シネマトリックス

面白かった映画、つまらなかった映画、見なかった映画は空想で・・今はたまののんびり更新です。

松山君の口の形が好き!

2008-02-03 21:44:41 | Weblog
先日テレビ放映の「デス・ノート前編」を鑑賞。

この前編はすでに一度テレビ放映時に見ているのだが、今回も見ちゃいました。

映画の作りは子供から若い方向けですね、再見した理由はたった1点だけ・・探偵Lを演じた松山ケンイチ見たさです。

あまり天才に見えないところが、いささか残念ではあるが、お菓子ばかりを食べる特異なキャラをそれなりに見せてくれています。

ただ、松山君を好きと思えるのは、本作のみであって、他の作品での彼には今のところ、あまり興味がわきません。

たぶんLという役と松山君の発信するものの融合が好きなんだろね。
(顔で言うと、あの引っ張りたくなるようなアヒル唇が好きです)

来週は後編、見なきゃ。


さて、お話かわって・・

最近感じたことを一発

世の中には「先生」と呼ばれる人がいる。

私は、仕事で、ある種の業界で「先生」と呼ばれる人々にコンタクトをとることがある。

こちらは「お願いする・依頼する」サイドであり

先方は「お願いされる・依頼される」サイドになるわけで・・

本をお出しになっている方などもいますよ。

それなりにファンのある方もいます。

でも、会ってみて感じるのは「本だけで知っていたほうがよかったな」ってこと。

わかりやすい比率で言いたいので、そういった人々10人に会ったとしましょうか。

そのうち8人は「人間的な魅力なし」でした。

ファンの方は実物に接しないほうがいいよねと思いました。

なぜでしょ~~

まずは「先生!」とか「すごい!」とか感謝されちゃったりすると人って勘違いをおこすってこと。

自分をすごいと思い始めたら、人間おしまいです。

落とし穴にドボンです。

最初はあまり深い穴ではないかもしれません。
「お!」と気づけば穴から出てきて、自分のアホさに「ワッハッハ~~」と頭をボリボリかいて再出発可能です。

でも、浅い穴のうちに気づかず、ますます「すげ~~~」と自己評価を釣り上げると戻ってくるのは難しいのよね。

本でもって素晴らしいことを書くのは(ここでいう本とは「小説」ではなく「生き方を説いている今はやりの本」の類です)実際の人格とは違うってことです。

本は本で役に立っているのでしょうから、否定はしません。
でも「素晴らしい本を書く著者=素晴らしい人格者」ではないってことなんだね~~

でも、逆なケースもありますよね。

目立たないし、肩書きなど必要としないけど、非常に肝が大きくて、優しくて、影響力の大きい人。少ないけれど、こういう方も確実に存在してて、会うとうれしい気持ちになれます。

「先生」って言われたら、そこは地獄の1丁目と思ったほうが良さそうだ。

先生たちに接して、そんなことを感じるこのごろである。