「......アノ話の真偽?真相?とかも、
行けば全て分かるだろ。この体で。
体感と経験が全てだ。
俺にとってはソレが一番大事なことだ。
ま、行ったるわ!」
僕はそんなコトを思いながら首塚へと車をドライブしていきました。
—————続きます(^ν^)
老ノ坂の「首塚大明神」に向かうことになるより前、
カラツの神が話していた酒呑童子(しゅてんどうじ)の物語とは、
大筋においては伝承通りの話ではありましたが、
その内実はこれまで全く聞いたことのないものでした。
しかしそれは
「本当のところは、この通りなのだろうな、、、」
と、素直に感じられてしまうような物語でもあって、
個人的には強く感銘も受け、
少々ホロリともしてしまう話でもありました。
以下には、カラツの神が語ったソノ物語を、
冷静なるプリリンねーさんが降ろした言葉で記し残しておきます。
少しだけ事前に補足をしておきたいことは、
カラツの神曰く、酒呑童子とはカラツの神自身のことであって。
カラツの神がこの世界に生まれ降りていた幾つかの生の内の一つであったのだと。
そして、カラツの神が酒呑童子として過ごしていた時代......
平安時代というのは、
舞台や映画や小説、漫画などで描かれている様な
煌びやかで華やかな貴族社会があった反面、
その実態は教科書などでもあまり書かれることの無い、
ひどく搾取的で悲惨な社会でもあったようなのです。
天候の不順さや自然災害も多く。
それらを因とした作物の実りもとても不安定で。
それでも権力者達の搾取は厳しく。
農業を中心とする市井に暮らす多くの人々は普通に食べていくことすらも難しく。
常に飢えや病気や貧困などに向かい合いながら
必死に生きていかなければならない時代だったのだと。
人々は自分の子供すらも食べさせていくことが出来ずに、
まさに「食いぶちを減らす」ための子捨てなどが
当たり前の様に行われていた時代でもあったのだ、と。
そして、そんな中、
自分達が住んでいた場所は丹波の大江山の方だった......と、
カラツの神は先ずはそんなことから話を始めてくれたのでした。
==================================
私は生まれた時は悪い子供でした。
白毫寺(びゃくごうじ、奈良県)の住職の子供だったのです。
白毫寺は山の上でしたね。
閻魔大王は、私が悪い子だったので、
変わってほしいと住職が奉ったのです。
変わらなかったのは、庶民の生活です。
子供は生まれると捨てられていました。
私は、ついに我慢が出来なくて、子供達だけの集団を作ったのです。
子供と言っても死なない程度にしていたので、いつも飢えていました。
貴族は優雅に暮らしていたので、
盗めるものは盗んで生活していました。
貴族の子供は拐った(さらった)わけではないですよ。
楽しそうだから、パワーがもらえるからと集まって来たのです。
中には援助してくれる貴族もいました。
それがだんだん大きくなって、大人達は困ってしまったのです。
それで、大江山には鬼がいるとか、
子供が拐われたとか言うようになりました。
私は集団の頭だったので、一番の悪者と言われていましたが、
やっと生きていたのです。
問題が大きくなったので帝(みかど)の命令で、
酒呑童子の討伐隊が組まれました。
それが、源頼光(みなもとのらいこう)が率いる
頼光四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)だったのです。
らいこう様は、私達の成敗に来ましたが、
私達の話を聞きに来てくれたのです。
らいこう様に言われて私は集団を無くすことにしましたが、
私の首がないと帝(みかど)も納得しないので、
犬の首を持って行きました。
犬の首は都の近くで動かなくなったといって首塚も作っていました。
私は、らいこう様が好きになり、仏門に入って修行をしました。
らいこう様はいい人でした。
私達を守ってくれたので、
私はらいこう様のような大人になりたいと思いました。
「つな(渡辺綱)」も好きですよ。
「きんとき(坂田金時)」も、みんないい人でした。
フジワラの話です。
私は、大江山にいた酒呑童子でした。
その頃の都はフジワラの天下でした。
帝(みかど)は名ばかりで、いるだけでした。
せーーーーいーーーーかーーーつーーーーの為に、
人々は苦しんでいました。
子供は、捨てられていました。
私は白毫寺(びゃくごうじ)を追い出されたので、
大江山に暮らしていました。
私は、体が大きかったので、沢山食べたからです。
大江山には、子供達が集まってきました。
貴族の子供達もいましたよ。
それほど、人々は困っていたのです。
だから、変わらないということです。
食糧の確保の話ですよ。
ウガヤフキアエズの王朝も、
それで滅びました。
茨城にも行くのですか?
ミカボシの神も同じでしたよ。
星のカガセオです。
未来がくるのは、固めないといけないのです。
待っているので、行ってくださいね。
ツカは魂を助けるところです。
ツカがあれば助かるのです。
ツカとは「海の下」とか「海の家」と書くのです。
スサノオノミコトの下という意味です。
悪いことが起きないように立てた物です。
今まで、
酒呑童子の話を正確に聞いてくれた人はいなかったのです。
首塚にあるのは犬の首だということも、
わかった人はいなかったです。
uzmetもわかってくれたから、大好きですよ。
変わらないでいてくださいね。
老ノ坂のは、私のツカなのです。
ツカは人が来ると乱れるので、人が来ないようにしています。
信玄(武田信玄)と戦った謙信(上杉謙信)は私でした。
私はいつも、日本の歴史の中にいました。
==================================
カラツの神によると、
老ノ坂の首塚には頼光さん達が切った犬の首が埋まっているらしいのですが、
その犬はかなり大型のものを選んでいたとのことで。
「京の都に不浄なものを入れるな!
と峠の道祖神が言ったきり首がその場から動かなくなった」
という頼光さんの報告を聞いた帝(みかど)は、
その首の確認を側近の者に言いつけたのだそうです。
頼光さん達はその者を連れて首塚に向かったのだそうですが、
その道中、頼光さん達は
「如何に鬼が恐ろしかったか、、」
「首塚は恐ろしいところで、
本当はあなたを連れて行きたくは無いのだ、、」
などと、怖い話をその同行者に散々聞かせ。
しかも、塚を作った場所は薄暗い峠の、
かなり不気味な場所でもあったので、検め人(あらためにん)は
相当ビビりまくった状態で塚に辿り着いたのだそうです。
塚に着くと頼光さん達は
「まともに見ると祟られますから......」
「また牙を向いて襲いかかってくるかもしれませんし......」
「とにかく気をつけてくださいね......」
とかなんとかダメ押し的に言いながら塚の土を掘り起こし。
その掘り起こしたところは、
ちょうど犬のただれた口と牙がむき出しになって見えるトコロにしたらしく。
土から現れたその異様な牙や、
そこに絡みつく長い体毛を見た検め人は、その瞬間!
飛び上がる様にして驚き。
おののき。
腰を抜かした?らしく。
そのまま
「もう十分です!わかりました!」
と、都に戻り。
帝には
「確かに鬼でした!」
「恐ろしい牙でした!」
と、首がどれほど恐ろしいモノだったかを力説して伝えたのだそうです。
今に伝わる酒呑童子のお話は
こんなことがベースとなって形成されて来ていると。
カラツの神はそんなことを話してくれていたのです。
—————続きます。
☆「織部の唐津の酒呑童子」シリーズ過去記事☆
「1」「2」「3」
行けば全て分かるだろ。この体で。
体感と経験が全てだ。
俺にとってはソレが一番大事なことだ。
ま、行ったるわ!」
僕はそんなコトを思いながら首塚へと車をドライブしていきました。
—————続きます(^ν^)
老ノ坂の「首塚大明神」に向かうことになるより前、
カラツの神が話していた酒呑童子(しゅてんどうじ)の物語とは、
大筋においては伝承通りの話ではありましたが、
その内実はこれまで全く聞いたことのないものでした。
しかしそれは
「本当のところは、この通りなのだろうな、、、」
と、素直に感じられてしまうような物語でもあって、
個人的には強く感銘も受け、
少々ホロリともしてしまう話でもありました。
以下には、カラツの神が語ったソノ物語を、
冷静なるプリリンねーさんが降ろした言葉で記し残しておきます。
少しだけ事前に補足をしておきたいことは、
カラツの神曰く、酒呑童子とはカラツの神自身のことであって。
カラツの神がこの世界に生まれ降りていた幾つかの生の内の一つであったのだと。
そして、カラツの神が酒呑童子として過ごしていた時代......
平安時代というのは、
舞台や映画や小説、漫画などで描かれている様な
煌びやかで華やかな貴族社会があった反面、
その実態は教科書などでもあまり書かれることの無い、
ひどく搾取的で悲惨な社会でもあったようなのです。
天候の不順さや自然災害も多く。
それらを因とした作物の実りもとても不安定で。
それでも権力者達の搾取は厳しく。
農業を中心とする市井に暮らす多くの人々は普通に食べていくことすらも難しく。
常に飢えや病気や貧困などに向かい合いながら
必死に生きていかなければならない時代だったのだと。
人々は自分の子供すらも食べさせていくことが出来ずに、
まさに「食いぶちを減らす」ための子捨てなどが
当たり前の様に行われていた時代でもあったのだ、と。
そして、そんな中、
自分達が住んでいた場所は丹波の大江山の方だった......と、
カラツの神は先ずはそんなことから話を始めてくれたのでした。
==================================
私は生まれた時は悪い子供でした。
白毫寺(びゃくごうじ、奈良県)の住職の子供だったのです。
白毫寺は山の上でしたね。
閻魔大王は、私が悪い子だったので、
変わってほしいと住職が奉ったのです。
変わらなかったのは、庶民の生活です。
子供は生まれると捨てられていました。
私は、ついに我慢が出来なくて、子供達だけの集団を作ったのです。
子供と言っても死なない程度にしていたので、いつも飢えていました。
貴族は優雅に暮らしていたので、
盗めるものは盗んで生活していました。
貴族の子供は拐った(さらった)わけではないですよ。
楽しそうだから、パワーがもらえるからと集まって来たのです。
中には援助してくれる貴族もいました。
それがだんだん大きくなって、大人達は困ってしまったのです。
それで、大江山には鬼がいるとか、
子供が拐われたとか言うようになりました。
私は集団の頭だったので、一番の悪者と言われていましたが、
やっと生きていたのです。
問題が大きくなったので帝(みかど)の命令で、
酒呑童子の討伐隊が組まれました。
それが、源頼光(みなもとのらいこう)が率いる
頼光四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)だったのです。
らいこう様は、私達の成敗に来ましたが、
私達の話を聞きに来てくれたのです。
らいこう様に言われて私は集団を無くすことにしましたが、
私の首がないと帝(みかど)も納得しないので、
犬の首を持って行きました。
犬の首は都の近くで動かなくなったといって首塚も作っていました。
私は、らいこう様が好きになり、仏門に入って修行をしました。
らいこう様はいい人でした。
私達を守ってくれたので、
私はらいこう様のような大人になりたいと思いました。
「つな(渡辺綱)」も好きですよ。
「きんとき(坂田金時)」も、みんないい人でした。
フジワラの話です。
私は、大江山にいた酒呑童子でした。
その頃の都はフジワラの天下でした。
帝(みかど)は名ばかりで、いるだけでした。
せーーーーいーーーーかーーーつーーーーの為に、
人々は苦しんでいました。
子供は、捨てられていました。
私は白毫寺(びゃくごうじ)を追い出されたので、
大江山に暮らしていました。
私は、体が大きかったので、沢山食べたからです。
大江山には、子供達が集まってきました。
貴族の子供達もいましたよ。
それほど、人々は困っていたのです。
だから、変わらないということです。
食糧の確保の話ですよ。
ウガヤフキアエズの王朝も、
それで滅びました。
茨城にも行くのですか?
ミカボシの神も同じでしたよ。
星のカガセオです。
未来がくるのは、固めないといけないのです。
待っているので、行ってくださいね。
ツカは魂を助けるところです。
ツカがあれば助かるのです。
ツカとは「海の下」とか「海の家」と書くのです。
スサノオノミコトの下という意味です。
悪いことが起きないように立てた物です。
今まで、
酒呑童子の話を正確に聞いてくれた人はいなかったのです。
首塚にあるのは犬の首だということも、
わかった人はいなかったです。
uzmetもわかってくれたから、大好きですよ。
変わらないでいてくださいね。
老ノ坂のは、私のツカなのです。
ツカは人が来ると乱れるので、人が来ないようにしています。
信玄(武田信玄)と戦った謙信(上杉謙信)は私でした。
私はいつも、日本の歴史の中にいました。
==================================
カラツの神によると、
老ノ坂の首塚には頼光さん達が切った犬の首が埋まっているらしいのですが、
その犬はかなり大型のものを選んでいたとのことで。
「京の都に不浄なものを入れるな!
と峠の道祖神が言ったきり首がその場から動かなくなった」
という頼光さんの報告を聞いた帝(みかど)は、
その首の確認を側近の者に言いつけたのだそうです。
頼光さん達はその者を連れて首塚に向かったのだそうですが、
その道中、頼光さん達は
「如何に鬼が恐ろしかったか、、」
「首塚は恐ろしいところで、
本当はあなたを連れて行きたくは無いのだ、、」
などと、怖い話をその同行者に散々聞かせ。
しかも、塚を作った場所は薄暗い峠の、
かなり不気味な場所でもあったので、検め人(あらためにん)は
相当ビビりまくった状態で塚に辿り着いたのだそうです。
塚に着くと頼光さん達は
「まともに見ると祟られますから......」
「また牙を向いて襲いかかってくるかもしれませんし......」
「とにかく気をつけてくださいね......」
とかなんとかダメ押し的に言いながら塚の土を掘り起こし。
その掘り起こしたところは、
ちょうど犬のただれた口と牙がむき出しになって見えるトコロにしたらしく。
土から現れたその異様な牙や、
そこに絡みつく長い体毛を見た検め人は、その瞬間!
飛び上がる様にして驚き。
おののき。
腰を抜かした?らしく。
そのまま
「もう十分です!わかりました!」
と、都に戻り。
帝には
「確かに鬼でした!」
「恐ろしい牙でした!」
と、首がどれほど恐ろしいモノだったかを力説して伝えたのだそうです。
今に伝わる酒呑童子のお話は
こんなことがベースとなって形成されて来ていると。
カラツの神はそんなことを話してくれていたのです。
—————続きます。
☆「織部の唐津の酒呑童子」シリーズ過去記事☆
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