愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

日本上空における真の脅威とは 1

2009年04月11日 10時12分09秒 | 戦争のない世界をめざす

 今月5日に北朝鮮は、ロケット発射を行なった。最初に申し上げておこう。私が冒頭に北朝鮮が発射したものをロケットとし「ミサイル」と表記していないのは、5日に北朝鮮から発射されたものが「ミサイル」と決め付けるだけの根拠が何一つないからだ。実際、官房長官談話では、北朝鮮から発射されたものを「飛翔体」としていた。官房長官から見てもミサイルなのか人工衛星なのかを断定しかねるからであった。アメリカとオーストラリア政府は、9日に行なった防衛担当閣僚による安全保障対話で「長距離ロケットの発射は国連安全保障理事会の決議に明確に違反する」(日経ネットより引用)としながらも北朝鮮から発射されたものをミサイルと断定せずにロケットとしている(参照元:http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20090410AT2M1000X10042009.html)。それにもかかわらず、国会において北朝鮮から発射されたものを根拠なくミサイルと断定し、制裁強化決議が提起されてこれが衆議院及び参議院で可決された(参照元:制裁強化 衆院で決議/北朝鮮ロケット 共産党は反対参院も制裁強化決議/北朝鮮ロケット 共産党は反対 )。国会の場において、明確な根拠がないことを勝手な憶測で断定して制裁強化を決議するとは、民主国家・法治国家としてあるまじき行為である。また、同時に北朝鮮に関して外交的な解決に障害をもたらすだけであり、日本の国益を著しく害する。マスコミの報道の仕方も国会のタカ派のウヨどもと右へならえなのかミサイルと根拠なく断定した報道をし、根拠なき「脅威」を煽ることに躍起になっている。これでは、まるで戦前においてマスコミが軍国主義政府の大本営発表を無批判に垂れ流してジャーナリズムの使命を放棄して人民を戦争へ引きずりこむ片棒を担いだときの再現ではないか。

 誤解のないように申し上げておくが、私は、国際社会が北朝鮮に自制を求めているにもかかわらずこの声を振り切って5日にロケット発射をした北朝鮮の行動たいして、国際社会に無用の緊張や疑念を生み出すものと考えている。だからといって、国会に巣食うウヨどものように外交努力をまともに模索せずに軍事対応一本やりの考えや対応には反対である。国会での決議のようなことは、外交による解決を遠ざける。国際社会からの理解などえられようはずがない。

 ロケット発射とは別に、北朝鮮の現在の国力を冷静に見れば、あの国に覇権主義小国としての本質があるとはいえ脅威というに値しないことは明白である。例えば、夜の極東地域の衛星写真を見る機会があれば見るといい。日本や韓国、中国の上海などの大都市、ロシアの主要都市などは電気の明かりがはっきりと映るにもかかわらず北朝鮮の部分は暗い。つまり、電力の供給すらおぼつかない状況、そういう程度のヘタレた国力しか北朝鮮にはないということだ。また、北朝鮮は慢性的な燃料不足である。いろいろな節目で北朝鮮が国内外にパフォーマンスとして今月5日のテポドン2号と思われるロケット発射などを打ち上げ花火のように行なっても北朝鮮には外国(例えば日本)と戦争する能力も意思もない。日本との関係で言えば、国交正常化交渉を持ち出してきたのは北朝鮮の側である。北朝鮮から見れば経済立て直しのために日本との国交を正常化してジャパンマネーを援助してもらいたいという思惑があるわけであって、日本と戦争する気など毛頭ないのはこの数年間の国際情勢を事実に基づき冷静に考えればあきらかである。


 北朝鮮が軍事演習として弾道ミサイルを打ち上げたとしてもこれは戦争をするためではなく、外交上オドオドしているのを国内外に覆い隠すための弱小国家の虚勢に過ぎない。だから、北朝鮮など脅威に値しない。今月の5日に北朝鮮が打ち上げたロケットは、日本を焦点に当てたものとは到底いえないのは、射程距離などから明白である。もちろん、北朝鮮が国際社会の自制への呼びかけを振り切ってロケットを発射したことに関しては、私は極東地域に緊張と疑心暗鬼を生み出しかねないとして遺憾だと思っている。

 自衛隊が迎撃ミサイルの態勢をとり、国会内外のウヨどもが北朝鮮を脅威だと煽り立てるのは、憲法第9条の破壊の口実を作りたいがためである。さもなければウヨというのは、あのような弱小国家の虚勢に大真面目にオドオドするほどのチキンハートの持ち主なのか。"Nobody calls me chiken !"(「誰にも腰抜けとは言わせない」という意味)なんて切れるなよ。映画"Back to The Future"の主人公マーティ・マクフライじゃあるまいし。いずれにしても、自衛隊や国会内外のウヨどもの対応や考え方は軍事的緊張の悪循環をもたらし、対北朝鮮との懸案事項解決を遠ざけるものであり、日本の国民益を著しく害した。

 北朝鮮が年に数えるほどの「打ち上げ花火」をしてみたところで脅威というに値しないことはここで述べた。もちろん、北朝鮮の「打ち上げ花火」をもてあそんでの瀬戸際外交は極東アジア地域から軍事的な緊張を解消し、朝鮮半島の非核化をしていく観点からは厳しく批判するべきである。もちろん、国際法、国連憲章の観点に立った原則的対応、六カ国協議など外交的手段によって北朝鮮に核兵器開発をやめるように包囲し、説得的に事を進めていくべきである。

 日本列島の上空を日々飛んでいる脅威は北朝鮮の年に数えるほどの「打ち上げ花火」とは別にある。北朝鮮の「打ち上げ花火」が明白且つ現在の形で日本国民の生活に脅威を与えているのではない。本当に日本国民の生活と命に脅威を与えている上空を飛翔するのは在日米軍の戦闘機である。戦闘機が住宅地の上をすれすれの超低空を飛び交うなど日本だけである。人々の命と生活という点ではこちらのほうがよほど脅威である。それにもかかわらず国会内外のウヨどもはこの点にはまったく触れない。脅威というに値しないものをことさらに"脅威"と煽り立てて真の脅威から国民の目をそらさせる。これが、国会内外のウヨどもの欺瞞である。

 実際に、米軍機は民家に墜落事故を起こしている。私は横浜市の出身であるが、1977年9月27日に横浜市緑区(現在は青葉区)で厚木基地から飛び立った米軍機が墜落事故を起こした。その後の自衛隊及び米軍の対応を見れば、日本の上空を飛んでいるもののなかで何が本当に脅威なのかは明白である。この点の詳細は次回にゆずる。



つづく



日記@BlogRanking

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。