経営の詳細について知るところではない。

私が最初に入会したのは会員数が20名ばかりの小さな自由律俳句の結社だった。会費が安い代わりに俳句誌の発行も年に一回という地味な結社であった。代表は郵便局だったか電話局を定年退職して悠々自適の生活をしている人で温厚なお人柄であった。

その結社で3年ほど世話になっていたのだが、あるとき主宰を取り巻く女性音楽家がネット上でやっていた音楽用語尻取りへ「スタッカーティッシモ」と書き込んだところ「スタッカティシモ」が正しいからとクレームがついた。
そうならば貴女が書いた「うさぎうさぎ」も正しくは「うさぎ」ではないのかと切り返したところ大層な怒りようだった。

「スタッカーティッシモ」は音をきわめて短く切るという演奏記号のことで、スタッカーティシモ、、スタカッティシモ、スタッカティッシモ、 スタッカッティシモ、スタカティシモ、などいろいろな表記がされるが、所詮はイタリア語の発音を無理やりカタカナで書いただけに過ぎず、どれが正しいという決まりはないはずである。しかし、その女性音楽家は専門家の沽券にかかわることだからといって一歩もひかない構えだったから、私は某音楽大学のイタリア語教授に直接メールをして教えを請うたのである。その結果は小さな「ッ」の入った私が書いた表記のほうがよりイタリア語の発音に近いという結論に達した。同時にその教授は、もし本気でそのようなことを主張する音楽家がいたとするなら、その人はたぶん「もぐり」だとまで断言してくれた。

「スタッカーティッシモ」に関する論争はこうして決着がついたのだが、50歳近いその女性音楽家は私に苛められたために流産してしまったとかいう話にまでなり、私はその俳句結社を”石もて追われる”ごとく退会したのである。

今回、退会したのはその次に入会した結社である。主宰は間もなく90歳になろうという老齢の方で会の実務は70歳くらいの弟子の一人が編集長をやっている。

私が前の結社をしくじって落胆しているときに快く招き入れてくれたので、非常に恩義に感じて入会以来7年有余を出来る限りのことをしてきたつもりでいる。しかし、これは会員として当たり前のことだから別に恩に着せるつもりはない。

最近、結社からは退会者が相次ぎ、危機感を抱いた私は結社のホームページの更新やインターネットの利用などついて幾つかの提言をしたのであるが、いずれも主宰がご高齢だからという理由で却下された。それでは私たち会員は、釈迦涅槃の枕辺に侍るトラやサイのような存在に等しいのではないかといったら編集長から酷く叱られた。

組織というほどの結社ではないが幹部の考え方が硬直化していて発展が望めないのである。また、私自身の思考も柔軟性を欠いており、若い会員の作品に頻繁に出てくる「なう」や「BBQ」などの用語についていけないというのも退会を決断した大きな理由である。前途ある若い会員の足を引っ張ってはいけない。
老兵は消え去るのみ・・・寂しいことだがこれが65歳の俳句愛好者の出した結論である。
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