愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

日本上空における真の脅威とは 2

2009年04月15日 07時30分48秒 | 戦争のない世界をめざす
 日本の上空において人民の安全保障、すなわち命と暮らしに明白且つ現在の脅威を与えているのは、在日米軍の戦闘機である。ウヨどもが騒ぎ立てているような、北朝鮮の散発的な「打ち上げ花火」ではない。もちろん、テポドンやシルクワームのような挑発的な「打ち上げ花火」は至極迷惑な行為ではある。だが、これが明白且つ現在の脅威といえるかどうかは別問題である。今月の5日に北朝鮮にて発射されたロケットがミサイルであったとしてもこれは長距離タイプであり日本とは照準がかけ離れている。また、北朝鮮が瀬戸際外交の一端として中距離タイプのミサイル発射演習というものをしたとしても、これまた戦争をする意図とは異なるし、軌道がまさか、住宅地を掠めるような超低空飛行をミサイルがするわけでもない。もっとも、北朝鮮が保有しているミサイルはスカッド型で、命中率の悪さは湾岸戦争で証明済みである。北朝鮮は、その程度の実力しかない国とも言える。だからこそ、北朝鮮は虚勢を張る。こんなものを脅威というのは、何か策謀があってその「ため」にする議論を振りまいているかよほどの"Chiken Heart"の持ち主か何かというところか。

 しかし、在日米軍の戦闘機の場合は、北朝鮮のような散発的な「火遊び」、「打ち上げ花火」と違って日本において来る日も来る日も発射訓練を繰り返していて米軍基地のある町では、彼らの住んでいるところのまさに真上を超低空飛行で爆音と轟音を響かせながら戦闘機が訓練のためとして飛び交っている。住宅地の真上を戦闘機が飛び交うなど、アメリカ本国ではおよそありえないことである。だが、日本においては在日米軍が住宅地の真上を我がもの顔で飛んでいる。ひどいのになるとNLP(夜間離発着訓練)と称して夜間に人が住んでいるところの上空を戦闘機が爆音と轟音を撒き散らしながら飛び交うのである。戦闘機の撒き散らす爆音、轟音の規模を文章で言い表すのは容易ではない。だが、私の経験からすると、戦闘機の爆音と轟音は身体の芯にまで響く。うるさいだけではなく身体にも悪いであろう。私の学生のときのことであるのでもう10数年くらい昔のことであるが、私は、日本平和委員会の人をガイドにしながら都学連の人と一緒に横田基地見学をしたことがある。そのときには、戦闘機の撒き散らす爆音などの影響で繁華街が一つ姿を消したことなどを聞かされた。日本平和委員会の人が解説が時々とまるときがあった。それは、戦闘機が真上を飛んで過ぎ去るまでの間である。あまりの爆音と轟音のゆえに自分の発する声すら聞こえない状態になり、話を中断するしかなかったのである。米軍基地のそばに住んでいる人は日々そのような状況で暮らしている。このような状況では、それこそ戦闘機が事故や故障などで墜落したらどうするのかという不安は当然生じる。そして、過去に実際に民家に米軍の戦闘機が墜落して何人もの死傷者を出したことがある。

 戦後、日米安保体制下で米軍の戦闘機の墜落事故は主なものとして町田市での墜落事故(1964年4月5日)や横浜市緑区(現在の青葉区)での米軍機墜落事故(1977年9月27日)がある。とくに、1977年9月27日における横浜市緑区(現在の青葉区)での米軍機墜落事故は、町田市における事故と比較しても甚大な被害が生じたことなどから現在でも語り継がれている。私事であるが、横浜市で育った私にとって緑区(現青葉区)の米軍機墜落事故は、成長した後に人から聞くことによって知ったこととはいえ忘れられない事柄である(私は1974年生まれ)。

 1977年における横浜市緑区(現在の青葉区)における米軍機墜落事故は、現実に明白且つ現在の脅威を人々に与えているのはなにかということ、そしてその後の米軍や自衛隊の対応から軍隊の本質に関しての教訓を示している。



つづく



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