思えばこの時から、これまで以上に、
神々の用事でアチコチを飛び回るということが激増しました。
——————続きます。
胸にカラツの神の刻印が入った後からは、日本は勿論、海外まで、
降ろされる神用の数は明らかに増えてしまいました。
それは日々懸命に働いている身としてはかなりハードな毎日であり、
数年間でもあって。
ねーさんやポンチキーズの面々にとっても同じくのことで。
特にアノ東日本大震災の後からは、
神々はどうも時間を気にかけている感じが強くあり。
このブログを書き始めることになったのも、
実のところその辺が関係してもいて。
それはきっと、今回年号の変わる2019年の5月前ぐらいまでには、
なんとか主要なことは皆でやり遂げて欲しい、と。
それには大切な意味があるのだ、と。
お前にはそれは分からなくてもいい。
でも、とにかくやってくれ。急ぐのだ、と。
神々からのそんな急かしみたいなものも僕はずっと感じてはいて。
なのでとにかく余計なことは考えずに、ただ無心に、
縁あって頂く神々の言葉に対してはしばらくは真摯に対応し続けてみようと。
そんな決意で僕はこの数年の月日を過ごしていました。
——————人の世のことは、人でなければ出来ないことがあるのだ。
——————我々には支えることしか出来ないこともあるのだ。
途中、こんなところではとても記せないような
神々の切羽詰まった理由に気づくこともあり。
それは背筋が凍るようなことだったりもして。
その重々しい理由は、
今まで個人的に避けていた場所に行かなければならなくなる様な事ともなって。
ココでも記していたような部分......
それはごく一部の話ではあるのですが......で言えば、
例えば北海道のシャクシャインさんの居城や、
佐藤愛子さんの別荘があることで知られる地や襟裳岬。
網走や稚内、利尻島。湖の点在する北海道の東エリア。
長野の諏訪周辺。
熱海を中心として、伊豆半島や半島に連なる島々。
将門さんの首塚や古代「邪馬台国」の中心地。
仙台や東北のあちらこちら。
安土桃山や剣神社。
秀吉廟。大徳寺や堺。
京都や奈良、琵琶湖のあちこち。
大阪や神戸の周辺。
金沢や能登半島を中心とした石川のあちこちや、
東尋坊や福井のあちこち。
知多半島や渥美半島、浜名湖の周辺。
房総半島や三浦半島のあちこち。
筑波山や富士山。
三鷹を中心とした関東のあちらこちら。
四国や中国地区、山口の萩や出雲のあちこちも。
九州のあちらこちらや、
世界遺産登録が発表される前の五島列島や天草の教会......などなど、
とても多くて書ききれませんが......様々なイワクもあって、
時に血に染まってもいたような場所に足を踏み入れるような時に
僕がいつも明瞭に感じていたことは、
カラツの神からもらった胸のタマが邪なる力から
強烈に心身を護ってくれていたということ。
人々から鬼と呼ばれ、恐れられもした神の、
その鬼たる所以の力を僕は時々で強く思い知らされてもいたのです。
僕の体は使いパシリ用に?
知らず知らずのうちに霊的に強化もされていたのでした。
以前も記したように、強固な
「牛の呪」
を一発で祓ってくれた時のカラツの神の力などは本当に驚くべきもので。
そしてそんなカラツさんの胸の痕跡は、
「鬼などというモノはこの世にいないのだ」
という教えでもありました。
酒呑童子は捨てられた子供達をまとめあげ、
皆が生きていける様に頑張っていた子供でした。
シャクシャインはアイヌ民族を権力者の搾取から守る為に立ち上がった勇者でした。
平将門もそんな戦いをしていました。
古(いにしえ)の亡国の地では
「神のため、、」
「皆のため、、」
といわれ、生きたまま埋められたり、
生贄や人柱にされたりしていた巫女さん達や人々も沢山いました。
神たるものが存在するとして、
そんなことを望むはずはないのです。
奈良や京都、諏訪や出雲、東北でも、
政治的理由や異端や異能を怖がられ、疎まれ、
封じられてしまった人達が沢山います。
このブログに登場するねーさんはそんな魂の生まれ変わりでもあります。
桃太郎の鬼退治伝説のある岡山、吉備の地にしても、
古(いにしえ)の王の地であったはずで。
縄文時代最も栄えていた村の痕跡が残る東北の地というのは、
本当に未開の地だったのでしょうか?
蝦夷(エミシ)は政府の敵でも、ましてや鬼などではないハズです。
彼らにも正義や守るべき家族はありました。
熊襲(クマソ)も隼人(ハヤト)も。
土蜘蛛(ツチグモ)も山窩(サンカ)も。
網走の地では、罪を犯した人間とはいえ、
不当な扱いを受けていた人が沢山いたかもしれません。
もしかしたら、
そんな人の中には無実の人もいたかもしれないのです。
「故郷に帰りたい、、」
と、そんな悲痛な叫びは、一体、僕はどこに届ければよいのか?
戦争に散った人々や、災害で失われた人々の叫びは?
どうしたらいいのか?
富士の地でも、長い間封じられ、史実から消されもしてきたモノモノや、
鬼とされている神々がいるのではないのか?
国があるのではないのか?
富士山はなぜ記紀神話に一言も記されていないのか?
日本各地のあの地にも、この地にも。
アメリカやカナダのインディアンだって。
エスキモーの皆さんだって。
オーストラリアのアボリジニだって。
ハワイ島やカウアイ島の彼の地にだって。
バリ島にだって。ギリシャの島々にだって。
まだ記していないアソコもココも、全て、
鬼などいない!
という、そんな話ばかりです。
いるとしたら、それは、
生きている人間なのだ!
と、そんなことばかりです。
——————最後にもう一話だけ、平成最後の記事へと続きます。
それはこれまで幾度か記して来た大好きな5月の話でもあって、
令和の話ともなるのでしょうか。
佐賀県、唐津市の唐津神社。
カラツの神がよくいらっしゃるところです。
プラリと行ったら、宮司さんがヒマ!?だったらしく。
するっと拝殿にあげてくれて(^^)
普段の感謝の気持ちをお酒と絵馬とともに置いてきました。
これが頼光さんの兜の上に載っているカラツの神(^^)
唐津神社が所轄する巨大な曳山(ひきやま=だし)なのですが、
唐津の神はよくこの曳山に降りると言っていました。
でも酒呑童子は鬼では無いのですね。本当は。
いつも頼光さんを全力で守っていたようなのです。(^^)ええ。
不思議と、ヤッパリ!?上杉謙信の曳山もありました。
☆「5月」関連の過去記事☆
「5月の海」
「5月の香り」
☆「織部の唐津の酒呑童子」シリーズ過去記事☆
「1」「2」「3」「4」「5」「6」「7」
神々の用事でアチコチを飛び回るということが激増しました。
——————続きます。
胸にカラツの神の刻印が入った後からは、日本は勿論、海外まで、
降ろされる神用の数は明らかに増えてしまいました。
それは日々懸命に働いている身としてはかなりハードな毎日であり、
数年間でもあって。
ねーさんやポンチキーズの面々にとっても同じくのことで。
特にアノ東日本大震災の後からは、
神々はどうも時間を気にかけている感じが強くあり。
このブログを書き始めることになったのも、
実のところその辺が関係してもいて。
それはきっと、今回年号の変わる2019年の5月前ぐらいまでには、
なんとか主要なことは皆でやり遂げて欲しい、と。
それには大切な意味があるのだ、と。
お前にはそれは分からなくてもいい。
でも、とにかくやってくれ。急ぐのだ、と。
神々からのそんな急かしみたいなものも僕はずっと感じてはいて。
なのでとにかく余計なことは考えずに、ただ無心に、
縁あって頂く神々の言葉に対してはしばらくは真摯に対応し続けてみようと。
そんな決意で僕はこの数年の月日を過ごしていました。
——————人の世のことは、人でなければ出来ないことがあるのだ。
——————我々には支えることしか出来ないこともあるのだ。
途中、こんなところではとても記せないような
神々の切羽詰まった理由に気づくこともあり。
それは背筋が凍るようなことだったりもして。
その重々しい理由は、
今まで個人的に避けていた場所に行かなければならなくなる様な事ともなって。
ココでも記していたような部分......
それはごく一部の話ではあるのですが......で言えば、
例えば北海道のシャクシャインさんの居城や、
佐藤愛子さんの別荘があることで知られる地や襟裳岬。
網走や稚内、利尻島。湖の点在する北海道の東エリア。
長野の諏訪周辺。
熱海を中心として、伊豆半島や半島に連なる島々。
将門さんの首塚や古代「邪馬台国」の中心地。
仙台や東北のあちらこちら。
安土桃山や剣神社。
秀吉廟。大徳寺や堺。
京都や奈良、琵琶湖のあちこち。
大阪や神戸の周辺。
金沢や能登半島を中心とした石川のあちこちや、
東尋坊や福井のあちこち。
知多半島や渥美半島、浜名湖の周辺。
房総半島や三浦半島のあちこち。
筑波山や富士山。
三鷹を中心とした関東のあちらこちら。
四国や中国地区、山口の萩や出雲のあちこちも。
九州のあちらこちらや、
世界遺産登録が発表される前の五島列島や天草の教会......などなど、
とても多くて書ききれませんが......様々なイワクもあって、
時に血に染まってもいたような場所に足を踏み入れるような時に
僕がいつも明瞭に感じていたことは、
カラツの神からもらった胸のタマが邪なる力から
強烈に心身を護ってくれていたということ。
人々から鬼と呼ばれ、恐れられもした神の、
その鬼たる所以の力を僕は時々で強く思い知らされてもいたのです。
僕の体は使いパシリ用に?
知らず知らずのうちに霊的に強化もされていたのでした。
以前も記したように、強固な
「牛の呪」
を一発で祓ってくれた時のカラツの神の力などは本当に驚くべきもので。
そしてそんなカラツさんの胸の痕跡は、
「鬼などというモノはこの世にいないのだ」
という教えでもありました。
酒呑童子は捨てられた子供達をまとめあげ、
皆が生きていける様に頑張っていた子供でした。
シャクシャインはアイヌ民族を権力者の搾取から守る為に立ち上がった勇者でした。
平将門もそんな戦いをしていました。
古(いにしえ)の亡国の地では
「神のため、、」
「皆のため、、」
といわれ、生きたまま埋められたり、
生贄や人柱にされたりしていた巫女さん達や人々も沢山いました。
神たるものが存在するとして、
そんなことを望むはずはないのです。
奈良や京都、諏訪や出雲、東北でも、
政治的理由や異端や異能を怖がられ、疎まれ、
封じられてしまった人達が沢山います。
このブログに登場するねーさんはそんな魂の生まれ変わりでもあります。
桃太郎の鬼退治伝説のある岡山、吉備の地にしても、
古(いにしえ)の王の地であったはずで。
縄文時代最も栄えていた村の痕跡が残る東北の地というのは、
本当に未開の地だったのでしょうか?
蝦夷(エミシ)は政府の敵でも、ましてや鬼などではないハズです。
彼らにも正義や守るべき家族はありました。
熊襲(クマソ)も隼人(ハヤト)も。
土蜘蛛(ツチグモ)も山窩(サンカ)も。
網走の地では、罪を犯した人間とはいえ、
不当な扱いを受けていた人が沢山いたかもしれません。
もしかしたら、
そんな人の中には無実の人もいたかもしれないのです。
「故郷に帰りたい、、」
と、そんな悲痛な叫びは、一体、僕はどこに届ければよいのか?
戦争に散った人々や、災害で失われた人々の叫びは?
どうしたらいいのか?
富士の地でも、長い間封じられ、史実から消されもしてきたモノモノや、
鬼とされている神々がいるのではないのか?
国があるのではないのか?
富士山はなぜ記紀神話に一言も記されていないのか?
日本各地のあの地にも、この地にも。
アメリカやカナダのインディアンだって。
エスキモーの皆さんだって。
オーストラリアのアボリジニだって。
ハワイ島やカウアイ島の彼の地にだって。
バリ島にだって。ギリシャの島々にだって。
まだ記していないアソコもココも、全て、
鬼などいない!
という、そんな話ばかりです。
いるとしたら、それは、
生きている人間なのだ!
と、そんなことばかりです。
——————最後にもう一話だけ、平成最後の記事へと続きます。
それはこれまで幾度か記して来た大好きな5月の話でもあって、
令和の話ともなるのでしょうか。
佐賀県、唐津市の唐津神社。
カラツの神がよくいらっしゃるところです。
プラリと行ったら、宮司さんがヒマ!?だったらしく。
するっと拝殿にあげてくれて(^^)
普段の感謝の気持ちをお酒と絵馬とともに置いてきました。
これが頼光さんの兜の上に載っているカラツの神(^^)
唐津神社が所轄する巨大な曳山(ひきやま=だし)なのですが、
唐津の神はよくこの曳山に降りると言っていました。
でも酒呑童子は鬼では無いのですね。本当は。
いつも頼光さんを全力で守っていたようなのです。(^^)ええ。
不思議と、ヤッパリ!?上杉謙信の曳山もありました。
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