雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

お・ま・じ・な・い・☆

2014-04-12 00:15:40 | 不思議...パワスポ寺社
「呪」と書いて「まじない」
または「しゅ」「じゅ」とも読みます。
「ノロ(い)」は個人的に好まない読みかたなのでココでは使いませんが、
どの読み方を使うにせよ、それは少々影のある、
オドロオドロしい印象を持つ言葉として捉えている人が多いかも知れません。

前回記した「桜咲く出雲」や、
それに連なり、昨年末に記した「8を巡る旅」など。
これらの記事に今回もう少しだけ興味深い!?物語を加えるとして、
それが、この「呪=しゅ」の話しということになります。

二つの記事を読んでくれた方は、もうよく分かっているとは思いますが。
出雲の地というのは、僕からすると、それはもうアチコチで、
かなり沢山の「呪」が掛けられている地のように感じられています。
そして、その「呪」というものは何も「オドロオドロしい」とか、
「恐い」とか、そういったものではなく。
しかし遠い世界にあって自分とはマッタク関係ない......というような話しでもなく。
ソレはかなり身近にあって。日々触れてもいて。
そして、それでもその響きが「恐い!」ということであれば、実はソレは、
「呪」というものをちゃんと理解していないから!?かもしれません。
そんな感じのことが今回書き加えたくなったお話し。



「夢枕獏=ゆめまくらばく」原作、
作画「岡野玲子」で描かれ大ヒットした漫画「陰陽師=おんみょうじ」
個人的な作品の印象としては、漫画というより

「吹き出しセリフ付き!平安イラスト集」

といった趣(おもむき)。
歴史物語の古書「大鏡」や「今昔物語集」「宇治拾遺物語」「十訓抄」などで語り継がれ、
平安の昔から現代に至るまで陰陽師界に君臨し続けている伝説のスーパースター
安倍晴明(あべのせいめい)」の超人的な活躍と逸話を、
美しく雅(みやび)な作風で描いた個性的な作品。

古代朝廷を何世代にも渡り陰で支え続けていた陰陽師のチーム。
そのスター選手であった晴明は勿論のこと、
彼等が代々に渡って編み出し、用い、受け継いで来た技や「呪」といったものが、
出雲の神々にも「術」として色々と仕掛けられていた......
なんていう可能性は十分にあると思います。

コミックス「陰陽師」の第一巻。
冒頭の話の中で、長旅から自宅に帰って来たばかりの主人公「晴明」と、
そこにフラリと訪ねて来た、皇族でもあり、
音楽に秀でた親友「源博雅(みなもとのひろまさ)」との間で交わされる、
とても印象的な会話があります。
それは、この後ヒットしていくこの漫画作品全編にかかっていく、
とても大事な会話......



「なあ博雅......この世で一番短い呪(しゅ)とはなんだろうな」

「この世で一番短い呪......?
......しかし何で俺が考える?おまえが教えるべきじゃないか?」

「さっき言ってやったろう。名だよ」

「おまえの晴明とか?俺の博雅とかの名か?」

「そう。山とか海とか樹とか草とかそういう名も呪の一つだ。
呪とはようするにものを縛ることよ。
ものの根本的な在様を縛るというのは名だぞ。
たとえばおぬしは博雅という呪を、
おれは晴明という呪をかけられている人ということになる。
この世に名づけられぬものがあるとすれば、それは何でも無いということだ。
存在しないとも言える」

「難しいな。
おれに名がなければ、おれという人はこの世にいないということになるのか?」

「いや、おまえはいるさ。博雅がいなくなるのだ」

「だが博雅はおれだぞ。博雅がいなくなればおれもいなくなるだろう?」

「......」



物語中、ここで晴明はちょっと口を閉じます。
タブンこの描写は、
この時、晴明がこんなふうに思っているということを表していると思われます......



―――――その言葉や状態こそが「呪」にかかっている状態なのだ......



そして二人の興味深い話しはもう少し続きます。



「眼に見えぬものさえ名という呪で縛ることが出来る。
男が女を愛おしいと想う。女が男を愛おしいと想うその気持ちに名を付ければ恋」

「ほほう。。
しかし恋と名をつけぬでもでも男は女を、女は男を愛おしいと想うだろう」

「あたりまえだ。それとこれとは別のことだ」

「なおわからぬ」

「庭に藤があるだろう。おれはあれに “みつむし” という名をつけた」

「みつむし?また、かゆくなる名だな」

「呪をかけたということだよ」

「それで?」

「けなげにもおれの帰るのを待っていた。花がまだ咲き残っている......」



―――――晴明は、実のところ、こう言ったのでしょう......



「名を付けて可愛がっていなければ、
留守中に咲いた花は、
時期的にも自分が帰った時には全て散っていたはずだ……」



と。



ソコに線を引けば、人はその上を歩き。
ロープを張れば、人はソコから中に入ろうとしない。
同じ料理でも、器が変われば人は違う味にも感じてしまう。
そんな本能と知能との微細なる狭間を「術」として見つけ出し、突いてもいく……
現代で言えば「脳科学」のようなマジックを使うのが陰陽師。
そこに天文、地理、物理、数理に森羅万象...... などの学問の知見と、
不可思議な「霊感」迄もが加わったような人物が居たのだとしたら、
それはもう……
相当にヤバい!人であったハズで......



出雲大社の主祭神であり、レディース向けの!?
「縁結びキャンペーン」
の由縁ともなっている大国主命(オオクニヌシノミコト)さんは、
出雲大社の本殿においては、通常の神社とは違い、
本殿中央に、参拝者と向かい合う位置に祀られているというワケではありません。
これは有名な話しではありますが、
大国主さんが座している場所は、実は、本殿向かって右隅の方。
右側の壁を背にして座を設けられて祀られています。
しかも「8を巡る旅 2」で載せた、
本殿上部からの見取り図を見て頂ければよく分かる様に、
その座の位置には参拝者を遮(さえぎ)る形となる「仕切り壁」も何故か?
造られています。
ソコに大国主様が座ると、そのお顔は、
参拝者から見ると左ホホを向ける横顔という形にもなり、
決して正対することは無く、
その上壁で見切られ参拝者の顔も声も大国主さんには届きづらくなってしまいます。



これも「呪=しゅ」です。
「術=じゅつ」です。
大国主さんに参拝者の声や力が届きにくくなるように
仕掛けられている呪術(じゅじゅつ)。
言い方を変えると、多くの人々のエルギーが大国主さんに加わっていかないよう、
配慮をしている呪術かもしれない!?
ということです。



大国主さんに「縁結び♡の声」を届けるには、
この大社に仕掛けられた「呪」を少々ひも解かねばならないのです......
晴明ばりに。( ̄+ー ̄)ニヤリ



そんな呪を「ひも解く」動きとしてはこうでしょうか......
拝殿でキチンと挨拶をすませたら、本殿を囲む塀を左にぐるりと回り込みます。
すると、ちょうど本殿左側の対面となる辺りの塀に、
気の利いた優しい神主さんが用意してくれたのであろう!?
小さな「机」がおかれています。
何故か?ヒッソリと......
殆どの人はソコをすすすーーーっと、通り過ぎていっていると思いますが、
しかしその場所こそが!
何を隠そう、拝殿に横を向いて座られている大国主さんの「真正面」の場所!
ということになります。
不思議ちゃんなら!?
コノ辺りでなんとも強いエネルギーなどを感じられる?かもしれません。
ここで改めて誠実に参拝やお祈りなどをすれば、
大国主さんにトテモよく届くと思われます。
拍手も出雲の聖数である8回!?鳴らしたりなんかして......
それわチト目立ち過ぎ!?か......な。

そして改めて、
通常の拝殿の賽銭箱の前で参拝している人が正対している神様や社(やしろ)とは何か?
ということを考えてみると、実はコレも前回記事で少し記した社のことであって。
境内最奥の場所で、背後の神体山の懐にヒッソリと佇んでいる
「素鵞社=ソガノヤシロ」
ということになります。
その社の祭神は勿論!の「スサノオ」大王様。
なので、通常の参拝においては、
参拝者はスサノオさんに向かってお願い事をしている!?
という図式になっていたりもするのです。
となると、スサノオさんが縁結びの神様なのか!?
優しいのか!?
どうか......は、ちと、わかりませんが。ええ。ええ。

さらに言えば、大国主さんの「名前」にしてもそうです。
古来より彼には沢山の名前が、誰ともなしに付けられて来ました。
オオナムジ、ヤチホコ、オオアナムジ、アシハラノシコオ......

それらは皆「呪」です。

大国主さんが自分の本当の名前が分からなくなる様に、
皆から色々な名前で呼ばせることにして。

「アレ!?自分ってホントはどんな名前だったっけ。。」
「俺ってどんなことしてたヤツだったっけ。。」

などと混乱してしまう様に仕掛けられた呪です。
「シコオ=醜男」「オオアナ=大穴」なんて名前など......
まったく、酷いのでございまふ。もう。まったく。。(´。` ) =3

同様に、前回も少し触れた、
出雲一格式の高い宮である「熊野大社」にしてもそうです。
本殿よりヤバい!凄い力がみなぎる社(やしろ)というのは、
意外にも中央の拝殿ではなく、
境内左隅の方に小さく、ヒッソリと佇んでいたりするのです。
小さいですが本当に凄い力を感じる社なので、
僕ちんの様な小人間では、その社のすぐ隣にある、
なんとも雰囲気のある取水場の写真を載せるのが精一杯のような感じでして......



この水場のすぐ横に「荒神社」という、
スッゲー!!(@_@)社があるのでございます。
僕にはコチラこそが熊野大社の心臓!
のようにも感じられたりするのですが……
とにかく水が!も!強い!という社(やしろ)。
社の周りには沢山の小さな祠や牛さんの石像までもが並べられていたりしますが、
なんとなく......
この社さんにも「呪」......が仕掛けられているようにも思うのです......



誰かに
「君はこんなヤツだね......」
などと言ったら、それは晴明の言う所の「呪=しゅ」となります。
その人に「呪」をかけてしまうことになるのです。

可愛い子供に
「おまえはマッタクダメ。無理だ。諦めろ」
などと言ったら、それも呪になります。

ましてや、自分で自分自身を
「おれってこんなヤツだな、、」
「おれってダメなヤツだ」
「最低なヤツだ」
「役立たずだ」
「人間失格だ」
「限界だ」
「ろくでなしだ!」
「スケベでポンチキだ!」
「愛なんて知らん!」
などと括ってしまったら......それも呪になります。

そして、こんな「呪」の話しを考える時、僕は思うのです。
愛すべき、貴重で有り難く、時に憎らしくもあるような自分の名前。
僕はそんな自らの名前に負けない様に......いや、
自らの名前に縛られることなく、
頂いた名前を大きく、
しっかりと超えていける様に、
掲げられるように生きなければいけないのだろうな......と。

「呪」はその時、意味を失うのだろうな......と。

「自在」ということの真の意味を知るのだろうな......と。

そんな生き方を目指さんが為に、

進むべき道の標(しるべ)とならんが為に、

名はあり。

付けられ。

呪もまた、在るのではないのか......と。

しかし......

稀代の陰陽師、安倍晴明さま......

恐るべち! (><)/


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