日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
読者のコメント歓迎いたします。

秣場に 住んで馬齢を 重ねけり

2013年08月26日 12時48分43秒 | 日記
 筆者青柳新太郎がこの静岡市葵区桜町へ定住した平成元年、この界隈は伝馬町新田川原添治郎兵衛開という小字(こあざ)の土地であった。勿論、当時から『桜町』と称していたのだが、これはあくまでも通称であって公(おおやけ)に認められたものではなかった。

 この界隈がいつの頃から桜町と呼ばれるようになったのか詳しいことは判らない。しかし、さほど古いことではないようだ。戦後、安倍川に新しい堤防が築かれた直後から堤内(ていない)の官有無番地へ人が住み始め、やがて、市営住宅や県営住宅が建てられて、瞬(またた)く間に人口密集地になった。その頃、殺風景な堤防に桜の苗木が植えられて、年毎に綺麗な花を咲かせた。これが桜町という町名の由来だというのが通説であるが果たして真実であろうか。

 明暦年間のことというから徳川四代将軍家綱の治世である。駿府伝馬町に飼育する駅馬の飼料に供するため、安倍川の河原の一部を『馬草場』として賜った。伝馬町新田は、後年その場所を開墾してできた土地であり、安永年間(1772~78年)に一つの村としたもので、その村高は二百六十五石二斗八合であったと記録にある。

 驛傳馬の制度は律令国家の成立とともに整備されたが、当時から安倍郡横田郷は駿河国の五駅六伝馬の一つとして主要な宿駅であったようで、平安期に書かれた『延喜式』などにも見える。以来、横田町近辺は東海道府中宿の中核として江戸期の上伝馬町、下伝馬町に至るまで宿駅としての役割を連綿と続けた。

 くどくどと歴史の講釈をしようというのではない。伝馬町新田は伝馬町に飼われていた駅馬や伝馬のための『秣場』であったという事実がご理解戴ければよいのである。

 猪(いのしし)の肉をボタンというのは唐獅子牡丹の獅子とイノシシのシシをかけた洒落らしいが、馬肉のことをサクラというのは桜色をした肉という意味らしい。「咲いた桜になぜ駒つなぐ駒が勇めば花が散る」という歌もある。桜と馬は元々関係が深い。

 桜町の町名が堤防の桜に因むものか、はたまた伝馬町新田から伝馬町へ、伝馬町の馬から馬肉、馬肉からサクラへと連想ゲームさながらに想像力を働かせた所産なのかは賢明なる読者諸兄のご判断に委ねたい。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

汚染水 タンクの場所が 拙かった

2013年08月21日 11時08分18秒 | 日記
 福島第一原発のある大熊町の当該地は、元々は長者ヶ原陸軍飛行場の飛行場跡地だった。第二次大戦後、この土地は民間に払い下げられた。海岸は高さ30m余りの断崖で、国土計画興業が製塩のための塩田として広大な敷地を買収していたが、製塩事業は原発の調査時点では終了していた。また、残りの予定地も民有地だったが、一部が農地として使用されていた程度であり、残余は山林原野であった。

 東京電力は調査を進展させつつ、1964年に入ると用地買収交渉を開始、二期にわたる320万平方メートル(約96万坪)の買収価格は約5億円で、この他に社宅用地その他として約8万平方メートル(約2万4000坪)を買収した。

 本発電所の立地点は相双地帯南部の海岸段丘地帯に位置し、ゆるい傾斜のある丘陵であった。東側は上述のように元々は急峻な断崖であった。地質としては下層に砂岩、その上層にある富岡層に属するシルト岩が主体であり、更にその上を砂礫からなる段丘堆積層が覆っているが、その層厚は不整合である。砂岩はかなり締まっておりN値40以上であったという。

 と、まあいつものように前置きが長くなったが、事故発生以来の懸案事項である汚染水の処理問題は、根本的にこの地形に原因がある。

 原発敷地内には、丘陵地帯から湧き出す地下水が毎日1000t流入している。これは原発事故以前からのことで元々、井戸でくみ上げて管理していたが、事故で井戸がつかえなくなり、そのままの状態であったようだ。

 
 地下水1000tのうち建屋内には400tが流入している。この400tは汚染水として汲み上げられて丘陵地帯に設けられたタンクへ貯蔵している。残りの600tの地下水は汚染の有無は不明だがどこへ行っているのかが判然としない。最近の報道では300tは海へ流出していたというが、それでも300tの行方は不明である。最近になって海側へ遮水壁を設けたようだが、その結果として地下水位が上昇して結果は思わしくないようである。

 本来、地下水は清浄であるはずだ。だから、原発の山側で汲み上げて海へ放流することも可能なはずであるが、なぜそれができないのか。

 答えは単純である。山側の台地上に42万tもの汚染水貯蔵タンクを設置したの拙かったのである。タンクからは既に大量の汚染水が漏れ出しており周辺の土壌も放射能汚染が進んでいると思われるからだ。清浄であるべき地下水が既に汚染されている可能性があるから地元の漁業関係者なども山側からの流入地下水のバイパス放流に賛成しないのではないだろうか。

 地下水というものは厄介なものだ。つまり、山側からの流入を止めれば今度は海側から逆流することにもなる。単純に流入を止めれば地盤沈下も考えられる。

 この汚染水処理問題は有効な手立てを早急に立てないと大変なことになる。何しろ一日当り400tである。一年365日では14万6000t。これまで海に放出していた300tを敷地内で汲み上げたとして一日当り700tとして計算すれば年間当り25万5500tということになる。

 廃炉までの年月は何年かかるのだろうか。仮に20年としても511万トンということになる。そんなことをしている間にタンクが老朽化してまた漏水騒ぎを起こすだろう。

 最近の対策案として地下水を遮断しておいて地盤を凍結させるということも検討されているようだ。

 我々素人には解らないが、凍結だろうと遮断壁で囲おうと方法はいろいろあるだろうが、兎に角、有効な対策をスピード感をもって講じていただきたい。

 そして、これまでに貯蔵されている汚染水、これから発生する汚染水の処理方法も早急に技術開発する必要があるのではないだろうか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

斉藤は斎藤ですよお役人

2013年08月19日 16時52分02秒 | 日記
 とび職の会社である。
 足場工事や鉄骨の建て方などのほか、最近では風力発電の風車の組み立てなどの高所作業を専門としている。

 足場工事は足場組立解体作業主任者技能講習を修了した者の指揮の下に行うことになっているが、これとは別に、職業能力開発促進法に基づく技能士検定があって、所定の実技試験、学科試験に合格したものは1級または2級のとび技能士を名乗れることになっている。

 私の勤める会社には現在5名の1級とび技能士が在籍しているが、今回の事件はその1級技能検定合格証書についてである。

 証書には、検定職種、技能士の名称、氏名、生年月日に続いて「あなたは職業能力開発促進法の規定による右の職種に係る技能検定に合格したのでここに合格証書を授与し右の技能士の名称を称することを認める」平成20年10月3日、厚生労働大臣 舛添要一 「厚生労働大臣之印」とある。

 さて、5枚の合格証書は額に入れて事務所の壁に掲げてあるのだが、少し気になることがあった。

 先ず、氏名の斉藤の「斉」は戸籍上も「斎」が正しいこと。もう一人の合格証書は検定職種、技能士の名称、氏名の記載位置が大きく外れているのである。5枚の内の2枚つまり40パーセントもの合格証書に重大な欠陥があるのに厚生労働大臣の職印を押して交付しているとは何事か。

 たちまち鶏冠へ血が上る私は直ぐに受話器を取り上げると厚生労働省の担当課である能力評価課技能検定班へ電話した。

 いやしくも厚生労働大臣の名前において授与された合格証書がこのように杜撰な内容であることは甚だ遺憾である旨を述べると、担当の職員さんは、まったく貴方の仰る通りです。ただし、この証書は大臣名で発行されておりますが、実務はすべて各都道府県の担当課へ事務を委託してあり、遺憾なく行うよう通達を出してありますので、貴方の最寄の都道府県担当課へ申し出てください。と、いうことだった。

 それでは静岡県の職業能力開発課へ連絡を取らせていただきますが、厚労省本省の貴方様のお名前を出してもよいかと訊ねると、どうぞ私の名前を出してくださいとの返事だった。

 そこで静岡県経済産業部職業能力開発課ものづくり人材班というところへ電話をして経緯を述べると、意外にあっさりと非を認めて善処してくれるということだった。直ぐに元の証書のコピーをとって訂正箇所を記入しファックスすると驚くなかれ二日後の8月16日には新しい合格証書が郵送されてきたのである。

 これまで役人仕事には兎角批判的な立場であったが今回の件については厚労省にも静岡県の担当者にも機敏な対応に大いに感謝している次第である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国じゃ 加藤・伊藤は 犬の糞

2013年08月09日 16時13分19秒 | 日記
 韓国の国家的英雄といえば李舜臣と安重根ではなかろうか。この対極として日本を代表する嫌われ者が加藤清正と伊藤博文であるらしい。

 私も現地釜山で見たが、釜山港を見下ろす龍頭山公園中央には、壬辰・丁酉倭乱(文禄・慶長の役)の英雄「李舜臣の銅像」があって、はるか東の方角の日本を睨みつけているのだそうだ。

 李舜臣将軍は1545年ソウルに生まれた。朝鮮水軍の将軍として各地を転戦、亀甲船を発明して秀吉軍を撃退した救国の英雄である。1598年、撤退中の秀吉軍を追撃中に戦死。その遺功を称え子孫に伝えるため、1955年にこの銅像が建てられた。

 この秀吉の朝鮮出兵のときには秀吉麾下の多くの武将が朝鮮半島へわたっているのだが、後世にもっとも名前を残しているのが虎退治で有名な加藤清正である。

 日本手話における「加藤」の手話単語の1つに「両手で槍を持って前に突き出す」動作を真似たものがあるが、これは加藤清正の虎退治の故事にちなんだものと言われる。

 加藤清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後国熊本藩初代藩主。別名虎之助(とらのすけ)。豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍・七将の一人である。その後も各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国を与えられた。秀吉没後は徳川氏の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって肥後国一国を与えられ、熊本藩主となった。

 安 重根(日本語読み;あん じゅうこん、朝鮮語読み;アン・ジュングン、朝鮮語表記:안중근、1879年9月2日 - 1910年3月26日)は朝鮮において初代韓国統監を務めていた伊藤博文(日本の初代内閣総理大臣)を暗殺したテロリストならびに民族主義者。元死刑囚。

 大韓民国において安重根は、抗日闘争の英雄と評価され、「義士」と称され、国民的英雄である。ソウル特別市には安の偉業を伝える「安重根義士記念館」が1970年に建設されている。

 彼の功績を称えて、韓国海軍では、2008年に完成した孫元一級潜水艦3番艦の艦名に「安重根」を用い、同様の理由でテコンドーの型にも彼の名は用いられている(国際テコンドー連盟4級で習得する安重)。また伊藤博文暗殺から100年にあたる2009年10月26日にはハルビンで記念式典が開催された。

 伊藤 博文(いとう ひろぶみ)は、周防国出身。長州藩の私塾である松下村塾に学び、幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加。維新後は薩長の藩閥政権内で力を伸ばし、岩倉使節団の副使、参議兼工部卿、初代兵庫県知事(官選)を務め、大日本帝国憲法の起草の中心となる。初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣および初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監を歴任した。内政では、立憲政友会を結成し初代総裁となったこと、外交では日清戦争に対処したことが特記できる。元老。

 アジア最初の立憲体制の生みの親であり、またその立憲体制の上で政治家として活躍した最初の議会政治家として、現代に至るまで大変高い評価をされている。1909年、ハルビンで朝鮮独立運動家の安重根によって暗殺された。

 反目しあう国家間、民族間においてはこちら側から見たテロリストが相手側の英雄だったりする。歴史認識と一口には言うがなかなか難しい問題なのである。

 ところで、韓国の独立記念日、所謂、光復節(カンボッチョル)は1945年8月15日と言うことになっているが大韓民国の本当の独立日は1948年8月13日である。因みに日本がサンフランシスコ講和条約に調印して国家主権を回復したのは1952年4月28日のことである。

 光復節(カンボッチョル、日本からの独立記念日)は、8月15日と思っている方もいるだろう。しかし韓国の本当の独立日は8月13日が正しいのだ

 昭和20年8月15日、日本の無条件降伏に伴い、当時の朝鮮総督、阿部信行・陸軍大将と、朝鮮軍司令官、上月良夫・陸軍中将の二人が、朝鮮総督府から日章旗(日の丸)を下ろし、太極旗(現・韓国国旗)を掲揚させると共に、朝鮮建国準備委員会を結成させ、朝鮮に自治権を付与した。つまり、終戦の日、朝鮮は「自治権」を獲得したのであって、決して日本から「独立」したのでは無い。

 このように、終戦と同時に韓国は日本から自治権を与えられたが、その自治権も、同年9月8日、米軍が南朝鮮(後の韓国)に進駐してくると、解消されてしまう。進駐してきた米軍は、ソウルの空にはためいていた太極旗を引きずり下ろし、再び日章旗を掲揚させたのだ。

 つまり、1945年8月15日以降も韓国は日本の領土(アメリカ軍政下)だったと、アメリカ軍から言われてしまったのである。

 そして、進駐の翌日(9月9日)、連合国軍最高司令官 ダグラス=マッカーサー元帥が、南朝鮮に対して、アメリカによる「軍政」を布告、ソウルの空には星条旗(アメリカ国旗)が翻(ひるがえ)る事となったのだ。つまり、韓国の前身 ── 南朝鮮は、終戦の日、日本から「独立」すること無く、今度はアメリカによる「軍政」の下に置かれる事となった訳で、8月15日は、決して「祖国の解放」(独立)等では無いのだ。 沖縄同様、アメリカの軍政下にあった南朝鮮が「独立」を達成したのは、終戦から3年後の昭和23年8月13日である。つまり、韓国にとって本当の意味での「祖国の解放」(独立) ── 「光復節」は、8月13日だった訳である。

1948年8月13日に韓国はアメリカ軍から独立を認められた。日本から独立したわけではない。当時の日本はオキュパイドジャパンつまり占領下の日本であって韓国を独立させる国家主権は存在していなかったわけである。

 と、いうわけで、韓国は8月13日が本来の「独立記念日」であるのにもかかわらず、敢えて、8月15日を「光復節」としたのには、多分に「政治的配慮」が働いていたと言う事だ。つまりわざと日本の無条件降伏の日に独立記念日を重ね、韓国が日本の植民地支配より開放されたとすることによって愛国心を煽ったのである。この点を知っておかないと歴史問題が重要なキーワードになる日韓関係に大きな過ちを残すことになるだろう。

 歴史認識を云々する前にこのような姑息な手段を改めて8月13日を光復節なり独立記念日なりにしたほうが正しい歴史認識といえるのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狸爺  田舎狸に  化かされた

2013年08月07日 14時32分40秒 | 日記
 現役時代の仕事仲間から久しぶりに電話があって、日曜日の9時半からいつもの場所でいつものメンバーでマージャンをやろうということになった。

 土曜日は自宅の生垣を刈り込んだりして良い汗をかいた。日曜日は恒例の町内溝浚いがあった。これは自宅横の側溝を掃除するだけだから、7時30分ころから作業に着手し、8時30分には作業を完了した。

 溝(どぶ)掃除が終わってからシャワーを浴びて入念に汗を流した。頭にもムースを塗ってブラシで髪を整えた。

 お気に入りのシャツにベストを着込んで普段よりはちょっとおめかしをして約束の時間に間に合うように出かけた。

 そうそう出かけるときに家内から「見せ金」を3万円ほど借りて財布に入れた。財布の中身は自分の小遣いと合わせて都合8万円ほどになった。

 博打(ばくち)に行くときは懐が寂しいと必ず負けてしまう。第一、負けてから金が無いというのでは見苦しい話である。

 さて、件(くだん)の雀荘に着くと私が一番乗りだった。雀荘のママとは予ねてからの顔なじみであるから、直ぐにコーヒーを振舞ってもらってしばらく寛いでいると、メンバーの面々が続々と到着した。

 一人は誘いの電話をよこした男で昔の仕事仲間である。その仕事というのは所謂「談合屋」という仕事で工事の受注業者を決める役目である。勿論、不法行為であることは百も承知のことだが、私は今から18年前にその世界から足を洗っているのですべて時効である。

 残る二人のメンバーのうち一人は工事関係の技術者だった人で、もう一人はその人の従兄弟で工業高校の教員だった人である。

 定刻の9時半にゲームが始まった。
 東南半局ごとのルールで25000点持ちの30000点返しである。

 最初の回は私のダントツで終局した。特に大きな役が出来た訳ではないのだが、何回かかけたリーチはツモれたし、裏ドラがよく乗った。

 面前であがったときには、赤い牌一牌につきチップ一枚がもらえるというルールもあるのでリーチをかけてツモるというのが一番有利である。

 私は赤い牌を3牌使った手を一発でツモって一度に12枚のチップを貰ったりしたのでチップだけでも30枚ほどのプラスになっていた。1枚500円だから15000円である。

 夜の7時ころ8回目が終局して清算したときには私が一人勝ちになっていた。

 さて、帰るときにメンバーの一人が私の車に同乗して一緒に帰ることになった。彼の自宅は私の勤務先の近所である。だから、道順はわかっていた。彼の自宅の前で同乗者を降ろしてから、何時もの帰り道へ引き返せばよかったのだが、この道をそのまま行けば大丈夫だという言葉にしたがって知らない道へ進入したのが間違いの元だった。

 前方に堤防が見えて行き止まりになったので慌てて左折したのだが、突然、道が狭くなった。しかし、前方には車が頻繁に往来しているのが見えるのである。

 道は狭いが車は通れるだけの幅はあったので強引に前に進んだ。やがて、さっき見えた道路のところへ辿り着いたのであるが、無情にもネットフェンスで出口を塞いであるではないか。広い道路まであと20センチで出れるのにフェンスが邪魔をして車はもう前へ進めない。元の入り口は見えないくらいに遠い。進退窮まったというのはまさにこんな事態であろう。

 運転席側のドアーは建物に当たって開かない。仕方が無いから助手席側から降りて、歩いて様子を見に戻る。助手席側は水路で深さは1メートル以上はありそうだ。運転席側も建物が近接している。

 ガックリと肩を落としてとぼとぼ歩いていると「あんた、こんなところで何しているの?」と窓から声をかけてくれたご婦人がいた。

 飼い犬があまりにも激しく鳴くので怪しく思って窓を開けたのだという。

 実はこの道へ迷い込んであそこで行き詰まって困っていますと窮状を訴えると、親切なご婦人は、それではここまでなんとかバックしてきて、私の家の庭を通って表の道路へ出なさいと言ってくれた。

 ご婦人の指図で息子さんがライトを持って車の後ろを見てくれてなんとか水路へ落ちずにご婦人のお宅の横までバックした。

 しかし、水路へかけた橋の部分は狭くて車のハンドルを切ると庭の花壇が壊れてしまうことが予想された。そのことをご婦人に告げると、そんなことは心配しなくていいから、兎に角ここから脱出しなさいと言ってくれた。

 そこで車のチエンジをローギアにいれてゆっくり庭へ乗り入れて車庫の中を通してもらって表の道路へ出ることができた。予想通り花壇の周りに並べてあったブロックが動いてしまった。

 その晩はお礼もそこそこに自宅へ戻ったのだが、なんだか後味が悪かった。

 もしかしたら狸に化かされたのではないかなどと馬鹿なことを考えたりもしたが、兎に角、明日になったら、地獄に仏のようなあのご婦人のところへお礼にあがろうと決めて寝床についた。

 翌日の月曜日、近所の菓子屋で銅鑼焼の菓子折りをしつらえてお礼に行って来た。ご婦人は若い頃にはさぞかし美人であったろうと思われるほど上品な感じであった。

 件(くだん)の道は田圃の畦道のような狭い通路で昼間だったら絶対に間違えて進入するようなところではない。きっと狸が見せ金をしてマージャンに勝った私を懲らしめるため化かしたのに違いないと改めて深く反省した次第である。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地下水は 二年前から  予見した

2013年08月04日 14時50分34秒 | 日記
 東電福島第一原発2号機の取水口付近で高濃度の放射性物質を含んだ水が海へ流出している問題で、東電は基礎の砕石に水ガラスを注入して一定の効果を得たとしているが実際にそうなのだろうか?

 私はしがない一介の土木技術者であるが「砕石基礎」がどのようなものであるかは熟知している。これは構造物の地盤を安定させるために栗石や割栗石或いは砕石を敷き詰めて転圧したものである。普通の在来地盤ではないから透水性がある。

 今回のケースはこの砕石基礎を通って海へ流れている汚染水を水ガラスを注入して止めたといっているが、果たしてそうであろうか?

 確かに一時的に水は止まったように見えるかもしれないが、出口をふさがれた水は付近の地層へしみこんで土壌や地下水を汚染するのではないかと危惧されます。
つまり、漏れている箇所を塞がない限り根本的な解決にはならないということです。

 放射性物質の飛散を防ぐための合成樹脂の散布も行われているが、これにはかなりの効果があるのではないかと思われる。

 道路工事の際に路盤を作ってアスファルトコンクリートを舗設する前にプライムコート工といってアスファルト乳剤を散布するのであるが、これを散布しただけでも防塵効果は抜群である。


 以上の記事は2011-04-06 12:13:11に私が投稿したものである。

 あれから二年数ヶ月が過ぎて、東電福島第一原発の現況はどうかというと、高濃度の放射能を含んだ地下水を海へ垂れ流していることで再び問題になっている。

 福島第一原発の放射能汚染水流出について、東京電力が事故直後の2011年4月、流出元の建屋と地下坑道の間の「遮断」を防止策として公表しながら、2年以上、建屋の漏れ口をふさがずに放置していたことが分かった。今夏、汚染水が海へ漏れていることが判明し、ようやく遮断工事の試験の準備に入った。対応の遅れが汚染拡大を招いた可能性が高い。

 東電は同年4月17日に事故収束への道筋を発表。2号機の汚染水流出で「再発防止策を検討・実施」した例として、実施済みの二つの対策と並んで「トレンチ(坑道)と建屋間の遮断」を発表資料に明記した。だが、実際は漏れ口をふさいで遮断しておらず、その後も放置していた。坑道の海側の端をコンクリートや砕石でふさぐ応急措置で十分と考えたとみられる。


 一日400トン発生する冷却廃水は飽和状態になり、東電は海へ漏れていた地下水については頬っ被りしていた節がある。

 漁協などの抗議に渋々ながら垂れ流しを認め、海側に地中壁を構築して地下水を遮断しようとした。

 具体的な工法を知るところではないが、一般的な工法であればボーリング孔を並べてコンクリートを充填するか、鋼矢板(シートパイル)を設置するかすれば良いのである。
 
 しかし、今回の場合は地下水位が上昇して結果は思わしくないらしい。

 本来から言えば地下水が流入する上流側で遮断しなければならないのだが、そうすると今度は地下水位が下がって原発敷地の地盤沈下を招く惧れがあるようだ。

 どうやら福島原発は地下水の処理ひとつとっても予断を許さない状況になっているようである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫請へ アベノミクスは 届かない

2013年08月02日 16時02分35秒 | 日記
 7月下旬のことである。表に国土交通省と大きく書かれたA4茶色の角封筒が配達された。
よく見ると【重要】平成25年下請取引等実態調査 調査票 在中  と、記してある。

 開封してみると、国土交通大臣と中小企業庁長官の連名で次のように書いてあった。

下請取引等実態調査について


 このたび、建設業における下請取引等の適正化を図るため、国土交通省及び中小企業庁において、建設業者の下請取引等について調査を実施することになりました。
 今回は下請取引等の調査に加え、平成25年度公共工事設計労務単価の設定(全国平均で約15%、被災3県で約21%の上昇)に関連した賃金や社会保険等の加入状況についても調査を実施します。
 お忙しいところ誠に恐縮ですが、別添調査票にもれなく記入し、下記により報告してください。
 なお、この調査は、建設業法(昭和24年法律第100号)第31条第1項及び第42条第1項の規定に基づき、国土交通大臣及び中小企業庁長官が実施するものであり、報告しない場合又は虚偽の報告をした場合には、100万円以下の罰金に処せられることがあります。



1.調査内容     別添調査票のとおり

2.提出期限     平成25年8月6日 (火)

3.提出先      国土交通省土地・建物産業局建設業課
           〒100-8918 東京都千代田区霞が関2-1-3
           (同封の返信用封筒(代金受取人払)を使用して提出してください。)

4.問合せ先     裏面に記載

 そして、裏面には
 ①国土交通大臣許可業者にあっては、国土交通本省、北海道開発局、東北、関東、北陸、中部、近畿、中国、四国、九州の8地方整備局と沖縄総合事務局の主務課の電話番号。

 ②知事許可業者にあっては、下記の都道府県主務課として、北海道以下47都府県の主務課の電話番号。

 さらに、建設業法(抄)として第31条、第42条の2、第52条及び第53条の罰金の条文を書いてあった。

 地方都市の零細企業であっても、県知事閣下の許可をいただいて建設業を営んでいる者であるから、その基本法たる建設業法を遵守することは当然である。

 しかしである。平成22年7月1日から平成25年6月30日までの過去3年間のすべての取引について、16ページ数十項目の設問をわずか二週間ほどの間に精確に答えろというのは、いささか高圧的ではないかと感じた。

 私が一番気分を害したのは、いきなり罰金を科すという条文を突きつけられたことである。これでは横っ腹に匕首を当てられて詰問されているのと同じである。調査票の回収率を高めたい、調査の精度を高めたいという気持ちが解らないでもないが、それならばもう少し時間を与えるとか、調査票の配布先を増やすとかしたらどうかと思う次第である。

 記入方法なども一応の解説はあったが、割合を表す単位がすべて「割」で表示されていた。パーセントならば1パーセントから表示できるが割では1と書けば10パーセントになってしまう。
1パーセントは0.1割と書くしかない。賢明なる読者は直ぐにお解りになると思うが「割」の十分の一を表す単位は「分」である。0.1割という表示そのものが間違いなのである。その他にも幾つか不明のことがあったので国交省の本省へ電話して、頭脳明晰な官僚の方々ならいざ知らず、田舎の中卒の土建屋のオヤジでも解るような記入例を表示してもらいたいと言ってやった。

 設問の中に平成25年4月から公共工事設計労務単価の大幅な改定が行われたが、受注単価は上昇したか?などというのが数問含まれていたが、一体、4月からの3ヶ月間にいかほどの公共工事を発注したというのだろうか。

 下請の下請つまり孫請業者の我々のところには公共工事の仕事などは飛沫も飛んでこない。況してや単価改定の恩恵などは1円もないし、逆に4月、5月は仕事が薄くて青息吐息の状態が続いていたのである。

 建設業法を楯にとって脅かし半分の権力を行使する前に、適正な単価で下請契約を結ぶように元請業者や一次下請業者に指導してもらいたいものである。

 調査対象業者は、全国の建設業許可を有する建設業者の中から無作為に抽出しています。これでは運悪く交通事故にでも遭ったような気分だ。
 
 件の調査票は罰金100万円を取られるのが嫌だから捩り鉢巻で記入して昨日投函した。一件落着やれやれである。後は些細なことで揚げ足をとられないことを願うのみである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小狡さが  顔に出ている  小役人

2013年08月01日 13時01分10秒 | 日記
 何かと差し障りもあろうから某区役所とだけにしておこう。話は順序良くしないと解かり難いだろうから初めからすることにする。

 中学校を卒業して直ぐの15歳で鳶職の見習いになった少年がいる。4年近くが経って現在はやっと19歳になった。両親は健在だが20歳の長女を頭に一男五女の子沢山である。

 彼が私の勤める会社へきたときは文字通り着の身着のままの身体一つであった。仕方が無いから布団や毛布などの寝具は私の息子が使っていた物を一式与えた。

 入社した次の日から材料置き場の片付けなどの軽い作業をさせて働き場を与えてきた。何せ、鳶職の仕事は高所作業だから18歳未満の少年を作業に従事させることは出来ないのである。宿舎は普通の住宅を1軒借りて4~5人の職人を住まわせている。

 静岡県の最低賃金は現在時給735円であるが4年前でも690円くらいだったと思う。1日8時間働けば15歳の少年だろうと5,500円以上の日当になるのだから真面目に働きさえすれば十分に自活できるのである。

 今から2年前の夏だったが、彼の両親は当時18歳の長女と17歳の彼を残して蒸発してしまったのである。まだ幼かった4人の妹たちは一緒に連れて行ったそうである。東京のシコウとか何とか言う債権取立てで有名な弁護士事務所から息子の勤め先にまで電話があったところをみると両親は多額の借金を背負っていたようだ。

 さて、実家の両親が蒸発してしまったので、本人は住所を失ってしまったのである。住所不定ではいささか拙いから新しく会社の独身寮を住所にして住民登録をすることにしたのである。

 私が同行して区役所の受付で訊ねると11番の窓口へ行けというから11番窓口で来訪の目的を述べると、今度は10番の窓口へ行けという。役所特有の所謂盥(たらい)回しであるが、ここはまあ我慢のしどころと思って10番の窓口で言われるままに書類を書いた。

 その書類を持って11番窓口へ提出すると、本人であることを証明する免許証などを見せろというから、そんなものは端っからないから私が付き添いで来ているのだというと、両親の名前や姉妹の名前などを詳しく訊いて書類はどうにか受理してくれた。

 しばらくすると、向うの健康保険課の方で15分ほど待っていて欲しいというから、場所を変えておとなしく座って待っていた。

 しかし、30分ほど過ぎても何の音沙汰も無いので、11番窓口へ行って大きな声で「ちょっとアンタ、もう30分以上も経ったけど一体どうなっているの」と文句をいった。役所の駐車場は一杯で入れなかったから民間の駐車場へ車を預けてあるので駐車料金が嵩むのだという主旨のことも言った。

 すると大変申し訳ないがもうしばらく待ってくれということだった。それからまた10分間ほど待たされてから、国民健康保険料の請求書を二通手渡された。一通は本人宛ての請求書であったが、残りの一通は父親宛ての請求書だった。

 付添い人の私はそれを見て完全に鶏冠へ血が上った。
 
 直ぐ窓口の女性に文句を言った。

 私:両親が蒸発して困っているまだ17歳になったばかりの少年に、本人の保険料は兎も角として親の未納保険料を背負わせるとは随分と酷い話ではないか。そもそも親が滞納した段階で徴収に努力するべき義務があるのはあんた方ではないのか?
それを怠っておいて住所変更を申し出た子供に対して親の未納保険料を請求するのはずいぶんと筋違いだと思うがいかがなものか。

 窓口の女性職員:えーと、それはですねェ。こういう場合はご家族の方にお渡しすることになっておりますので・・・。

 私:なっているっていうんなら、その根拠になっている規則なり法令の条文を示して欲しい。蒸発した親の行方が分からなくて本人が一番困っているんだよ。アンタで話にならんから課長を出せ。課長を。

 窓口の女性職員:すいません。上司と相談してきますのでしばらくお待ちください。

 私:しばらく、しばらくでもう一時間以上も待たされているんだよ。まったく冗談じゃァねえってんだ。

 年増の女性管理職:すいません。貴方様の仰るとおりです。世帯主の未納保険料を息子さんに請求するのは間違いでした。この請求書はこちらで処理しますので・・・。長いことお待たせしてすいませんでした。

 私:解かってくれればいいんです。

と、まあ文章に書けばこんなところであるが、実際にはもう少し乱暴なべらんめえ口調だったかもしれない。

 長く待たされていた間に役人はあわよくば未納保険料を楽に徴収する作戦を企てて大急ぎで請求書を作っていたのである。

 本当に油断も隙もみせられない相手が狡賢い役人である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする