愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

アメリカ帝国主義がキューバに武力侵攻できない理由

2018年12月13日 09時47分19秒 | ラテンアメリカの政治革新、文化等

 単純に軍事力に着目すればアメリカにとってキューバを武力侵攻するのは赤子の手をひねるよりたやすいであろう。しかし、1961年のプラやヒロン事件(ピッグス湾事件)で亡命キューバ人を利用して内戦を描き出すという手口の軍事侵攻以外にアメリカがキューバに軍事侵攻を企てたという事実は、少なくとも俺の知る限り存在していない。

 アメリカ帝国主義といえども他国へ軍事侵攻をするためには、これを正当化するための論理が必要になる。ところが、キューバの革命政権は他国を侵略しているわけではないし、自国民を虐殺しているわけでもないから「人権問題」を持ち出しても軍事侵攻を正当化することが不能である。それどころか、キューバの革命政権は、例えば西アフリカでエボラ出血熱が流行すれば、まっさきに医師を派遣して救援活動に取り組むなど様々な国際貢献をしているがゆえに世界の様々な人々から尊敬されている。このような政権を武力で転覆すればアメリカ帝国主義は、世界中の様々な人々による敵意に囲まれて国際政治と国際社会の中で救いがたい孤立に陥る。現代の世界を前提にすれば、どれほどの大国であっても国際政治と国際社会で孤立すれば立ち行かなくなる。

 当事者の主観的な意図としてはプロレタリア国際主義に基づいてということなんだろうけど、世界の様々な国・地域で苦難に直面している人民に手を差し伸べることが友人をつくることにつながり、尊敬を集めている。そう、キューバの革命政権は、世界の様々な国・地域に友人をつくることで自国の主権を保持しているのである。

 日本国憲法の前文には以下のとおりの文章がある。

『われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。』

『われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。』

 キューバにはキューバの憲法があって日本国憲法に基づいて革命政権が成り立っているわけではないけれども、日本国憲法前文に掲げられている、普遍性を持つ政治道徳を実践することでキューバの革命政権は自国の主権をアメリカ帝国主義の横暴からも守っているのである。


To Zanarkand-Finale Fantasy X アルパ演奏:神山里映子

2016年09月13日 16時04分58秒 | ラテンアメリカの政治革新、文化等

 表題の「To Zanarkand」は、日本語では「ザナルカンドにて」ということである。ファイナルナンタジーXで使われている曲をアルパ奏者の神山里映子氏が29弦の小型アルパで演奏している(通常のアルパは36弦から37弦である)。何故、ゲームの曲をアルパで演奏した動画をラテンアメリカ関係のカテゴリーに入れているのか。その理由は、アルパがパラグアイなどラテンアメリカ諸国で広まっている楽器だということにある。ラテンアメリカの楽器・音楽について少しでも身近に感じてもらおうとすると、現在の日本で聴くことができる音楽を通じてのほうが受け入れられやすいだろうと思われる。そこで、敢えてゲーム音楽の演奏をこのブログで紹介した。

 演奏途中で神山里映子氏がアルパのレバーを動かしていることに気づくだろう。ヨーロッパのグランドハープと違ってアルパには半音を出すためのペダルがない。そこで半音を調節するめのレバーアルパが造られるようになる。なお、レバーがついていないアルパで半音を出すときにはジャベを指にはめて、これで弦を押さえながら半音を出す。

 アルパ(Arpa)は、スペイン語で竪琴という意味であり、英語ではHarpと表記される。元々、南アメリカ大陸には弦楽器が存在しなかった。しかし、16世紀にスペイン人が南アメリカ大陸へ行き来するようになるとアルパが持ち込まれるようになる。今と違って16世紀の世界には航空機が存在せず、大陸間を行き来するための交通手段は船だけだった。それも船にはエンジンがあるわけもなく、航海を行うための動力と言えば、主として帆に受ける風であった(蒸気船が実用的に持ちいられるようになったのは19世紀以降である)。従って、スペインから南アメリカ大陸へ航海するために要する期間は約3か月とか約4か月という長期に及んだ。月単位で人々が船の中で生活していくわけだから道中において娯楽の一つや二つは必要になってくる。音楽もその一つである。とはいえ、船にそうそう大きなものを持ち込むわけにはいかない。そこで小型のハープ(アルパ)が用いられるようになった。こうして南アメリカ大陸にアルパが持ち込まれるようになり、現地の人々が自分たちの音楽に合わせるように改良してスペイン人が持ち込んだハープ(アルパ)を現在のアルパへと発展させて今に至る。


日本キューバ友好協会主催のお花見があります

2015年03月28日 02時04分48秒 | ラテンアメリカの政治革新、文化等

 日本キューバ友好協会のウェブサイトには既にお知らせしているとおりですが、このブログにも2015年3月29日(日)11時より東京・代々木公園にて行われる日本キューバ友好お花見の会のご案内をします。

 3月末から4月初旬にかけては、お花見の季節です。日本キューバ友好協会でも毎年恒例のお花見があります。日本キューバ友好協会主催のお花見の会は、他のお花見とはひと味違います。駐日キューバ大使館の人々を始めとしてキューバ人が何人もお花見に来ます。本場のサルサのリズムに乗っての歌あり踊りありの楽しいひと時を送ることが出来るのが、日本キューバ友好協会主催のお花見の特徴です。一見は百聞に如かずということで興味あるあなたも是非日本キューバ友好協会主催のお花見の会へ遊びに来ませんか。

 日本キューバ友好お花見の会は以下の通りの日時で行われます。

日時:2015年3月29日(日)11時より

場所:東京・代々木公園(明治神宮より、噴水の先の協会の旗が目印です)

会費:2,000円(持ち込み歓迎)

連絡先:TEL/FAX: 03-5689-5403


夏の締めくくりに浅草サンバカーニバル

2014年08月23日 23時21分09秒 | ラテンアメリカの政治革新、文化等

 夏の締めくくりに浅草サンバカーニバルは必須です。昨年、私は浅草サンバカーニバルを見に行かれなくて非常に泣ける思いをしました。夏の締めくくりに行われる浅草サンバカーニバルは、セクシーで華やかなパレードであると同時に全国のサンバチームによる真剣勝負のサンバコンテストでもあります。今日(2014年8月23日)は朝から曇り空で昼ころに雨が降ってきたのでどうなるか心配でしたが、次第に雨がやんで晴れてきたので良かったです。万が一大雨に見舞われてカーニバル中止という事態が発生してしまえば、1年間サンバカーニバルのために練習を重ねてきたサンバチームには無念の極みですから。

 写真をフェイスブックにアップして「アルバム」にしました。よろしければリンク先を御覧ください。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.705576122844839.1073741940.100001773721850&type=1&l=ffda7a0509

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モンカダ兵営襲撃60周年によせて

2013年07月27日 15時30分41秒 | ラテンアメリカの政治革新、文化等



 日本時間だったら、日付変わったから昨日でキューバだったら日本より日付が1日遅れるから今日がモンカダ兵営襲撃60周年ですね。

 革命前のキューバは、事実上のアメリカの従属国で国内においてマフィアや権力が腐敗した結びつきをしながら貧しい人々を苦しめていました。街には失業者が溢れ、首都ハバナには、売春婦が徘徊している状況でした。もちろん、売春婦とて好きで体を売っているわけではなくて貧しいから仕方なく夜の街で米軍兵士などを相手にしていたわけです。また、農村部やスラムでは栄養不良に起因する病気で幼くして亡くなる子どもたちが少なくありませんでした。1952年3月10日にバティスタは、大統領選挙で勝利できないことが分かると軍事クーデターを引き起こして憲法や議会を停止しました。これに対してフィデル・カストロはバティスタの行為をキューバ憲法に反するとして提訴します。結果は、裁判所の不当な判決により敗訴します。また、バティスタは、反対は市民の暗殺にまで手に染めるようになっていました。このような中、フィデル・カストロをはじめとして若者や学生が中心となり、武装蜂起を決意しました。こうして、フィデル・カストロなど若者や学生たちが1953年7月26日にサンティアゴ・デ・クーバのモンカダ兵営を武装襲撃します。この行動は、経験不足に加えて準備不足により失敗し、少なくない若者が殺され、フィデル・カストロはカトリック司教の仲裁により死刑を免れたものの懲役15年の判決を受けて投獄されます。モンカダ兵営襲撃は、軍事的には明らかな失敗だったわけです。同時に言えることは、モンカダ兵営襲撃後にはキューバ国内各地でバティスタ軍事独裁政権打倒のための自主的運動が増大しました。軍事的に失敗だったモンカダ兵営襲撃が政治的にはキューバ国民を独裁政権打倒へ立ち上がらせる契機になり、これが1959年のキューバ革命勝利へとつながっていきます。

 さて、7月21日(日)投票日の参議院選挙で日本共産党が議席を改選前3議席から8議席へと倍以上増やしました。非改選の3議席と合わせると日本共産党の参議院の議席は11議席です。これにより、日本共産党は参議院において院内交渉団体としての立場と単独会派での法案提出権(ただし予算の執行を伴わない法案)を獲得しました。 今までは、単独会派で法案を提出できず、政府の試作に対する対案があっても、これを他党の議員に見せるだけに終わっていました。今度からは、日本共産党は、参議院においては法律案を提出できますので、予算の執行を伴わない法律案に関しては、政府に対する日本共産党の対案として国会へ提出することができます。法律案として提出された法案は、必ず審議しなければなりません。審議の過程でどの政党、議員も賛成あるいは反対の態度を示さなければなりません。また、法律案に対して賛成する場合には賛成の理由、反対するならば反対する理由をどの党派も議員も国民に対してはっきりさせなければならなりません。ここは、重要なことです。

 率直に申し上げると、日本共産党が議席を増やして単独会派で法案を提出できるようになったとはいえ、自民党との議席の関係では常に不利な戦いが日本共産党に強いられます。国民の声を聴いて作り上げた法案がすぐに法律として実るとは限らないし、まともな理由も示されないまま、議席の数にものを言わされて提出した法案が廃案されることすら少なくないでしょう。この場合においてたんに法律案が廃案になって悲しいとか言っている場合ではないでしょう。国会において提出された法律案が握りつぶされて廃案になれば、この限りにおいては「負け」です。ただし、「負け」は「負け」でも次に繋がる「負け方」が必要です。国会で提出された法律案が国会内での政党間の力関係を超えて実れば、これは、国民の運動の勝利であり、もし、国民要求の結晶である法律案が議席の数にものを言わせて握りつぶされる場合においては、法律案の廃案を私たちは、国民要求を握りつぶして国民に害を為す政権の姿を浮き彫りにして告発していくことが必要になってきます。このようにして、国会における日本共産党の議員の戦いと国会の外での様々な分野の運動が連携して常に政権の国民との関係における正当性を問いていくことで自公政権の正当性のなさを明らかにしていくのです。今後3年間は国政選挙がないと言われていますが、これは衆議院が解散することなく任期を終える場合のことです。国民要求を握りつぶす勢力を国会において野放しにする道理はないから、国民運動と日本共産党が連携して衆議院を解散に追い込むことさえ状況次第で求められます。

 今後、憲法問題、原発再稼働問題、TPP問題など色々と予断を許さない状況が続きますが、フィデル・カストロがモンカダ兵営襲撃という軍事的には明らかに失敗した行動をバティスタ軍事独裁政権打倒のための国民運動を呼び覚ますことに繋げたくらいです。従って、議席増という一定の成果を収めた参議院選挙の到達を日本共産党と各分野の国民運動が政治革新への展望をきりひらくための契機としていかすことは当然であります。

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日本キューバ友好お花見の会中止のお知らせ

2013年04月05日 21時42分44秒 | ラテンアメリカの政治革新、文化等

 2013年4月7日(日)に、日本キューバ友好協会HPに掲載したとおり、日本キューバ友好お花見の会が催される予定でしたが、強い雨風の予報が出ているので行事を中止することが決まりました。

 お楽しみにしていた方には申し訳ございませんが、天気には逆らえません。ご了承賜りますようお願い申し上げる次第です。

 日本キューバ友好お花見の会中止については、協会HPに掲載しております。
http://homepage3.nifty.com/aajc/

 今回のお花見は中止ですが、日本キューバ友好協会は、時局講演会、キューバ料理教室などをしています。協会のイベントについてはHPに掲載しますのでよろしくお願いします。

日本キューバ友好協会常任理事 横山一行

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2013.4.7 日本キューバ友好お花見の会

2013年04月04日 10時03分10秒 | ラテンアメリカの政治革新、文化等


(写真は2012年4月8日(日)の日本キューバ友好お花見の会の時の写真です。)

 毎年恒例のことですが、今年は4月7日(日)に日本キューバ友好協会のお花見の会があります。開始時刻は11時の予定です。桜の花が例年より早く咲いてしまったためにお花見の日には葉桜になってしまっているかもしれませんが、それでもお花見決行です。週間天気予報を見ると雨が少々心配ですが、小雨程度ならばお花見は行われます。大雨の時はごめんなさい。

 桜の花が早く咲いてしまったことから葉桜になっても仲間と触れ合って交流する楽しみは変わらないですね。そうです。「花より団子」 という言葉があるんです。

 日本キューバ友好協会のお花見では、駐日キューバ大使館の人々をはじめキューバの人々が何人も来てくれます。桜の木の下でお酒を飲んだりサルサを踊ったりしながら楽しめます。お酒を飲めなくても踊って楽しむことが日本キューバ友好協会のお花見ではできます。そういうわけですので、 お酒飲めないからと遠慮することはありません。

 キューバ人ってどんな人?キューバってどんな国?とキューバのことを知らない人も、キューバのことをよく知っている人もぜひ日本キューバ友好お花見の会にお越しくださると幸いです。

日時:2013年4月7日(日)11時~ 小雨決行

集合:10時45分JR原宿駅表参道口    
 会場は代々木公園内(下車駅:JR原宿駅下車・東京メトロ明治神宮前/代々木公園)明治神宮側から公園正門入りしばらく直進、右手奥に噴水を見ながらさらに直進。歩道の左手、友好協会の旗又はキューバ国旗が目印です(正門より徒歩6分)。

会費:2,000円(持ち込み歓迎)

連絡先:日本キューバ友好協会FAX03-5689-5403
   メール japan-cuba(at)nifty.com(メールをするときには、atを@に直して送信をお願いします)

日本キューバ友好協会HPは下記のURLです。
http://homepage3.nifty.com/aajc/ 

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キューバの音楽―You Tube で見つけました

2012年12月22日 22時34分59秒 | ラテンアメリカの政治革新、文化等



 偶然、動画サイトYou Tube で見つけて来ました。動画としてアップされているのは、キューバへ言った人が現地のレストランで聴いた演奏のようです。

 キューバへ行ったら本場の音楽を生で聴いてみると良いですね。

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アジェンデ最後の演説

2012年11月11日 11時42分01秒 | ラテンアメリカの政治革新、文化等



 Facebookでチリのアジェンデ大統領(当時)の最後の演説がシェアされていました。

 1973年9月11日チリにおいてピノチェト及びこれに同調する軍部と治安警察がクーデターを引き起こしました。

 アジェンデ大統領(当時)は、ピノチェトらによるクーデター軍の辞職勧告に屈することなく最後まで信念を貫きました。この動画は、大統領府がクーデター軍に包囲されている中でのアジェンデ大統領(当時)による人民に向けた演説です。これは、まさに死を目前にした中でのアジェンデ大統領(当時)の演説です。

 アジェンデ大統領(当時)は、自ら自動小銃を手にして僅かな武装民兵とともにクーデター軍に立ち向かい非業の死を遂げました。しかし、アジェンデ大統領(当時)の死は決して無駄にはなっていません。否、チリの人民及びラテンアメリカの人民はアジェンデ大統領(当時)の死を無駄にしませんでした。演説の中でアジェンデ大統領(当時)は「犯罪行為であろうと武器であろうと社会の進歩をとどめることはできないのです」と訴えました。

 また、アジェンデ大統領(当時)は、演説の終盤に次のようなメッセージを遺しています。

「私に続く者たちが裏切りの支配する灰色で苦い次代を乗り越えていくでしょう」
「遅かれ早かれ、より良い社会を築くために、人々が自由に歩くポプラ並木が再びひらかれるでしょう」

 ピノチェトは1990年まで軍政を行いました。その後、ピノチェトは反政府派市民を虐殺した責任を問われて英国で逮捕され、2001年にチリに帰国した後、誘拐罪と殺人罪で起訴されて自宅軟禁されました。その他には、脱税の疑いでピノチェトの妻子が逮捕されました。
http://kotobank.jp/word/%E3%83%94%E3%83%8E%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%88%E8%A3%81%E5%88%A4

 アジェンデ政権は、選挙で成立した政権です。民主的なやり方で人民の意思により成立した政権を武力で転覆して権力を一時的に握ったところで最後には犯罪者として裁かれ断罪されるのです。ピノチェト自身は、2006年に裁判の途中で死亡したために判決を受けませんでしたが、社会的実態としては、ピノチェトは最後(最期)には犯罪者として断罪されました。

 アジェンデ大統領(当時)は、社会の進歩をとどめることはできないと語り、実際にラテンアメリカの情況はアジェンデが大統領をしていた時代とうって変わってベネズエラ、ボリビアをはじめ、国により温度差があるものの進歩と革新の政権が大勢を占めるようになりました。

 米CIAが暗躍しながらクーデターを引き起こそうと何をしようと社会の進歩をとどめることはできないというアジェンデ大統領(当時)のメッセージの正しさは現実の情勢により証明されています。

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【ベネズエラ】私は、ウゴ・チャベス大統領選の4選連続勝利達成を歓迎する!

2012年10月11日 02時01分47秒 | ラテンアメリカの政治革新、文化等



 上の動画は、ベネズエラ大統領のウゴ・チャベスとチェ・ゲバラの娘であるアレイダ・ゲバラが2009年にチェを讃えた、「Hasta Siempre Comandante」をともに歌ったものです。

 ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、ラテンアメリカのベネズエラで任期満了に伴う大統領選挙が戦われました。投票日は10月7日でした。結果は、現職であるウゴ・チャベスの勝利です。

 1998年にウゴ・チャベスは、貧困と格差を拡大させる新自由主義政治に対する「No」の声を反映して大統領選挙で初の当選を果たしました。ベネズエラは石油が豊富に算出される国です。チャベス大統領は、大統領就任以後、一貫して石油の輸出によって得られる収益を貧困撲滅へ向けた社会政策のために活用してきました。安価な食料販売網の設立、公的医療機関の無料化、最低賃金の連続引き上げなどをチャベス大統領は、正面から取り組んできました。チャベス大統領が取り組んできたこととしては、識字率の向上は、貧困を撲滅するための取り組みとして大切なことでした。ウゴ・チャベスが大統領に就任する前は、貧困世帯の割合が44.3%(1998年)であったわけですが、現在のベネズエラでは、貧困世帯の割合は、26.7%(2011年)と貧困世帯の割合をほぼ半減させました。

 ウゴ・チャベスが新自由主義を信奉する右派のカプリレス候補を破ったことは、改革の基本的な方向性が人民に支持されたことと、ベネズエラ人民が再び新自由主義は戻らないという政治・社会変革への決意を示したことを反映しています。

 ウゴ・チャベス大統領の改革の基本的な方向性は人民から支持されているとはいえ、汚職及び担当者の能力不足の問題が相まってミシオン(社会開発の諸計画)が必ずしもうまくいっているとは言えません。このことは、ウゴ・チャベスの得票率が過去3日の大統領選挙と比較して最低水準であることにも現れています。チャベス自身が、改革の実行をフォローするための仕組みの不足を自身の「誤り」だとしています。今後のベネズエラでは、チャベス政権が改革の基本を維持しながらどのようにして是正をしていくのかが注目されるところです。

 私は、ベネズエラでの革命がさらに発展して前進することをここに表明するものです。

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