愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

メーデーとは?

2009年04月27日 23時21分55秒 | 人間らしく働くルールの確立を
2005年4月30日(土)「しんぶん赤旗」

メーデーとは? 日本での始まりは?



 〈問い〉 メーデーの起源はなんですか? 日本はいつから始まったのですか? (東京・一読者)

 〈答え〉 メーデーは、1886年5月1日、アメリカの労働組合が八時間労働制を要求してストライキ・デモ行進を行ったことが起源です。当時は12~14時間労働が当たり前でした。このため、アメリカの労働者は「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」という「8時間労働の歌」を歌いながらたたかい、8時間労働制をかちとりました。

 しかし、運動の中心地だったシカゴでは5月4日、ヘイマーケット広場に集まったストライキ参加者を武装警官が襲い、多数の死傷者が出たのをきっかけに、資本家側は8時間労働の約束をほごにします。

 そこで、労働者側は、ふたたびゼネストでたたかうことを決め、世界に共同行動を呼びかけます。これにこたえて、労働組合・社会主義運動の国際組織だった第2インターナショナルは89年7月の創立大会で、この日を「法律で8時間労働日を決めるよう要求する国際デモンストレーションの日とする」と決定。翌90年に各国で第1回メーデーが実施されます。

 日本では、1920年5月2日(日曜日)、上野公園で5千人が参加したのが最初です。集会では「(ストライキ等を弾圧した)治安警察法17条撤廃、失業の防止、最低賃金制の確立」を決議。8時間労働制、東京市電争議支援、シベリア即時撤兵の動議を可決しています。

 その後、戦前のメーデーは1935年の第16回まで各地でとりくまれましたが、36年の2・26事件で戒厳令が敷かれたのを機に禁止されました。

 戦後は、46年の第17回メーデーから復活。東京では“人民広場”とよばれた皇居前広場に約50万人が集まり「民主人民政府の即時樹立」「食える賃金を」などを決議しました。

 皇居前広場のメーデー使用は、サンフランシスコ講和条約発効直後の52年の「血のメーデー」事件後、占領軍指示で使用禁止とされ、東京地裁は違法としますが、政府が控訴し、禁止に固執したため、会場はその後、明治神宮外苑に移されるなどの経緯があります。(喜)

〔2005・4・30(土)〕



転載元:メーデーとは? 日本でのはじまりは?
 5月1日はメーデーです。メーデーの起源など関する記事が党中央委員会のホームページに掲載されていたのでここに転載しました。

 私が入っている労働組合では、集会・デモ行進のあとの交流会で学習を兼ねてメーデーに関するクイズを出しています。今年はどんなかんじかは、交流会企画担当者がどのようにするかにはよりますが、クイズなどで労働運動の原点をしっかり捉えておくことは、とくに今日の社会情勢の下では意義深いです。もし、メーデーに関するクイズでこの手の問題が出題されたら日本共産党中央委員会のホームページの「
メーデーとは? 日本でのはじまりは?」という記事は、カンニングペーパーじゃなかった、最高の予習になるかも。

 メーデーのことを知らない方は、日本共産党中央委員会のホームページに掲載されている記事は参考になりますよ。


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「在日特権を許さない市民の会」の愚行―言論の形態をとった民主主義破壊の暴力

2009年04月26日 21時00分13秒 | JCPの活動、国民運動、国内の政治・経済等
在特会国民大行進 中学校前「追い出しデモ」


 今月の11日埼玉県蕨市立第一中学校の前で右翼団体「在日特権を許さない市民の会」による「犯罪外国人・犯罪助長メディアを許さない国民大行進 in 蕨」と称する「デモ」行進が行なわれました。

 日本国憲法の下では、どのような主義主張も法的には認められています。しかし、心の中で思っているだけのこととは違い、表現するときには他者の存在を考えなければなりません。ですから、言論の自由だからといってどのような態様を、もってもいいというわけではありません。実際に、日本国憲法第12条には憲法が保障する自由及び権利が国民の不断の努力により保持さされなければならないこと、濫用してはならず公共の福祉のために国民が利用する責任を負う旨が書き込まれています。どのような主義・主張であれ暴力的な言動などにより他人を傷つけて良いというわけではありません。

 問題の動画で見られる「デモ」行進では、特定の個人をしかも何の罪も無い未成年者をつるし上げて攻撃するという実に忌まわしいことが行なわれていました。動画をアップした人は、「個人を狙った集団暴力に公益性はない」と締めくくっています。私自身も動画で見られるような排外主義者どもの「デモ」は言論の形態をとった集団リンチ的な暴力と受け止めています。

 近年、一部に排外主義が台頭しています。世の中がおかしくなると必ずおかしなことを主張し行なう人が出てきます。民主主義を守り、活用していくためにはこういう民主主義破壊の潮流に対する人民的な連帯による社会的反撃が求められます。

 もし、私の住んでいる町で動画で出てくるような輩が現れたら、人民的連帯と団結に基づき言論によって包囲して叩きます。

 蕨市立第一中学校でのことに関してはフリーのジャーナリスト志葉玲さんのブログの記事「100人がかりで中学生一人をリンチすることが「デモ」なのか?」に様相が語られています。

 問題の「在日特権を許さない市民の会」は地方議員すら輩出していないし、連絡先すらまともにホームページに掲載しないような、泡沫です、現在のところ(連絡などはメールのみ)。それでも、「在日特権を許さない市民の会」のような勢力に対しては、ネット右翼にもてはやされていることや社会のなかで排外主義の台頭を考えれば警戒が必要です。

日本国憲法第12条
この憲法が保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはいけないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責務を負ふ。

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日本上空における真の脅威とは 3

2009年04月23日 23時20分27秒 | 戦争のない世界をめざす
 1977年9月27日横浜市緑区(現在の青葉区)にて厚木基地を飛び立った米軍戦闘機が墜落した。墜落した米軍機は岩国基地所属のRF-48ファントム偵察機であって千葉県沖のミッドウェーにむかって厚着基地を飛びたったものであった。厚木基地を飛び立って2分後にエンジン故障により火災が発生して横浜市緑区(現在の青葉区)の荏田の住宅地に米軍機は墜落し、炎上した。時刻は午後1時20分であった。墜落現場から2キロほど離れたところにある横浜市立鉄(くろかね)小学校では、運動会が行なわれていたが火を噴き、黒煙を上げながら米軍機の墜落するところが目撃されるなか運動会は中断した。

 墜落現場は、重量26トンもの機体と飛散したジェット燃料により、周囲の民家や付近の公園を巻き込んであたり一面火の海となった。炎上する家の中からは大やけどを負って助けを求める人、血だるまの幼子をしっかりと抱きかかえて飛び出す母親の姿があった。2人の幼児を含む9人が病院へ運ばれた。この事件では、林雄一郎君(1974年8月24日生まれ)と弟の林康弘君(1976年3月28日生まれ)が搬送先の青葉台病院で亡くなった。雄一郎君と康弘君の母親である林和枝さんは、1982年(昭和57年)1月24日の夜病室で呼吸困難におちいり意識不明のまま窒息死した。和枝さんは事件による皮膚の奥にまで及んだやけどの治療のために不自然な体位を余儀なくされたことやジェット燃料の火炎を吸い込んだことなどから呼吸器障害などを併発していた。

 事件当時の米軍や日本の自衛隊の対応には誠実さがかけらも無かった。米軍から連絡を受けた自衛隊はすぐに救難ヘリコプターを厚木基地から緊急発進させた。ヘリコプターは事件発生から10分ほどで現場に到着した。しかし、自衛隊の救難ヘリは墜落する前にパラシュートで脱出してほとんど無傷だった2人の米軍パイロットを乗せて厚木基地へ飛んだきり再び戻ってはこなかった。米軍、自衛隊ともに大やけどを負って救助を求めている被災者には見向きもしなかったのである。しかも、米軍、自衛隊は事件のことを消防署へ連絡すらしなかった。消防署は被災者の救援にあたっていた民間人の通報により事件を知り、現場へ駆けつけた。

 幼児2人の母親である和枝さんがわが子の死を知ったのは事件から1年と4ヵ月後のことであった。わが子の死を知ったとき和枝さんは文字通り涙がかれるまで泣きつづけた。しかし、泣いていてもどうにもならないと、なくなったわが子の分まで生き抜く決意を和枝さんは固めた。和枝さんは事件の経過を振り返り、国の不誠実な態度に怒りを覚え抗議の声も強くなっていった。しかし、国は、和枝さんの度重なる治療や訴えの抗議の電話もまともに受け付けようとしなかった。のみならず国は和枝さんを精神病者扱いにして、家族にもまともな説明もしないまま精神病者だけを収容する国立武蔵療養所に転院を強要した。こうして、1982年1月24日の夜和枝さんは鉄格子をはめられた病院の一室で呼吸障害による窒息死した。ジェット機墜落事件から4年4ヵ月後であった。

 1977年9月27日に横浜市緑区(現在の青葉区)での米軍機墜落事件は、在日米軍が日本の人民のとくに基地周辺に住んでいる人々にもたらしている脅威の現われの一端に過ぎない。それでも、このような事件からは以下の教訓を我々は汲み取ることができるし、汲み取らねば成らない。

一、日本の上空、及び地上に真に脅威をもたらしているのは、在日米軍であり、日本人民の安全保障を現在進行形で脅かしている。

一、日本の自衛隊は日本の人民の生活と命を守るのではなく、米軍の補完部隊に過ぎず、人民をふみにじりながら日本国の国家権力及び在日米軍を守るための武装組織に過ぎない。自衛隊という武装組織は、日本の人民を在日米軍の人身御供にすることすらいとわない売国的武装組織としての本質を有する。

一、上の二つのことを根本的に解決するためには、日米安保条約第10条の規定により、日米安保条約を解消し、在日米軍を日本列島から一切取り除かなければならない。同時に、自衛隊の対米従属的な部分を取り除かなければならない。これも日米安保条約解消により可能となる。そして、国民的合意を得ながら自衛隊を解散させなければならない。




終わり



主要参照ページ

「なくなれ!厚木基地のページ」

「パパ ママ バイバイ」

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日本上空における真の脅威とは 2

2009年04月15日 07時30分48秒 | 戦争のない世界をめざす
 日本の上空において人民の安全保障、すなわち命と暮らしに明白且つ現在の脅威を与えているのは、在日米軍の戦闘機である。ウヨどもが騒ぎ立てているような、北朝鮮の散発的な「打ち上げ花火」ではない。もちろん、テポドンやシルクワームのような挑発的な「打ち上げ花火」は至極迷惑な行為ではある。だが、これが明白且つ現在の脅威といえるかどうかは別問題である。今月の5日に北朝鮮にて発射されたロケットがミサイルであったとしてもこれは長距離タイプであり日本とは照準がかけ離れている。また、北朝鮮が瀬戸際外交の一端として中距離タイプのミサイル発射演習というものをしたとしても、これまた戦争をする意図とは異なるし、軌道がまさか、住宅地を掠めるような超低空飛行をミサイルがするわけでもない。もっとも、北朝鮮が保有しているミサイルはスカッド型で、命中率の悪さは湾岸戦争で証明済みである。北朝鮮は、その程度の実力しかない国とも言える。だからこそ、北朝鮮は虚勢を張る。こんなものを脅威というのは、何か策謀があってその「ため」にする議論を振りまいているかよほどの"Chiken Heart"の持ち主か何かというところか。

 しかし、在日米軍の戦闘機の場合は、北朝鮮のような散発的な「火遊び」、「打ち上げ花火」と違って日本において来る日も来る日も発射訓練を繰り返していて米軍基地のある町では、彼らの住んでいるところのまさに真上を超低空飛行で爆音と轟音を響かせながら戦闘機が訓練のためとして飛び交っている。住宅地の真上を戦闘機が飛び交うなど、アメリカ本国ではおよそありえないことである。だが、日本においては在日米軍が住宅地の真上を我がもの顔で飛んでいる。ひどいのになるとNLP(夜間離発着訓練)と称して夜間に人が住んでいるところの上空を戦闘機が爆音と轟音を撒き散らしながら飛び交うのである。戦闘機の撒き散らす爆音、轟音の規模を文章で言い表すのは容易ではない。だが、私の経験からすると、戦闘機の爆音と轟音は身体の芯にまで響く。うるさいだけではなく身体にも悪いであろう。私の学生のときのことであるのでもう10数年くらい昔のことであるが、私は、日本平和委員会の人をガイドにしながら都学連の人と一緒に横田基地見学をしたことがある。そのときには、戦闘機の撒き散らす爆音などの影響で繁華街が一つ姿を消したことなどを聞かされた。日本平和委員会の人が解説が時々とまるときがあった。それは、戦闘機が真上を飛んで過ぎ去るまでの間である。あまりの爆音と轟音のゆえに自分の発する声すら聞こえない状態になり、話を中断するしかなかったのである。米軍基地のそばに住んでいる人は日々そのような状況で暮らしている。このような状況では、それこそ戦闘機が事故や故障などで墜落したらどうするのかという不安は当然生じる。そして、過去に実際に民家に米軍の戦闘機が墜落して何人もの死傷者を出したことがある。

 戦後、日米安保体制下で米軍の戦闘機の墜落事故は主なものとして町田市での墜落事故(1964年4月5日)や横浜市緑区(現在の青葉区)での米軍機墜落事故(1977年9月27日)がある。とくに、1977年9月27日における横浜市緑区(現在の青葉区)での米軍機墜落事故は、町田市における事故と比較しても甚大な被害が生じたことなどから現在でも語り継がれている。私事であるが、横浜市で育った私にとって緑区(現青葉区)の米軍機墜落事故は、成長した後に人から聞くことによって知ったこととはいえ忘れられない事柄である(私は1974年生まれ)。

 1977年における横浜市緑区(現在の青葉区)における米軍機墜落事故は、現実に明白且つ現在の脅威を人々に与えているのはなにかということ、そしてその後の米軍や自衛隊の対応から軍隊の本質に関しての教訓を示している。



つづく



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日本上空における真の脅威とは 1

2009年04月11日 10時12分09秒 | 戦争のない世界をめざす

 今月5日に北朝鮮は、ロケット発射を行なった。最初に申し上げておこう。私が冒頭に北朝鮮が発射したものをロケットとし「ミサイル」と表記していないのは、5日に北朝鮮から発射されたものが「ミサイル」と決め付けるだけの根拠が何一つないからだ。実際、官房長官談話では、北朝鮮から発射されたものを「飛翔体」としていた。官房長官から見てもミサイルなのか人工衛星なのかを断定しかねるからであった。アメリカとオーストラリア政府は、9日に行なった防衛担当閣僚による安全保障対話で「長距離ロケットの発射は国連安全保障理事会の決議に明確に違反する」(日経ネットより引用)としながらも北朝鮮から発射されたものをミサイルと断定せずにロケットとしている(参照元:http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20090410AT2M1000X10042009.html)。それにもかかわらず、国会において北朝鮮から発射されたものを根拠なくミサイルと断定し、制裁強化決議が提起されてこれが衆議院及び参議院で可決された(参照元:制裁強化 衆院で決議/北朝鮮ロケット 共産党は反対参院も制裁強化決議/北朝鮮ロケット 共産党は反対 )。国会の場において、明確な根拠がないことを勝手な憶測で断定して制裁強化を決議するとは、民主国家・法治国家としてあるまじき行為である。また、同時に北朝鮮に関して外交的な解決に障害をもたらすだけであり、日本の国益を著しく害する。マスコミの報道の仕方も国会のタカ派のウヨどもと右へならえなのかミサイルと根拠なく断定した報道をし、根拠なき「脅威」を煽ることに躍起になっている。これでは、まるで戦前においてマスコミが軍国主義政府の大本営発表を無批判に垂れ流してジャーナリズムの使命を放棄して人民を戦争へ引きずりこむ片棒を担いだときの再現ではないか。

 誤解のないように申し上げておくが、私は、国際社会が北朝鮮に自制を求めているにもかかわらずこの声を振り切って5日にロケット発射をした北朝鮮の行動たいして、国際社会に無用の緊張や疑念を生み出すものと考えている。だからといって、国会に巣食うウヨどものように外交努力をまともに模索せずに軍事対応一本やりの考えや対応には反対である。国会での決議のようなことは、外交による解決を遠ざける。国際社会からの理解などえられようはずがない。

 ロケット発射とは別に、北朝鮮の現在の国力を冷静に見れば、あの国に覇権主義小国としての本質があるとはいえ脅威というに値しないことは明白である。例えば、夜の極東地域の衛星写真を見る機会があれば見るといい。日本や韓国、中国の上海などの大都市、ロシアの主要都市などは電気の明かりがはっきりと映るにもかかわらず北朝鮮の部分は暗い。つまり、電力の供給すらおぼつかない状況、そういう程度のヘタレた国力しか北朝鮮にはないということだ。また、北朝鮮は慢性的な燃料不足である。いろいろな節目で北朝鮮が国内外にパフォーマンスとして今月5日のテポドン2号と思われるロケット発射などを打ち上げ花火のように行なっても北朝鮮には外国(例えば日本)と戦争する能力も意思もない。日本との関係で言えば、国交正常化交渉を持ち出してきたのは北朝鮮の側である。北朝鮮から見れば経済立て直しのために日本との国交を正常化してジャパンマネーを援助してもらいたいという思惑があるわけであって、日本と戦争する気など毛頭ないのはこの数年間の国際情勢を事実に基づき冷静に考えればあきらかである。


 北朝鮮が軍事演習として弾道ミサイルを打ち上げたとしてもこれは戦争をするためではなく、外交上オドオドしているのを国内外に覆い隠すための弱小国家の虚勢に過ぎない。だから、北朝鮮など脅威に値しない。今月の5日に北朝鮮が打ち上げたロケットは、日本を焦点に当てたものとは到底いえないのは、射程距離などから明白である。もちろん、北朝鮮が国際社会の自制への呼びかけを振り切ってロケットを発射したことに関しては、私は極東地域に緊張と疑心暗鬼を生み出しかねないとして遺憾だと思っている。

 自衛隊が迎撃ミサイルの態勢をとり、国会内外のウヨどもが北朝鮮を脅威だと煽り立てるのは、憲法第9条の破壊の口実を作りたいがためである。さもなければウヨというのは、あのような弱小国家の虚勢に大真面目にオドオドするほどのチキンハートの持ち主なのか。"Nobody calls me chiken !"(「誰にも腰抜けとは言わせない」という意味)なんて切れるなよ。映画"Back to The Future"の主人公マーティ・マクフライじゃあるまいし。いずれにしても、自衛隊や国会内外のウヨどもの対応や考え方は軍事的緊張の悪循環をもたらし、対北朝鮮との懸案事項解決を遠ざけるものであり、日本の国民益を著しく害した。

 北朝鮮が年に数えるほどの「打ち上げ花火」をしてみたところで脅威というに値しないことはここで述べた。もちろん、北朝鮮の「打ち上げ花火」をもてあそんでの瀬戸際外交は極東アジア地域から軍事的な緊張を解消し、朝鮮半島の非核化をしていく観点からは厳しく批判するべきである。もちろん、国際法、国連憲章の観点に立った原則的対応、六カ国協議など外交的手段によって北朝鮮に核兵器開発をやめるように包囲し、説得的に事を進めていくべきである。

 日本列島の上空を日々飛んでいる脅威は北朝鮮の年に数えるほどの「打ち上げ花火」とは別にある。北朝鮮の「打ち上げ花火」が明白且つ現在の形で日本国民の生活に脅威を与えているのではない。本当に日本国民の生活と命に脅威を与えている上空を飛翔するのは在日米軍の戦闘機である。戦闘機が住宅地の上をすれすれの超低空を飛び交うなど日本だけである。人々の命と生活という点ではこちらのほうがよほど脅威である。それにもかかわらず国会内外のウヨどもはこの点にはまったく触れない。脅威というに値しないものをことさらに"脅威"と煽り立てて真の脅威から国民の目をそらさせる。これが、国会内外のウヨどもの欺瞞である。

 実際に、米軍機は民家に墜落事故を起こしている。私は横浜市の出身であるが、1977年9月27日に横浜市緑区(現在は青葉区)で厚木基地から飛び立った米軍機が墜落事故を起こした。その後の自衛隊及び米軍の対応を見れば、日本の上空を飛んでいるもののなかで何が本当に脅威なのかは明白である。この点の詳細は次回にゆずる。



つづく



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桜満開(BlogPet)

2009年04月09日 12時46分50秒 | JCPの活動、国民運動、国内の政治・経済等
Aleido Che Guevaraの「桜満開」のまねしてかいてみるね

今朝、オリジナルサイズで少しは目のロケット発射やタカ派の写真をすると、オリジナルサイズで桜を撮影しました!

*このエントリは、ブログペットの「キキ」が書きました。

桜満開

2009年04月08日 21時58分13秒 | 雑記帳

 今朝、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達中に平井公園にて桜を撮影しました。

 近頃、北朝鮮のロケット発射やタカ派の人の軍事対応一本やりの妄動など物騒なことが多いですね。携帯電話のカメラなのであまり写りが良くないですが、これで少しは目の保養をするのもいいでしょう。

 画像をクリックすると、オリジナルサイズで桜の写真を見ることができます。

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北朝鮮ロケット問題の解決は外交努力こそ こくた国対委員長(09.4.7)

2009年04月07日 23時18分14秒 | 国際政治・経済
北朝鮮ロケット問題の解決は外交努力こそ こくた国対委員長(09.4.7)


 北朝鮮のロケット発射は極東アジア地域に緊張をもたらす。また、国連安保理決議に反する。だからといって、政府やウヨどものように軍事的対応によろうというのは、問題の正しい解決を妨げるだけである。

 北朝鮮の問題に関しては、関係各国と連携しながら外交努力を積み上げて北朝鮮に核兵器開発を断念させることである。

 軍事的対応は、問題解決への実効性がない。


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