日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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菱餅の一のかさねは蓬餅

2016年01月29日 11時41分39秒 | 日記
 和菓子屋の店先にヨモギ餅が並ぶと、私は春来たれりの思いを確かにする。言わずもがなヨモギ餅は春の季語である。ヨモギと言えば源氏物語に「蓬生の巻」があり、枕草子の「庭なども蓬にしげりなどこそせねど云々」という件(くだり)、はたまた後拾遺和歌集の藤原実方の一首を知らぬわけでもないが王朝文学について云々する積りはさらさら無い。

 私がここで草餅と云わずヨモギ餅と言ったのは、餅草にはオヤマボクチや母子草、つまり春の七草の御形であるが、これらも餅に搗きこんで食するからである。餅草としては、むしろハハコグサの方が古いようである。また、蕎麦打ちのつなぎにオヤマボクチを用いることも古くから行われている。

 因みに、ヨモギはもとよりオヤマボクチも母子草もキク科の植物である。序でのことだから触れておくが、「山で美味いはオケラとトトキ」と並び称されるオケラも、嫁菜飯に欠かせぬヨメナも、蕗味噌にするフキノトウもキク科植物である。

 キク科ヨモギ属。私の故郷、静岡ではヨモギと呼ばずヨムギと訛る。日本中、そこかしこいたるところに分布しているのだからまさかヨモギを知らぬ人はいないだろう。だからヨモギそのものについてあれやこれやあげつらうことはしないでおく。我が家の飼い犬ジョン・万次郎、チィ坊両君さえも朝夕の散歩の都度に道端のヨモギへ小便をかけている。

 私が子供の頃の田舎では、桃の節句の菱餅は、赤を梔子、緑がヨモギ餅で染めるものと相場が決まっていた。また、端午の節句には菖蒲と一緒に束ねて軒先へ挿したり、菖蒲湯にも入れたものである。

 さて、ヨモギ餅に搗きこむヨモギであるが、東京などの老舗では伊豆七島あたりからその年の新物を取り寄せているそうだが、多くの場合は前年に摘んで、灰汁で茹でて、筵にひろげ天日干しにして乾燥保存したものを用いるのである。保存技術が進んだ昨今では、冷凍保存したものを解凍して使うことが多い。

 私がちょくちょく行く「真富士の里」という農家の主婦が運営する店の人気商品にヨモギ饅頭というものがある。粒餡をヨモギ風味の皮で包んだ蒸し饅頭である。ヨモギはミキサーにかけて粉砕してあるので色と味と匂いはまぎれもなくヨモギだが、昔のように草の繊維が混じっているということはない。

 ここまでの話しは前置きである。前置きの長いのが私の悪い癖だが、ここからがいよいよ触りということになる。

 15、6年ほど前のことだから、その時の状況を今でもよく憶えている。私は安倍川の護岸工事に従事していた。さよう安倍川餅の安倍川である。

 春先のことである。陽当たりの良い河原にヨモギが萌えていた。昼の休憩時間に土方仲間の森爺がヨモギを摘みだした。私はすぐさま、そのヨモギをどうするのかと森爺に訊いた。

 朴訥な性格の森爺は、言葉少なく天婦羅に揚げると美味いのだという。野生化した蒟蒻玉から蒟蒻を造り、ワラビやゼンマイを上手に灰汁抜きするこの老練な土工の言葉に異論をさしはさむ余地などまったく無い。森爺はヨモギだけでは料理が侘びしいから生椎茸や人参、豚肉なんぞをネタにするのだという。

 こういう場合に携帯電話は至極便利だ。安倍川の河原からすぐさま自宅へ電話が掛けられるのである。私が今夜のお菜はヨモギの天婦羅だと言えば、妻はすかさず酒の支度をして待っているという。酒と聞いてはこちらも黙ってはおられない。私は河原の枯れ草を掻き分け、鵜の目鷹の目でヨモギを探したのであった。

 ヨモギを摘むと独特の匂いがする。かなり強い匂いだがそれは必ずしも不快ではない。しかし天婦羅に揚げると、この匂いも軽減するし、癖のない味に仕上がるのである。

 しかしいくらヨモギの天婦羅が美味いからといって、街の有名天婦羅店の座敷へ上がりこんで鶴首して待っていたところで滅多なことで食膳に供されることはないだろう。専門店の天婦羅といえば、小柱の掻揚げ、車海老、穴子、キス、野菜といえば萌やし三つ葉かアスパラガスかシシトウといったところが定番だろう。私がこれまでに他所でヨモギの天婦羅を食したのは、山梨県は塩山市、あの快川和尚で有名な恵林寺の御門前にあるお店で山菜てんぷら蕎麦を食べたときのたった一度きりである。

 ヨモギを語るときにどうしても避けて通れぬのが灸(やいと)である。

 ヨモギは漢方では艾葉(ガイヨウ)と呼ぶ。止血、収斂、つまり血管の収縮を促すという効能である。吐瀉薬や腹痛、子宮出血などにも用いられる。乾燥した葉を突き砕き、葉身部を除いた腺毛、毛などの塊が艾(もぐさ)で灸(やいと)に用いる。

 物事の始まりを皮切りというが語源は最初にすえる灸のことである。子供の頃によく両親の背中へ灸をすえたものだ。皮切りは熱く、灸の痕は火ぶくれになるが、そのうち瘡蓋になり、むず痒くなるそうだ。そうだというのはいかにも無責任だが、私はいまだにお灸というものをすえたことがないので解からないのである。

 安倍川の西岸に手越という集落がある。古くから東海道の宿駅であるが夙に手越の遊女として名高いのである。うら若き遊び女が増水で安倍川を越せぬ旅人の無聊を慰めたということなのだろう。その手越に高林寺と東林寺という二つの名刹がある。両寺は灸所として有名である。高林寺は東海道に面してわかりやすい場所だから当地を通行のみぎりは立ち寄られるとよいだろう。

 蛇足を承知でもう一つ書いておく。

 子供の頃、ちょっとした切り傷や虫刺されなんぞには、ヨモギの葉をよく揉んで当てたものである。数年前に泊まった民宿の薬草風呂がヨモギの匂いだったので湯に浸してあった袋をこっそり開いてみた。袋の中身はヨモギやゲンノショウコなど身近にある数種類の薬草であったが、あの厄介な痔にもヨモギの煎じ汁で腰湯をすると効果があるそうだ。

 食べて美味しく、灸にして疲労を癒し、薬草としての効能もある。まさにヨモギさまさまである。

 ヨモギを天婦羅に揚げると美味い。この一言を云うために随分と能書きを並べたものである。

蛇足その二はひな祭りの菱餅についてである。


赤い餅は先祖を尊び、厄を祓い、解毒作用のある山梔子の実で赤味をつけ健康を祝うためであり桃の花をあらわしている。白い餅は菱の実を入れ、血圧低下の効果をえて、清浄を表し、残雪を模している。緑の草餅は初めは母子草(ハハコグサ)の草餅であったが『母子草をつく』と連想され代わりに増血効果がある蓬を使った。春先に芽吹く蓬の新芽によって穢れを祓い、萌える若草を喩えた。
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芹摘んで 七種粥を 賑やかす

2016年01月09日 14時26分17秒 | グルメ
 芹(せり)はいわずと知れた「春の七草」の一つである。 春の七草とは、正月七日に粥に炊いて食べ、一年中の邪気をはらうという七種類の若菜のことである。



 七種粥の歴史は古く、「若菜の節」或いは「七草の節句」と呼ばれる年中行事で五節句の一つである。五節句とは、正月七日の人日、三月三日の上巳、五月五日の端午、七月七日の七夕、九月九日の重陽をいう。

 春の七草は次の歌を暗唱すると憶えやすい。「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ・これぞななくさ」これを五・七・五・七・七の調子で四、五回も口ずさめば間違いなく憶えることができよう。

 因みに、七草の植物学的な分類は以下のとおりである。7種のうちの3種がアブラナ科(キャベツや白菜の類)、2種がキク科(春菊やレタスの類)、セリ科(セロリ・パセリの類)、ナデシコ科(カーネーションやカスミソウの類)それぞれ1種である。



せり(芹)・・・・・・・・・・・・・しろねぐさ(白根草・・・・・・・・・・・・セリ科。
なずな(薺)・・・・・・・・・・・ぺんぺん草・・・・・・・・・・・・アブラナ科。
ごぎょう(御形)・・・・・・・・・ははこぐさ(母子草)・・・・・・・・・キク科。
はこべら(繁縷)・・・・・・・・こはこべ(小繁縷)・・・・・・・ナデシコ科。
ほとけのざ(仏の座)・・・こおにたびらこ(小鬼田平子)・・・・キク科。
すずな(菘)・・・・・・・・・・かぶ(蕪)・・・・・・・・・・・・・・・アブラナ科。
すずしろ(蘿蔔)・・・・・・・だいこん(大根)・・・・・・・・・・アブラナ科。

≪注≫「仏の座」は、シソ科のホトケノザとは別のもので「ホトケノザ」という名は、ロゼット葉の姿からつけられたものと思われる。すずな、すずしろに関しては異論もあり、辺見 金三郎は‘食べられる野草(保育社)’の中で‘すずな’はノビル、‘すずしろ’はヨメナとしている。

 早春の田圃の畦や水辺で芹を摘むことは昔の人も好んだらしい。芹特有の香気が春の訪れを一層強く感じさせるようである。芹の中でも特に珍重されるのが所謂、寒芹である。寒中の陽だまりなどに生えている芹で香気も一段と強い。

 用水路のコンクリート化や除草剤の散布などに因り昔に比べて田圃の畦の芹も減った。しかし、減反政策という愚策の結果、無造作に放置された田圃一面に芹が生えているといった光景にも稀には遭遇する。

 ここ数年、私が芹を採る場所もそうした田圃の跡である。長期間にわたり放置されているため、無惨にも蒲などが蔓延っているが、その枯れた蒲の間から芹を採るのである。

 芹には、ビタミンA・B・Cが豊富に含まれており栄養価も高いので所謂「野菜」としても優秀な食品である。

 芹は胡麻和えやお浸し、鍋物の添え野菜にするのが普通であるが、特に秋田の郷土料理きりたんぽ鍋や山形の納豆汁には欠かせない一品である。

 芭蕉の句にもある芹飯は、出汁と醤油で味をつけて炊き上げた飯に、軽く茹でてアクを抜いた芹を手ごろに刻んで混ぜたものらしい。

 土筆飯は俳句の先輩のお宅でご馳走になった。大変残念なことだが芹飯は未だ食したことがないのである。

◆余所行きの靴を汚して田芹摘む  白兎


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