日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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静岡の浅間神社に七不思議

2022年05月25日 13時57分55秒 | 日記


神部神社・浅間神社(二社同殿)及び大歳御祖神社の三社を総称して、静岡浅間神社(通称おせんげんさま)という。

神部神社は第十代崇神天皇の御代、約2100年前に駿河開拓の祖神・駿河の国魂の大神として鎮座され、延喜式内社であり、平安時代には駿河国総社となる。『国内神名帳』には美和明神と記され、『類聚国史』に従一位と記載されており、この地方最古の神社である。

浅間神社は延喜元年(901)、醍醐天皇の勅願により富士山本宮より分祀され、爾来富士新宮として国司の尊崇を受ける。

大歳御祖神社は応神天皇4年(273)今から1700年ほど前に、古代この地方の物流の拠点、商業の中心地であった「安倍の市」の守護神として創祀され、延喜式内社であり、『国内神名帳』に正二位奈古屋明神と記され、静岡市の地主神である。 
三社とも朝廷をはじめ国司・武将等の崇敬すこぶる篤く、駿河国総社・静岡の総氏神さま、駿河の大社として広く信仰されている。

御本社神部神社・浅間神社・大歳御祖神社のほかに境内には、麓山神社・八千戈神社・少彦名神社・玉鉾神社の四境内社が鎮座している。

この浅間さんには七不思議と言われる言い伝えがある。一つ石、叶馬(かなえうま)、水のみ龍、鳴きうずら、八方にらみの龍、山上の不思議、四方走りの馬が七不思議です。
(1)一の石の不思議
ひょうたん池は、ひょうたんの形に似ているから「ひょうたん池」と呼ばれるようになりました。そのひょうたん池の水を疣(いぼ)につけると、疣が取れるといわれている。疣が取れたら蜆(しじみ)をお供えする。
(2)鳴きうずらの不思議
‟粟穂にうずら”と言う彫刻が、とても生き生きしていることから、そのうずらが夜鳴いたと言われている。これは、本殿に飾られているが、そこにはなかなか入れない。
(3)四方走りの馬の不思議
馬を描いた絵(絵馬)から毎晩抜け出してそこらじゅうを駆け回って田畑を荒らすので、一筆加えてつないでしまったと伝えられています。その絵馬は今、静岡市文化財資料館にあります。
(4)八方睨みの龍の不思議
これは絵で、どこから見ても自分がにらまれているようにみえる。畳六畳ぐらいの大きさで、狩野榮信と言う人が墨で描いた絵。もう一匹四方睨みの龍がいます。
(5)叶え馬の不思議
ここには、昔は2頭いました。しかし、安永の火事よって三保の神社に逃げて、一頭は帰ってきて、もう一頭はそのまま、三保の神社に残っています。石鳥居から入った入り口のすぐ近くにあります。
(6)水のみ龍の不思議
この龍の彫刻は、安永の火事のとき池の水をたくさん口に貯えて、消火を手伝ったと言われている。
(7)山の上の不思議(鳴き石)
石の手前のところを叩くように踏むと鎧のような音がするのだが、今は、どこにあるかが分からない。百段階段をのぼって、麓山神社へいく道のどこかにあるはずだ。
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珙桐の花は悲恋の果てに咲く

2022年05月22日 13時37分01秒 | 日記


珙桐の花は悲恋の果てに咲く  白兎

はんかちのはなはひれんのはてにさく

ハンカチの花(はんかちのはな)は初夏の季語。
ハンカチノキ科の落葉高木。中国の固有種で、珙桐(コントン)とよぶ。一属一種。葉は広卵形で、互生する。5~6月に2枚の大きな白い苞をもつ球形の頭状花をつける。中国の四川省・雲南省付近原産。属名のダビディアで呼ばれることも多い。花についた白い大きな2枚の苞葉が垂れ下がりよく目立つため、日本では「ハンカチの木」や「幽霊の木」「鳩の木」などと呼ばれる。
昔、皇帝の一人娘は農村の青年珙桐と恋仲になった。しかし、青年は、このことを知った皇帝に殺され、樹になる。そして、樹に取りすがって泣いた姫の魂が花になったという、伝説がある。中国名の“コントン”は、その青年の名前だ。
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粥占の穀霊波に乗りて寄す 

2022年02月19日 10時47分14秒 | 日記

粥占の穀霊波に乗りて寄す   白兎

かゆうらのこくれいなみにのりてよす

粥占(かゆうら)は新年の季語。子季語に、粥試、粥占祭、粥占神祭、管粥、筒粥。
御穂神社の筒粥祭(つつかゆさい)は、2月14日夜から15日にかけて行われる豊作祈願の祭。祭事としては、まず拝殿前に大釜を据えて粥を煮る準備をする。夜半に神迎えのための行列が厳かに松林の道(神の道)を進んで、暗闇の海岸に出、波打ち際に設けられた祭壇に祝詞(のりと)、玉串を奉じて波の彼方から寄り来る神を迎える。そして、海水で浄められた洗米(せんまい)を神社に持ちかえり、境内斎庭(けいだいゆには)に設けられた湯釜で炊く。しばらくして紐でくくり束ねられた小さな竹筒100本余りを竿竹に吊るし、これを釜の中へ。引き上げた竹筒の中にどのくらい入っているのかが占いのポイントになる。

御穂神社(みほじんじゃ)は、静岡県静岡市清水区三保にある神社。式内社、駿河国三宮で、旧社格は県社。祭神は大己貴命と三穂津姫命の二柱。
大己貴命(おおあなむちのみこと)は、大国主神(おおくにぬしのかみ)とも言い『古事記』、『日本書紀』の異伝や『新撰姓氏録』によると、須佐之男命(すさのおのみこと)の六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。父は天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)、母は刺国若比売(さしくにわかひめ)。また『日本書紀』正伝によると素戔鳴尊(すさのおのみこと)の息子。日本国を創った神とされている。
須佐之男命の娘である須勢理毘売命(すせりびめのみこと)との婚姻の後に少名毘古那神と協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、大物主神(おおものぬしかみ)を祀ることによって葦原中国(あしはらのなかつくに)の国作りを完成させる。
『古事記』によれば、少名毘古那は、大国主の国造りに際し、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)に乗り、鵝(ヒムシ)の皮の着物を着て波の彼方より来訪し、神産巣日神の命によって義兄弟の関係となって国造りに参加した。『日本書紀』にもこれと同様の記述があるが、ミソサザイの皮の着物を着ている。
三穂津姫命(みほつひめのみこと)は、大国主命(大物主命)の后神として高天原から稲穂を持って降り、稲作を中津国に広めたと謂われる。后という漢字は正妻の意味。
大国主命の正妻といえば須世理姫神を思い浮かべるが、三穂津姫神は国譲り後、中津国の姫神が正妻であるのは信用ならぬと、国譲りの証と誓いの一つとして高天原より降ったという謂われもある。多くの妻を持った大国主大神の最期の妻であり、天津神と国津神を繋ぎ結んだ姫神である。
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ロゼーテの シマサルナシに 絆される

2022年01月10日 16時48分53秒 | グルメ
 私が敬愛する友人の一人にロゼーテさんがいる。彼女の著作や私の俳句がきっかけのご縁だがもう10年以上も心温まる交流が続いている。遠方にお住まいの方なので電話やメールでのやり取りは頻繁にしているがいまだ直接にお会いしたことはない。

 最近、居住地付近に生育するシマサルナシを送ってくださったので簡単ではあるがここに紹介しておく。

 シマサルナシ(島猿梨)は、琉球列島から九州、四国、紀伊半島南部の沿岸部に分布する亜熱帯性のマタタビ科のつる性植物。キウイの仲間で、果実は栄養価が高く、収穫後に追熟すると糖度は一五度に達する。樹上では実が固いままのため、獣害の恐れが少ない。

 樹皮は暗褐色で、茎が他物に巻きついて生育する。葉は厚い紙質でやや硬く、表面は光沢がある。葉は先端の尖った心形~卵形で、鋸歯がまばらにあり、互生する。5月頃、葉腋から集散花序を出し、1~8個の5花弁を咲かせる。花弁は白色で、基部付近は淡紅色を帯びる。果実は緑褐色~褐色の広楕円形で、果実の表面には褐色の斑点があり、小さいキウイフルーツのようで、11月頃に熟す。

 今から二千二百年前に秦の始皇帝の命を受け、不老不死の薬を求めて日本を訪れたとされる徐福が探していた仙薬の一つは、熊野市などに自生するキウイに似た果実「シマサルナシ」だったとする説を提唱する研究者もいる。和歌山県紀南果樹研究室の田中一久室長(当時)である。田中室長は、山口県上関町の祝島で徐福の不老長寿の薬と伝えられる「ナシカズラ」が、シマサルナシとよく似ていることを知り、文献で調べたところ、同一種であることを確認した。

 写真のシマサルナシを早速に食してみたが、樹上で既に完熟状態になっており、皮は簡単にむけるし、甘味も十分にある。大きさこそ市販のキウイフルーツには劣るものの食味は遜色ないのである。

 シマサルナシは挿し木などで簡単に殖やせるというし、沿岸性だそうであるから、耕作放棄地などで栽培し、徐福の仙薬として商品化したら案外ビジネスになるのかもしれない。

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御田打や福の種播く福太郎   白兎

2022年01月07日 10時44分31秒 | 日記


御田打や福の種播く福太郎   白兎
おたうちやふくのたねまくふくたろう
三島御田打祭は新年の季語。子季語に、御田打(おたうち)、御田祭(おんたまつり)、三島祭。
正月七日に静岡県・三島大社で行われる豊年を予祝する田遊びの神事。農耕の過程を演じて豊作を祈念した。昔は参詣する人々もさまざまな服装に仮面をつけた仮装で市中を踊り歩き、たいへんな賑わいをみせたという。静岡県無形民俗文化財に指定されている「お田打ち神事」の起源は古く、平安時代ともされ、鎌倉時代になると盛んに行われたと考えられています。その後、室町時代には狂言形式の芸能として調えられたと考えられます。


白いお面を付けた舅の穂長(ほなが)がその年の恵方から登場し、黒いお面を付けた婿の福太郎とともに、苗代所の選定から種まき、鳥追いまでの稲作行事を狂言風に演じます。当日は、神事に続いて、紅白の小餅や種もみがまかれ、これらと共に「福」を授かろうと、大勢の参拝者でにぎわいます。画像出典:三島大社。
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秣場も住めば都ぞ桜鍋     白兎

2021年12月30日 08時04分41秒 | 日記
秣場も住めば都ぞ桜鍋     白兎

まぐさばもすめばみやこぞさくらなべ
桜鍋(さくらなべ)は三冬の季語。子季語に、馬肉鋤、馬肉鍋、けとばし。
馬肉の鍋料理。味噌仕立てで、葱、牛蒡、蒟蒻などを添えて煮ながら食す。身体が温まる鍋料理の一つ。「咲いた桜になぜ駒つなぐ駒が勇めば花が散る」という坂本龍馬の端唄から桜は馬の隠語となっている。けとばしは馬肉の愛称。私が居住している静岡市葵区桜町は、もともと府中宿伝馬町の伝馬の飼葉を刈る草地で伝馬町新田と呼ばれていた。地名が正式に桜町になったのは平成元年である。
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正月に 餅を搗かない 村もある

2021年10月07日 13時32分55秒 | 日記
松野城跡

所在  静岡県静岡市葵区松野別所平

歴史  『駿河記』に松野城の記述として「城山、別所の辺なり」とあり、城主として別所・ほつ川・川島の三氏の名を挙げているが、三氏の動向は不明である。
また、この松野城は安倍城の支城として機能していたとされるが、これもまた不明である。
写真の■川氏之碑の読めない字は「渤川・ぼっかわ」と読むそうです。

静岡市葵区松野の「別所平」という丘陵上には、古来、「松野城」という城郭が伝承されていた。

『駿河記』に、「城山別所の辺なり。里人云、むかし別所殿、川島殿、ボッカア殿とて三人の武士居城の地なり。ぼっかおとは里人の訛言にて誤りあるべし。武人の伝絶えて事蹟時代末詳」とある。

さらに、『駿国雑志』・『安倍郡美和村誌』等に「武田家領国の時、滅亡するものか、詳ならず」とあることは、どうも永禄12年(1569)、武田信玄の駿河侵攻に際して討たれたのか、また本地を離れたのか、安否を気遣った村人たちは正月に餅を搗くことなく食べないという習慣が現在もあるという。( 静岡古城研究会 水野茂氏の記述より原文のまま転用)

『駿河記』は文政3(1820)年に島田の桑原藤泰(黙斎)によって完成された地誌です。詳細な実地調査を繰り返し、丹念に考証して駿河全郡を記した地誌として位置づけられています。


渤川氏で検索したらこんな記事に当たりました。
執筆者:竹折直吉
書名・誌名:静岡県史 資料編24 民俗2
話者(引用文献):望月藤一(M40生)
要約:静岡市松野では「セッキの餅はヒゴトに祟る」といい、セッキ(正月)に餅をつくと祟りで火が出る、といってつかない。ついて大火が出たことがある。昔、この地を支配していたボッカーさん(渤川氏)が桶狭間の戦いに出陣する際、万一帰らなかったら無念を晴らすために正月の餅はつかないように、と言い残した。ボッカーさんは桶狭間で戦死したため、その供養で餅はつかない。
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橡の実や円爾の郷に龍珠院

2021年10月05日 11時01分59秒 | 日記


橡の実や円爾の郷に龍珠院     白兎

とちのみやゑんにのさとにりゆうしゆいん

橡の実(とちのみ)は晩秋の季語。子季語に、栃の実。
栃の木の実。丸く厚い三裂する殻の中に栗に似た種がある。縄文時代から食用にしてきた。丹念にあく抜きする必要がある。今も栃餅や栃の実煎餅などにして食す。静岡市葵区栃沢は聖一国師円爾の生誕地。安倍川水系には、栃の平(大間)、栃木(長熊)、栃原(奥仙俣)、トチ平(黒俣)、栃沢(大川)、トチン沢(大原)など栃に関る地名が多い。画像出典:「自然風の自然風だより」
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桐一葉落ちて豊家は滅亡す

2021年08月19日 17時02分38秒 | 日記
桐一葉落ちて豊家は滅亡す   白兎
きりひとはおちてほうけはめつばうす
桐一葉は初秋の季語。子季語に、ひとは、一葉、一葉落つ、桐の葉落つ、桐散る、一葉の秋、桐の秋。
秋に桐の葉が落ちること。桐一葉、あるいは一葉という。本来の桐はアオギリ科の悟桐を指すがゴマノハグサ科の桐を含めて「桐」と称されている。
「桐一葉落ちて天下の秋を知る」は、「淮南子・説山訓」に「一葉の落つるを見て、歳のまさに暮れなんとするを知る」を出典とするが、この句は、豊臣政権の五奉行の一人だった片桐且元が、淀君の不興を買い、解任された時、詠んだ句と言われている。桐とは豊臣家の紋所を指す。“桐一葉落ちて天下の秋を知る”自らの人生を桐の紋所にかけた片桐且元の絶望の深さが伝わってくる句である。

臨済宗妙心寺派の大鑪山誓願寺は、源頼朝公が両親の菩提を弔うために建立した寺院である。その後、戦国初期の「花倉の乱」によって焼失し、武田信玄公が臣下の穴山梅雪に命じて、臨済宗の寺院として再建した。

境内には、京都方広寺大仏殿の「国家安康 君臣豊楽」鐘銘事件で責任をとってこの地で自刃したと言われる、片桐且元公夫妻の墓が仲良く並んであります。5月~7月には、中庭にある古池で絶滅が危惧されている静岡県の天然記念物「モリアオガエル」が産卵する生息地としても有名です。
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トンネルと呼ぶに些か疑問あり

2021年08月06日 12時44分28秒 | 日記
地名駅(じなえき)は、静岡県榛原郡川根本町地名にある、大井川鐵道大井川本線の駅である。島式ホーム1面2線をもつ、列車同士のすれ違いが可能な地上駅である。駅自体は無人だが、駅向かいのタバコ屋で乗車券を販売している簡易委託駅となっている。

2007年度の1日平均乗車人員は27人(静岡県統計年鑑による)。

駅北側(千頭駅側)には全長約7mの非常に短いトンネル(状の構造物、シュラウド)がある。川根電力索道用保安隧道と呼ばれている。
線路上をまたいでいた貨物索道から線路を保護するために建設されたが、現在その索道は廃止され、トンネル部分のみが残存する格好になっている。駅構内には、「日本一短いトンネル?」と称してこのトンネルの案内看板が立っている。駅南側(金谷駅側)にも索道からの落下物から保護するためのトンネルがあったが、こちら側は天井部分が切り崩され、側面の擁壁だけ残存している。

「日本一短いトンネル」は、JR東日本吾妻線に存在した、全長約7.2mの樽沢トンネルで、こちらも日本一短いトンネルと呼ばれることがある。
樽沢トンネルは、東日本旅客鉄道(JR東日本)吾妻線の岩島駅~川原湯温泉駅間の旧線上に存在するトンネルである。山の出っ張りを掘り抜いたもので、全長約7.2mの日本一短い鉄道トンネルとされていた。トンネルを含む廃線跡は、2020年(令和2年)7月中旬より「吾妻峡レールバイクアガッタン」のコースとして、足漕ぎ式トロッコが通過するアトラクション施設として利用されている。群馬県吾妻郡東吾妻町の吾妻渓谷と並行した位置にある。

川根電力索道(志太電力索道)とは、
正式社名 川根電力索道株式會社
本社 静岡縣志太郡藤枝町鬼岩寺177番地
創業当時の社長   笹野甚四郎氏。
昭和5年当時の社長 彭木(サカキ)嘉津馬氏。
昭和8年当時の社長 八木乙吉氏。
運転開始日 大正14年8月 区間は瀧澤(瀬戸谷)〜中平停車驛。
中平〜地名は大正15年開通。
地名から澤間間は昭和5年に開通。

大まかに言えば藤枝地方から千頭方面まで大井川流域の荷物運搬及び堰堤、‪發電‬所建設資材運搬、大井川鉄道建設資材運搬の為に建設された索道施設である。鉄道が開通後、列車の貨物扱いによる荷受減少により、昭和14年に廃止。因みに、川根電力索道は、物資運搬の貨物索道としては全国で最長を誇る整備であった。

閑話休題。

本文中にも「トンネル状の構造物、シュラウド」とあるが、シュラウド(英: shroud)とは、直訳では覆うもの、幕、という意味になる。
一方、隧道とは、① トンネル。② 棺を埋めるために、地中を掘り下げて墓穴へ通じる道。はかみち。であり、「隧」は、 ①みち。はか穴へのみち。 ②地中をくりぬいた道。トンネル。という意味の漢字である。
故に「シュラウド」と「トンネル」とは明らかに違うものである。写真でも解るようにほぼ平坦な茶畑の中にトンネルは不要である。
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