2日目、「白砂青松百選」に選ばれた神割崎へ立ち寄りました。
波の浸食によって、2つに割れ、荒波が流れ込む。
間から朝日が昇るときが年2回。
2つの村の争いを沈めたという伝説のある場所。
2011年の大地震で、地盤沈下があったけれど、
景観は変わらなかったようです。
タブの大木がありました。
今回1番考えさせられる大惨事になった、石巻市の大川小学校
私たちの前に、大型バス2台で、訪れていた人たちがいました。
地震から津波が押し寄せるまでに、1時間弱もの時間がありながら
避難に失敗し、74名の児童と、10名の先生が犠牲になったという。
語り部の人はつらいだろうが、実際起こったことを伝えなければと、
時には言葉を詰まらせていた。
今まで、津波を想定した訓練をしてこなかったようだ。
海抜は1.1m、海から4キロ近く奥にあるが、
今回は新北川を4キロも遡上した津波が、飲み込んでしまったようです。
悪いのは誰というより、今後に生かすためには、
真実と学校側の責任は、十分検証しなければいけないでしょう。
裏山から見た旧大川小学校
皆さん重苦しいきぶんとなり、口数が少なくなりました
その後、生まれ変わった女川駅を中心とした、街づくりの様子を
体感しました。
女川駅 裏側
石巻の市内移動してきました。
右手に、保存の決まった門川小学校
海の景色を求めて「ラメール」という喫茶店
東京から(?)脱サラして開き、すぐに津波の被害にあい
その後、再び開店にこぎつけたご夫婦を訪ねる。
海は堤防で見えなくなっている。
その後最後の見学場所、名取市閖上地区へ。
犠牲になった人(944名)のお名前が、刻まれている
まだ宮城県内で、1223名(2017・3・1現在)の行方不明者がいて
避難者が9133名に及ぶという実態
まだまだ道のりは遠い。
福島の原発を遠くに見ながら、往復で1200キロほどのツアーでした。