愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

チェ・ゲバラのUNCTADにおける演説

2014年05月10日 01時54分28秒 | 現代に活きる Che Guevara の志

 ここに貼り付けた動画は1964年の国際連合貿易開発会議(UNCTAD)におけるチェ・ゲバラの演説です。あれからもう50年の年月が経過しているのに未だに一部の先進国による途上国への搾取の構造が変わらず存在しています。同時に言えることは、1960年代時と比較して途上国の中からラテンアメリカ諸国などのように先進資本主義国との新たな関係構築をし始め、経済成長をしている国々の中には新興国と呼ばれる国々が21世紀の世界において出現しています。

 半世紀も前にチェ・ゲバラが告発した世界経済の著しい不均衡の問題克服についてまだ課題が山積していますが、確実に世界は変わってきています。一昔前ならば、G7と称して一部の先進資本主義国が世界の政治と経済の場で大きな顔をして世界の多数の国々のことを顧みていなかったわけですが、現在ではロシアを加えたG8でも話にならず新興国を加えたG20で首脳会議が必要な状況が生まれています。チェ・ゲバラが国際機関で演説していた時代と違って一部の大国の思うがままには世界が動かなくなっています。

 同時に1964年の時にチェがUNCTADで告発した格差の問題に関して深刻さを増している面は直視する必要があります。資本主義の枠内でも途上国などの先進国に対する依存的体質の克服への努力が続いています。しかし、資本主義社会が世界経済における貧富の絶対的格差問題が横たわっていて、深刻の度を増していることは一つの真実です。

 チェ・ゲバラの告発は、資本主義社会の根源的矛盾に向けられています。チェ・ゲバラが告発した問題に対する問題の根本からの解決のためには、資本主義社会からの離脱を真剣に考えるべき時代が既に来ています。

人気ブログランキングへ

 


弱い者いじめの政治を打倒したい!

2014年03月14日 23時20分50秒 | 現代に活きる Che Guevara の志

 チェ・ゲバラといえども、生身の人間であったわけだからいくつも欠点はあっただろうし、情勢判断などに誤りを犯したことさえあった。しかし、チェ・ゲバラがどのような時でも不正を許さず、常に弱者の味方であり続けていたことは、歴史上の事実である。

 自公・安倍政権は、歴代政権の中でも最も強権的で弱い者いじめの政治をすることで徹底している。来月から消費税を現行の5%から8%へ増税しようとしている。国民所得が下がり続けているもとで消費税を増税すれば、そのしわ寄せは最も弱い立場の人々に来る。チェのような戦い方を日本でする必要はないが、その志をふまえて自公・安倍政権と戦うことはあり得るだろう。

 いつまでも自公政権を野放しにするわけにはいかない。全ての人々が人間らしく生活できるようにするために、日本において革命政権を樹立して戦犯政治と棄民政治を推進する勢力に歴史的裁きを下す、その日を勝ち取ろう。

人気ブログランキングへ

 


Hasta Siempre - 動画サイトYou Tube より

2013年01月04日 14時14分41秒 | 現代に活きる Che Guevara の志



 「Hasta Siempre」は、チェ・ゲバラを讃えた曲です。日本語の定訳はないそうで、字幕は動画サイトYou Tubeにアップした人が曲の雰囲気を壊さないようにしながら翻訳したそうです。動画サイトにアップした人が言うようにプロの翻訳家による定訳が出るといいですね。歌を翻訳するのは、政治文書などとは違った難しさはあるのでしょうけれども。

 今年は、国政選挙としては参議院選挙があります。東京都の場合は、東京都議会議員選挙があります。私の地元の江戸川区では4年前に当時現職だった河野ゆりえさんの当選を果たすことができませんでした。 今年の東京都議会議員選挙では、なんとしても河野ゆりえさんの議席返り咲きを果たす必要があります。参議院選挙では、比例で小池晃さんの当選を勝ち取ることはもちろん、東京選挙区において吉良よし子さんの当選をもって東京選挙区において再び日本共産党の議席を獲得することが大切です。

 革命への情熱を新たにして参議院選挙、東京都では都議選勝利で日本革命への展望をきりひらいていきましょう。

 余談ですが、日本共産党の政策委員長である、小池晃さんは医者ですね。チェ・ゲバラも医者でしたね。言うまでもないことですが、日本の政治は、あまりに病んでいるから優秀な医者が必要です。しかも、大掛かりで根本的な治療が日本の政治には必要です。小池晃さんの返り咲きはいっそう必要です。

日記@BlogRanking 人気ブログランキングへ  


ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキとキューバ

2012年12月27日 02時30分06秒 | 現代に活きる Che Guevara の志



 キューバでは、広島と長崎における原爆投下のことは、みんな知っています。というのは、キューバの学校では、必ず広島と長崎における原爆投下のことを歴史の授業で習うからです。このことには、チェ・ゲバラの働きが大きいわけです。

 キューバ革命は、1953年7月26日のモンカダ兵営襲撃を始まりとして1958年には、チェ・ゲバラ率いる革命軍の部隊がキューバの要衝である、サンタクララを解放しました。そして1959年元旦には、革命軍が首都ハバナへ進軍し、独裁者のフルヘンシオ・バティスタはアメリカへ亡命(逃亡)しました。こうして、フィデル・カストロは勝利宣言をしました。

 革命勝利後、半年余が経過した頃に、チェ・ゲバラは日本に視察に来ます。チェ・ゲバラを始めとしする使節団の目的は、砂糖の売り込みと、当時高度成長を始めた日本の工業に注目しての経済視察です。公式には、日程に含まれていませんでしたが、チェ・ゲバラは、自費で広島に滞在中に行きます。そして、彼は原爆ドームを目にするのです。また、チェ・ゲバラは医者でもあったことから、原爆症に苦しむ人々の情況をも目にしたわけです。そして、チェ・ゲバラは、「アメリカにこんなにされてなお、あなた方はアメリカに従うのですか」、「アメリカにどうして原爆投下のことを責任追及しないのですか」と本音を原爆ドームを前にして語ったのです。

 8月でもないこの時期になぜチェ・ゲバラの広島訪問を記事としてアップするのかと思う方はいらっしゃることでしょう。もちろん理由があります。12月16日(日)投票日で衆議院総選挙があり、この結果自民党が「圧勝」して政権復帰をしたからです。

 日本は、広島と長崎と実戦で2発もの核兵器による被害を受けているし、第5福竜丸のビキニ環礁での水爆実験による被曝経験があります。他には、原発の東海村臨海事故で急逝放射能障害による死人を出しているし、2011年3月11日には、福島第1原発事故を経験しています。しかも、原発事故の収束の目処は未だに立っていません。このような情況にもかかわらず政権に復帰した自民党は未だに原発を推進し、核武装への野望を有している人さえ自民党にいるのです。このことがチェ・ゲバラの広島訪問のエピソードをアップした理由です。地球儀で見れば、キューバは日本の裏側の島国です。このくらい遠くのキューバが核兵器の悲劇を繰り返すまいと学校教育の中で広島と長崎のことを教育しているわけです。核による被害を受けている国の人民が憲法第9条改悪と核武装の野望を許していたのでは世界に示しがつきません。もちろん、私たちにとっても何一つ良いことがありません。

 私は、自民党・安倍政権発足を受けて憲法改悪と原発推進政策などにいっそうの警戒をするべきだと考えています。

 まずは、参議院選挙での日本共産党の勝利を以って自民党にいい気にさせないことが大切です。

日記@BlogRanking 人気ブログランキングへ  


フィデル・カストロがチェ・ゲバラの魅力を語る

2012年01月28日 23時08分14秒 | 現代に活きる Che Guevara の志





 フィデル・カストロが2003年にアルゼンチンのブエノスアイレス大学法学部でチェ・ゲバラの魅力について演説した時の映像があります。動画サイトYou Tube で見かけました。

 シエラマエストラ山でのゲリラ戦の時、革命戦争後のキューバ国立銀行総裁の時のチェ・ゲバラのエピソードをフィデル・カストロが語っています。

日記@BlogRanking 人気ブログランキングへ


“The Motorcycle Diaries”/モーターサイクルダイアリーズ、その後

2012年01月22日 00時54分27秒 | 現代に活きる Che Guevara の志



 Facebookで見つけた動画です。映画『モーターサイクルダイアリーズ』で描かれているように、チェ・ゲバラが親友のアルベルトとともに南米大陸縦断の放浪の旅に出て、この経験を通じて南米大陸における貧困渦巻く実態を知るに至ります。医学生だったときのチェ・ゲバラの体験が革命家としての、まさにChe Guevaraを誕生させるわけです。しかし、医学生だったチェ・ゲバラが映画で描かれている放浪の旅を終えてすぐに革命家としての道に進んでいったわけではありません。

 医学部を卒業した後、チェ・ゲバラは革命家としてではなく医者としてラテンアメリカ諸国を旅します。そのなかでチェ・ゲバラは貧困による飢え、病気など様々な実態を目にするようになります。医学生だったときの体験、医学部を卒業して医者になった後の体験を通じてチェ・ゲバラは革命家として生きていくようになります。その過程でもチェ・ゲバラには様々な葛藤があったようです。このときの葛藤をチェ・ゲバラは、母親に宛てた手紙に書いています。
http://hastasiempre.blog104.fc2.com/blog-entry-346.html

 ジョン・レノンから「あの時、世界で一番格好いい男だった」と評されたゲバラといえども最初から英雄視されるような革命家だったわけではありません。学習と実践のを通じてチェ・ゲバラは革命家としての資質を高めていったのです。


日記@BlogRanking 人気ブログランキングへ


「イゲラの聖エルネスト」と呼ばれた革命家

2011年12月25日 19時43分55秒 | 現代に活きる Che Guevara の志

 ラテンマニアな人ならば知っている人も少なくないでしょう、Che Guevara (チェ・ゲバラ)というキューバ革命の英雄を。チェ・ゲバラが1967年ボリビアで処刑された後、いつの日からか「赤いキリスト」、「イゲラの聖エルネスト」と呼ばれるようになっていることを。



 ビートルズのジョン・レノンはチェ・ゲバラのことを「あの時世界で一番格好いい男だった」と言ったことは知る人にはよく知られていることです。



 私には、特定の個人を神格化するような考え方はありません。それどころか、個人を神格化することは、民主主義に反するので反対です。それにもかかわらずボリビアの一部地域においてチェ・ゲバラが聖人扱いみたいになっているのは彼自身の生き方とこれに帰結した死に方によるのでしょう。

 キューバ革命後にチェ・ゲバラはキューバ代表で国連の舞台に立ち、第3世界の立場で大国に対しても臆することなく、大国の横暴に対して世界の誰よりももっとも厳しく徹底した対決姿勢を見せました。

 植民地支配の影響などによって貧しい境遇にある発展途上国において社会進歩のために奮闘している人々にとって国連におけるチェ・ゲバラの姿は希望だったにちがいありません。




 チェ・ゲバラは、キューバ革命後に工業大臣の要職に就きますが、後に政府要職からはなれてキューバの市民権を返上して再びゲリラ戦士として戦いの地に赴きます。そして、1967年の9月にチェ・ゲバラはボリビアで政府軍に捕らえられて裁判にかけられることもなく銃殺されます。

 チェ・ゲバラは、キューバ革命政権における要職を離れて市民権を返上した後にコンゴとボリビアへ戦いに行きます。いずれも、歴史が示すとおりに失敗に終わっています。コンゴとボリビアでは歴史的背景などが違いますが、共通していることは「革命の輸出」です。それぞれの民族の運命を決めるのはその民族です(民族自決権)。「革命の輸出」は民族自決権擁護の点で非常に問題がありました。コンゴにしてもボリビアにしても現地の戦士の要請に基づいてチェ・ゲバラが軍事顧問として臨むならばまだしも現地から見て外国人であるチェ・ゲバラが司令官として戦っていたということに間違いの根本があります。

 詳細な点はともかくとして、革命論におけるチェ・ゲバラの誤りの概要については今更論争するまでもないことです。誤りは誤りとしてはっきりさせておくべきです。

 革命論としてチェ・ゲバラの戦い方に誤りが含まれていてこれが1967年のボリビアにおける悲劇の根源だったことは間違いありません。それにもかかわらず、チェ・ゲバラがボリビア政府軍によって処刑されてから40年後が経過した時のボリビア大統領選挙において当選を果たしたエボ・モラレス氏が大統領就任演説において「この戦いはゲバラに続くものだ!阻害されさげすまれてきた私たちの歴史を変える」とこぶしを振り上げたのは、後にチェ・ゲバラが本当は誰の味方だったのかということについて時の経過とともに、政治変革のために戦ってきた人々の手によって知れ渡ってきたからでしょう。

 ボリビアの宗教文化をふまえるとチェ・ゲバラの死に様がキリストが処刑された姿と重なったのかもしれません。このことが、チェ・ゲバラに対して「赤いキリスト」とか「イゲラの聖エルネスト」と呼ばれることに繋がっていったと、私は見ています。




 私自身は行ったことがありませんが、キューバには上の画像のビルがあって夜になるとライトアップされるそうです。

 キューバでは「チェのように生きよう!」とうのがスローガンのようになっていると聞いたことがあります。チェ・ゲバラは、歴史上の人物の中で見ても、世界の中で虐げられてさげすまれてきたような人々の味方として生きて戦ってきたということではもっともブレない人物と言えるでしょう(だからジョン・レノンがチェ・ゲバラを「あの時、世界で最も格好いい男だった」と評したわけです)。ですから、キューバにおいて「チェのように生きよう!」というのは、世界で最も弱い立場にある人々の味方になって生きようという意味です。

 私は、キューバでの現状のすべてを肯定的に見ているわけではありませんし、チェ・ゲバラの行ったことのすべてを肯定的に見ているわけでもありません。それでも、私がキューバ革命やチェ・ゲバラの志に連帯の気持ちを持っているのは、誰も見捨てられることのない政治と社会をつくることにあります。

 日本はもちろん世界を見渡しても貧困と格差が広がっています。アメリカの丹生ーヨークのウォール街においてごく一部のそれも全体の1%に過ぎない人が富を独占的に有しているのは不条理だということを主張した「占拠」運動が始まり、これが拡大しつつあります。一般市民に運動が拡散しつつあるようです。運動に参加している個別的な人々が意識しているのかしていないのかとうことはともかくとしてニューヨークのウォール街「占拠」運動は、貧困と格差を拡大してこれに対して解決能力を有しない資本主義経済そのものへの抗議としての意味合いを持つといえます。

 現在の日本国は、私が思うに棄民国家としか言いようがありません。3月11日に起きた東に本題震災と福島第1原発事故への政府の対応を見ていると住民の生業再建に政府が責任をもって本気で取り組もうとしていません。福島第1原発事故についても政府が住民の生命と健康を放射性物質から守ろうと真剣な姿勢を持っていません。それどころか、菅政権後に発足した野田内閣は「財界・アメリカ使い走り」内閣としての様相を呈しています。2009年の総選挙において民主党自身が掲げたマニフェストをかなぐり捨てて国民の期待を裏切りひたすらアメリカと財界にご機嫌を伺う民主党・野田内閣はいったい誰のための政府をつくろうというのでしょうか。

 キューバの真似をしようということではありませんが、これからの日本のあり方として「国民を一人も見捨てない政府」づくりを展望すれば、キューバ革命の精神とチェ・ゲバラの志に改めて私は連帯の意思を持ち続けようと思います。


日記@BlogRanking 人気ブログランキングへ


赤いキリストの志

2010年12月26日 01時13分14秒 | 現代に活きる Che Guevara の志


 上の画像はいわゆるゲバラTシャツ、そのほかゲバラ関連のグッズの元になっている写真です。もちろん、ゲバラ関連のグッズではほかの写真も多く使われていますが、これがゲバラの写真というと上のが真っ先に思い浮かぶのではないでしょうか。

 誤解を恐れずに言うなら、私は自分のことをゲバラ主義者と言ってはばかりません。もちろん、チェ・ゲバラと私自身が生きている時代と国が違うから、日本において武装闘争をしようとは考えていません。日本においては、昔のラテンアメリカ諸国と違って、憲法によって議会制民主主義を基本においた革命運動が可能なので、武装闘争をする必要はないし、してはいけないわけです。チェ・ゲバラの戦い方は、当時のラテンアメリカの軍事独裁政権のもとで民主主義がまったくなく、貧困を根絶しようと、国民のための政府をつくろうとしたら武装闘争以外に方法がなかったということによります。

 チェ・ゲバラは1967年にボリビアの山中でゲリラ戦のさなかにボリビア国軍にとらわれ、銃殺されました。当時の敗北の原因として考えておかなければいけないことは、当時の農民に革命運動が支持されず政治戦で勝利できなかったことです。

 キューバ革命以前にもグァテマラのように対米自立を志向する政権ができたことがあります。しかし、アメリカが反動勢力を支援し、クーデターをけしかけてことごとく、対米自立を志向する政権をつぶしていきました。チェ・ゲバラは自らの経験などからラテンアメリカは団結してアメリカ帝国主義に立ち向かうべきだと考えていました。チェ・ゲバラがボリビアへ行ってゲリラ戦をしたのにはここで述べたような情勢が反映していました。ラテンアメリカ諸国の団結という着眼点は良かったのですが、キューバとは政治情勢、国内状況、民族、文化が共通する部分あるにしても異なるところへ外から革命運動を持ち込もうというところに無理がありました。これが、当時のチェの戦いが敗北した本質的な原因です。ほかにも要素はもちろんいくつもありましたが。

 では、チェ・ゲバラの戦いが無駄だったのかというとことはそう単純ではありません。

 チェ・ゲバラがボリビアで非業の死を遂げてから実に40年の歳月が経過したとき、2005年12月18日にエボ・モラレス氏が大統領選挙に当選し、翌年1月の就任演説では「これは、チェ・ゲバラに続く戦いだ」とこぶしを振り上げたことは、チェ・ゲバラの米帝国主義からの解放を求める戦いが長い間一貫してラテンアメリカ諸国の人民にとってきわめて切実であったことを如実に示していますす。だからこそ、40年前のボリビアでチェ・ゲバラが率いる革命軍が農民から支持されずに敗北しながら、時が経過したあとにボリビアの革命勢力が自らの戦いをチェ・ゲバラに続くものである、こういう意味合いを持つにいたったわけです。

 私自身がチェ・ゲバラに傾倒し、ラテンアメリカに関心を持っているのは、今までも述べたように、対米自立が未来をきりひらくために避けて通れないということ、新自由主義が社会の隅々にまで荒廃をもたらし、こういったことを打開することが不可欠であるということ、これらが日本とラテンアメリカとで共通しているからです。

 昨年の秋に民主党中心の政権が日本において成立しました。政権発足当時は国民の期待を集めましたし、政策面でも国民要求を一定反映していました。しかし時が経過するほどに、政権の政治姿勢が後退と国民への裏切りを重ねて今では自民党化している、自民党よりもっと悪い面すらあります。こういう状況が生じた根本は、現行政権に対米従属から離脱することや新自由主義からの決別という方向性がないということにあります。

 沖縄の普天間基地問題に限らず、TPP問題、そのほか新自由主義から決別していくということなど、対米従属と大企業一辺倒の政治から抜け出すことは日本政治において、階級闘争のもっとも激しくなるところです。日本とラテンアメリカでは社会と政治の状況が違うので、当然チェ・ゲバラと同じ戦い方をするわけではありませんが、日本でもチェ・ゲバラの志が活かされて良いのではないかと私自身思うしだいです。


日記@BlogRanking 人気ブログランキングへ

世界を駆けたチェ・ゲバラ-国連演説より

2010年08月22日 13時04分12秒 | 現代に活きる Che Guevara の志



 動画サイト"You Tube"をほっつき歩いていたら、チェ・ゲバラの1964年の国連総会での演説がありました。チェの演説は動画サイトにはいくつも残っていますが、私はスペイン語が分からないので何をしゃべっているのかまるで分かりませんでした。これは、スペイン語と日本語の字幕がついているので何を言っているのかわかります。

 ただ、これは半世紀近く前の出来事です。当然現在では国際情勢が当時と相当変わっています。ですから、当時のチェの発言内容が現在の国際社会にそのまま当てはまるとは限りません。

 マルクスやエンゲルスが執筆した科学的社会主義の古典とされている著書を読むときにも当てはまることですが、どんな人でも生きていた時代を背景にして発言しています。チェ・ゲバラの発言や行動には当時のラテンアメリカと世界情勢が反映しています。このへんをよくわきまえてチェの国連総会での演説の内容をとらえることが大切です。


日記@BlogRanking 人気ブログランキングへ

「こんなにされてなおアメリカの言いなりになるのか」1959.5.26チェ・ゲバラ

2010年08月06日 06時30分00秒 | 現代に活きる Che Guevara の志


 日本から見ると地球儀のちょうど裏側の赤道直下付近にキューバ共和国という小さな島国があります。余談ですが、映画の「パイレーツオブカリビアン」の舞台は、今のキューバ付近だよ。

 Tシャツなどその他様々なグッズに使われているので上の画像の人が誰であるかということは知る人ぞ知るところではあります。キューバ革命の指導者でアルゼンチン出身のチェ・ゲバラこそ上の画像の人です。

 少し前置きが長くなりましたが、本題に入ります。

 キューバでは、日本からの距離の遠さにもかかわらず広島と長崎での原爆投下の悲劇のことがよく知られています。これには、チェ・ゲバラの働きが大きいのです。

 1959年5月26日、キューバ革命の勝利宣言から半年が経過したとき、チェ・ゲバラが訪日しました。目的は経済視察です。キューバは、サトウキビ栽培しかこれといった産業もなくいわゆるモノカルチュア経済でした。このままでは、キューバの自主的な発展はありえないということで当時高度経済成長を始めた日本の成長力を学んで革命キューバの国づくりにいかそうということで、キューバ国立銀行総裁であったゲバラが訪日して視察するということになったわけです。チェ・ゲバラは三菱重工、鐘紡、久保田鉄工堺工場、丸紅など日本の名だたる企業を訪れました。当時、日本ではゲバラの知名度は皆無であり、朝日新聞が揶揄的に「カストロ・ヒゲ」と報じたのみでマスコミからは無視されていました。

 チェ・ゲバラが宿泊したのは大阪でした。大阪から広島がそれほど遠くないことを知り、ゲバラは広島へ行き、平和記念公園の慰霊碑に献花をしているときに案内役に「あなた方はこんなにされてなおアメリカ言いなりになるのか?」と語りました。チェ・ゲバラが訪日した当初は、東京の無名戦士の墓へ行く予定でした。ところが、チェ・ゲバラは無名戦士をアジアの人をたくさん殺した帝国主義の軍隊の人たちであるとし、こんなところへ行くわけにはいかない、広島へ行くと、広島行きを実現させました。

 太平洋戦争とはいったいなんだったのか、私たち日本人が考えるときには二つの側面をよく見ておくことが大切です。

1.中国、朝鮮半島をはじめ、アジア諸国へ侵略を仕掛け、数多くのアジア諸国人民を虐殺した加害国家・戦争犯罪国家であるということ

2.アメリカによって原子爆弾を広島と長崎に投下され今でも原爆症に苦しんでいる人がいることや東京大空襲などのような無差別虐殺にあった被害国家であるということ。

 チェ・ゲバラは、日本に関して二つの側面をきちんと見据えて無名戦士の墓に献花することを拒んだわけです。日本が持っている二面性(加害者歴史と被害者歴史)と対米従属の異常性、これらの本質をよく見ておくことの大切さをチェ・ゲバラは私たちに示しています。

 チェ・ゲバラは、キューバへ帰国したあと広島と長崎のことを話し、盟友であるフィデル・カストロに日本へ行くことがあったら広島へ行くべきだと語りました。一番最近のことだと、フィデルは2003年に訪日しています。といっても、物資補給のための非公式訪問だったのであまり報じられてはいません。フィデルはゲバラとの約束を忘れることなく広島へ行き、慰霊碑に献花しました。フィデル自身、チェ・ゲバラから広島のことを聞いて以来、広島へ訪問したときには原爆の犠牲者へ哀悼の意を表することを長年の願いとしていました。


日記@BlogRanking 人気ブログランキングへ